第6話

 針葉樹に囲まれて陰気な雰囲気の神社は、しんと静まり返っている。昼でもひんやりとした空気が漂っている。

 妖魔ヶ穴の由来が書かれた看板が立てられていて、そこには妖魔を封じ込めた神聖なる場所、としてある。

 人気がない境内はそんなに広くない。田舎の神社の割には小ぎれいにされている。参拝者が多いことから日頃の管理が行き届いているのだろう。境内のほぼ真ん中にやはり真新しい小さな社が建立されていた。

「ここよ。あたしがいつも呼び出されていた場所は」

 りりりが思い出したように声を上げた。社を中心として、灯篭が幾何学模様を描くように配置されているのを一個一個指さした。

「この灯篭が魔法陣の役割をしているのよ。だからあたしが呼び出されてもこの中から出られずに、召喚士の神主の質問に答えさせられていたのよ」

 そして社の奥の崖を指さした。大きな鉄製と思われる戸が据え付けられている。

「あそこが妖魔ヶ穴。あの中に妖魔たちが封じ込められているの。そしてその扉を開ける鍵は…」

 りりりは社を指さした。

「そこまでだ」

 不意に背後から大声で怒鳴られて、優はびっくりした。振り返ると、古風な装束に烏帽子をかぶった神職と思しき初老の男がいた。

「昨日から妖気をかすかに感じていたが、まさか本当に妖魔が来るとは思ってはいなかった。こうして待ち受けておらねば大変なことになっているところだったわ。それにしても妖魔を呼び出す石板を使ったな? どこにあったのだ?」

 神職はりりりを指差してにらんだ。りりりはべーと舌を出している。

「うちの団地の近くの池に沈んでいました。そこは元防空壕で落盤して雨水が溜まって今は池になってるんです」

 素直に説明する優の言葉に神主は軽くうなずいた。 

「そうか思い出したわ、そういえば戦時中に石板を管理していた親戚が石板を持って都会に出ていったな。おおかた空襲にあった時に防空壕に持って入ったのだろう」

「あたし、その石板を持っていた神主に呼び出されたわよ。確か昭和十八年とか言ってたわね。その時世界中で戦争が起きていて、これは妖魔の仕業ではないかとあたしに聞いてきたけどバカバカしいって言ってやったわ。いつだって人間は自分で自分を傷つける。愚かな生き物よ」

「愚かとは何事!」

 しばらく神主とりりりはにらみ合っていた。優はふたりに挟まれてオロオロするしかなかった。

「僕たち、妖魔の封印を解きに来たんです。妖魔を復活させて、世界を元に戻すんです」

 優が事情を説明したが神主に一喝された。

「バカな! 妖魔が復活したらこの世の破滅だわ! 今の話を聞いてなかったのか! この夢魔にたぶらかされたのだな? そこの男、だまされてはならぬぞ。男をとりこにして自分の思い通りにするのが夢魔の真の姿。何を吹き込まれたか知らぬが、信じてはならぬ」

「いえ、世界の成り立ちを聞いたんです。元々この世は妖魔のものであって、神々と人間によって追放されて、今は人間がこの世を支配しているのだと」

「ふん。妖魔が跋扈する世の中が正しいと言いたいのか? この世は神よりつかわされた人間が治めて当然。だから妖魔は復活してはならぬのだ」

 神主は優をさとした。

「ダメよ! 優、その神主にだまされてはダメ! 神の使いである神職はもっとも穢れた人間よ。その言葉こそ穢れてるわ。妖魔こそ正しいのよ」

 りりりが優のそでを引っ張った。

 ここに来て、優は頭が混乱し始めていた。一体どっちが正しいのかわからなくなっていたのだ。

「さあ、石板を出すのだ。このふしだらな夢魔を封じ込めてやる」

「優。鍵よ鍵を手に入れて、妖魔ヶ穴を開けるの」

 ふたりからいっぺんに言われて優はわけが分からなくなっていた。思わずカバンから石板を取り出すと、神聖な場所に来て本来の力を取り戻したのか、文字が赤く光っていた。特に「太古より世界を支配していた妖魔たち」の一節が赤黒く力強く光っている。優は石板を持って神主の方を振り向いた。

「そうだ、それを渡すのだ」

 と神主が言うが早いか、優が石板を頭上高く振り上げて神主の頭を力いっぱい打ちのめした。神主はカエルがつぶれるような悲鳴を上げてその場に倒れた。

「優やったー!」

 りりりが優に抱きついた。優は石板を持ったまま肩で息をしていた。何か取り返しのつかないことをしたような寒気を感じていた。

「優、この社を開けて。中に鍵が収められてるはずよ」

 背の低いりりりでは社の戸に手が届かないようだ。しかし戸には南京錠がかけられており、開けることが出来なかった。神主の服を調べたが、鍵は見つからなかった。

「ええい、めんどくさい!」

 りりりが気合を入れると社がバリバリと壊れてしまった。優はポカンと口を開けた。

「あたしだってこれくらいの力はあるのよ。鍵は優が取って。神の封印がかけられているはずだから、妖魔は触れることができないの」

 崩れた社の残骸をあさっていると、古びた大きな鍵があった。これに違いない。

 社の奥、断崖の前に立つと高さ三メートルはあろうかと思われる巨大な戸がそびえ立っていた。これまた大きな鍵穴に鍵を差し込み回すと、ガチャリと手応えがあった。そして優は戸に手をかけたが重くてとても動かすことができなかった。

