第10話 天使と悪魔

 夢を見た。

 小さな男の子が、もっと小さな女の子の手を引いて森の中を進んでいた。

 小さいといっても、男の子は女の子よりも身体がずっと大きかったので、女の子は半ば引きずられるようにして歩いていた。

 男の子は女の子の方を見ることもなく、ただ真っ直ぐに森の中を早足で歩いていたが、女の子は後ろが気になるのか時々立ち止まって振り返ろうとしていた。

 けれども、男の子は決して足を止めることも手を離すこともしなかったので、女の子は後ろを確かめることはできなかった——筈だった。

 女の子は振り返らずとも後ろにあるものが分かっていた。

 二人の背後、森の外には集落があった。深い雪に耐えうるどっしりとした暗灰色の煉瓦と石で造られた家屋ばかりの集落だった。おそらく、二人はそこで生まれ育ったのだろう。

 突然、集落から断末魔に似た悲鳴が響いた。悲鳴は怒声に掻き消され、さらに悲鳴が上塗りする。

 その集落は、突然の来訪者によって蹂躙されていた。

 全身鎧に身を包んだ騎士の一団が、住民を次々と斬り殺して回っていた。騎士の鎧には月と翼を組み合わせた紋章が刻まれていた。

 住民達も武器を手に取り抵抗していたが、武器の質が余りにも違い過ぎた。外地イパーナ同然の過酷な土地で逞しく生きていた人々は、あっけなく魔剣に食いつかれ、命を啜り取られて絶命していった。

 時折、灰色の霧が騎士達を飲み込んでいたが、霧は複数の魔剣に切り払われると散り散りになってしまった。

 戦う力のない幼い二人は、唯々逃げるしかなかった。

 早足で逃げながら、時々女の子は不安そうに男の子の顔を見上げた。その度に、男の子の一片たりとも諦めていない表情を見て、女の子は安心してまた前を向いた。


  ほら、見なよ   、あそこに行けば母さんが来てくれるって。


 男の子が森の外を、手袋を嵌めた手で指さして言った。

 その方向に目を向けて、愕然とした。

 待ち合わせの場所に、母さんはまだ到着していなかった。

 しかし、そこには既に『母親』がいた。

 白い法衣に鮮血で模様を染めた、『母親』の死体が両腕を広げて佇んでいた。もし顔が残っていれば、慈愛に満ちた微笑みを浮かべていたのかもしれない。慈愛、というよく分からない表情を。


 違う、貴女は『母親』ではない! もう『母親』の価値を失った!


 そう叫んだが、空気は声を伝えることを拒み、当然沈黙のままでは二人の子供に届くことはなかった。足も一歩として動かず、死体の『母親』へと駆け寄る二人に耐えかねて顔を伏せることしかできなかった。


——いや、彼女は母親さ。少なくとも、君にとっては、ね。


 誰にも聞こえなかった筈の慟哭へと返す言葉に、はっとして顔を上げた。男の声が聞こえた。低すぎない、耳触りのいい声だった。

 一方的に破壊されていく集落を背景にして、一人の男が立っていた。

 外套は雪のように白く、飾り気がない。長身で、腰に差した大太刀に釣り合う体格だった。顔はよく見えなかったが、青葉のような瑞々しい緑の瞳の周囲で月色の髪が舞い踊っていた。


——普通、子供は親を選べない。でも君は母親を選んだ。それは、実は選ばされたのかもしれないけど、君は受け入れなければならない。


 男の宣告は拒否を許さない厳しい語気を含んでいたが、不思議とすんなり受け入れてしまいそうになる声色だった。まるで親が子を諭すような、押しつけがましい優しさがあった。

 だが、理解できないその不条理に、心はただ拒否を示した。

 男は拒絶の意思に気付いたようで、困ったように首を傾げた。


——どうか受け入れてほしい。受け入れないと、君は生まれることができないんだから。ほら、どんな生き物にも母親がいるじゃないか。


 いつの間にか、頭上からちらほらと灰色の結晶が降ってきていた。雪のような結晶は木々や地面に触れても融けることはなく、白い雪の上に灰色の層を徐々に作っていった。


——生まれ落ちなければ、ずっと君はいないままだよ。そこにいないまま、誰も救えない。


 次第に周囲も冷え込み、芯まで冷え切った身体を見下ろした。

 なにもなかった。

 動くための足も、掴むための手も、叫ぶための喉すらなかった。子供達に何も届かないのも道理だ。ここにいないのだから。

 冷えたと思ったのは、空気が冷えたのを直に感じていたのに過ぎない。本質的に、自分は此処にはいないのだ。

 だが、此処ではない何処かに行くこともできない。いない筈の此処に縛られているせいだ。


  ぺちゃ、ぺちゃ、ぺちゃ、ぺちゃり


 目の前に赤い球体が転がってきた。白く長い糸飾りをたくさんつけた球体だった。元々は赤色ではなく、赤い液体に塗れているようだ。液体は粘性を持っているようで、転がる度に音が付いてまわった。

