第四話 鮮血の壇上
体育館ではナナカ・ミマサカのスピーチが行われていた。壇上に上がって子供たちに話をしている彼女は、ニュースを伝えるアナウンサーのように聡明で、小児科医のように優しく、とてもプライベートで悪態をつくような人間には見えない。そんな彼女の話を多くの人が関心を持って清聴している中、まったく話が頭の中に入ってこない人間がいた。ツキヒコ・ヨツバだ。ツキヒコはまだ自分がどうするべきか悩んでいた。ナナカを殺さなくても妹と姉を助けられる方法があるのではないかと考えてしまうのだ。結局、ツキヒコはナナカにアドバイスを受けることによって悩みを解決することは出来なかった。それどころか悩みは以前よりも深くなっていた。
ツキヒコは体育館を出た。ナナカの話を聞くことは出来なかったし、彼女の姿を見ていることも出来なかった。体育館の入り口には大柄な男が一人いた。彼はナナカのSPだ。ツキヒコは彼に軽く頭を下げてからケータイを手にして通話ボタンを押した。電話をかけた相手はオクトーバー・フェストだ。もしかしたら妹と姉の捜索に何か進展があったかもしれない。そんな願いを抱きながら彼女が電話に出るのを待つ。しかし、虚しくコール音が鳴り続けるだけでオクトーバー・フェストの声が聞こえてくることはなかった。ツキヒコは続けてシオに電話をかけた。彼女も出ない。その後、タイチにもミヅキにも電話をかけてみるが二人とも声を聞かせてくれることはなかった。
何かがおかしい。
不安の混ざった違和感を覚えながらケータイをしまおうとしたとき、マナーモードにしていたケータイが揺れた。誰かがかけなおしてきたのだと思いながらケータイを見たツキヒコは、自分の胸が乱暴に締め付けられるのを感じた。ケータイのディスプレイに表示されている名前はオクトーバー・フェストでもシオでもタイチでもミヅキでもない。
サイカ・ヨツバ。
慌てて通話ボタンを押すツキヒコ。彼の耳に少女らしき人間の声が聞こえてくる。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
それは一瞬の出来事だった。頭が混乱し、誰の悲鳴か判断がつかない間に、次の声が聞こえてくる。
『ナナカ・ミマサカを殺すことが出来たら姉と妹の笑顔がもう一度見られるだろう。失敗したら彼女たちの笑顔は目蓋を閉じた時にだけ見られるようになる』
聞き覚えのある声と聞き覚えのある言葉。それはツキヒコの冷静さを奪う十分な力を持っていた。
『――そろそろ時間がやってくる』
ボーカロイドソフトで作ったような女の声が言う。
『ここからは新たなる試練をきみに与えたい。今から五分ごとに人質の爪を一枚つずつ剥いでいく。これをとめる方法はただ一つ。ナナカ・ミマサカの命を奪うことだ』
「爪を剥ぐって……まさか、さっきのは」
『人間の指は十本。約束の三時までは残り一時間。ナナカ・ミマサカの命が奪われるのが先か、爪がなくなってしまうのが先か。それはお前次第だ』
「くそっ、ふざけんなっ」
答えは返ってこない。その代りに再び少女の悲鳴が聞こえてくる。
「殺すっ。絶対に、殺すっ」
冷静さを失ったツキヒコの声が体育館の外に響き渡った。体育館の出入り口にいたナナカのSPがツキヒコを見て近寄ろうとするが、それを止めた人物がいた。同じくナナカのSPであるココロ・サエグサだ。彼女は男のSPを所定の場所に戻らせて、ツキヒコに近づいてきた。
「何をやっているんですか。物騒なことを叫んだりして」
ココロはナナカのSPではあるが、実際にはテロ組織カオスに雇われてツキヒコの妹のミユと姉のサイカを拉致した張本人である。故に、ツキヒコの怒りはココロへと向けられる。ツキヒコはホルスターから銃を取り出し、銃口をココロへと向けた。
「やめさせろっ。今すぐにっ」
銃口を向けられていると言うのにココロは余裕の表情で言う。
「別にわたしを撃っても構いませんよ。その代償をしっかりと理解しているのなら」
ツキヒコは奥歯を噛みしめた。ココロはツキヒコを捕らえられている妹と姉の元まで連れて行く案内人だ。彼女を殺してしまったら妹と姉の元へたどり着くことが難しくなってしまう。
ココロを殺すことは出来ない。それをわかってはいるが、ツキヒコは銃を降ろすことは出来なかった。それは相手の言うことを素直に聞きたくないというただの意地だった。
「いいんですか?」ココロは言う。「早くやらないと大切な人が傷つけられてしまいますよ」
悪戯っぽく微笑んだココロは体育館へと歩を進め出した。ツキヒコは銃をココロへ向けたまま後をついて行く。
「大丈夫ですよ」
振り返らずにココロは言う。
「あなたは大切な妹と姉を守るために引き金を引くんです。しっかりとした大義名分があります。同じ状況下に陥れば誰だって同じ事をしますよ。殺しは最悪だと声高に叫んでいる人間だって、自分の愛する人を守るためなら人を殺すでしょうし」
「どうして妹たちを巻き込むんだっ。あいつらは関係ないだろうっ」
「そんなことをわたしに言われても困ります。わたしはクライアントの要望通りに動いているだけですから」
体育館へ入ると、すぐに悲鳴が沸き起こった。ココロが銃を向けられている姿を見た人間が騒ぎ出したのだ。
「早くしないと取り押さえられるか、射殺されてしまいますよ」
ツキヒコは壇上へ目を向けた。スピーチを妨害されたナナカと目が合う。その目はツキヒコに何かを訴えかけているようだった。しかし、ツキヒコには何を訴えかけられているのかがわからない。
「さあ。早く。もうそろそろ苦痛の悲鳴が上がってしまいますよ。まあ、わたしは構いませんけどね。ギャラが減るわけじゃありませんし」
ココロの悪魔の囁きと、周囲のけたたましい悲鳴により、ツキヒコの頭の中は激しく混乱していた。冷静にものを考えることが出来ない。撃て。撃て。周りにこだまする悲鳴が徐々にそんな言葉へと変わっていくような気がした。
「あと十秒くらいで五分が経ちます。九、八、七、六……」
カウントダウンを始めるココロの言葉。ついにツキヒコのタガが外れる。
銃口をナナカへと向けるツキヒコ。
「大丈夫です。ヨツバさんは大切なものを守るだけですから。大丈夫ですよ。大丈夫」
指に力を入れるツキヒコ。
弾丸が発射され、胸から血を流したナナカが崩れ落ちた。
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