第20話『襲撃』




 困惑している私を他所にキリカがロッドをしまい、伏し目がちに近寄って来る。

 ベッドの上でキリカから距離を取ろうとするが、キリカの突発的な行動で阻止されてしまった。


「き……キリカちゃん?」

「……」


 私は、ベッドの上にキリカによって押し倒されていた。

 腹部にキリカが跨っているので、立ち上がろうにも立てない。

 私の顔の両側に、キリカが両手をついている。瑠璃色の瞳が、目を見開いた私の顔を映している。キリカの長い髪が、私の首筋に触れてくすぐったい。

 さて、現実逃避はこれ位にして――。

 どうして私をキリカちゃんが、押し倒してるんですかね?

 あれ? 本当にどうしてこうなってるのコレ? ちょっと、キリカちゃぁああんッ!! 


「ええっと、退いてもらえ……なさそうだね?」

「シャリオン様の目には、私はどう見えているのですか?」

「どうって……優しくて、可愛い、加護欲をかき立てられる女の子?」

「一人の女……としては見てくれないのですか?」


 キリカの声が震えた。

今にも泣き出しそうなその表情に、胸が痛んだ。

 『一人の女』で見て欲しいって事だよね? それって、つまり……。


「シャリオン様は、ローウェル様のような美麗な男性がお好きなのですか? 女性に興味が」

「いやいやいや! 違うよ、師匠はペット枠だから! ライクであって、ラブじゃないよ。私は断じて、ゲイじゃないからね?」

「それなら、私を……」


 『抱いて下さい』――、キリカが私の耳元に唇を寄せて、囁いた。

 熱い吐息と『抱いて』の甘美な囁きが、鼓膜を振るわせる。

 その甘い振動が脳みそにまで浸透して、頭がクラクラする。

 お酒を飲んで、ほんのり酔った時の心地良さに似ている。

 ああ……この心地良さに身を任せて、このまま流されてしまいたい。

 焦点の合わない目でキリカを見上げていると、キリカは俯いたまま、上体を起こした。さっきまでの至近距離が名残惜しい。

 お互いに密着している部分の肌が熱を帯びる。

 キリカの背後で背伸びをしている『息子』のテンションも最高潮だ。

 脳内に巣くうあのセミ芸人臭を醸し出す天使と悪魔が、スタンバってるのも感じる。

 収拾がつかなくなるから、お前らは出てこなくていいよ。




 私に馬乗りになったままのキリカが、次の行動に移った。

 浮気の胸元を留めているリボン状の帯をシュルリと解いて、前合わせに手をかけたのだ。

 キリカの白い肩がほんの少し露出した所で、私は腕を伸ばしていた。

 上着を脱ぐキリカの両手首を掴んで、次の動作を阻む。


「待った!」

「待てません! は、離して下さい! 勇者様を慰めるのも、巫女の立派な務め……私にだって、それくらい」

「でも、その割には震えてるよ? キリカちゃんの身体」

「私だって……私だって、もっとシャリオン様のお役に立ちたいんです!」


 自分も上体を起こして、馬乗りのキリカと向かい合う。

 大袈裟なくらいビクリと大きく肩を震わせたキリカは、目を合わせようとしない。

 私の自室は、このムーディーな雰囲気に反して、午後のたおやかな日光が差し込み、そよ風でカーテンが揺れている。

 その明るさと静寂が痛い。

 こう言う時って、薄暗くて密閉度と防音対策が万全の部屋にいるべきだよね。


「キリカちゃんさ、そっちの経験あるの?」

「ありません……」

「だよねぇ。当たり前だけど、私もない」


 やっぱり、処女だよね。

 16歳で、巫女で、男性に免疫のない女の子が非処女だったら人気A○女優になれるよ。

 それにしても、奇遇だね。私も処女だよ……いや、男になったから童貞か。

 前世で彼氏みたいなクズがいたけど、そこまで展開する関係じゃなかった。


「初めてってさ……女の子の人生の中で、凄く大事な体験だから。キリカちゃんが本当に、心から好きになった人としなきゃ。勇者の世話役だからって、好きでもない勇者にバージンあげるなんて間違ってる。私は、そんな愛のない、ビジネスライクな情交は御免だよ」