 球体からどくどくと流れ出る赤い液体からは湯気が立ち上っていた。冷え切ったこの場所で、唯一の熱をもった物体だった。


  ……うう


 ひょっとすると、その熱で温めれば此処にいられるのではないか、という考えがよぎった。

 その予感に従い、を伸ばし、を液体に浸すと、そこには手があった。予感は的中した。

 身体を温めて此処にいるために、血塗れの生首を掻き抱こうとさらに腕を伸ばした。


  ……おお


 生首はあの女のものだった。髪と瞳の色以外、全く似ても似つかない顔の、養い親だったものだった。

 手の指先が、生首の鼻先に触れた。断面から流れ続けている血は温かいのに、肌は氷のように冷たかった。

 あまりの冷たさに、生首を掴もうとした手を引っ込めてしまう。


  ……おおぉい、リーフううう


 手首に熱が絡みついた。

 見れば一本の腕が雪に覆われた地面から突き出て、手首を掴んでいた。

 その腕は酷い火傷を負っていた。肌は赤く腫れ上がり、表皮が一枚ぺろりと捲れて乾きかけの組織がてらてらとしていた。

 むき出しになった赤と青の血管は弾けとんでしまいそうなほど浮き出て脈動し、血管の終着点である赤黒い爪の中からは、熱湯のような血液が滲み出し、じゅうじゅうと音を立てて泡立っている。まるで、まだ炎の中で焼かれ続けているかのようだった。

 当然腕自体も酷く熱を持っていて、焼けた鉄のように音を立てて手首に張り付いた。

 肉が焼ける激痛に声が漏れた。

 腕は手首をしっかりと掴み、地面の中に引きずり込んだ。

 白と灰色に覆われた大地は、それまでの強固さが嘘だったかのようにずぶりと容易く沈み込んだ。地面の中は生き物の臓物ように温かく、不快感に鳥肌が立った。

 だが、抵抗する暇も与えず腕は強引に地下へと潜っていき、あっという間に全身は大地に呑み込まれた。

 完全に沈みきる直前、男の新緑色をした瞳が驚きで丸くなるのが見えた。




 リーフが目を開けると、そこは廃墟の広場だった。

 空はどこまでも闇に覆われているというのに、無残に壊された建物群と地面に転がる無数の死体がはっきりと視認できた。そんな奇妙な場所はリーフの知る中で一つしかない。

 しかし、以前にはなかったものが幾つか増えていた。

 まず、廃墟の壁が塗料で落書きされていた。血で書いたような赤黒い塗料で、現在使われていない古い文字を書き連ねている。

 内容は、『死に損ないは死ね』、『こちら、あ・く・ま!魔剣じゃ勝てねぇから!』、『雑魚魔剣は秒で潰す』等等、リーフが読める限りでは魔剣に対する罵倒ばかりだった。

 そして、リーフが横になっていた寝台。三人寝転がっても余るくらいの広さに、程よい弾力のあるマットレスと軽くて暖かい布団を惜しみなく使用している。

 リーフが身体を起こすと、布団の上に毛織り物がかけられているのが見えた。小麦色を基調とし、緑と赤の蔦模様が織り込まれている。蔦模様の上には、灰色や焦げ茶の狼が駆け回っている。

「ようやく起きたのかよ。遅ぇぞ、おい」

 少し高めの、よく通るが気に障る声が響いた。

 リーフが左を向くと、ギルが壊れかけた木の椅子に座っていた。椅子の足は四本あったのだが、うち一本は真ん中で折れ、もう一本は外れかかっている。しかし、ギルは少しも身体を揺らがせず器用にくつろいでいた。

