step 19 恋する小函
第26話『恋する
イアンの雑記帳
言葉とはなんとも
しかし時としてそれは、自身が
才ある詩人の渾身の力作や、恋の狂気の宿った手記なども同じく。
僕は…僕の言葉は…ここに記した、命をかけて守り抜くべき個人的秘密のかずかずは…果たしてどれだけのものなのだろう?なにがしかの価値や意味を持つものなのだろうか?
マクシミリアン。あの人に対する心。僕の気持ち。生まれてこのかた他人に抱いたことはなく、きっと二度目はない想い。かつての大学時代に経験した浅はかな夢想の如き好意ではない。本物の、(一文字分を二重線にて消している)だ。
間違いなく断定できるのは、あの人と出会ったことは、これまでの苦難と苦渋ばかりだった僕の人生における、幸運のクライマックスであるという点。
そしてまたこうも言えるのだろう。あの人と出会えたことは生涯における随一の不幸でもある、と。
なぜなら僕は、もはやあの人なしには…生きていくことすら容易ではなくなってしまっているのだから。
すっかり酒に溺れた人間が、酒を知る以前の
啓典に記された『楽園』の男女が
しかし今では
僕自身が知り得てしまったこの感情を、呪いではなく運命の祝福であると思うからだ。
7月∂日
いよいよ来週には先生と僕とブレーズでの旅行と
今回は昨年末から今年の年頭にかけての東方旅行より期間は短くなるが、移動距離は相当なものになりそうだ。なにせこのウィーンを出発して僕の故郷ダルマチアの州都へ赴き、さらに取って返してウィーンを通り過ぎ、ブレーズの郷里であるフォアアルルベルクの寒村を訪れてみようというのだから。
ざっとみての計算で一ヶ月半。それだけの期間事務所を
旅費に関しては先生が全額持つと大言を吐いているが、折半する点は譲れない。ブレーズは「先生が『いい』っつってんだから払わせればいいべ」と呑気に構えている。無責任にも程がある。僕達のような零細事務所にとって、僅かな支出も無駄にはできないというのに。
にもかかわらず、先生の支度が一向に進んでいない様子を見て、流石に朝から苦言を呈してしまった。
「もう
たっぷりと皮肉を込めたつもりだったのだが、先生は例の無邪気な笑顔で悪びれず
「ふむん、10月には戻っていないと困るな。兄上の出演する音楽祭に間に合わない」
などと言う。欧州各地で活気づいている芸術祭や舞台上演に活躍目まぐるしい先生の兄上は、既に今秋ウィーン中央劇場で開催されるプッチーニ音楽祭にメインで出演することが決定しているそうだ(演目は恐らく『トスカ』であろうとのこと)。
「兄上の新居祝いもまだしていなかったし、公演の前には伺わないといけないだろうしなあ。なにせいつも
付け足した内容──『兄上の邸宅』──に不安を覚えて確認した。その結果、
「いやなにね、今回のヴァカンスついでにフェルダー家当主の邸宅見学会を催すつもりなんだよ。きみと、ブレーズ、それに私だけなんだがね」
という計画を明かされた。
オーストリア領を東(正確には南東、ほぼ縦断だが)へ移動するだけでもいかほどの時間と路銀を必要とするか。だのに、さらに西方のスイス国境近くまでも行く計画に、さらなる寄り道を加えようというのだ。
僕がそれこそ年の初めから綿密に立てていた事務所におけるスケジュールの余裕のどれほどを食い潰す付加要因であるかを訴えようとしたのだが、
「我が事務所の片翼を担うきみは、イアン、もはや家族も同然だ。ならば兄嫁や彼らの可愛い子供達にも会わせてあげたいと思うのは当然だろう?私は本気で言っているんだぞ」
と真摯に見つめられてはぐうの
こうなったら一刻を争う。出発日をこれ以上延ばしてはいけない。本来なら先生が自身ですべきサロンなどへの手紙の代筆も僕が一手に引き受けるから、身の回りの物品の準備のみに専心するようにと厳しく言い置いた。
「悪いなイアン。君に尻を叩いてもらわないと、どうにも私は気が
まったく、
(ここまで次第に筆跡が太くなり、書体も荒れているが同一人物の記録に間違いないものと鑑定する)
