第9話 偽りの笑顔



 ティーカップの受け皿に蝋を落とす。そこへ火がついた蝋燭を立てて、私は灯りが消えないように注意しながら部屋を出た。

 夜の城内は静謐でロングのネグリジェが足に絡まる衣擦れの音さえ、耳に入って来る。

 誰かに見られたところで困るわけじゃないけれど、何となく後ろめたい気持ちがあるせいか、忍び足で歩く。

 私はもう一度、皇太子さまがお描きになった「アリス」の絵が見たくて、寝静まっている城内を一人歩いているのだ。

 昼間、エスクードから色々なことを聞かされた。

 今、私たちが身を寄せているこの城を皇太子さまが住まいにして、帝都から距離をとっているのは、後継者問題を心配する皇妃さまや忠臣たちに嫌気が差したからだと言う。

『まだ喪が明けていない内から、縁談を持ち込まれたら、殿下でなくとも腹が立つだろう』

 エスクードは皇太子さまに同情的だった。その辺りから、二人の仲の良さが伺えた。

 彼はアリスエールを幸せにしてくれる皇太子さまを守ることで、アリスエールへの想いを自分自身に納得させたのかな。

 彼から話を聞かされている間、私はちょっとした違和感を覚えた。

 エスクードは、皇太子さまとアリスエール、そして双子の弟であるエスパーダの関係を話しながら、その中に自分の想いを匂わせることをしなかった。

 舞踏会の招待状を貰ったときの、皇太子さまとの会話やそのときの様子などから察するに、エスクードはアリスエールが好きだったと思う。

 ――だから、私に優しくしてくれたんだよね?

 エスクードも皇太子さまも、私にアリスエールの存在を重ねた。

「二の舞にならなければ」という皇太子さまの言葉は、前回のように三角関係――エスパーダが入れば、四角関係にならないようにということだろう。

 血の繋がらない兄妹……一種の幼馴染み関係の間に、割り込んでしまったのは明らかに皇太子さまだ。

 主君の想い人となったアリスエールをエスクードとしては、諦めざるを得なかったのだろう。そして、その想いを諦めたときから、口にしないと決めたのかな。

 何となくね、エスクードの性格だったら、それはありかなと思うんだ。

 エスクードの何を知っているんだと問われたら、今日までダンスが上手いことも、双子のお兄さんだってことも、好きな人がいたことも知りませんでしたけど。

 社交界に出たアリスエールと皇太子さまが出会って、恋に落ちるのは早かったという。

 肖像画が飾られた部屋で、エスクードは私が理解できているかを確かめながら、筆談を交えて語ってくれた。

『アリスエールは裏表のない子だった。割と、思ったことはハッキリ言うタイプだったかな。だから、殿下に真っ直ぐぶつかっていった。殿下が見染めたというけれど、実際のところ、アリスエールの方が先に殿下を好きになったんじゃないかと思う。殿下のお描きになった絵を見て、『この方は曇りのない方だ』と言っていたよ。それでお会いできる日を楽しみにしていた』

 曇りのない方――それは納得できるな、と思った。

 皇太子さまの描いた絵は色使いの柔らかさとともに、透明感があった。心理テストをするなら、皇太子さまの色使いはマイナス感情とは無縁の色彩だった。

 黒髪の色すら、澱みなく艶やかな色合いをしていた。

 私は絵画には疎いけれど、皇太子さまの色彩感覚は天性のものだと確信する。人間性を映し出した鏡のような絵画を見れば、うん、アリスエールの直感は正しいと思えた。

 言動に時折茶化すような部分が垣間見えるけれど、皇太子としてのお勤めのために、毎日帝都にあるお城に出向いているのだから、真面目な方だろう。

 アリスエールとの思い出を大事にする辺りに、誠実さも垣間見える。

 何より、エスクードが守ろうとしている方だ。騎士として忠誠を誓うに値する人でなければ、エスクードはね、ここまで皇太子さまのために尽くしたりしないと思う。

 割とハッキリ物を言うタイプじゃないかな、エスクードは。それでいて、余計なことは喋らない。場を和ますための軽口は言うけれど、無駄口は叩かない。

 私に四角関係の顛末を語ってくれたときも、自分のことを差し挟まなかった。

 辛かった事とか、苦しかった事とか、一杯あったと思うのに……。

 ただ、悲しげにアリスエールの肖像画を眺める横顔が、秘めた想いを感じさせ、それが違和感に繋がっていた。

『殿下の絵のモデルになって、二人は近づいた。アリスエールは養女とはいえ、フシール家の娘だ。身分的に問題はない。だから、婚約の話もとんとん拍子で進んだ。ただ、エスパーダが反対して、宮殿で騒ぎを起こした』

 温厚なエスクードに比べて、エスパーダは話に聞くところ、本当に聞かん坊のようだ。

 小さい頃からエスクードのものを欲しがっては強引に取り上げたり、屋敷の使用人たちを相当に困らせたり、両親と壮絶な喧嘩をしたりと。

 ……エスクードが温和な性格なのは、過激な部分をエスパーダが持っていったからではないかと思った。

 双子って一心同体のように似るか、もしくはまったく似ていないかのどちらかだとすれば、この兄弟は後者だ。

 容姿はどうなのだろう?