「シャリオン様のためなら、何でも来ます。この身体も……」

「そう言うの私が無理。私達は出会ってまだ3日、気心知れた関係ですらないでしょ? 人となりが分からない女の子をがっつくほど、飢えてない。私を馬鹿にしないで」

「そんな馬鹿になんてッ! 私はシャリオン様の事がッ……」

「なら、こうしよう。あと4年――、キリカちゃんが二十歳になっても運命の人が現れなかったら、その時は……」


 『私が責任を持って、キリカの初めてを貰ってあげる』――。

 お返しとばかりに硬直するキリカの耳元で、我ながらワザとらしく囁いた。

 ひゃぁああ、ホストクラブのNo.1ホストがお客さん口説く時って、こんな感じなのかな? 

 恋愛漫画に有りがちなシチュエーションだけど、実際に男側になってやってみると面白いなコレ。 

 キリカを抱く気なんて、私には更々ない。

 4年も経てば、彼氏の1人や2人出来るだろうし、こんな約束はすぐに忘れてしまうだろう。

 キリカの乱れた服をさり気なく戻して、微笑みかける。

 泣きそうな顔をしていたキリカだが、ぎこちない表情で笑い返してくれた。

 その表情を見て、ホッとした。


「もしかして、私が師匠にベッタリだから、ヤキモチ妬いてる?」

「う゛ッ……」

「ふむ、模範解答な反応をどうもありがとう。ヤキモチ妬いてくれるのは、男冥利に尽きるんだけどさ。キリカちゃんには師匠よりも先に出会ってるし、全裸見られてるし……師匠より、キリカちゃんとの方が深い仲になってるよね? しかも師匠は、私の専用武器だし、男、ってかオス? だし……」

「あ、あの!」


 『息子』が残寝そうに着席をしたのを知覚して、私はキリカとの出会いや関係の方が、ローウェルとの関係よりも深いだろうと例を挙げて諭してみる。

 その途中、改まった口調でキリカが右手をビシッと上げた。


「では……私ももっと、シャリオン様に甘えても良いんでしょうか?」

「エヘヘ、そんな甘えるのに許可取らなくて良いよ。いつでも甘えてきなさい、シャリオンお兄さんが思う存分、キリカ嬢を甘やかして進ぜよう!」

「ほ、本当ですか!?」

「シャリオン、嘘言わない。何なら今、この場で甘やかしてあげるよ?」


 冗談交じりのニヤ気顔で両手を前に構えて、指をワキワキ動かす。

 そんな私を見たキリカが「ぷっ」と噴出した。

 お互いの貞操を失う、最悪の危機は脱せた。後は、馬乗りになっているキリカを降ろして、一緒にリビングに行けば良い。

 行ったら、お茶でも飲んで見回りに行ったローウェルの帰りを待とう。

 一通りのスケジュールを組み立てる。

 キリカに退いてもらおうと身動ぎし、ふと窓の外に目がいった時だった――。




 平和な脳内に《第六感》の警告音が、世界の終焉を告げるのトランペットの音色の様に鳴り響いた。




《警告――。隠れ家周辺、約50mの範囲から狙撃を確認》


 は?


《クロスボウによる連射攻撃と判定。矢には【風】の属性魔法が付与され、威力は通常攻撃のおよそ2倍――》


 何その、ポイント2倍みたいな言い方。


《敵の【妨害】魔法により、索敵失敗。着弾まで、後2.5秒――ベッドの下に回避して下さい》


 それを最初に言おうか!



 この長い警告文の情報を0.1秒で強制読解させられるんだから、頭の中は当然大パニックだよ。さらに正体不明の敵に野外から攻撃されてるんだから、パニックが二割り増しね。

 後先考えずに、キリカちゃんを素早く抱きしめる。

 腕に力を入れ過ぎたらしく、キリカちゃんが「ひゃ!」っと短い悲鳴を上げるが、謝っている暇もない。

 ごめん、キリカちゃん! 説明している暇はないんだ!!

