第四話 開かれない情報
ミマサカ機関は大富豪であるカズオ・ミマサカが創設した組織である。元々は大富豪故に常に危険と隣り合わせであるカズオ・ミマサカが自分の身を守るために作り上げた私的な防衛組織だが、その活躍が知れ渡るにつれてあらゆるところからその力を必要とされるようになった。需要に答えるうちに政府と対等な立場になってしまうほどの力を手に入れたミマサカ機関は、今では警察と双璧をなす犯罪対策組織となっている。
ミマサカ機関の強みは警察とは違い細かな事務手続きをせずにあらゆる仕事を実行できることだ。スピードと柔軟性が警察とは比べ物にならない。警察が法に則っていくつかの段階を経る間に、ミマサカ機関のエージェントは犯人を確保している。そのような状況は珍しくなかった。とは言っても、ミマサカ機関の最も大きな強みはスピードや柔軟性ではない。組織のエージェントが『特別な人間』である。それが最も大きな強みであった。その特別さ故に、ミマサカ機関は重宝され、力を蓄えていったと言える。
ツキヒコ・ヨツバは去年の十二月、クリスマス・イヴにとある能力に目覚め、それを目の当たりにしたミマサカ機関のエージェントに推薦されることによってミマサカ機関で働くことになった。ツキヒコは自分を推薦してくれた先輩のことを尊敬しているし、自分を機関に誘ってくれたことに感謝もしている。だが、もしも自分がクリスマス・イヴに先輩と出逢わなかったら、もしもとある能力に目覚めなかったら。普通の生活を望む家族のことを思うと、そう考えてしまうことが時々あった。
ミマサカ機関中央支部第二エリアのオフィスは三階建ての低いビルで、その中の三階部分にはコンピューターや大型スクリーンなどの様々な最新機器が並んでいる空間があった。その空間で電話を切ったシオ・カワスミが軽く息を吐いてからデスクに置いてあったチョコレートを口にしたとき、ツキヒコと同じように電話でシオに呼び出されたタイチ・イシグロが部屋に入ってきた。イヤホンで音楽を聴いていたタイチは細長い身体を揺らしながらシオに近づいて来る。
「お疲れ、シオ」イヤホンを外したタイチはオフィスの周囲を見回してから言う。「まだ、全員集合ってわけじゃないみたいだね。あと一章分くらい本を読んでいてもよかったかな」
「オフィスにいたわたしとミヅキを除いたらあなたが一番ね。おめでとう。賞品としてこれをあげるわ」
シオは自分のデスクに置いてあったチョコレートをタイチに渡した。タイチはありがとうと言って、チョコレートを口に入れた。
「美味しいね、これ。口の中だけじゃなくて身体全体がとろけそうだよ。死ぬ前にこんな美味しいものを食べられてよかった。この世に未練が残らなくて済みそうだ」
「逆に未練が残っちゃうかも」シオは声を出して笑った。「でも、災難だっわね。せっかく今日は早く帰れたのに」
「別に構わないよ。離婚の危機に瀕しているお父さんみたいに家族サービスをしなくちゃいけないツキヒコと違って、家にいたって何もやることがないからね。相変わらず無趣味ですよ、ぼくは。羨ましいよ、音楽という趣味があるシオがね」
シオとタイチがミマサカ機関中央支部第二エリアに配属されてから半年以上が経つ。故に、お互いの趣味くらいは知っている仲だった。タイチは無趣味。シオはギターの演奏が好きである。
「タイチだって音楽を楽しんでいるんじゃないの? いつも音楽を聴いているじゃない。読書だって好きだし」
「確かに音楽を聴いている時はそれなりに楽しいけど、あくまで『それなり』だよ。没頭するって言う感じじゃない。受動的な趣味もいいけど、能動的な趣味も重要だよ。結局、ぼくが楽しんでいる音楽は人に与えられたもので、自分で作りだしたものじゃない。だから達成感という快感を味わうことは出来ないからね。読書も同じだよ」
「受動的な趣味でも十分感動という快感を味わうことが出来ると思うけど」
「種類が違うんだよね。もちろん、どっちが上とか下とかはないけど、両方味わえるならそれにこしたことはないでしょ。カツ丼も蕎麦も好きだけど、もっと大きな感動を味わいたいから両方食べる理論ってやつ」
「ああ。わかりやすいかも、それ」
「でしょ」
「ねえ、だったら今度、ギターを教えてあげるわよ。それで曲でも作ってみれば? たいていの女の子はギターが弾ける男を悪くは思わないわ」
「ありがと。今後、ぼくに恋心がめばえたら声をかけさせてもらうよ。もしかしたらぼくだけじゃなくて、ぼくの子孫までシオに足を向けて寝られなくなるくらい感謝をする日が来るかもしれない」