 脇には煤けていたり血で汚れいたりする廃材を積み上げた簡易テーブル(という名のゴミの山)があり、その上に林檎がたくさん入った籠が置かれていた。

 ギルは爪で林檎の皮をするすると剥いていた。顔には、人を馬鹿にしたような笑みに、一摘みの心配を混ぜたような表情を浮かべていた。

「何をした」

「見ての通りの看病ごっこだ。テメェがくたばりかけてから暇で仕方なくってな。看病っぽいものを奥の方から引っ張り出してみた」

 ギルが剥きかけの林檎を宙に放ると、林檎は灰の塊となって消えた。ここに存在するものは、リーフ以外全てギルの空想の産物なのだ。

「そういう事じゃあない。ボクは悪い夢を見ていた。その中に現れただろう、ギルスムニル」

 リーフはギルを正面から見据えた。

 夢の中で、リーフは確かにギルの声を聞いた。悪夢からリーフを引き摺り下ろした酷い火傷の手は初めて見るものだったが、ギルのものだという不思議な確証があった。

「はあ? ああ、さっきちょっと突っついたやつか。怪我の割には寝過ぎじゃねぇかと思って、少しテメェの中まで覗いたんだよ。そしたらあのいけ好かねぇ野郎がちょっかいかけてたから不意打ちでブッ飛ばした」

 爪先を軽く擦って朱色の火花を散らし、ギルは得意げに言った。

「いけ好かない野郎?」

 第三者を示す言葉にリーフは僅かに眉を潜めた。

「テメェとの契約に口挟んできやがる、か……じゃねぇや、えっと天使のくせに胡散臭ぇ魔剣野郎だ。ここまで付いて来てるとなると、荷物に欠片でも仕込みやがったか」

 次に会ったらぶっ殺す、とギルは拳を握った。

「ここまで、ということは前にも会ったことがあるのかい」

「ほら、前に狩人に絡まれて蹴散らしたことあっただろ。あのとき身動きとれねぇ俺に絡んできたんだよ」

 ギリスアンへの道中、魔剣を狩る集団がギルを危険視し狙ったことがあった。一時は奪われたものの、リーフが皆殺しにして取り返し今に至っている。

駄弁だべってたから憑依霊デモニアなんだろうが、よく分からねぇ。まあ、か……天使共は基本よく分からねぇけど」

「確か、ボクもその天使の血を引いているらしいけれども、そもそも天使とは一体何なのだい」

 リーフのような魔戦士タクシディードは皆、人ならざるものの血を受け継いでいる。その呼び方は様々だが、リーフの血筋は敬月ロエール教において天使と呼ばれる存在に連なっているとされている。より厳密にいえば、リーフは敬月教の血統からは外れているのだが。

 ギルは天を仰いで唸った。

「あー、か……天使自体は俺らと同じで世界がぶっ壊れねぇように見守ってる。でも、どっちかというとあんまり行動していなかったような、つーか、戦争中も全然見てねぇし何やってんだか本当分かんねぇ。きょーてい?だっけか?そーいや、昔ちょっかいかけてきてたよーな」

 要領を得ないギルの言葉に、リーフはため息をついた。

「とりあえず、天使と言っても無条件で人間の味方をしていたわけではない、ということは分かった」

「……あー、やっぱり駄目だ、慣れねぇし言う度になんかぞわっとする」

 ギルは顔を顰めると、右手で頭をくしゃくしゃと掻いた。

「なあ、何でヒトは景月かげを天使って呼ぶんだ? あいつらの大元は俺らとそう変わらねぇのに、こっちは邪悪の象徴みたく悪魔って呼ぶんだよ」

「ああ、そういえば確かに君の目は赤だし髪は黒いじゃあないか。聖典で語られる正真正銘の悪魔だったのか」

 納得した様子でリーフは頷いた。

「は?」

 ギルはきょとんとして、目を瞬かせた。

 リーフに向かい合っている人物は、異形染みた容姿ではなかった。普段の曖昧な人型ではなく、薄暗がりの中にいるような、子細までは分からないが大まかに掴めるくらいに姿が露呈していた。

 その姿は初めて見たが、いつもと変わらない態度と声で接してきたので、リーフにはすぐに彼だと飲み込めたのだ。

 背丈は男の並よりも少し上くらいで、軍服のような青い詰襟を着ていた。黒い髪はくせが強いのか好き勝手な方向に跳ね散らかっている。朱色の目はくりっとしていて、体格の割に顔立ちは幼かった。

