第二章 陰鬱な夜
第一話 第一エリア
ミマサカ機関中央支部第一エリアのオフィスに到着すると、第二エリアのエージェントであるツキヒコ、シオ、ミヅキ、タイチの四人は会議室へ通された。第二エリアの会議室はスモークガラスの壁が四面を覆っているこじんまりとした空間で、中央には十人ほどが使用出来る白いデスクがあり、第一エリアのエージェント三人と第二エリアのエージェント四人が向かい合って座っていた。
「あまり世間話をしている時間はない。本題に入ろうか」
そう切り出したのは第一エリアのエージェントであるガクト・シブタニだ。冗談を言っても決して笑ってくれそうにない堅い風貌の彼は正面に座っていたシオに視線を向けていた。
「話はどこまで聞いている?」
シオは咳ばらいをしてから答える。
「ナナカ・ミマサカの命が狙われているということだけです。サカエ支部長からは詳細はこちらで伺えと言われています」
シオの回答に、ガクトはうなずく。
「そうか。では、少し補足しよう。ナナカ・ミマサカの命を狙っているのは海外の殺し屋らしい。中国か韓国あたりのアジア人。すでに入国しているかどうかは不明だが、入国している可能性が高いと思われる」
シオはじっとガクトの目を見て言った。
「断定出来ないということは、まだ本部も確実な情報を入手していないということですか?」
ガクトはうなずく。
「どうやらそうらしい。わたしたち第一エリアでも本部から一方的に情報を送られただけだからな。本当にナナカ・ミマサカが狙われるかどうかもわからないし、彼女を狙っているのが海外の殺し屋なのかもわからない。わかっていることはただ一つ。裏を取れた情報が何もないということだ」
一呼吸置いて、ガクトは続ける。
「だが、事の真偽などどうでもいい。わたしたちはわたしたちに与えられた任務をこなすだけだ」
「その仕草。まるでロボットである」
ぽつり、とそう呟いたミヅキに第一エリアのエージェントであるトウシロウ・マキが反応する。スポーツジムの広告に載っていてもおかしくはない鍛えらえた身体から放たれる言葉の圧力は、小さな子供だったら泣き出してしまいそうな迫力があった。
「おい、チビ。お前、今、なんて言った?」
場の空気が緊張する。それでもミヅキはぼけっとしたようないつもの無表情を変えない。
「まるでロボットだと率直な感想を述べただけ。気に障ったなら謝る。すみませんでした」
「なんだその謝り方は? 馬鹿にしてんのか?」
「馬鹿にしてるわけじゃない。でも、そう思わせてしまったのはわたしの責任。すみませんでした」
「て、てめえっ」
机を叩き、席から立ち上がって今にも殴りかかりそうな勢いで興奮するトウシロウを同僚のキリエ・マエカワがなだめる。
「お、落ち着いてください」
「お前は黙ってろっ」
「は、はいっ」
すぐに小さくなってしまうキリエ。ツキヒコたち第二エリアのエージェントたちはそんなキリエに同情の視線を送った。その視線に気づいたのだろう。この場を収めるためにガクトが口を開く。
「いい加減にしろ、トウシロウ。無駄に腹を立てるな」
「で、でも、こいつはガクトさんを馬鹿にしたんですよ。Dランクのくせに」
トウシロウはミヅキを睨み付ける。ミヅキは表情を変えずに淡々と言った。
「さっきも述べさせてもらった通り、別に馬鹿にしたわけじゃない。感想を述べただけ。それに今回の話にランクは関係ない。これも感想」
「それが馬鹿にしてるって言うんだろっ。そもそも何で俺たちがお前らみたいな『今二』と一緒に仕事をしなきゃならねえんだよっ。一人を除いてみんなDランク。しかも、たった一人のAランクだって男問題で本部から第二支部に左遷させられたビッチじゃねえか。この件は、もともと俺たちだけ十分なんだよっ。足手まといなんだよ、お前ら第二はっ。だいたい、この前だってこいつらが失敗した任務の後始末をさせられたのは俺らじゃねえか。そんな俺らに対してふさわしい態度ってもんがあるんじゃねえのか?」
語気を強めるトウシロウにガクトが言う。
「落ち着け、トウシロウ」
「で、でも」
「いいから黙れ。話が進まない」
「わ、わかりました」
ぐっと歯を食いしばりながら席に座るトウシロウ。怒りの視線はミヅキに向けられたままだったが、ミヅキはそんな彼の様子を気にするそぶりをまったく見せていなかった。
「すまない。話の腰を折ってしまって。それにこちらのメンバーが失礼を言った」ガクトは淡々と言う。「だが、そちらのメンバーの方にも反省を促したいところだな」
