第五話 インテリジェントデザイン
「気分はどうですか?」
静かな
「不思議と何も感じませんよ。殺した感触がありません。たしかに自分のエゴのために人を一人殺したって言うのに」
ツキヒコは自分の手のひらを見つめた。震えてはいないし、汗ばんでもいないし、青ざめてもいない。どうして自分はこんなにも落ち着いているのだろうとこころの中で自問自答をしていると、その答えをココロが告げてくる。
「前に進むしか選択肢がないからですよ。もう後戻りは出来ませんからね。頭を丸めたって、土下座をしたって誰も許してくれませんし」
ココロの言う通りなのだろうとツキヒコは思った。自分はもう前に進むしかない。妹と姉を助けるためにすべてを捨てたのだから。自分のエゴのために。
ナナカを撃った後、ツキヒコは自分を拘束するふりをして近づいてきたココロの助言に従って、ココロを人質に取りながら裏門まで逃げ、そこに待機してあった
「これから向う場所にミユと姉貴はいるんですよね?」
「もちろんです」ココロは微笑んだ。「痩せてもいないし、傷ついてもいないでしょう。髪の毛の一本くらいは抜けているかもしれませんけど。まあ、信じるか信じないかはあなた次第ですけどね」
後部座席に座っているのはツキヒコとココロの二人だけだった。てっきりココロの仲間が車内で待機していると思っていたツキヒコには予想外の展開だ。もしも車内にもう一人か二人の敵がいたら、ツキヒコは抵抗することが出来ずにココロに従うしかなかっただろう。車内のような狭い空間では多人数を相手にして勝てるわけがないのだから。だが、実際にはココロと一対一の状況である。ココロを信じないという選択をして彼女を脅し、情報を引き出すということが出来なくはない。
隙を見せたら動いてみよう。
ツキヒコはそう考えた。だが、その考えはすぐに捨てることになる。ココロ・サエグサ。彼女にはまるで隙がなかった。飄々としているが手を出したら腕ごと切断されてしまいそうな危険な香りが彼女から漂っているのだ。ツキヒコはミヅキと違って嗅覚が鋭いわけではない。だが、その危険な雰囲気を感じることが出来るのは、仕事で世界の娑婆と暗部を行きかっている経験のせいだった。ココロは口元を緩めてツキヒコを見ていた。まるでツキヒコの頭の中を覗いているかのようだった。
「ヨツバさん」ココロが言う。「あなたは『インテリジェント・デザイン』という理論を知っていますか?」
唐突な質問に驚きながら、ツキヒコはうなずく。
「確か、ダーウィンの進化論と聖書の折り合いをつけるためにキリスト教原理主義者が主張している理論ですよね」
「その通りです。でも、少し残念です」
「俺があなたの想定以上にモノを知っていたからですか?」
「違います」ココロは首を振った。「ボケてくれたら嬉しいなと思っていたんですよ」
彼女のその言葉を聞いて、ツキヒコは自分の身体からどっと力が抜けていくのを感じた。敵と狭い密室で二人きりという状況下で緊張感を持っている自分が馬鹿馬鹿しくなってしまったのだ。多少だが警戒を解いたツキヒコは呆れながら言う。
「で、インテリジェント・デザインがどうかしたんですか?」
「まあ、たいした話ではないんですけど」ココロは微笑みながら言う。「キリスト教では進化のデザインは神がなしたもうたとされているわけですが、だったらわたしたちの能力も神があたえてくれたものなんですかね、と問いたかっただけで」
わたしたちの能力、とココロは言った。彼女はナナカ・ミマサカのSP。それはつまりランクA以上のエージェントを意味しているのだから、彼女が自分を能力者のカテゴリーに入れるのは当たり前だった。
「さあ、どうでしょう」ツキヒコは言った。「神か仏かはわかりませんけど、偶然、力を手に入れたのはたしかですね。それが神が元々予定していたインテリジェント・デザインによるものだと言われればそうなのかもしれませんけど」
「あなたは神に選ばれたと?」
「神かどうかはしりませんけど、まあ、選ばれたんでしょうね。選ばれてしまったと言う方がいいのかもしれませんけど」
世間では能力者に対する扱いは様々だ。憧れているものもいるし、疎んでいるものもいる。ツキヒコの場合はどちらかと言えば後者だった。自分が能力に目覚めてしまったせいで家族と過ごす時間が少なくなってしまい、それによって妹のミユに嫌われてしまったのだから。
「ヨツバさん。わたしはこう思うんです」ココロはじっとヨツバを見た。「わたしたちはたしかに神に選ばれたのかもしれません。でも、その神はキリスト教の方が信じている神ではないと思うんですよ」
「まあ、信じる神は人それぞれですからね」
ココロは首を振った。
「わたしが言いたいのはそういうことじゃありませんよ」
「どういうことですか?」
「インテリジェント・デザインを設計したのは神のような人間だということです」
「人間?」
ココロの考えにツキヒコは驚きを隠せなかった。人間がインテリジェント・デザインを設計した。それはつまり、自分たち能力者はどこかにいる人間が恣意的に造ったということなのだから。
「確証はありません」ココロは言う。「なんとなくそう思っただけです。そうだったらおもしろいな、くらいのレベルですよ」
「そうですか」
「でも、わたしたちが能力に目覚める過程にはわかっていることもあるんですよ。わたしはそれを知ってからさっきみたいな妄想を抱くようになったんです」
「どんな過程ですか?」
「わたしたちが能力に目覚めるとき、その能力が目覚めなければ生き抜くことが出来ない、あるいは誰かを助けることが出来ない、という環境下に置かれることがわかっています。つまり、必要だから能力に目覚めたのですよ。故に、もしもその環境を人為的に作り出すことが出来れば、能力者を造り出すことが出来るかもしれないというわけです」
ココロの言葉には説得力があった。ツキヒコにも経験があるのだ。能力に目覚めなければ生き抜くことや誰かを守ることが出来ないという環境下に置かれた経験が。他の人もそうだということは初めて知ったが。
「まさにダーウィンの進化論というわけですね」
「そうです。環境に適応したものだけが生き残るんです」
ここまで話したところで、車が停まった。いよいよ、妹と姉に会えるかもしれない。そう考えたツキヒコの身体に緊張が走る。
「お疲れ様です。話の続きはまた今度にしましょう」
「今度があると思っていいんですか?」
「それはヨツバさん次第ですね」
ココロがそう言うと、タイミングよく車のドアが開いた。車内から降りようとするツキヒコ。だが、
「あ……」
その身体ががくりと沈み込む。ツキヒコは自分の身体から力が抜けていくのを感じた。そして意識も。何が起こったのか理解した時にはすでに遅かった。指先を動かすことすら出来なかったのだから。朦朧とした意識に中に、かすかな言葉が聞こえてくる。
「――行ってらっしゃい。ヨツバさん」
そう言って優しく頬を摩ってきたココロの手には、先端から液体が垂れる注射器が握られていた。
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