第六章 すべては彼のために

第一話 不敵な笑み

 ツキヒコが目を覚ますと、周囲には十五人ほどの武装した男たちがいた。全員が顔全体を黒いマスクで覆い、手にはAKを所持している。目を覚ましたツキヒコに気づいた瞬間、彼らの視線やAKの銃口が一斉にツキヒコに向けられた。すぐに撃ち殺す気はないようだが、絶対に撃ち殺さないというわけではないという殺気が、ツキヒコの身に伝わってくる。ツキヒコは身体を動かそうした。無理だった。パイプ椅子に座らされていたツキヒコは、両腕と両足を縄で縛られ、腰はベルトでパイプ椅子と繋がれていた。自分が置かれている状況を知るのに時間はかからなかった。明らかに拘束されている。


 ――ココロに騙された。


 その事実を認識し、唇を噛むようなマネはしなかった。騙されることをまったく想定していなかったわけではなかったのだ。ある意味、想定通り。最高ではないが、最悪でもない。そもそも敵であるココロが大切なゲストを家に招くようにツキヒコをアジトへ案内する方がおかしいのだから。それでもココロについてきたのは、それ以外に選ぶべき道がなかったからだ。正確に言えば、ココロについて行く以外の道があったのかもしれない。だが、ツキヒコには他の道を作り出すことは出来なかった。


 ツキヒコがいる場所は学校の体育館くらいの広さがある密閉された空間だった。窓はなく、部屋全体が壁で覆われている。前方にステージらしきものはあるが客席はない。もしかしたら普段はライブハウスとして使われているのかもしれない。そんなことを考えながら周囲を見回していたツキヒコの目にある人物の姿が映し出された。どうしてあなたが、と声をあげそうになったが、すんでのところで止めた。気持ちはざわついていた。だが、そのざわつきを相手に悟られたくはなかった。冷静さを装い、視線を向ける。彼はツキヒコの周囲を覆っていた武装した男たちの後ろから、ゆっくりとツキヒコに近づいて来た。その姿は、まるでディナーのテーブルに案内される客のように、楽しさと期待に満ちていた。


「気分はどうだ?」


 そう声をかけてきたのは第一エリアのエージェントであるトウシロウ・マキだった。どうして彼がこの場所にいるのか。考えるまでもない。相手にペースを握られないように、ツキヒコは余裕を見せながら言う。


「いいわけがありませんよ。お茶すら出してくれないおもてなしなんですから」

「悪かったな。じゃあ、これでも飲んでおけよ」


 そう言ったトウシロウは、近くの机に置いてあったペットボトルを手に取り、中に入っていた水をツキヒコの頭上に垂らした。生温い水がツキヒコの顔面を覆い、服の中へと潜り込んでいく。水浸しになったツキヒコは、何度か顔を振り、水を切ってからトウシロウを見る。


「あなたが裏切り者だったんですか」


 トウシロウはニヤリと笑った。ただそれだけだった。


「あなたはカオスのメンバーなんですか?」

「さあな」

「教えてくれてもいいじゃないですか」

「どうでもいいだろ、そんなこと。どうせてめえはここで死ぬんだ」

「そうみたいですね。でも、だったら最後の慈悲で事の真相を教えてくれるっていうのがお決まりのパターンじゃないですか」

「確かにそうだ。テレビの中ではな」


 ツキヒコは周囲の人間を見た。おそらく彼らはトウシロウの部下か協力者なのだろう。


「一体、何のために?」


 ツキヒコの問いに、トウシロウはふらふらと歩き回りながら答える。


「復讐だ、復讐。すべてはお前が悪いんだぜ、ヨツバ」


 自分が悪い。そう言われても心当たりがない。そんなツキヒコの様子に苛立ちながらトウシロウは続けた。


「そういえば、てめえには妹と姉貴がいたっけな」

「トウシロウさん。まさか、あんた――」

「落ち着けって」トウシロウは笑いながら言う。「まだやっちゃいねえよ。まだ、な」


 トウシロウは周りにいた仲間の一人に目で合図をした。合図を受けた男は後ろに下がっていく。おそらく妹のミユと姉のサイカをこの場所に連れてくるのだろうとツキヒコは思った。一応、妹と姉はこの場所にいるらしい。その可能性が大きくなったことに安堵する。妹たちの命があって、彼女たちがこの場にいるのならば、彼女たちを救う未来を迎えるチャンスは必ずあるはずなのだから。そんな心情を隠しながらツキヒコは言う。


「復讐って何のことですか?」

「うるせえ。黙ってろ」


 しつこく食い下がったら余計に相手の感情を逆なでてしまいそうだった。故に、ツキヒコは別の疑問を口にする。


「どうして」ツキヒコは言う。「どうしてナナカさんを巻き込んだんですか? 彼女は関係ないじゃないですか。妹と姉をさらって俺を呼ぶ。俺への復讐だったらそれだけでよかったんじゃないんですか?」


 ツキヒコの問いに、トウシロウは声を出して笑った。


「くく、やっぱりお前は知らないんだな」

「知らない?」

「まあ、いい。今さら知ったところでどうにもならねえしな」


 一体、何のことだ。そう思っていたツキヒコだったが、おそらく質問しても答えてはくれないだろうと考え、話題を変える。知りたいことはいくつもあるのだ。


「ガクトさんもグルなんですか?」


 消えてしまったガクト。裏切り者候補筆頭だった彼の姿はここにはない。


「ああ、あいつね」トウシロウは言った。「死んだよ。死体を隠したのはおまえらを混乱させるためだ。上手くいったみたいだな」


 ガクトが死んでいる。彼を黒幕だと疑っていたツキヒコだったが、その疑いが晴れた今、ガクトの死はツキヒコにショックしか与えない。湧き上がってくる悔しさと恥ずかしさと申し訳なさを抑え、冷静な声でツキヒコは言う。


「どうしてガクトさんを? 尊敬していたんじゃないんですか?」

「していたさ。感謝もしている。いろいろと教えてくれたのはあの人だからな」トウシロウは軽く首を振る。「だが、あの人は知り過ぎちまったんだよ。だからしょうがなかった。結局、思想が合わない者同士の最期は殺し合いさ。世界共通だろ、それって」


 トウシロウの言葉からガクトが彼を止めようとしていたことがうかがえる。もしかしたら爆破された高層マンションへ自分と一緒に行ったのはトウシロウから自分を守る為だったのかもしれないとツキヒコは思った。


「フェストはさんを襲ったのはなぜですか?」

「あいつだけは失敗したな。おまえを殺した後はあいつをやりに行かなきゃな」トウシロウの目に怒りはない。スケジュール通りにことを進めるという感じだった。「あいつはこっち側の情報をミマサカ機関に流していたからな。やるのは当然だろう。放っておいたら面倒なことになる」

「すべて私欲のためですか」

「当たり前だろ。私欲で動くことで全体が上手くいく。経済学者のお墨付きだ。何も問題はねえだろ」


 ゆっくりと歩き回っていたトウシロウの足が止まり、不敵な笑みを浮かべる。その笑みは、支配者が戯れに自分の元へ呼んだ囚人を見るような笑みだった。


「さあ、おしゃべりは終わりだ。最後のゲームを始めようじゃねえか」

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