第五話 密命

 ミマサカ機関中央支部第二エリアのオフィス。その入り口に辿り着いたツキヒコ・ヨツバは顔見知りの警備の人間に軽く挨拶をしながら建物に入り、すぐに三階にあがって事務所の中へ足を踏み入れた。すでに集まっていた仲間たちに挨拶をしてから自分のデスクへと向かい着席する。そこで、机の上に袋に包まれた一口大のチョコレートが置かれていることに気が付いた。こんなふうにお菓子をくれる相手には心当たりがあった。


「それ、美味しいから食べてみてよ」


 ツキヒコに近づいてきたのはシオ・カワスミだった。予想通り、チョコレートをくれたのは彼女らしい。ツキヒコはお礼を言ってチョコレートを口に入れた。


「美味い」

「でしょ」シオの表情がぱあっと明るくなる。「よかったらもっとあげようか?」


 シオはチョコレートを人差し指と親指で挟みながら笑みを浮かべている。まるで動物にエサをあげて喜ぶ飼い主のようだった。その笑みは慈愛に満ちている。そんな彼女に向かってツキヒコは首を振った。


「いや、もういいや。ありがとう。飯を食ったばっかだからお腹が苦しいんだよね」

「そっか。じゃあ、また今度あげるね」


 シオは自分のデスクへと戻って行く。少し寂しそうなその姿を見て、ツキヒコは自分の判断は間違っていたかもしれないと思ったが、彼女を引き止めてチョコレートを貰う気にはなれなった。妹のことが頭から離れないのだ。


 ケータイを手に取りディスプレイを確認する。姉のサイカからの着信がなかったので、自分から連絡を取るために電話帳の画面を開くが、彼がサイカへ電話をかけることはなかった。ミマサカ機関中央支部のボスであるサカエが姿を現したからである。出迎えたシオ・カワスミが会議室へと彼を導く。その姿を見て、ツキヒコもしぶしぶ会議室へと向かった。


 会議室に集まったメンバーはシオ、タイチ、ミズキ、サカエ、そしてツキヒコの五人。学校の教室並の広さがある会議室には読書をしない人間の本棚みたいな寂しさが漂っていた。自然とボスであるサカエが会議室の前方に立ち、彼と向き合うように第二エリアのエージェント四人が並んだ。この第二エリアにはあと二人のエージェントが在籍しているが、その二人はヘルプで他のエリアで仕事をしているため、今いる四人のメンバーが現在第二エリアで動くことのできるエージェントである。ボスであるサカエは簡単な労いの言葉を述べた後、すぐに本題を切り出した。サカエの背後にある大型スクリーンに女性の映像が映し出される。


「ナナカ・ミマサカ。もちろん君たちも知っている有名人の彼女だが、運命の悪戯か、神の計画かわからないが、どうやら明日中に命を狙われることになりそうだ」


 驚いた様子を見せたのはタイチとツキヒコの男二人。シオとミヅキの女二人は表情を変えずにサカエの話を聞いていた。


「明日ということは、小学校の慰問時に狙われるということですか?」


 シオの質問にサカエは答える。


「それはわからない。だが、インパクトを考えれば慰問時の可能性が高いだろう。マスコミ連中もいるしな。テロリストたちは承認欲求が武器を持って跋扈しているようなものだ。愛情を求める子供のように誰かにかまってもらうことを望んでいる彼らが、世間に隠れて行動を起こす可能性は少ないだろう」

「もちろん慰問の中止は出来ないんですよね?」

「そうなるな。多くの国と同じように我々がテロに屈するわけにはいかない。もちろん彼女のSPも同じ考えだ。困ったことだがな」

「ナナカ嬢を狙っているのはどこの誰なんですか?」タイチが問う。

「それは調査中だ」


 ツキヒコが急かすように訊く。


「で、俺たちは何をすればいいんですか?」

「きみたちには姫を狙っている犯人を捕らえてもらいたい。もちろん事が起こる前に、だ。本部でも動いてはいるが、事が急だからな。人員が足りないというわけだ。第一エリアのチームがメインの捜査を行うから、きみたちはそのサポートを頼む。すでに第一エリアのチームには今回の仕事の詳細を話してある。詳しくはこの後、第一エリアのオフィスで訊いてくれ」


