第5話

 新幹線を降り、ローカル線に乗り換えると一気に車窓からの景色は田舎の風景になった。そこからさらに田舎を目指してバスに乗り換えた。優の団地の最寄駅から新幹線駅と、西へ進むにつれてどんどん人が少なくなっていくのが不思議だった。

 ガタゴトと乗客の少ないバスに揺られて、優とりりりは一番後ろの座席でくつろいでいた。目的の妖魔ヶ穴まではこのバスの路線の終点にあたるらしい。

「今度は優のことを教えてよ」

 不意にりりりが優に語りかけてきた。興味ありげに優の顔を見上げる。

「僕のことを…」

「そう。今までずっとあたしのことばっかり言うこと聞いてもらったり、話聞いてもらってたでしょ。だから今度は優の番」

「あまり面白くないと思うけど…」

「そんなことないと思うな。あたしは優のことをもっと知りたいだけ。さ、話して」

 切れ長だが、黒目の大きいりりりの目に見つめられて、思わず優は目をそらした。

「僕は精神病なんだ。常に心がつらくて、体もいつも調子が悪くて、物事を楽しいと思えなくて、生きるのが苦しくて死にたいっていつも思ってる」

 優はそこで言葉を切った。もうこれ以上言いたくなかった。

「終わり? もっと聞かせてよ。どうしてそんなにつらい思いをするようになったの?」

「分からない。気がついたら心も体もボロボロになっていた。でも最初はきっと、保育園の頃かもしれない。父親が暴力を振るう人で、僕や母さんをぶったりしていたんだ。それがあんまりひどいから、母さんは僕をつれて家を出たんだ。しばらくすると新しい男と一緒に住むようになった。新しい父親というのが、やっぱり僕につらくあたる人で嫌いだった。母さんと新しい父親との間に子供が生まれるとさらに僕につらくあたるようになったし、母さんも新しい息子に愛情を注ぐようになって、気がついたら僕は家庭の中で孤独になっていた。父親の違う弟も成長すると僕をバカにするようなやつで嫌いだった」

 優は嫌な過去を思い出して、胸がムカムカしてきていた。

「じゃあ、家に居場所はなかったの? だったら外に出ればよかったのに」

「学校ではいじめられていた。物心ついた時から親に対して不信感しかなくて、人間が嫌いで、人付き合いが嫌だったんだ。それに加えておとなしい性格だったから、格好のいじめられ役だった。いじめてくるのは数人の不良グループの連中なんだけど、クラスのほかの連中からの見て見ぬふりをする冷たい対応がもっと嫌だった。あいつはいじめられるようなやつなんだとランク付けされて、みんなからバカにされていた。その頃から、学校中の連中みんな死んでしまえばいい、自分も死んでしまえばいい、って思うようになったんだ。そして人生最初の自殺未遂をした。学校の屋上から飛び降りたけど骨折しただけで死ねなかった。そのことは地元のテレビに取り上げられて、その時になって初めて学校がいじめに対して動いてくれたけど、いじめがあったかどうかを学校側が把握していたのかを認める認めないの話ばかりで、肝心のいじめた奴らやその他僕を冷遇した連中のことは全く取り上げなかったのが一番悔しかった。結局、僕は転校することで無理やり解決させられたけど、新しい学校でもやっぱりいじめられた。学校に相談しても、お前の性格の問題で、それを直せばみんなと仲良くなれるというだけで助けてくれなかった」

 優は語りながら涙を流していた。我慢しきれなかったのだ。

「それでも中学を卒業したけど、高校は通信制にすることにした。もう人と会うのが嫌だったんだ。でも家でも相変わらず居場所はなかった。家を出たくて出たくて、遠くの大学を受験して合格した。奨学金で通えるようになって、家を出てひとり暮らしが始まったんだ。大学くらいになるとみんな大人だからいじめというものはないけど、明らかに自分を無視してる、というのは伝わってきた。友達なんてできなかったし。先生とも折り合いが合わなかった。大学にいるのがつらくて仕方なかったから、中退した」

 りりりが優の腕にぎゅっと抱きついてきた。

「つらかったのね」

 りりりの言葉はしみたが、全てはいまさらという思いがしないでもなかった。

「社会に出たら奨学金の返済が待っていた。まともに就職活動をしてなかったから、まともな会社に勤められなかった。朝早くから夜遅くまで薄給で働かされて、挙句の果てに体を壊して入院する羽目になった。その頃から精神を病んで、体調が良くなったり悪くなったりを繰り返すようになった。それ以降、仕事は無理なものはやってはいけないと医者から言われて、アルバイトやパートなどの非正規雇用ばかりを転々としていた。ここ数年はますます精神がひどくなって、家から出るのもできなくなっていて、働くこともできなくなっていた。生活保護を受給していたけど、先月打ち切りになってしまった。当然友達も恋人もできなかったし、お金もない。誰も助けてくれない。先が見えない毎日の中で頭がおかしくなりそうになっていた。そしてこの歳になり、もうお先真っ暗だ。自分は今まで何をしてきたんだと死にたい思いは日に日に強まるし、こんな自分にした世の中への恨みも日に日に強まっていくばかり。悲痛な思いは強まるばかりだ」

 りりりの細くて小さな腕が優の体に巻きついてきた。顔をわき腹あたりにうずめている。

「あなたの思い伝わったわ。世の中への怒りも分かる。でもあなたは死んではいけない。だって優はやさしいもの。今までずっと過酷な目に遭っていても、あたしに優しくしてくれた。だからこれからは幸せに生きていく権利があるわ。でも人間は全て根絶やしにしてあげる。あたしが禍つ神様たちにお願いするから」

 バスが終点に到着した。優とりりりはバスを降りると、すぐ目の前に神社の鳥居があり、その奥に社が鎮座していた。さらのその奥に断崖が見えている。

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