「は? え? あっ、やべもや薄めてた!」

 ギルは自分の姿が丸見えになっていることにようやく気付いた。

 やってしまったとばかりに顔を手で覆い、勢いよく立ち上がった。反動で椅子が後方にぶっ飛びながら崩壊した。

 あまりの動揺ぶりにリーフも呆気にとられていた。

 ギルはリーフに背を向けて、地面を強く蹴った。

 蹴られた石畳が割れる音と共に寝台の下に穴が現れ、寝台ごとリーフは穴の中へと落下した。




「未だ動きを見せず、か」

 近衛騎士団副団長ジェイムズ・チェクルスは籠手を着けた両腕を組んで唸った。

 しかつめらしく凄みのある兄や頼りなさげな弟とは異なり、彼は精悍な顔立ちで女性に受けがよかった。しかし、今はどこかやつれて覇気のない顔をしていた。

 揺すりをかけた小教会から不審な人物の情報を得たのが三日前、そして不審者が出入りする場所を突き止めたのが今日のことだった。

 近衛騎士団は即座に出動し、発見地点から最寄りの廃教会を拠点とした。

 旧教区の廃教会は普段の寂れた様子から一変し、教会騎士が大勢詰め寄せていた。

 礼拝堂では騎士達が休憩や武具の手入れを行い、鐘を外された屋上の鐘楼は物見に、裏手の書斎は各指揮官達の作戦会議室と化していた。

 使われなくなって久しい教会の中には家具が殆ど残っていなかった。司祭が引き払ったのか、それとも旧教区の不成者ならずもの達がせっせと運びだしたのか、地下の聖像すら打ち壊されて宝飾品を取り払われていた。

「こちらに勘付いているのやもしれません」

 ジェイムズの部下が進言した。

「隙を見て逃げる算段をつけているのでは」

「城壁内の構造図はまだ見つかっていないのか」

「枢機卿猊下より許可を賜ったので、宝物庫や教皇猊下の書庫を捜索しているのですが、未だそれらしいものは見つかっておりません」

 ジェイムズは苦い顔で、卓の上に広げられた地図に目を向けた。

 周辺の詳細な地図や古い水路の配管図、城壁外の地形を描いたものが数点。どれも教会の技術で正確に測定して製図されたもので、地形情報に狂いはない——唯一つ、騎士達が監視している場所が書き込まれていないということを除いて。

 敵と思しき相手の所在が分かっているというのに、近衛騎士団が攻めあぐねているのは潜伏先に問題があった。

 目撃者によると、不審な黒髪の女は城壁沿いを歩き、失われた筈の城壁内部への扉に入っていったという。

 誰も気が付かなかった扉を開けた姿を見て、異端の小教会ではあるが、それでも敬虔な敬月教信者を自称する彼らも大変驚いていた。

 城壁の内部には市民の避難所や伝書鳩の飼育部屋、そしてモンスターに対抗するための武器が蓄えられた武器庫等、文字通り最後の砦として機能する設備があると言い伝えられている。

 しかし、城壁内への入り口は百年以上前に失われていた。

 壊された訳でも、鍵がなくなって閉ざされたままという訳でもない。ただ、誰もが何処に扉が存在するのかという記憶と記録を忘れてしまったのである。そして、今日に至るまで扉があったということを知っていても、見たものは誰も存在していなかった。

 明かり取りの窓や排水、換気口といった外部に繋がる部分を探しても、誰にも見つけられなかった。

 城壁を壊してでも中に眠る遺産を発掘するべきだ、という過激な主張をする者もいた。だが、反対に押されて実現されず、そもそも神の加護を受けた白亜の城壁にはどんな槌やのみも弾かれてしまうだけだった。

