第17話『大掃除』
目の前に座るキリカは、目をキラキラさせながら頬を紅潮させている。
朝食のパンをモグモグと咀嚼しているその顔は、頬袋にエサを詰め込んだハムスターを彷彿とさせる。
ローウェルは、人の姿で私の隣の席に座り、サラダを機械的な動作で口に運んでいる。
朝食を始めてからずっと無表情な所を見るに、野菜が苦手なのかもしれない。
犬にオニオンスープは与えるのは、如何なものかと思ったが、至って普通に食べている。
犬獣人は、半分人間だから玉ねぎを食べても血尿はでないのかもしれない。
私、お手製の朝食への反応が天と地ほども違うこの2人、どちらに感想を聞くべきか。
半熟の卵を咀嚼しながら、チラチラと前と横に視線を彷徨わせる。
この気まずい状況を打開してくれたのは、
「シャリオン様のお料理、とても美味しいです。お料理がお上手なんですね!」
「え、そうかな?」
「はい、特にこのトロトロの半熟の卵とチーズの組み合わせが癖になる味です。毎朝食べても、きっと飽きません」
「そこまで褒められるほど、手の込んだ料理じゃないんだけど……気に入ってくれたなら、良かった」
口の中の物をゴクンと飲み干したキリカだった。
彼女は、私の料理を大層気に入ったようで、皿に毀れた卵の黄身まで舐めそうな勢いだ。
それまで静かにスープを飲んできたローウェルも、私達の会話に混ざってきた。
「ソルシエールの巫女よ、何か勘違いをしていないか? 本来はお前が朝食を作り、勇者の体調管理をするのだぞ? お前がシャリオンに養われていては、本末転倒だ」
「あ、ええっと……それは、その、申し訳ございません」
「やめなよ、師匠! 小言なら後にしてよね。食事が不味くなるじゃん」
「シャリオンも巫女を甘やかし過ぎだ。それでは、お前のためにも、こやつのためにならん」
小姑モードに入ったローウェルの叱責で、シュンと項垂れてしまったキリカ。
何故キリカに甘くするのか? 理由は簡単だ。
私はキリカの歳の頃、調理の『ち』の字も無かった。家事は全て母親任せで、食べた後の食器すら洗った事が無かった。
そんな私でも今では一丁前に家事炊事が出来る。必要に駆られれば、家事なんていつでも覚えられるのだ。
むしろ、寝坊をしても朝食を作ろうと部屋から飛び出してきたキリカの意欲は立派だ。
ローウェルよ、叱ってばかりでは人は伸びないんだよ。
特に女の子は、褒めて伸ばすんだよ。
私はローウェルを無視して、微笑みながらキリカにスープのお代わりはどうかと尋ねる。
「お代わり」と聞いてキリカがパッと顔を上げたが、怖い顔をしているローウェルの手前、遠慮しているのかブンブンと頭を横に振った。
しかし、その目は物欲しそうにしている。よし、助け舟を出してあげよう。
「残っちゃっても勿体無いから、2人ともお代わりしてよ」
「え、でも……」
「はいはい、つべこべ言わずに食べる! 完食がノルマでーす」
「まったく……シャリオンに免じて、今日の失態は不問とする。だが、明日からは巫女が朝食を作れ。分かったな?」
「キリカちゃんの手料理かぁ、楽しみだなぁ」
「は、はい! その、頑張り……ます」
2人に背を向けて、スープのお代わりをよそる私は笑いを堪えていた。
ローウェルは私に、私はキリカに甘い。
そしてローウェルはキリカに、私はローウェルに厳しい。実にバランスが取れた三竦みだと思う。
結局、私達3人の胃袋に朝食は全て収まってしまった。
「シャリオン様、ご馳走様でした。食器洗いは私にお任せ下さい」
「馳走になった。小生は外にいる。用があれば、呼べ」
「はい、お粗末様でした。キリカちゃん、食器洗うの手伝うよ。いってらっしゃい、師匠」
「それにしても――、」
「どうされました? もしかして、冷たいお茶がよろしかったですか?」
食器を片付けた後、キリカが3人分のお茶を入れているのを私はじっと眺めていた。
私と目が合うと、キリカは耳まで真っ赤になって困った表情をした。
手元が震えて、お茶がテーブルに毀れそうになっていたので、慌てて視線を逸らした。
椅子に腰掛けて、家の中をグルッと一周見渡す。
そして、ポロッと漏れた独り言をキリカは聞いていたらしい。
「いや、ホットで良いよ。この隠れ家さ、広い家なのに綺麗にしてあるなーって。毎日、お掃除大変でしょ? あ、もしかして掃除用の便利な魔法があるの?」