7月⇔日
最近、先生は寝坊が多くなった。大事な面会や裁判への欠席などは論外なので、そんな日の前日は早目に起こすようブレーズに注意している。彼も
「おっしゃ任せるだ!おらの太腕にかかりゃあ先生の寝坊助だってイチコロ、もとい楽勝だでよ」
とやけに快く了承してくれた。その
あの
せめてもっと文化的な方法を取るように指示しても、
「そったらすっトロいことやっとっても
と
「はぁ?世間?そったらもんが好いた惚れたに関係あるだか?ったく男のくせに細けぇことぶちぶちと。いっそ下宿に戻ったりしねぇでここで暮らして、先生と同じベッドに寝起きすりゃ済む話でねえか」
な ど と 無
(筆跡が唐突に途切れ、赤茶色の染み。科学判定の結果ヒト由来のヘモグロビン反応あり)
(四行ほどの空白)
問題解決には、別の問題をぶつけるしかないということか。
眠り姫を起こすようにとは言わないが、せめてもっと手を和らげて欲しいという僕の要望。恐らくブレーズには聞き入れてもらえまい。彼の言い分には確かに合理的な点が否めないのだから。
先生とブレーズとの身分の差を考えるなら、まるで一つの
こうしてブレーズによる独創的かつ乱暴な妙案の数々が増えていくのだ。僕が協力できない限り仕方のない事だが…
僕があの人の事を、あの人との師弟かつ友人という関係に
7月↓日
今日は僕の全集中力を使い果たした。法的機関及び省庁、各方面への伝達と通知、依頼の整理、そしてご近所への申し伝えを完遂した。嗚呼、酒が美味い!
中でも一番手こずったのが、近在の住民への申し伝えだ。
この界隈に暮らす平民階級の彼等はもとから身分を
八百屋、肉屋、魚屋、パン屋、
ともかく、一ヶ月半は先生と会えずに過ごす彼等の不満や心配をなだめすかし、押しつけてくる『フェルダー先生の旅先のための差入れ』(毛布や飴玉、拾い集めたシケモクから穴の空いている水筒、蹄鉄の御守りなど訳の分からぬガラクタの数々)を受け取り、
山盛りの品の包みを背中に担いでドアを開けると、折しも先生はデスク前の床に旅行に携帯する品々を広げ散らかしていた。
多分、僕は鬼の形相になっていたのだろう。
「わわわ忘れ物がないかどうか、改めて最終チェックをしているところだよ。け、け決してサボっているわけじゃないぞ。決して」
とどもりながら、意味のわからない言い訳をされた。
どう見ても多すぎる衣服に靴、旅先での用途に疑念を生ずる雑貨(
「やめてくれ、そのピエロはこないだ兄上の
と
結果、残ったものは決済に用いる手形と小切手、衣類に最低限の靴、雨具、わずかな文房具。旅行鞄二つに十分収まった。
それからブレーズとドロテアを指揮して大掃除をさせている間、先生は(邪魔だからそこに居るように指示した)デスクの上で恨みがましく
「イアンのケチンボ。うるさ屋。いいじゃないか、ちょっとくらい」
と文句たらたら膝を抱えていじけていたので「食料庫を
この魚料理(先生に言わせると「まともな料理とはとても呼べない戦時の非常食」だそうだが)は当然ながら先生から大いに
だが、僕は最近、どうやら先生をいじめることが楽しくて仕方がない。
なぜだろう。
7月★日
夕食時、先生から父の事を話題にされた。いよいよ明後日に差し迫る僕の郷里へのヴァカンス(『旅行』という言葉よりもこちらの方がエレガントだろうと先生は言うが、さしたる違いはなかろうに)前に、
自分自身の父親…他でもない生みの片親の事なのに、あの人について語ることがどれほど難しいか。実際に話してみてはじめて自覚させられた。
まず父の経歴をかいつまんで説明した。大層な苦労人であるという事。ダルマチアの田舎町でユダヤ人地区の貧家に生まれ、二人の姉と両親とは死別して身一つでアグラム(学芸員注・現在のクロアチアはザグレブの旧名)の街に出て身一つから財を
貧家といっても血筋そのものは悪くない。祖父が存命中は
…そう、父の過去は言わば、我らが事務所のブレーズにも似た境遇だ。しかし彼との大きな違いはユダヤ人である点。そうでなければ安アパートを転々とする暮らしなど必要なかったろう。
