第二話 気にしたら負け

 第一エリアのスタッフが第二エリアのエージェントのために用意してくれた作業スペースは普段は応接間として使っている部屋らしく、中央にはガラス製のテーブルを挟む形で黒い革張りのソファーが二つ向かい合うように設置されていた。そのソファーに座りながらパソコンを開き、これまで直接ミマサカ機関を狙ってはいないが、過去に反政府活動をしたことがある組織について調べていたシオ・カワスミに声がかけられた。相手はミヅキ・タチバナだ。シオはパソコンから目を離して立ち上がり、窓際で作業をしていたミヅキの元へと移動した。


「何かわかった?」


 シオがパソコンの画面を覗き込みながら訊くと、椅子に座っていたミヅキが口を開いた。


「叩いてみたら埃が出るのは浮気をしている男だけじゃないらしい。このメモリーカード、隠しファイルがある」

「ほんと? さすがミヅキね。よく見つけたわ。ご褒美にあとでお菓子をあげるわ」

「さんくす。でも、見つけたのはわたしじゃない。大福に初めてイチゴを入れた人みたいに筆舌に尽くし難い美しい仕事をしたのは、この子」


 そう言ったミヅキが視線を向けるのは、ミヅキの横で都会に出てきたばかりの地方出身者のように落ち着かない様子で立っているキリエ・マエカワだ。彼女は第二エリアのエージェントではなく、第一エリアのエージェントなのでアウェイの環境に戸惑っているようだった。


「すごいわね、キリエさん。さすがです」


 褒められ慣れていないのか、キリエは照れくさそうに顔を真っ赤にしてしまう。


「い、いえ、たまたまです。それに、まだ隠しファイルの存在がわかっただけで、中身を開けるまでには至っていないので……」

「それでも前進したことに変わりはないわ。ありがとう」

「きょ、恐縮です」


 両手をへその辺りで握りながらもじもじとしているキリエはシオと一度も視線を合わせずに、彼女の首の辺りをチラチラと見ているだけだった。そんなキリエにシオは後輩を気遣う先輩のように言う。


「そんなに緊張しないでよ、キリエさん。偉そうにしろとは言わないけど、『今一』どころか『今二』と言われているわが第二エリアとは違ってキリエさんは優秀な第一エリアに所属しているんだからもっと自信を持った方がいいわよ。ありすぎる自信はどうかと思うけど、なさすぎる自信よりはマシって話もあるしね」

「あ、ありがとうございます。で、でも、わたしは優秀なんかじゃないんです。シオさんの方がよっぽど優秀です。機関の中でもたった一割しかいないAランクエージェントですし」

「そんなことないって。わたしがAランクになれたのはたまたまだから」

「そうたまたま」ミヅキが会話に入ってくる。「たまたま、外見が老害どもの嗜好に合っていただけ。枕で勝ち取ったAランクなんだから」


 ミヅキの話を聞いて、はじめてキリエが顔を上げてシオを見た。


「え、そうなんですか」

「そんなわけないでしょ」軽くため息をついてからシオは言う。「キリエさん。シオの言っていることの七割は冗談だから真に受けないでね」

「失礼な」ミヅキが言う。「七割じゃなくて九割」


 ふふ、とキリエが声を出して笑った。それは第二エリアのエージェントたちが見たはじめてのキリエの笑顔だった。


「ごめんね」シオが言う。「こんなことばかりやってるから『今二』って言われちゃうのよ。でも、仕事はしっかりとやるつもりだから心配しないでね」


 キリエは再び声を出して笑った。


「どうかしたの?」


 シオの質問にキリエははにかみながら言う。


「なんかうちとは全然、雰囲気が違いますね」

「違う?」


 首を傾げるシオにキリエは言う。


「うちのリーダーはあの通り、その、真面目ですから。みんなで笑いながら仕事をしたことなんてないんです」

「ロボットに感情はない。故に、感情を求めて旅に出る」


 ミヅキの言葉に慌ててキリエは反応する。


「い、いえ、別に感情がないってわけじゃないんです。ただ、コントロールしているだけなんですよ。誤解しないでほしいんですけど、ガクトさんは悪い人じゃないんです。むしろ良い人っていうか……、上手くは言えないんですけど」


 緊張と恥じらいがまざったような赤い顔をしたキリエに、ミヅキは心臓に矢を放つがごとく真っ直ぐな言葉を突き付ける。


「あれ。もしかして、キリエ氏はロボットに恋心?」

「そ、そういうのじゃないんです。ガクトさんは兄みたいなものなんです。その、わたしには姉がいるんですけど、その姉の恋人がガクトさんで」

「だからって、ロボットに恋心がないとは言えない。むしろ、姉の恋人を寝取りたいと思うのは自然な流れ。遺伝子か妖怪がそうさせているはずだと、メンデルさんが言っていた」