 了解、と第二エリアのエージェント全員が返事をし、その後はシオの指示に従ってそれぞれのエージェンたちは各々出かける準備に取り掛かった。


 自分のデスクでナナカ・ミマサカのプロフィールをチェックしていたツキヒコにサカエから呼び出しがかかったのは、会議室からエージェントたちが出て行ってから十分後のことだった。会議室に入ったツキヒコは待っていたサカエに声をかける。


「どうかしましたか?」

「悪いな、また来てもらって」椅子に腰を掛けていたサカエはツキヒコにも腰を下ろすよう目で合図をし、ツキヒコが席に着いてから口を開いた。「久しぶりだな」


 ツキヒコは苦笑いを浮かべた。


「お久しぶりです」

「元気でやってるか?」

「まあ、わりと元気です」

「そうか。それはなによりだ」


 ミマサカ機関。ツキヒコがこの機関のエージェントとして働くきっかけを作ったのはサカエだった。クリスマス・イヴの事件に巻き込まれたツキヒコを救ったのは当時エージェントとして活動していたサカエで、その事件で才能を開花したツキヒコをミマサカ機関にスカウトしたのもサカエなのだ。


「紅茶でも飲みながらゆっくりと話をしたいところだが、そうもいかなからな。仕事の話をしよう。今回の仕事について、何か質問はないか?」


 サカエの問いかけに、ツキヒコは首を傾げる。


「質問、ですか? 特にないですけど。とりあえず詳細はこれから第一エリアに行って訊けばいいんですよね」


 ツキヒコの答えに、サカエは落胆した様子を見せる。


「ツキヒコ。思考停止に陥るな。言われたことを素直に聞いているだけだと、いつか家族を哀しませることになるぞ。考えるんだ。今回の件、お前は調律を済ませていない楽器の音を聴くような違和感を覚えないのか?」

「違和感と言われましても……ナナカ嬢が狙われるのは今に限ったことじゃありませんし」

「そのことじゃない。コインに裏と表があるように、すべての事象は片側だけで動いて行くものじゃないだろう」

「そうは言われましても」

「いいか、ツキヒコ。見つからない答えというものは大抵目の前にある。物事の答えやヒントの多くを人は見ているんだ。認識していないだけで」


 じっとツキヒコの目を見据えるサカエ。答えは目の前にある。その意味がツキヒコにわかったのは一分後だった。


「わかりました。おかしいのは事件じゃない。事件を捜査する俺達ってことですね」正解だ、と言わんばかりに口元を緩めるサカエの表情を確認してからツキヒコは続ける。「サカエさん。あなたがここにいることがおかしいんですよ」

「そういうことだ」


 まるで我が子の成長を目の当たりにした父親のように満足気な笑みを浮かべるサカエ。本来、支部長である彼が直接エリアのオフィスに顔を見せることはほとんどない。命令や伝達ならば通信を使えば事足りるからだ。それがツキヒコが覚えた違和感の正体である。


 サカエは席から立ち上がり、ツキヒコの隣の席へと移動してきた。


「いいか。さっきも言ったが、常に思考を止めるな。目の前で起きている事象を脳死状態で受け入れる人間にだけはならないでくれ。結局、人間には二種類しかいない。思考する人間と思考しない人間だ。イニシアチブを握りたいのなら常に前者で居続けるしかない」


 努力します、と苦笑いで返事をしてからツキヒコは真面目な表情で訊く。


「サカエさんがここに直接来る。それにはそうしなければいけない理由があるってことですよね。第一エリアへ行け、という指示のためにここへくるはずがない。それにさっきミヅキから聞きましたけど、本部に資料を請求しても拒否されたみたいですし、それと何か関係があるってことですよね……って、まさか」