だが人並み外れたガッツと卑しいまでの倹約根性でみるみるうちに本物の店舗を構えるまでになり、数年のうちにはアグラムの目抜き通りの一角に
恐らくというかほぼ百%の確信。父を
やがて父は自宅を全て店舗に改装し、アグラムの片隅に大きな屋敷を構える程に財を成した。そして彼の飽くなき金銭への欲求は現在、最終的な到達地点として手堅い投機にも及んでいる。
ほんの10分ほどの家族史を語るつもりが、気付いたら二時間近くも話し込んでしまい、時計は真夜中を過ぎていた。
他人に話すと…いや、ごく近しい人達の間でリラックスして話していると、昔見聞きした事を連鎖的に思い出すものらしい。僕に対して行われた幼い頃の父の
今夜は不思議な夜だった。事務所の台所兼食堂で。テーブルを囲んでフェルダー法律事務所の面々が勢ぞろい。
僕の正面には先生が、その隣にはドロテアが、僕の横にはブレーズがいて話を聴いてくれていて(貧乏ゆすりをすることもなく)…
電灯は明るいのに、旅人が炎を囲んでする古風な昔語りの風景のように思えて。
僕の声のほかには戸外を荒らす風鳴りにも耳を貸さず、先生は小さな身体に対し大きな頭から乗り出して語りに集中する。あのひとの、吸い込まれそうに丸く大きな
ブレーズは注意散漫さも軽口も発揮せず、ただいつものようにだらしなく足を組んで静かに半目になっていて。
いつもなら(僕が算術や書き取りを教える時には)すぐ
あの静けさ…頭のどこかがクッキリと透明になって…心のどこかを取り戻していくような感覚…
家族…家族(『?』の文字の上に取り消し線)。僕の、郷里を離れたウィーンでの大切な人達。
胸が暖かい。これは、いつからか置き忘れてきてしまった何かが、僕の体の内側に宿ってくれたからなのかもしれない。
(二行分の空白)
…馬鹿馬鹿しい…
…だが非常に…
(一行の空白)
彼らは…僕にとっての…
(この後には書き出しと思しきペン先のインク跡があるが、次の日の記述まで空白になっている)
7月●日
出発前に買い忘れた物があり街に出たところ、古道具屋にて、細工物の美しい木の
幾多の人手に渡ったのだろう、木造りの全体がすっかり飴色に変色してしまってはいるが、それが
店主の説明によると『ヨセギザイク』という名の東洋の仕掛け箱というもので、決められた手順通りにしか開けられないという。なぜこんな役立たずなものを帝国銀貨三枚(なんという無駄遣い!)と引き
ただ一つ言えることは、この品は確実に先生の気にいるだろうということだ。
馬鹿馬鹿しい。こんなもので
しかし買ったものを無駄にもできない。明日、先生に渡そう。時期外れのプレゼントと思われるのも
7月♂日
事務所の机に出しっぱなしにしていた例の
「イアン、これは⁉︎どうして君のデスクにこれが置いてある‼︎」
その驚きようにこちらも
「これは…私が幼い頃、何より大事にしていた父ゆかりの品だ。まだ歌手になりたての兄上が劇場に出るのに苦心していた頃、兄上の衣装代のあてとして売り払ってしまった宝物なんだ…」
そして僕を見て、泣くような笑うような、胸を締め付けてくる表情で
「言葉に尽くせぬとはこのことだ、イアン。君が買い戻してくれたんだね。しかし困ったな、もう私には君に返す恩があり過ぎて手に負えないよ」
と礼を言った。
愚にもつかない言いように僕はつい腹立たしくなって、「そんなに簡単に恩だの義理だの口にするものではありません。安売りされては却って信頼を失いますよ」などとぶっきらぼうに言い捨ててしまった。
先生は知らないのだ。自分がいかに僕に対して多大なものを与えたか。救いなどという言葉では及びもつかぬほどの温もりを、幸福を、
先生はただ黙っている僕に微笑むと、「これはね、開き方はもう家族の誰も知らないけれど、本当に昔からフェルダー家に伝わるものなんだよ」と教えてくれた。