 似ているのかな。似ていても、多分、私はエスパーダを、エスクードと見間違えることはないと、不思議と確信できた。

 間違えない。間違えるはずがない。この一年、私を助けてくれた人を間違えたら、恩知らずもいいところだ。

 アリスエールを好きになったエスパーダは、エスクードが妹と仲良くしていると割って入った。それは相手が皇太子さまでも変わらなかったという。

 サフィーロ家に養子に入ったエスパーダは魔術師として技を究め、宮廷魔術師としてエスクードと同じように皇太子さまにお仕えする立場にあったらしい。

 それは総じて、アリスエールを妻に迎えるためのことであったわけだけど、肝心の彼女は皇太子さまと恋仲になっていた。

 エスクードはここで、アリスエールのために身を引いたわけだ。

 あの絵画を見れば、アリスエールがどれだけ画家を愛していたかわかる。愛している人がそこにいるから、あんなに「幸せ」に輝いた笑顔を見せられたのだ。

 そして、画家である皇太子さまも、アリスエールを愛していたからこそ、丹念な筆致で彼女を描いた。

 髪の一筋にも魂がこもっているかのようなあの絵が、二人の間に築かれた愛情を雄弁に物語っている。

 誰かが割り込む隙など、ない。

 エスクードにはそれが見えた。けれど、双子の弟であるエスパーダは見えなかった。

 どこまでも真逆だ。磁石の両極と言っていいくらい、双子の方向性は違う。

 エスパーダは皇太子さまにお仕えしている身でありながら、その皇太子さまを泥棒猫と罵っては、決闘を申し込んだという話だった。

 情熱的と言っていいのか、少し迷う。

 そんなことをすれば、アリスエールも困るだろうに。ストーカーという単語がチカチカと私の頭のなかで、明滅する。

 愛情を表現するのはいいことだと思うけれど、押し付けるのは頂けない。

 実際、アリスエールは皇太子さまへの想いをエスパーダに語って聞かせたという。でも、人の話を聞かない人はそれが恋した相手の言葉であっても、聞きはしない。

 権力でアリスエールに出鱈目を言わせているのだと、滅茶苦茶な論理で皇太子さまを悪者にしたらしい。

 何というか、それはもう、迷惑以外の何ものでもないと思う。

 結果、エスパーダはお城への出入り禁止処分になった。それは一時的なものだったけれど、エスパーダは、皇太子さまが自分とアリスエールを引き裂こうとしていると、これまた自分本位な思考回路で、暴言をぶちまけながら被害者ぶる……。完全に出入り禁止。

 話をしていて、エスクードは頭が痛くなってきたのだろう。何度も難しい顔をしては、こめかみをもんでいた。

 私は心の底から、同情しました。そんな迷惑な弟がいたら、私も困ります!

 しかも、双子だと言う。エスクードはエスパーダが何かやらかすたびに、周りの目に悩まされたのだろう。

 彼の温和で人当たりのいい性格が構築されたのはやっぱり、双子の弟によるところが大きいに違いないわ。

 エスパーダは、魔術を使ってはアリスエールを誘拐しようとしたとか……。

 もうそこまでやっちゃったら完全に、犯罪者ですよ。愛があればなんて言い訳、通用しません。

 アリスエールも困った人に好かれたものだ。

 私自身の過去を省みて、彼女の容姿は――童顔は――庇護欲をかき立てるタイプであったことは否めない。両親を亡くしている事実は、お人好しなエスクードがアリスエールを守ってやりたくなっただろうと、十分に推測できるところが……元彼との経験から言える。

 エスクードと私の元彼って、本当にタイプが似ているな……。

 チラリと頭に過ぎった面影に、私は首を振る。もう終わった関係だ。今さら、やり直すことなんてできやしない。やり直したいのかと問われても、違う気がするし。

 肖像画の間へ向かいながら、皇太子さまがアリスエールに惹かれたのは、やはり率直というべき感情表現かな? と考える。

 裏表のない子だったという話だから、肖像画に見た感情で、皇太子さまと接していたのだろう。

 好きな人と話をする、見つめられる、それだけで幸せになってしまう。表情から溢れんばかりの恋心を見せつけられたら、うん、悪い気はしない。

 自分の存在が彼女を幸せにしているのだと思えば、皇太子さまも嬉しかっただろう。

 皇太子さまとアリスエールの恋は、とてもいいなと思った。そんな風に恋ができたら、どんなに幸せだろう。

 私には悲しいかな、そんな恋はできそうにない。もう、女を捨てている。

 表情や感情を殺すことを覚えてしまった私の笑顔は、作り物。私のゼロ円スマイルは、言ってしまえば一円の価値もない。

 ……寂しいなと思った。

 ここに来て初めて、私は寂しさを感じた。


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