「大丈夫。ここまでくればあとはあたしがやるわ」

 またりりりが気合を入れると、巨大な戸がゴリゴリという音を立てながら開いていった。そして現れたのは、真っ暗な穴だった。穴の中は黒い渦を巻いており、見ているだけで引き込まれてしまいそうになる。ふらふらと渦に歩み寄ろうとしてしまう優をりりりが引き止めた。「気をつけて、この穴はなんでも呑み込むのよ」

 りりりは石板を取り出すと、その中の一文を読み上げた。それは優にも解読できなかった謎の文字列だった。

「これは神の言葉よ。穢れた言葉だけど、この渦の封印を作ったのは神の妖術だから、それを破る言葉も神の言葉じゃないといけないの」

 渦の動きがゆっくりになっていったかと思うと、今度は逆回転しだした。そしてどんどん早く回りだし、渦が膨張してきた。

「優。下がって」

 りりりが優を妖魔ヶ穴から離すと同時に、膨れ上がった渦が破れてそこから大量の黒い物が飛び出した。そして勢いよく空へ舞い上がっていった。それは有角有翼有尾の妖魔の大群だった。黒いうねりはまるで大きな生き物のように大空を自由に曲がりくねっていた。

 その合間をぬって、大小さまざまな異形の者どもが次から次へと現れて、いずこへかと歩き去っていった。

 妖魔の復活だった。優は自分のしてしまったことの大きさを実感できずにいたが、事実目の前を過ぎていくのは人間ではないものたちだった。

 ズルリ、ズルリとなにか大きなものが引きずられるような音が穴から聞こえてくる。真っ暗な穴からゆっくりと触手が数本現れたかと思うと、形容しがたい肉塊が窮屈そうに穴から出ようとしていた。ブヨブヨとした肉塊は体をよじりながら穴から無理やり出てくると、その本体を見せた。三メートルはある妖魔ヶ穴よりも大きく、複数の触手と顔と思しき物が不規則に並んでおり、小さな足が数百とあった。優はこの世と思えない姿に吐き気を催した。

「お久しぶりです。クォーシスプト様」

 りりりがその巨大な肉塊に近づくと敬意を表した。

「優、邪神のクォーシスプト様よ。荒ぶる妖魔として君臨されてるとても偉いお方よ。このお方なら、優の願いを聞いて下さるわ。あたしが優のおかげで封印が解けたことを説明するから」

 りりりは巨大なクォーシスプトに何事か伝えている。人間の言語ではなかった。複数あるクォーシスプトの顔が代わる代わる何事かをしゃべっている。

「人間。貴殿のおかげで我らが復活できたのだな。礼を言おう。貴殿はなんでもこの世の人間全員が滅んで欲しいそうだな」

 クォーシスプトは複数ある頭が交代しながら優でも理解できる言葉を話してくれた。

「実を言うと、私も人間には裏切りを受けて封印された件を含めて抹殺したいとかねがね思っていたところだ。また影で操っている神々もうっとうしい。私よりももっと強大な禍つ神様や魔王様たちと共に、聖戦の火ぶたを切ろうと思っているところだ」

「お願いです。人間をこの世から消し去ってください。そして僕も殺してください」

 優は一歩前へ出て、巨大な肉塊に懇願した。

 その時、一筋の光がクォーシスプトの顔の一つに命中した。振り返ると、神主が起き上がっていて戦いに備えて気合をためている。だが、クォーシスプトは笑っている。光が命中した顔も、一瞬しかめっ面になっただけで傷ひとつついてない。

「人間。お主には私は殺せん。死ぬがよい」

 触手の先から黒い炎が神主に向けて放たれると、神主は断末魔とともにその場で黒い炎に巻かれて灰と化した。

「で、貴殿も死にたいのか?」

 触手が優の方を向いた。

「ダメ! 優は死んじゃダメ!」

 りりりが叫んだ。しかし、触手から黒い炎が優へと放たれた。すると、優の前にりりりが立ちふさがって自らが黒い炎を浴びた。その時、優とりりりは目が合った。なんなのだろう、このりりりの優しい目は。人間ですらこんな優しい目はしない。優は初めて見た気がした。一瞬ではあったが心が軽くなった思いだった。

 りりりはその場に倒れて身動きひとつしない。優の身代わりになったのだ。

 クォーシスプトは低い嗤い声を上げた。

「人間の精気を吸い取って殺してしまう夢魔が、人間の命を救うとは皮肉なものだな。面白い。人間は全員殺すつもりだったが、貴殿だけは例外としよう。だが、貴殿には我らが今まで苦渋を舐めていた世界、魔界に追放してやる。そこで苦しみもがくがいい」

 その時、妖魔ヶ穴からまた新たな妖魔が現れてきた。それこそ形容しがたい、地球上のどんな生き物にも似ても似つかないおぞましい姿だった。神経の限界を超えた姿に、優は意識を失った。

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