「へっ!? そッそそそ,そんな事ありませんよ!? お、おおお掃除は小まめに……ち、ちゃんと、しています!」
ガチャンとキリカの手元から嫌な音がした。
気付かれないように横目で見ると、ティーポットの蓋を落としていた。幸い、カップは無事だった。そんな動揺しなくても……でも、今の大袈裟な反応で私の中にある『疑念』が生まれた。
ははは、流石にそれは無いと思いたいんだけど……。
その不安の元を探るべく、椅子から立ち上がった私は、スタスタとリビングを横断する。
キリカの視線が私を追っているの感じた。
勇者が幼少期を過ごすために建てられたこの隠れ家には、キッチン、リビング、トイレ付き洗面所以外に部屋が5つある。
一番奥からキリカの部屋、私の部屋、来客用の空き部屋、書庫、倉庫だ。
私は後ろ手を組んで、ゆっくりと各部屋の前を通過する。たまにワザとその前で止まってみたりする。
その度にキリカの表情を盗み見る。
キリカの部屋、私の部屋の前では表情に変化なし。ここであえて隣の空き部屋を飛ばして、奥の倉庫から攻める作戦に出る。
キリカが急にそわそわし始めた。
倉庫の前は問題なかった。が、書庫の前で止まった瞬間、キリカが息を呑んだ。
「わぁ、書庫かぁ。一体、どんな本があるんだろー? この世界について、もっと知りたいから読みたいなぁー」
「あ! そ、そこは駄目です!!」
自分でも失笑レベルの棒読みで、独り言の声を張り上げる。
キリカが弁解する前に、目にも止まらぬ速さでドアノブを掴み、ドアを乱暴に開いた。
ドアを半分ほど開いたタイミングで、昨日振りに《第六感》が発動した。
《危険――、室内に収納されていた荷物が倒壊します。ドアの裏側に回避して下さい》
ドアが開いたのと同時に、部屋に押し込まれていた物がドドドッと雪崩になって襲い掛かってきた。
さっとドアの後に避難すると、どうやってこれだけの量の荷物を押し込んだのか、これも魔法なのか!? と錯覚してしまう程の大量の荷物が廊下を越えて、リビングにまで押し寄せた。
服や本、大量の紙の束、割れた食器や花瓶などの家具、果ては正体不明の物体が積み重なっている。無言で振り返ると、キリカが真っ青な顔で硬直していた。
私は心を鬼にして、雪崩を跨ぐと書庫の隣の空き部屋のドアも開け放った。
同じく大量の荷物がゴロゴロ出てきた。
埃が舞い上がる室内に沈黙が流れる。キリカは唇を噛み締めて、視線をあらぬ方向に泳がせている。私はこの状況を見て、なんと切り出すか考えていた。
そこへ先程の音を聞きつけたローウェルが、玄関から血相を変えて駆け込んできた。
「どうした、何がった!? 敵襲かッ!……む、これは?」
「……キリカちゃん」
「はうう……これは、その」
人はこれを掃除済み、または収納とは呼ばない。
外観や人目に付く場所は綺麗に整頓されていたが、蓋を開けてみれば、ゴミ屋敷だった……なんてのは、別段珍しくもない。
現にこの隠れ家がそうだ。
「何も言わなくていいよ。一緒にお掃除しようか? 申し訳ないんだけど、師匠も手伝ってくれる?」
「はぁ……巫女よ、貴様は小生をどこまで失望させれば気が済むのだ?」
「ううう、すみません」
「はいはい、口動かす前に手を動かしてね! キリカちゃんは掃除道具を持ってきて。師匠は私と一緒に荷物の運び出しだよ。はい、各自解散!」
私の号令で、各々がパッと散った。
涙目で掃除道具を取りに行ったキリカが、『汚部屋』女子である衝撃の事実が発覚してしまった。まぁ、良いとこのお嬢様だし、仕方ないのかもしれない。
今日一日は、掃除で終わってしまうだろう。
何より問題視しなければいけないのは、キリカとローウェルの関係が険悪になりつつある事だ。これはマズイ、何とかせねば……。
私は誰にも聞かれない様に、心労から来る溜息を飲み込んだ。
口と鼻を布巾で覆った私とローウェルは、荷物が全て運び出された書庫を掃除していた。
ギッチリ詰まっていた荷物は、明らかにゴミと思われる物をとりあえずローウェルと手分けして、外に出した。
お冠中のローウェルが罰として、荷物の餞別作業をキリカ一人にやらせている。
キリカの鼻を啜る音と「これは一体、なんなのでしょう? うう……」と言う呟きをBGMに、私とローウェルは部屋の掃除をするとにした。