 何故その女が扉の場所を知っていたのかは分からないが——近衛騎士団の半数は大方事情を察していたが——構造が不明の建築物に闇雲に突撃するわけにもいかなかった。

「副団長、ここは逐次小隊を出して攻めるべきかと。内部に抜け道がある可能性が捨てきれない以上、取り逃がしを防ぐには攻めるしかないのでは」

 膠着状態に焦れた一人の騎士が進言した。それに他の騎士達も同調するような素振りをみせた。

 事が起こってから既に七日が経ち、市井にも動揺が広がりつつある中、騎士達にも焦りが見えていた。

「いや、向こうが今更慌てて動くとは思えません。逃げるのならとっくに聖都からいなくなっている。そして、今も抜け出そうという様子はない」

 ジェイムズもその言葉に首肯しようとしたとき、横から待ったがかかった。

 作戦会議室の入り口に若い騎士が立っていた。

 栗色の髪に鳶色とびいろの眼をした頼りなさげな風貌。黒い制服の上から軽い革鎧と大振りな籠手という装いに、腰には紅玉が埋め込まれた黒い柄の両手剣を携えている。

「遅くなりました、副団長殿」

 騎士はジェイムズに敬礼した。

「ガルドか」

 声の主は、ガイエラフ・チェクルス——ジェイムズの弟にして聖剣の使い手である教会騎士だった。

「おそらく、用意周到に罠をめぐらせ、こちらの出方を伺っていると考えるべきです。魔剣を所持している可能性もあります。構造図が発見されるまで動かない方が得策です」

 ガルドの一方的な主張に、ジェイムズの部下達は眉根を寄せた。

「お言葉ですが、今日から現場入りした貴殿はご存知ないかもしれませんが、件の人物が運んでいたのは僅かな物資。とても籠城するには足りません」

「城壁内部には食料以外のあらゆるものがある、という言い伝えはよく知られた話だと思っていましたが」

「数百年も前のものが使い物になるわけがない」

「この聖剣は建国当初から存在していました。幾度か宝物庫で封印されていたこともあったが、未だ錆の一つも浮いていない。そのような物品が唯一と考えるのは早計では」

 頑として主張を曲げないガルドに、場の空気が悪くなっていった。

 ガルドはこの場で最も若輩で、騎士としての経験も浅い。しかし、彼には第十二騎士隊副隊長という地位と聖剣を駆る技量があった。本来なら、年上とはいえ位の低い騎士が軽々しく意見することなどあってはならないことだ。

 しかし、その場にいた騎士達はことごとくガルドの意見に難色を示していた。

「例え罠があったとして、このまま手をこまねいている訳にもいかない。先遣隊を組織しろ」

「それならば、私も同行します」

「いや、ガイエラフ殿は現状動ける唯一の聖剣使いだ。罠の危険があるなら尚更待機していてほしい。罠の有無が確認出来次第、私が陣頭指揮を執る」

 ジェイムズが下した決断に、ガルドの顔が曇った。

「ジェイムズ兄さん、手を抜くことを懸念しているのなら筋違いだ。そうであるなら、俺はとっくに聖剣を置いている」

 力説するガルドの手は、自然と聖剣の黒い柄に触れていた。

「疑ってなどいない。指揮に従えと言っているだけだ、いいな。部隊の編成は——」

 ジェイムズはガルドの顔を見ずに、部下達へ指示をとばした。

 部下達はすぐさま部隊編成のために礼拝堂へと向かった。部屋から出て行くときに、幾人かはガルドを盗み見ていた。

 ガルドは唯、ジェイムズの顔を見つめていた。

 ジェイムズは依然としてガルドから目を逸らしていた。

「……枢機卿猊下は速やかつ最小限の被害を望んでいますが、半魔(スコタード)相手に独力で敵うとお思いでしたら、甘いとしか言えません」

「だからこそだ。猊下も出来の良い息子を失いたくない筈だ」

 ガルドはジェイムズに背を向けて、部屋から立ち去った。礼拝堂には向かわず、墓地へ出る扉を開けた。

 墓地には扉の番をしている騎士が一人いるのみで、張り詰めた空気が充満した拠点の中で唯一の穏やかな場所だった。

 番をしていた騎士は、ガルドがご苦労と声をかけると屋内に入っていった。

 人の手が全く入っていない墓地は手前勝手に草が生え、墓石もぼろぼろで荒れ放題の有様だった。安易に奥まで踏み入るのは躊躇われるが、扉からさほど離れなくとも一人になることはできた。