 そのままこの状況を理解できず、私の名前を連呼するキリカと、なし崩し的にベッドの下へと転がり落ちる。落ちる際、キリカが下で私が上に覆いかぶさった。

 キリカが頭を打っても大丈夫な様に、気休めだがその後頭部を右手で覆った。

 ドスンと床に落ちた瞬間、部屋が瞬時にして惨状に変わる。

 




 ガラスが派手に割れ、連射された矢が窓枠を無残に抉る音――。

 壁に机、扉、ベッド、部屋のありとあらゆる物に矢が深々と突き刺さる音――。

 私の身体で視界を塞がれ、見えない恐怖で泣き叫ぶキリカの悲鳴――。

 音声多重で、耳が音を拾いきれていない。

 私の服を掴むキリカにガラス片や木片が当たらない様に、全身で庇うのが精一杯だった。

 



 容赦ない矢の連射攻撃が止んだ。

 ベッドから身体を出さない程度に、低い体制で起き上がる。

 部屋の中をぐるりと見回すが、酷い有様だ。

 近くの床に刺さった矢は、私が腕を伸ばしたくらいの長さがある。

 主の危機だと言うのに、ローウェルが飛んでこない。まさか、正体不明の敵にローウェルも……いやいや、それはないだろう。

 彼は歴代の勇者に仕えた優秀な『神器』、魔刀ローウェルだ。

 たぶん、どこかに隠れて反撃の機会を伺っているのだろう。

 ここで私は違和感を覚え、ハッとする。下敷きにしていたキリカがいやに静かだ。

 

「キリカちゃん? キリカちゃん、しっかり!」


 髪や服が乱れたキリカは、目を閉じてピクリとも動かない。

 焦りを押さえつつ、頬を軽く叩き、胸に耳を当てる。心臓はちゃんと動いているし、鼻に指を当てれば、呼吸も確認できた。

 良かった、気を失ってしまっただけみたいだ。

 キリカの無事を確認して、ベッドの淵から周囲の状況を確認しようと少しだけ顔を出してみた。

 ジャリッと、防犯対策に敷かれた砂利を踏みしめる音がした。

 しかも、音がしたのは壊された窓のすぐ傍だ。自然と視線が音のなった方へ引き寄せられる。

 大きな風穴と化した窓の外に、一人の少年が立っていた。

 目が合うと、その少年は憎憎しげな表情を浮かべ、私にこう言った。


「……ぶっ殺してやる」

「殺すですって!? 私が君に何をしたって言うんだ!?」


 おいおい、開口一番の第一声がそれですか!? 

 少年よ。君はお家で、どんな教育を受けてきたんだい?




 まず、現れた少年を注意深く観察してみた。

 スマートマッシュと襟足の長いプラチナショートを組み合わせた柑子色の髪は、右側の横髪だけが肩より長く垂れている。

 パッチリ二重にキリッとつり上がったエメラルドグリーンの瞳。

 見た目からして、キリカと同い年くらいか。

 そんなローウェルとはまた違った部類のイケメン少年が、物凄い形相で私を睨んでいる。

 少年の服装は、頭に幅広で群青色の金属製カチューシャ。

 服は半島の伝統的な男性の民族服であるハンボクに似ている。その裾がヒラヒラした服の上に皮の防具を装備している。腰や肩に巻かれたベルトには、様々な形状の小さな刃物が1本ずつ収納されている。

 手には、長さにして約1mほどのクロスボウが握られている。

 クロスボウの知識がまるでない私でも、黒と灰色の迷彩柄の本体に、銀の装飾が施されたそれは、持ち主の趣向でカスタマイズされているのが一目瞭然だ。

 軽いけど、丈夫で長持ち。殺傷力を限界まで極振りしてそう。

 壁に刺さった無数の矢は、あのクロスボウから放たれたと思って間違いないだろう。

 あの一瞬で、これだけの数の矢を撃ち込んだのか?

 てか、この男の子は何者なんだよ!?


「チッ、全弾回避か……無駄撃ちになったな」

「あの……ど、どちら様ですか?」

「お前みたいな奴に名乗る名前なんてないね。とっとと、その人を解放しろ。そして、大人しく僕に殺されろ」


 男の子のあまりの言い草に、言葉を失ってしまった。

 分かったぞ。この子……今流行の『サイコパス』だな。

 気を失ったままのキリカを抱き寄せて、どう逃げるか必死に考える。

 すると、少年の表情が一層険しくなった。


「その薄汚い手で、その人に触るなッ!!」


 周囲の空気をビリビリ震わせる少年の怒号。怒鳴ると言うより咆えるだ。

 うっそー。激昂すると見境なく、何か仕出かすタイプか?