それはそのままであれば、先生のデスクかベッドの枕元に置かれて、また再び大事にされるだけの物だった。しかし時あらずヒョイと顔を出したブレーズとドロテアにも先生が見せたところ、
「そんなら開くわけだべ?中にどんなお宝が入ってるか見てみてぇだ!ちょいと
とブレーズが腕力に物を言わせて
さらに頭に血が上ったブレーズが僕に飛びかかり、あわや喧嘩になろうというところ、足元に落ちた函を拾い上げたドロテアがどこをどうやったのかいとも簡単にそれを開いてしまった!…本当に驚いた。子供の方が頭が柔らかいとはよく聞くが…
函の内には小さな手帳と手紙の束があった。先生は小躍りするほど喜んで、ドロテアを褒めて小遣いを与えた。
ブレーズにはドロテアをメニエ夫人の許へ送りに行かせ、僕と先生は昼食もそっちのけで息を潜め(周りには誰もいないというのに)、その解読と時系列順の並べ替え作業に没頭した。
手帳の古い羊皮紙はくっつきかけていたが、先生の小さな指で器用にページを
アウエルバッハ公爵!マクシミリアン一世!
それは他でもない先生つまりマクシミリアン=フォン=フェルダーの御先祖、直系の遠い父祖、フェルダー男爵家の開祖その人だ!
(半ページほどの空白)
やはり、これは忘れないために書いておくべきだ。
内容はこうだった。
〝愛は天使の翼、悪魔の
ルイーゼ。宮廷の
文字とはなんと
先生の先祖の公爵、もとい『元』公爵のマクシミリアン一世。リヒテンシュタイン侯と同じく宮廷を持つ事を許された大貴族の当主であった男。
彼が
手紙の束の方はマクシミリアン一世の
その内容は…途方もなくロマンティックで、ため息抜きには読むことも言葉を発することもできないような恋物語。
忘れぬように記しておきたい。これは僕が記録する常のものとは異なるが、どうしてもそうせずにはいられないのだ。
オーストリアがまだハンガリー国王を兼ねる前の時代、オーストリア内に強い地位と広大な領地を
彼は小男ながら見目麗しい、人品共に気高く宮廷の貴婦人達の恋のさや当ての渦中に身を置くべき人物だったが、彼には物心ついた時からの秘密の
それがのちに彼と結ばれることになるアウエルバッハ家の小間使い、『新緑の木の葉よりも
そして手紙のやり取りから察するに、エリーゼもまた真摯な恋情を公爵に対して彼以上に大きく燃やしていたのだ。
そもそも公爵という身分であれば、力ずくでもエリーゼの全てを奪い『所有』することができた筈だ。…現在もそれに近しいとはいえ、現在以上にそれが許される時代であったのにも関わらず、公爵はそれを良しとはしなかった。
『我という男は幸運である。男として生まれた以上、幾多の
これが公爵の人柄だ。まるで立場が反対であるかのように、哀れな奴隷が
『マクシミリアン様。もし
エリーゼの
大貴族と平民。二人はまるで地球の反対側からでも己の
二人が恋に悩み、傷つき、幾多の障害を経て結ばれる(噂を聞き付けた親族により城館の塔に幽閉された公爵は、武勇をもってそこを脱出し、エリーゼと秘密裏に教会で結婚式を挙げたのだ!)。二人について周囲の貴族たちはやれルイーゼとはとんでもない
…そして物語の終点は、二人の愛の結晶がエリーゼの胎内に宿り、マクシミリアンが公爵家から勘当され、およそ貴族と呼べるものの
不思議なことに、僕はこの小間使いよりも元・公爵その人に対し感情が没入してしまった。
広大な領地、
手紙のやり取りの最後の一通は、マクシミリアン一世の求婚の言葉だった(これに心動かされたエリーゼが使用人部屋を飛び出し、脱出してきた公爵と手に手を取ってアウエルバッハ家の城館から最も近い教会に駆け込む姿が目に映るようだ)。
“吾が孤独は筆舌に尽くせぬものなり。あたかも天球の下に吾ただ一人残されしが如くなり。
汝が姿を一分一秒見逃せば、陸に打ち上げられし
この堪え難き苦痛、そを癒せるは汝のみ、エリーゼ。
吾が地獄に光ば差し込ませ、悪夢のごとき
昼の汝は魔女なり。吾が
夜の汝は光まとう天使なり。食堂で給仕せし
今生における
なんという、全くなんという想いだろう!