 口元を緩めたサカエは目で答を促す。

 ツキヒコは答えた。


「まさか、内部に犯人と繋がっている人間がいるってことですか?」

「そういうことだ」


 ツキヒコは身体の震えを感じた。ツキヒコはミマサカ機関に心酔しているわけではない。故に、組織に忠誠心があるわけではないのだけれど、内部に裏切り者がいる可能性が示唆されることには驚きを隠せなかった。


「信じられない」


 そう漏らすツキヒコにサカエは言う。


「組織を構成しているのは人だ。すべての人間が信じあっている世界の方がおかしい」


 サカエの言っていることは理解できる。警察だって犯罪者と繋がっている時代だ。ミマサカ機関の人間が犯罪者と繋がっていてもおかしくはない。しかも今回、狙われているのはナナカ・ミマサカ。次期総統の筆頭候補である彼女を疎んでいる連中は組織内にも確かにいるだろう。


「ナナカ嬢。彼女が殺されるようなことがあれば、世界の勢力図が大きく変わる。それはわかるよな?」

「はい」


 近年、勢力を拡大してきたミマサカ機関の中には、政治にも口を出しはじめようとしている勢力がある。表向き平和や弱者の保護を訴えている彼らだが、それがどこまで本気なのかは疑わしい部分があった。ナナカ・ミマサカは力を政治に利用すべきではないと考えている勢力のトップである。現在はその彼女が所属している勢力がミマサカ機関の大多数を占めているため、政治への口出しは行われていないが、彼女がいなくなるようなことがあればミマサカ機関のパワーバランスが一気に崩れる可能性があった。そしてそれは世界のパワーバランスが変わることを意味する。


「カエサルのものはカエサルにと言うしな。人間が手を広げられる範囲は限られている。多くのものを抱えれば抱えるほど、零れ落ちたモノに気が付かなくなってしまうものだ」

「ええ」

「ツキヒコ。これはお前だけに頼みたい仕事だ」


 隣にいるツキヒコに顔を近づけ、サカエは小さく、だが強い声音でこう告げた。


「裏切り者を探し出せ」


 サカエのその言葉には鉛のような質量があった。胸の奥に衝撃を与えてくる。


「ちょ、ちょっと待ってください」ツキヒコは動揺した様子で言う。「どうして俺なんですか? もっと優秀なエージェントはいくらでもいるじゃないですか」


 ミマサカ機関のエージェントはその力のレベルによってランク付けがされている。最も優秀なエージェントはランクS、一番下はランクDだ。そしてツキヒコのランクは最も低いDである。そんな彼が謙遜するのも無理はない。だが、サカエは誰もが間違いだと主張する答えを自信を持って押し通すように言う。


「ツキヒコ。わたしはミマサカ機関のエージェントの中でお前を最も信頼している。その信頼に答えてくれ」


 真っ直ぐで自信に満ちた瞳。そんなものに見据えられたら断ることなんて出来ない。ましてやこれ以上、自分を卑下することも出来ない。自分を卑下する。それは自分を評価してくれている人間までも貶める行為だからだ。


「わかりました」ツキヒコは頷いた。「それで、具体的にはどう動けばいいですか?」

「それは任せる。自分で考えて動くんだ。何が正しいのか、何が間違っているのか。それも自分で判断するんだ。わたしも独自に動くが、今の立場だと思うように動けないことも多い。あまりにも広い地図が役に立たないのと一緒だ。悪いが、結局はお前任せになってしまうかもしれない。何か困ったことがあれば相談してくれ。出来る限りのフォローはする」

「わかりました」

「とりあえず、この後、第一エリアへと向かって話を聞く前に俺の頼みを聞いて欲しかった。ここから先、お前は誰も信じるな。人ではなく、客観的な情報だけを信じろ」


 自分に出来るだろうか、と不安を抱えつつもツキヒコはゆっくりと頷いた。

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