 キリカ「その人」と呼んで「渡せ」と言ってくるあたり、狙いは彼女なんだろうけど……。どう言う関係なんだ? まさか、ソルシエール家と敵対している人物で、キリカを人質にするために攫いに来たとか? でも、殺気の攻撃の仕方だと下手をすれば、キリカもただでは済まなかった。

 ううむ……目的がまるで分からんぞ?

 少年と私、睨み合いの静寂、先に動いたのは少年だった。

 目にも留まらぬ速さで手にしたクロスボウを私に向かって構え、矢を装填した。

 あまりの速さと考え事のせいで、反応が一瞬遅れてしまった。


「死ね」


 ああ、なんと残酷な響きか――。

 少年は、躊躇無く引き金を引いた。


《連射攻撃、来ます――。セーフラインまで回避して下さい》


 そして、この至近距離でキリカを抱えてどう避けろと言うんだ、《第六感》よ?

 回避なんて無理だ、絶対間に合わない。

 観念して「クッ!」と歯を食いしばると、気を失ったままのキリカを庇った。

 絶体絶命のピンチを何回迎えれば良いんだよ! 一生にそう何回も遭遇するものじゃないだろ? 

 勇者だからか? 勇者に転生したから、こんな命の危機が目白押しなの!?

 そんなのただの横暴じゃん!!





「やれやれ、世話の焼ける」


 「ヒーローは遅れてやってくる」――、誰かがそんな風に言っていた。

 実際、私達のヒーローは、本当に遅れてやってきた。

 聞き覚えのある気だるげな声に、硬く閉じた目を薄く開けた。

 私に向かって矢を放とうとしていた少年がハッと何かに気付き、攻撃を中断してその場から消えた。

 その直後、少年がいた場所に黒い塊が落下し、土煙を巻き上げる。

 土煙に咽ていると、黒い塊がゆっくりと立ち上がり、壁の穴を乗り越えて部屋に入ってきた。

 その影には、特徴的なピンと立った三角形の耳があった。

 私は、嬉々としてその影に呼びかけた。


「師匠ッ! 遅いよ、何してたの!?」

「不穏な気配を森から感じてな、周囲の警戒をしていたのだ。まさか、ここまで進入を許してしまうとは……小生も勘が鈍ったな。ん? 巫女はどうしたのだ?」

「私達、殺されるとこだったんだから! キリカちゃんは、さっきのサイコパス君に攻撃されたせいで、気を失っちゃたんだよ。可哀想に……」

「はぁ、この非常時に気絶で役に立たんとは……。その辺に寝かせて置け」

「え? でも……」

「でも、ではない。今は、あの不届き者の相手をするのが優先だ」


 冷静に状況判断をしながら、ローウェルは顎をしゃくった。

 視線の先、少し離れた木陰でキラリと何かが光った。


《敵の狙撃です――、回避して下さい》


 《第六感》が危険を告げる。

 私が動くより早く、ローウェルが動いた。《第六感》のマーキング効果で、放たれた単発の矢が音速で飛んで来るが可視化する。うわ、早過ぎるよ。

 床に蹲る私とキリカの前に立ったローウェルは、矢が放たれても全く動じていなかった。


「《神速》」


 そうローウェルが呟いた時には、顔の横で直角に曲げた手に、放たれた矢が握られていた。矢とローウェルを交互に見ている私の前で、それを呆気なく手放す。

 カランと乾いた音を立てて、金属製の矢が床に落ちる。

 君は、もの○け姫の呪われた主人公ですか?

 相手など眼中にないのか、ローウェルは私に振り返って、


「良い時宜に練習代が現れたな。行くぞシャリオン、《響命》で迎え撃つぞ」

「師匠、マジかっけぇ……って、あのサイコパス君と戦うの!? 正気ですか?」

「あちらの殺気は本物だ。ならば、こちらもそれに答えるまで。それが礼儀だろう?」


 目を細めて、淡々と言った。

 勇者と正体不明の狙撃手――、予期せぬ戦いの火蓋を切って落とされた。




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