先生がとくにお気に召したのは、やりとりの始めのほうにあった〝愛は天使の翼、悪魔の
確かに愛は人を至福の天上へ誘うかと思えば、次の幕間には地獄の苦しみへと連れて行くものだ。今の僕ならばそれが実感として受け取れる。
「───ああ、イアン!我が祖先の文才、詩才がなぜ私の身には受け継がれなかったのだろう!こんなロマンチズム溢れる口説き言葉が
先生に僕は同意せざるを得ない。言葉などというものはただの表記、アルファベットの集合体。それだのに、僕もアヘン患者のように
僕と先生はどうやら僕と同じ状態だったらしい。気がついたら箱と手紙と手帳を並べた机の前に立ち尽くし、お互いの片手を重ねていた。
まだ夕方にもならない昼の
「私は少し泣いてしまった」
と、先に先生が口を開いた。
僕は…頷いたと思う。他にすべきことは何もなかった。
「いずれ兄上にもお見せしなければならないな。これは、我がフェルダー家が末代まで誇るべき宝だ」
窓の外には青空が広がり、夏を知らせる蝶が風に流されていた。
「悲しむべき結末…ではないな。これを読み終わって、私はとても納得した気分だよ、うん」
僕の手の甲をしっかと握り、壁の向こうの遥か遠く、いまはフェルダー家とは絶縁状態にあるアウエルバッハ公爵家の宮殿を望んでいるような表情の先生。口許がわずかに
「僕は思うのです。愛するひとは、一人でいい」
これは……本心だ。それに対して先生は軽く、だが当然だという力を強く込めて
「そうか。私も自分を求めてくれる一人がいれば、それが
と応えてくれた。
それから僕達は、見つめあった。───ただひたすらに、数時間はそうしていたように感じた。まるであれは、そう、魂同士が深く結びついて口づけを交わ(激しい訂正線による書き殴りの跡)
何を浮かれているのだろう。僕は。あの恋文、いや恋を閉じ込めた小函の魔力にでも
「それにしても、我が御先祖は建前や掟を破ることにかけては超一流だ!私は誇らしく思うよ。それによくもまあその精神を子孫にしっかり受け継がせたものだ。前々から変わり者一族として貴族階級の中では浮いている我らだが…兄上などはその典型だね」
僕がその言葉の意味を取りかねて尋ねると「ああそれは」と言いかけて、
「それは楽しみにとっておくといい。兄上の新居を訪れた時、きみにもその理由がきっと分かるから」
とウィンクされた。
そうこうしている間にブレーズが戻ってきた。僕は先生と寄り添って手を握っている状態でいたので必要以上に慌てふためいてしまい、あのふしだらな思考回路の犬人から
「なんだべ、あんたがたバタバタしくさって。ははん?さては二人っきりでイイことでもなさってただな?」
とやに下がられてしまった。
全く、彼の無神経さもさることながら、「そうだよ。もう少しゆっくりしてくれば良かったのに」という先生の言葉に心臓が止まりそうになってしまった。
先生の冗談は、本当に無神経だ。
19ZZ年 寄贈
無記名のスクラップノートより
ニューヨーク エリスアイランド
移民博物館蔵
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