「そんなわけないでしょ」シオは悪ノリをするミヅキの頭を軽くこつく。「でも、あのガクトさんに恋人かあ。ちょっと意外。仕事が恋人っていうタイプかと思ってたわ」

「それはシオ」

「違うわよっ」

「そうだった。シオにはちゃんと好きな人がいるんだった」


 チラリ、と視線を動かすミヅキの頭を本気で叩くシオ。


「い、いないわよっ」


 シオとミヅキのやり取りを見て、崩れ落ちるように笑うキリエ。取り乱してしまった気持ちを隠すように、シオは話題を仕事に戻す。


「でで、隠しファイル以外に、何かわかったことはないの?」

「でで、って」

「う、うるさい、ミヅキ。いいから、他に情報は? あるの? ないの? あるならさっさと教えなさいよっ」

「それを教える代わりに、シオがさっきチラリと視線を送った人の名前を叫ぶ許可をいただきたい」

「そんな許可、与えるわけないでしょっ」

「だったら、黙秘権を行使する。弁護士が来るまで何も話さない」

「真面目に仕事してっ。キリエさんが見てるんだからっ」


 ミヅキに弄られ続けるシオを不憫に思ったのか、キリエが戸惑いながらシオの質問に答えくれる。


「え、えっと、わかったことがもう一つあります。そのメモリーカードの出所です」

「出所?」シオは怪訝な表情を浮かべる。「それって本部じゃないの?」

「はい。たしかにそうなんですけど」キリエはミヅキをチラリと見てから言った。「わたしにはわからなかったんですけど、ミヅキさんが本部以外の場所の『香り』を感じ取ったみたいで」


 どういうこと、と視線を向けてくるシオにミヅキは言う。


「おそらく本部がしこしこ入れたデータは今現在閲覧可能なデータだけ。隠しファイルは本部にはいない別の誰かがしこしこ入れた可能性が高い」

「しこしこ、言わない」

「しこしこ言っちゃうのがわたしの悪い癖」

「嘘つくなっ」


 疲れたように息を吐いてからシオは続ける。


「もしかして、そのメモリースティックには元々機密データが入っていて、それをカモフラージュするために本部が当たり障りのないデータを入れたってこと?」

「そういうことになるのかならないのかは、あなた次第」

「真面目にお願いっ」

「真面目に行くべきか、行かざるべきか。それが問題だ」

「あんたが問題だっ」


 そう叫んだシオはミヅキの肩をぐっと掴む。皮膚に力強く爪が食い込んでくる感触を味わい、ミヅキは話を進めることにした。


「まあ、仕事が出来て男にもモテるけど本命にはまるで相手にされないA子さんのご要望にお応えして真面目に話すと、本部の人間が隠しファイルがあるのを知らないで普通にその辺にあったメモリーカードに新規の情報を入れた可能性の方が高い」


 メモリーカードに残された手がかり。それは客観的な根拠に乏しいもので、警察だったら簡単に信用しない類のものである。何しろ根拠はミヅキが察知した『香り』である。だが、ここはミマサカ機関のオフィス内で、手がかりを発見したのはミヅキである。信頼しないはずがない。ミヅキはカテゴリーSのエージェントなのだから。


「さすが、『偽ランクD』ね。余計なことを口走るのが玉に瑕だけど」


 シオの言葉に、キリエが首を傾げる。


「『偽ランクD』?」

「気にしたら負け」


ミヅキは親指を立てる。無表情なのだがなぜかどや顔に見える顔で。


「それで」シオが言う。「機密データを入れた人間、あるいは場所に心当たりはあるの?」

「ないということはないということもないかもしれない」


 ふざけているミヅキを無視してシオは言う。


「誰?」

「オクトーバー・フェスト」

「ビールの祭典?」

「そうだけど、そうじゃない」ミヅキはシオの顔を見ず、メモリーカードに視線を向けたまま言った。「オクトーバー・フェストはどこの組織にも属していないフリーの諜報員。お金じゃ動かないけど、交渉さえまとまればどんな仕事でも引き受ける深淵の世界じゃ有名な人」

「すごいです」キリエは目を見開いた。「でも、どうしてそんな人のことを知っているんですか? 『香り』を感じ取ったってことは、その人に会ったこともあるんですよね?」


 キリエの問いかけにミヅキは答える。


「気にしたら負け。火傷をしたくなかったらわたしを詮索しない方がいい。なんてね」

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