じゃあ、と軽く手をあげて自分のデスクへと向うタイチを見送ったシオは、デスクでパソコンの画面を見ているミヅキの元へと向かった。スラリとしたモデル体型のシオは歩くだけで絵になる魅力の持ち主だが、本人はまるでそれを自覚していないし、周りが彼女に憧れの眼差しを向けていることにも気が付いてはいない。
「偉い偉い支部長様から何か連絡はあった?」
シオの問いかけに、ミヅキ・タチバナは首を振った。モデル体型のシオとは対照的に、小さな小動物を思わせる愛くるしい小柄な体系のシオの表情には感情がなかった。別に病気と言うわけではないし、不機嫌だと言うわけでもない。彼女はいつもマイペースで周りの環境に影響されて感情を乱すということがないだけだった。
「シオからとてつもない甘い香りがする。わたしの許可なくチョコを食べたでしょ?」
「ええ。ミヅキも食べる? 今週発売された新商品なんだけど、もう一回、買ってもいいって思うくらいには美味しいわよ」
「わたしを誰だと思っている。食べないはずがない」
すっと、手を差し出してくるミヅキにシオはポケットに忍ばせていたチョコレートを一つ手渡した。シオはミヅキがチョコレートを要求してくることをわかっていたため、あらかじめ用意していたのだ。個包装されていたチョコレートを受け取ったミヅキは袋を開けて口に入れる。
「うん。悪くない。給料日前でも五十円までなら出してもいい」
「その感想を聞いたらメーカーはきっと喜ぶわ。それ、三十円だから。あれ。でも、今はマッチを売るか物乞いをしなくちゃいけないほどお金がないんじゃなかったっけ? 五十円も払えるの?」
「安心していい。休み時間の教室で誰かに声をかけられるのを待っているシャイなわたしにも、五十円くらいお金を貸してくれる親友ならいる」
「いい親友ね。どんな人なの?」
「閉店間際まで残されたお惣菜みたいな人」
「ええっ」
「誤解しないで欲しい。人の数だけモノの見方はある。この世で最も手に入れたいものは何と訊かれて、閉店間際まで残されたお惣菜と答える人間もこの世にはいるから」
「しゃくぜんとしない……」
こんなふうに少しだけ世間話をした後、再びシオは支部長からの連絡の有無を訊ねた。
「偉い偉い支部長様からの連絡はない。一応、ミーティングを円滑に進めるために支部に資料を請求してみたけど断られた。もしかしたら支部長が情報の拡散を止めているのかもしれない」
「拡散防止の情報って何? 核兵器関連じゃあるまいし」
「さあ。偉い偉い支部長様が女王様に鞭で叩かれている写真や動画かもしれない」
「なるほどね。それだったら支部に資料を請求しても断られるわね。核兵器以上の破壊力だわ」
「ツキヒコとは連絡取れた?」
「取れたわ。ちょっとタイミングが悪かったみたいだけど。なんか機嫌が悪かったみたいだし」
シオの言葉を聞いて、ミヅキは淡々と告げる。
「いつも通り。生きると言う苦行を強いられた人間が、夢から覚めるみたいに」
「そう? 普段のツキヒコは穏やかだと思うけど。春の風みたいに」
「ちょっと何言ってるかわからない」
呆れるようにため息を吐くミヅキに、シオは顔を赤くして言う。
「ああ、もうっ。わたしだってたまには比喩の一つくらい言うわよっ。ちょっと上手くいかなかっただけじゃないっ」
「上手くいかないどころじゃない。もはや手首を切るレベル」
「そこまでいうことないのに。どこが悪いって言うのよ」
「春の風が穏やかだと思うお花畑的な脳内を晒してしまうことが恥ずかしいとは口が裂けても言えない」
「言ってるじゃないっ」
「まあ、お花畑でもお花摘みでもどっちでもいい」ミヅキは軽く首を振った。「いつも通りなのはツキヒコじゃない。シオのこと」
どういう意味、と首を傾げるシオにミヅキは言う。
「ずっと思ってたんだけど」シオは感情のない表情をミヅキに向ける。「シオって録画していたテレビを観ている時にインターホンをならす配達員みたい」
「どういう意味?」
「まずは自分で考える。それでもわからない場合は、ググる。友達がいない人間はみんなそうする」
「友達じゃん、わたしたちっ」
「だから違うって言ってる。わたしたちは友達じゃない」
「ああ、そうだっ。親友だったっ」
「忘れるなんてひどい。もう人を信じられる気がしない。やっぱり信じられるのは自分だけ。人間、孤独からは一生逃れられないらしい」
わざとらしく大きくため息を吐いたミヅキは、デスクから離れて窓際へと向う。ちょっと待ってよ、と追いかけてくるシオに窓の外に目を向けていたミヅキは言った。
「待ち人が来た」
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