「ソルシエールの血筋も、地に落ちたものだ。この惨状をレナが見たら、何と言うか……」
箒で床を掃くローウェルがぼやく。
私は本棚の上を雑巾で拭きながら、ローウェルをなだめる。
「まあまあ、そう怒らないで。て言うか、師匠ってレナ様と面識あるの?」
「面識があるも何も、小生はレナの愛刀だった」
「え? 何、その実は俺、初代勇者兼巫女の愛人だったんだぜ……見たいな暴露話!?」
衝撃の事実を聞いて、棚から転げ落ちそうになった。
幾つになっても女と言う生き物は、人の色恋沙汰に興味を示す。
私も例外じゃない。武器と勇者のラブロマンスなんて、今ここでしかお目にかかれないだろう。
ローウェルは手を休める事無く、口を動かす。
「レナと小生の関係は、そんな粗慢なものではない。決然たる主従関係だ」
「ねぇ、レナ様ってどんな人だったの? 師匠はレナ様のこと、どう思ってたの?」
「お前、何を期待しているのだ? 喋っている暇があったら、手を動かせと言ったのはお前だぞ?」
「掃除もちゃんとするから! いいから、質問に答えてよ」
「レナは……寡黙な女だった。だが、人徳と幅広い人脈を持っていた。才色兼備と言う言葉は、まさにレナのためにあった。魔術、武術、戦術から果ては子育てまで、全ての技能に精通する兵法家でな……まさに史上最強の勇者だった」
産みの親でもあるレナの事を、自慢げに語る。
その姿は、見た目相応な少年にしか見えない。
直立不動な犬耳が、かつて無いほどアクティブに、パタパタと忙しなく動いている。
うんうん、レナ様が大好きなんだね。
「もっとも小生が出会った時点で、レナはすでに齢212だった。歳の割には元気だったがな。この世に顕現したばかりで、歩き方も言葉も分からん、赤子同然の小生を伴って、レナは諸国を放浪した。小生にとって、レナは恩師であり、母親の様な存在だった」
「待て待て待て、待って! 212歳ってお母さんどころか、お婆ちゃんすら凌駕してない!? 人間辞めちゃってるじゃん!」
「レナは……半世紀生きた時分に憑魔と契約し、次の勇者が現れるまで、その時の姿のまま延命していた」
『憑魔』――、また新しいオリゾン・アストル用語が出てきたよ。
忙しなく動いていたローウェルの手が止まった。握られた箒の柄が、ミシリと嫌な音を立てる。
苦虫を噛み潰した様な苦悶の表情を浮かべ、何もない宙を睨んでいる。
あれ、会話の流れ変わった?
「憑魔って何? なんか、ヤバそう」
「憑魔とは、禁術となった特殊召喚術によって呼び出すことが出来る精霊……の出来損ないだ。憑魔と契約した者は、強力な魔力と生命力を得て、半永久的に生き続けられる」
「つまり、レナ様が最強の勇者になれたのって、その憑魔のおかげ?」
「違うッ!! あんな忌々しいモノは、レナには必要なかった!!」
ドンと荒々しく床を箒で突いて、いきなり声を荒げたローウェル。
たぶん、リビングで作業中のキリカにも聞こえただろう。
私を見上げるローウェルのギラつく瞳、それに私は見覚えがある。
今のローウェルの目は……誰かを恨んでいる時の目だ。
恨んで、憎んで、罵って、終いには相手を殺したいとまで思っている人間の目だ。
「憑魔との契約には、大きな代償が付き纏う。眠る度に『影踏み』と言う悪夢を見るのだ」
「影踏みって……オニに影を踏まれたら、負けって遊びだよね? それが悪夢なの?」
「ああ、憑魔共は『影踏み』を、実に愉快な遊戯だとほざく。だが、あれは遊びなどではない……逃げ場のない夢中で、契約者の命を執拗に狙う。言わば、憑魔の仕組む出来レースだ」
ローウェルの口から「出来レース」と言う言葉が出てきた事に驚きながらも、夢の中の『影踏み』でどう命を食らわれるのか、イマイチ連想できない。
「どう言う事?」
「私がご説明致します……いえ、させて下さい」
「あれ、キリカちゃん?」
第三者の声が割り込んできた。
声を頼りに振り返れば、書庫の入り口前にキリカが立っていた。
真剣な面持ちで、胸の前で掃除用の布巾を両手で握り締めていた。
「巫女よ、お前には選別作業を指示したはずだが? どうせ、終わっていないのであろう?さっさと持ち場に戻れ」
「い、嫌です! こんな私だって、巫女なんです! レナ様の事なら……」