 日は南天を少し過ぎたくらいで、夏の陽気がまだ乗っていない風は日向でもひんやりとしていた。


  みっともない、嫉妬してるのよ


「兄さんにも、立場というものがある。俺を無闇に立てることもできない」

 風に乗って届いた幽かな声に、ガルドはそう呟いて返した。

「俺は俺に出来ることをやるしかない、あの時と同じだ」




 先遣隊の情報から突入作戦は決行され、潜伏者はあっけなく捕縛された。

 中にいたのは一人だけで、確認されていた協力者の姿はなかったが先に逃げたのだろうと判断された。

 捕縛された人物は既にこの事態を予期していたようで、ジェイムズにその場での面会を要求した。怪我で歩けないという理由だった。

 城壁内は分かりやすい一本道の構造で、少し奥へ進んだ先で階段になっていた。

 階段を上りきった先には扉があった。

 開け放たれた扉の向こうは部屋となっていた。聖都の民家の居間と同じくらいの広さで、剣を振るうには少々手狭だ。天井には布が張られていて、所々破れて垂れ下がっている。

 くだんの人物は、部屋の中心で四人の騎士に囲まれて座っていた。

 騎士達は剣を収め、居心地悪そうに警戒していた。

「お久しぶりでございます、シルヴィア様」

 長年仕えてきた癖からか、ジェイムズは目の前の少女にうやうやしくお辞儀をした。

 シルヴィアは、ジェイムズが知っている頃とは変わり果てた姿になっていた。

 腰まで届いていた月色の髪はばっさりと切り落とされていた。強く掴めば折れそうだった細い身体には筋肉がつき始めていた。

 両腕に薄汚い布の切れ端を巻き、ボロ切れのような黒い外套を肩にかけている。外套の袖は肩口から千切れてなくなっていた。

 怪我をしている、との報告通り、左足にも血で汚れた布を巻いていた。

「ジェイムズ、あの場にいなかったのでこっちで会えると思いました」

 なんの感慨も含まない声で、シルヴィアはジェイムズを見上げた。新緑のような色の双眸に淀むことなくジェイムズの姿が映った。

「ガルドも近くにいるとは思いましたけれど、まずはあなたが来ることは分かっていました」

 自由のない状況で、シルヴィアは淡々と言葉を紡いだ。

 その有様はあまりにも無垢で、ジェイムズの知るシルヴィアそのものだった。ジェイムズの目頭が熱くなった。

「シルヴィア様、改めてお伺いします。改革派の小教会に加担したのは事実なのでしょうか。私には清く美しいシルヴィア様がそのようなことをするなど……」

「私は清くなどありません。いえ、清くなくしたのは貴方達でしょう」

 淡々と紡がれ続ける言葉に、ジェイムズは硬直した。

「貴方も知っているでしょう、私は覚えていますよ」

 シルヴィアの眼に映るジェイムズの顔から、血の気が引いていった。

「いえ……あの……まさか、その……そのために、奴らと手を組んだと」

「そうは言っていませんよ、ただ事実確認をしただけです。私は貴方のことを特別に何か思っているわけではありません」

「……そんなことのためだけに教皇猊下に手をかけたというのか!」

 一転、ジェイムズの顔は激昂で赤く染まった。

は、ギルの言葉を借りるならば、『死ぬべくして死んだだけ』です。自ら死の運命を選んでしまったというだけの」

「あの人……! 貴方は自分の母親を一体なんだと……」

「あの人は母親ではありません」

「……っ!」

 ジェイムズは身体を震わせ、シルヴィアに掴みかかろうとした。咄嗟に四人の騎士達がジェイムズを押さえつけた。

「副団長、抑えてください!」

「気持ちは分かりますが!」

「さすがに駄目ですって」

「静めて、静めて!」

「いけ」

 を突き破り降ってきた刃物が四人の騎士の脳天に突き刺さった。自重でのみ落ちてきた剣と槍に貫通力はなく、四人は頭蓋に刃が刺さったまま崩折れた。

 ジェイムズは何が起こったのかわからなかった。

「な、何が——!」

 出来上がったばかりの死体に押さえつけられた体勢のまま、ジェイムズは右膝に鋭い痛みを感じた。

 右足に黒い蛇が絡みつき、牙を膝へと突き立てていた。

「ギル、取り敢えずそれを使ってくれ。剣守になっても構わない」

 シルヴィアは立ち上がると、部屋の隅に転がしてあった両手剣をジェイムズの足元に向かって蹴った。

——素材としちゃあなかなか良いな。契約じゃねぇから大分腹減るけどなんとかなるか。

 ジェイムズは蛇に食らいつかれた場所からじわじわと熱を奪われているのが分かった。

 毒が侵食していくように、自分とは異なる意識が入り込んでくることも感じ取っていた。彼が魔剣に触れるのは初めてだったが、それが魔剣の仕業であることは相違なかった。

「ジェイムズ、一応お願いしておきましょう。貴方には暫しの足止めを頼みたいのです。貴方の弟のガルドと戦ってきてくれませんか」

 ジェイムズは今にも途切れそうな意識を必死で繋ぎながら、シルヴィアへと目を向けた。

 シルヴィアはいつも通り、無垢で感情のない目でジェイムズを見ていた。

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