第四話 予想外の付添人

 ミヅキ・タチバナの個人的な情報により、オクトーバー・フェストという手がかりを得たエージェントたちは、直接その諜報員の元を訊ねてみることになった。とはいえ、全員が外出するわけにはいかない。ナナカ・ミマサカを狙う組織を洗い出す作業を滞らせて、全員そろってオクトーバー・フェストの元へ向うのは効率が悪いのだ。オクトーバー・フェストはあくまで情報源。確保すべき犯人ではないし、接待をしなければならない取引先の幹部でもない。そこで、第二エリアのエージェントの中でもっともデスクワークを苦手としているツキヒコ・ヨツバがオクトーバー・フェストの元へ向うことになった。

 自分のデスクで出発の準備をしながらツキヒコが言う。


「ミヅキは行かなくてもいいのか?」


 詳しいことはわからないがミヅキとオクトーバー・フェストは知り合いらしい。だったら顔見知りであるミヅキもついて行った方がいいとツキヒコが考えるのは自然である。だが、


「大丈夫。問題ない」ミヅキはしれっと言う。「オクトーバー・フェストはそういうのは気にしない。さっきも言ったけど、交渉さえまとまればどんな仕事でもする人。それはつまり、オクトーバー・フェストにとっては交渉がすべてだから、相手が顔見知りだとか善人だとか悪人だとか変人だとか異人だとかイケメンだとかイクメンだとかはそういうのは関係ないということ」

「それってつまり、自分の恋人が依頼をしたとしても、話がまとまらなければやらないってことか?」

「そゆこと。恋がわたしを動かした、なんて台詞は言わない」

「もしかして、俺の役割ってものすごく重要?」


 ツキヒコの問いに、ミヅキはわずかに押し黙ってから言う。


「気にすることはない。ツキヒコが失敗したとしてもわたしの給料が減るわけじゃない。大丈夫。マンハッタンに落ちてくる核爆弾を止めるわけじゃない。ちょろちょろちょろすけでやってくるといい」


 無表情のまま親指を立てるミヅキ。どうやら激励してくれているらしいことは伝わってきて、ツキヒコは苦笑いを浮かべた。ミヅキの激励は素直に嬉しい。だが、それで一足飛びに成長出来るほど人間の精神はスポンジのように吸収がいいわけではない。どんな交渉をするのかわからないが、自分の受け答え次第で手がかりが失われるかもしれないというプレッシャーがのしかかってくる。


 だが、別の見方をすればある意味これはチャンスでもあった。本部にもたらす情報をあえて隠しファイルにするということは、オクトーバー・フェストはミマサカ機関内にいるかもしれない裏切り者についても知っている可能性があるのだから。ツキヒコの仕事は他のメンバーと同じではない。彼には支部長のサカエから言い渡されたミッションがあるのだ。


 準備を整えたツキヒコは、出発する前に姉のサイカへ電話をしようと思った。能力を使って盗聴していたシオの話によると先ほど電話をしていたとき、サイカは外にいたらしい。そのことが気になっていたのだ。本当に家のベランダにいただけなら問題ない。見慣れたとはいえ、たまにはマンションの六階から見える夜景を楽しむこともあるだろう。だが、もしも本当はまだ外で妹のミユを捜しているのだとしたら――。そんなことを考えながらケータイを手に廊下へ出ようとしたとき、タブレットを操作していたタイチ・イシグロが緊迫した表情で声を出した。


「これは大変なことが起きたかもしれないね。まるで映画だ」何があった、と自分を見るエージェントたちにタイチは言う。「たった今、高層マンションで爆破が起きたみたいだよ」


 室内のエージェントたちはわずかに驚いた様子を見せたが、それは一視聴者がニュースを観ているときに行うリアクションとほとんど変わらなかった。


「たしかに大変ね」シオが言う。「わたしたちに依頼が来たら対応を考えましょ」

「だね」ミヅキが続く。「たしかに大変。だけど今のわたしたちには関係ない。どうしても気になるのなら、バケツでも持って現場へ行けばいい」


 ミヅキの言葉にタイチは首を振った。


「いや、ところが関係ないとは言えないんだよね。すべては繋がっているというか、世界は一つというか、バタフライエフェクトというか」


 眉をひそめながらシオが言う。


「どういうこと?」

「爆破が起きた高層マンションなんだけど」タイチは視線をツキヒコに送った。「そこって、神の悪戯か悪魔の罠かわからないけど我らがエージェントヨツバが向おうとしている場所、つまりオクトーバー・フェストがいるビルなんだよね」


 この発言には室内にいた全員が絶句した。ナナカ・ミマサカ暗殺計画について何らかの手がかりを握っている可能性があるオクトーバー・フェストが襲撃された可能性があるからだ。その出来事は一視聴者として流し見していいレベルのニュースではない。


 すぐに現場へと向かわなければならない。そう判断したツキヒコはケータイをポケットにしまい込んだ。姉と妹の状況を確認できない苛立ちはあったが、それを強引にでも胸にしまい込まなければならない緊急事態だった。シオが言う。


「ツキヒコ。すぐに現場に向かって。あ、でも、ツキヒコ一人じゃ危険な状況よね……」


 もう一人、誰かを現場へ向かわせたい。爆破が起きたということは爆破を行った人間がいる可能性がある。今のところ事件が事故かわからないが、このタイミングでオクトーバー・フェストが住むマンションが爆破したということから悪い想像しか出来なかった。敵がいるかもしれない。だとしたらツキヒコをたった一人で現場へ向かわせるわけにはいかない。シオがそう考えながら室内を見回していると、部屋の扉が開き一人の男が入ってきた。


「わたしが行こう」


 そう言ったのは第一エリアのエージェントであるガクト・シブタニだった。ガクトは同じ第一エリアの同僚であるキリエからメモリーカードに隠されていたファイルの連絡を受けていて、その件を確認するために第二エリアに貸し出していた作業スペースへやってきたのだった。えっと、と戸惑うシオにガクトは言う。


「話は外で聞いていた。故に、状況は理解している。我々も現場を確認したいからな」

「盗み聞きとはいい趣味」


 そう呟くミヅキの頭を叩き、シオは言う。


「ありがとうございます。ツキヒコ一人では危険だと思っていたところだったので。感謝します」シオはツキヒコに目を向ける。「じゃあ、そういうことだから。よろしくね」


 了解、と頷いたツキヒコはガクトの前まで移動して手を出す。


「よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく」そう言って、差し出された手を握り返したガクトは、他のメンバーには聞こえないほどの小さない声でこう言った。「ヨツバくん。きみとは一度、話をしてみたかったんだ」


 握手をしているガクトの手にはしっかりとした力が加えられていた。痛くはない。内に秘められた意志の力が伝わってくるような感じだ。ツキヒコはその力の意味をしっかりと考えるべきだった。もしもその意味をしっかりと考えていれば、一つの命がこの世から消えることはなかったかもしれなかったのだから。

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