「黙れッ! 貴様が気安くレナの名を口にするな!」
「やめろ、ローウェルッ!!」
私はキリカに食って掛かるローウェルを一喝した。
女々しい口調から一転、男らしい鋭い怒声にキリカだけで無く、ローウェルも弾かれたように私を見る。
ローウェルを呼び捨てにしたのは、他でもない私だ。
呼び捨てにされた本人は、ギリッと歯軋りしながらも大人しく口を噤んだ。
沸き上がってくる罪悪感に蓋をする。
2人が言い争う光景は、見たくない……それが私の本望だからだ。
「キリカちゃん、説明してくれる?」
「シャリオンッ! 何のつもりだ!?」
「師匠はちょっーーと、黙ってようか? んん?」
昔々、まだ私が中学生だった頃……数少ない友人の一人が「アンタって、マジ切れするとヤバイよね」と、実に抽象的な表現で私のマジギレの怖さを説明してくれた。
私の無言の圧力で、あのローウェルが黙った。
さあ、キリカちゃん話して良いよ! の意を込めて、彼女を見たが、キリカは可哀想なくらい震えていた。
こっちにまで、被害が及ぶとは……二次災害か。
「ひ、憑魔の『影踏み』と言うのはですね。睡眠中の契約者の夢に憑魔が現れ、オニとなって契約者を一晩中追うのです。タイムリミットは朝日が昇るまで。契約者が逃げ切り、目覚めれば、その日一日、憑魔の強大な魔力を無制限に扱えます。ですが逆に、憑魔が契約者の影を踏めば、たちどころに命を奪われ、悪夢から目覚める事無く死を迎えます。それが毎夜続くのです」
「はぁ? 毎晩、夢の中で影踏みやるの!? そんなの寝た気がしないし、負けたら永眠ってハイリスク・ローリターン過ぎやしないかい?」
その話が本当なら、契約者は不眠不休じゃないか。
貫徹経験者の私から言わせて貰うと、3日で確実に意識が朦朧としてダウンする。
絶対に逃げ切れない。ローウェルが出来レースと言ったのにも納得だ。
キリカの説明に、不足があると言わんばかりにローウェルが補足を入れた。
「憑魔にさえ捕まらなければ、永久に生き続けられる……そう言う契約なのだ。ただし、その辺の凡人では、逃げ切るだけの精神力と集中力が続かず、長くもって3日だ」
「レ……初代巫女様は、ご結婚後も勇者としての勤めを続けられました。憑魔を独自に研究し、呼び出す召喚術式を30歳で完成させた後、心技体をさらに強固なものにするため、過酷な武者修行を行い、50歳で契約するとその450年後、2代目勇者が現れるまで、ソルシエール一族の地位と基盤構築に尽力なされました」
意味が分からない。
初代勇者だからって、そこまで自らを犠牲にする必要はあったのか?
「450年間も不眠不休で、憑魔と戦い続けたの? 後続の勇者のために?」
「勇者だけではない、巫女の育成にも力を入れていた。その結果が……これだ」
「……」
ジロリとローウェルがキリカを睨む。
蛇に睨まれた蛙の如く、キリカは身を縮込ませた。
確かにローウェルが言いたい事も分かるけど……一人を責めるのは良くない。
「そんなレナの最後は……呆気ないものだった。史上最強の勇者は、一瞬の気の迷いが仇となり、憑魔に負けた」
「敗因を聞いても?」
「病に侵された昆孫の看病が、間接的な原因だった。レナ自身の肉体も衰弱していた。昆孫の病がうつり、高熱で意識を失い、伏したまま……戻って来なかった。高熱と悪夢に魘されるレナに、小生は何もしてやれなかった」
初代勇者の壮絶な最後だ。
表情に影が射したローウェルから無念の情が、痛いほど伝わってくる。
初代勇者が編み出した憑魔を召喚する術は、門外不出の禁術とされ、2代目勇者がどこかに隠し、その隠し場所を誰にも言わず、この世を去った。
今現在に至るまで、その術を使った者は初代勇者1人しかいない。と、ローウェルは付け足した。
「巫女よ、これで分かってあろう? 貴様がやっている事は……レナが命がけでやってきた事を、全て踏み躙る行為に他ならない 故あって小生は、貴様が気に入らんのだ」
「……」
「ちょい待ち。それはお門違いってもんだよ」
「なんだと?」
怖ぇえ、ローウェルの凄みに今にもチビりそう。
怯みつつも、ローウェルを迎え撃つ体制に入った。
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