「おっしゃる通りです。申し訳ありませんでした」
シオは頭を下げてから隣にいたミヅキの背中を軽く叩く。ミヅキも軽く頭を下げた。ただ、その表情に反省の色はうかがえない。
「それでは話を進めよう」
そう言ったガクトは胸ポケットからメモリーカードを取り出した。指先で掴んだメモリーカードを第二エリアのエージェントたちに見せながら言う。
「この中に本部から送られてきた情報が入っている。中身はナナカ・ミマサカの明日の予定や身辺警護を行っているスタッフのプロフィールなどの基本的なものと、今まで彼女を狙ってきた組織の情報だ。きみたちも目を通しておいてくれ」
ガクトはシオにメモリーカードを渡した。受け取ったシオはメモリーカードを一通り眺める。
そんなシオの様子を見ていたツキヒコが口を開いた。
「ガクトさん。この情報はどこから?」
「本部だと言っただろう」
「そうではなくて、本部の誰から受け取ったのかが知りたいんですけど」
「それは教えられない」
「どうしてですか?」
「そう命令されているからだ」
会議室に沈黙が流れる。それを破ったのはツキヒコだ。
「別にあなたたちを責めているわけではないので誤解して欲しくないんですけど、そのメモリーカードに入っている情報はあまりにも基本的すぎるので、はっきり言って有益ではないんですよ。本気を出さなくても誰だって収集出来るレベルですし。ですから、本当はもっと別の情報がメモリーカードに隠されている可能性があると思うんです。ぼくはその情報を引き出すためのヒントを得たかったんですよ」
一見どこにでもあるメモだとしても、見方を変えれば隠されたメッセージになっているということがある。ツキヒコがその発想を持てたのは先ほどサカエから『思考停止に陥るな、言われたことを素直に受け入れるな』という忠告を受けていたからだ。
それにミマサカ機関の内部に裏切り者がいる可能性がある以上、暗号化してメッセージを託す人間がいてもおかしくはない。それが仲間であろうと敵であろうと。それに、もしも裏切り者が目の前にいる第一支部のリーダーであるガクト・シブタニだったとしたら、揺さぶってみれば何か掴めるかもしれない。そんな考えもあった。
「なるほど。そういう考え方もあるな」ガクトはうなずいた。その姿に動揺した様子は見えない。ツキヒコにはこの男が裏切り者かどうか判断がつかなかった。「では、メモリーカードに何か隠されていないか調べてみることにしよう。キリエ。頼めるか?」
「は、はい」
「こちらからも人員を出します」シオはそう言った。「ミヅキ。キリエさんと一緒に調査に当たってくれる?」
「え、めんどい」
「いいから」
「仕方ない。パワハラに屈するのは遺憾だけど、我慢するしかない。それが社畜の性」
それぞれのリーダーから指示を受けたキリエとシオはメモリーカードを持って二人で会議室を出て行った。そんな二人を見送ってからガクトが切り出す。
「今後の方針だが」ガクトがシオに目を向ける。「我々は過去にミマサカ機関に敵対した組織や人間について調査するから、きみたちには過去ではなくこれからミマサカ機関を狙いそうな組織や人間について調べてもらうということで問題ないか? 最近、活動をはじめた新興組織を中心にお願いしたい」
「ええ。構いません」
「では、お互いに何かわかればすぐに連絡を取り合うことにしよう。きみたちには下の階に作業スペースを用意してある。必要になりそうなものはすべて用意したつもりだが、何か足りないものがあったら遠慮なく言ってくれ」
「お心遣い感謝します」
「そうだ」ガクトは机にケータイを置いた。「カワスミくん。先ほど、君宛にこれが届いた。渡しておこう」
「あ、ありがとうございます」
少しバツが悪そうにシオはケータイを受け取った。シオは数時間前、麻薬の密売人を追うためにカーチェイスをして事故に遭い、その際に支給されていたケータイを壊していたのだ。本部に申請していた新しいケータイをまさかこんな時、こんな場所で受け取るとは思わなかったので、少し動揺してしまった。そんな様子のシオを気にせずにガクトは事務的に言う。
「では、仕事を始めるとしよう。よろしく頼む」
「は、はい」
友好的に握手を交わすガクトとシオ。それは誰が見ても形式的で気持ちのこもっていないものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます