第4章.都市編

第34話.『職業都市アンプロワ』




 新人君の手際の悪さに、ルーシアスがピリピリし始めている。


「難しい事は何も言っていないだろう? 早く通せよ」

「ですから! 何度も言っていますが、入国許可は出せません」

「ルーシアスさん! 弟が申し訳ありません。いつもは、こんな事言わないんですけど……悪い子ではないんです!」

「姉上が謝る必要はありません! 全面的に悪いのはあっちなんですよ!」


 キリカが審査官にペコペコ頭を下げている。

 検問所の背後に掲げられた「ルールを守って国際化!」のスローガンが激しく気になる。押し問答が長引くほど、ルーシアスが検問所のカウンターを指先で叩く速度が上がっていく。

 表情も『平常』モードから『仕事』モードに徐々に変化している。

 ルーシアスが凄むが、審査官のお兄さんも負けていない。

 男の意地を賭けて、2人は火花を散らしている。

 検問所には、駅の改札にあるICカードのタッチパネルみたいな装置が置かれている。そこに手を置くと、あら不思議! 予め登録されている個人情報が一瞬で照合されて、ゲートが開くのだ。

 電気がない世界なのに、どう言う仕組みなんだろう? 魔法で動いてるのかな?しかし、私がその装置にタッチすると「ビー」と警告音が鳴って、ゲートが開かない。

 5,6回試してみたが、すべて読み取り不可でゲートは硬く閉ざされたままだった。そりゃ開かないだろうよ。私はその『個人情報』の登録をしていないんだから。

 最初は、審査官にキリカが説明と入国の交渉をしたが埒が明かず、見かねたルーシアスがバトンタッチしたのだ。

 ちなみにローウェルは、刀に戻っているから持ち物扱いだ。


「そちらのお2人は入国可能ですが、こちらの男性は該当する登録情報がないんです! 身元が不確かな7歳以上の方を、都市に入れるわけにはいかないんです。これ以上居座るなら、業務妨害で憲兵団を呼びますよ!」

「だから! 僕達はその登録のために、アンプロワに来たと何度も説明しているだろう! アンタじゃ話にならない、上司か責任者を呼べ!」


 ルーシアスの口振りは、完全に悪質クレーマーのそれだ。

 事の原因の私はと言えば、キリカと一緒に傍観している。

 この状況は止めに入っても、余計ややこしくなるパターンだ。大人しくしているに限る。

 それぞれの切り札が出た。『警察呼ぶぞ!』VS『責任者呼べ!』の直接対決、どちらに勝利の旗が上がるか……緊張が走る。


「よう、新人! 随分、手こずってるな。不法入国者だって?」

「あ、所長! お疲れ様です」


 検問所のドアが開き、扉を潜って1人の大男が入って来る。

 別の検問所の審査官が、見かねて責任者を呼んだのだろう。

 パッと表情を輝かせた新人の肩を大きな手でポンと叩いた。「所長」と呼ばれた大男が、私達を窓口越しに見下ろす。

 2メートルはくだらない体躯に浅黒く日焼けした肌。

 見た目だけなら人族に似ている。決定的な違いは、その額に太い角が一本生えていた。逆三角形の筋骨隆々の身体を窮屈な制服に押し込んでいる。

 間違いない。彼こそ、6種族の中で豪腕を誇る種族――。


「へー。あれが、鬼人族か」


 人事の様に、鬼人族の所長を見上げる。

 所長は強面の顔でありながら、見事な営業スマイルを作る。

 パッと見で、クッキ○グパパが入って来たのかと思った。

 新人審査官と席を代わり、ルーシアスの対応を始める。


「新人が大変失礼致しました。代わりまして、私、所長カケユがご用件を窺います。申し訳ございませんが、今回の入国目的を教えて頂けますでしょうか?」


 思わず、感心してしまった。

 なんて、懇切丁寧な接客なんだ。見た目で、人物を判断するのは早計だ。

 流石、所長とだけあって客への対応が違う。


「連れの情報登録手続きのために滞在したい。あと、所長のアンタにだけ話したい事があるから、その使えない新人は席を外させろ」


 私を指しながら、ルーシアスがぶっきら棒に答える。

 いくらなんでも年上の人に、その言い方はマズイって!

 カケユ所長は笑顔をキープしたまま頷き、「使えない」と言われて憤慨する新人を宥める。


「念のため、貴殿の登録情報を確認させて頂きます。こちらのパネルにもう一度、触れていただけますか?」

「構わないが、出来るだけ早くしてくれよ」


 差し出した手の平で、もう一度パネルに触れるよう指示する。

 苛立つルーシアスがタッチパネルに触れると、カケユ所長はカカウンターと席の間にある段差を見つめた。

 その僅かな段差に、外側からでは見えない、『登録情報』なるものを確認できる装置があるんだろう。

 目で追いながら、ルーシアスの登録情報を黙読したカケユ所長。

 すると、その顔色がサッと一瞬で変わり、後に立つ新人に勢いよく振り返った。


「すまんが、席を外してくれ」

「え? わ、分かりました」


 接客用の声音ではなく、有無言わさぬ低い声で新人にそう囁く。

 指示された新人は、納得いかないと言う表情のまま検問所を出て行った。

 ルーシアスに向き直ると、カケユ所長は急に立ち上がって深々と頭を下げた。


「魔術師の大家、ソルシエール家の方とは気付かず、大変失礼致しました。新人の分まで、所長の私が非礼をお詫び致します。」

「別に気にしていない。こっちの男は、創生神様に選ばれた46代目勇者だ。今回は特例で、勇者が成人した状態で発見された。勇者の情報登録のために入国したい。里長から職業斡旋所への紹介状もある」

「なんと! 生きている内に救世主たる勇者様にお会い出来るとは……いやはや、光栄至極ですなぁ。形式上ですが、紹介状を拝見しても?」


 カケユ所長が目を丸くして私を見た。何だか、居た堪れない気分になる。

 軽く会釈をしていたら、ルーシアスが私に振り向き、手を出してきた。

 急だったからその手を見つめていたら、「父上から頂いた封筒を出せ」を催促された。

 それなら、そうって言ってよ。言葉が足りないんだからと文句を言いつつ、腰のバッグから封筒を取り出してルーシアスに渡した。

 それをカケユ所長に見せる。見せるなり、彼は大きく頷いた。


「はい、確かに。ようこそ、職業都市アンプロワへ。勇者様一行の滞在を歓迎致します! どうぞ、お通りください」

「あ、ありがとうございます! 良かったですね、シャリオン様!」


 あっさり、入国許可が出た。

 事の成り行きを見守っていたキリカが。ホッと胸を撫で下ろしている。

 封筒をルーシアスから返されたので、バッグの奥の方にしまった。

 ゲートを通り、私達は城門のトンネル状になった広い通路を歩き出す。

 去り際に振り返ったルーシアスが、私達を見送るカケユ所長に、


「最近、審査官の新人教育がなっていないぞ。所長共々、上層部が弛んでいるんじゃないのか?」


 片眉を吊り上げて、捨て台詞を吐いた。

 私が所長で、中学生にこれ言われたらメチャクチャ腹立つ。


「ご指摘、ありがとうございます。所員一同、気を引き締めて改善に努めます!」


 カケユ所長が最初から最後まで、神対応で感服した。

 逆にルーシアスにはガッカリした。クレーマー君とはショッピングもランチもしたくないタイプの勇者なんで、そこん所よろしくね。

 無事入国できた事をキリカとハイタッチで喜んでいると、ルーシアスに横目で睨まれた。だから、ルーシアスにも「ヘーイ!」と手を出してみたが、プイッとそっぽを向かれた。

 ちょっと凹んだが、気を取り直す。勇者は立ち直りが早いのだ。



 ファンタジー世界の大都市かぁ。どんな所なんだろう?

 未知との遭遇、大冒険の予感に、どうしようもなく血が騒ぐ。

 ワクワクが止まらない。早くアンプロワの町並みを見てみたい。

 ニュイの後ろを付いてくネージュを走らせたい衝動に駆られる。


「久しぶりのアンプロワ……懐かしいです」

「懐かしいって、大袈裟だよ。姉上は、つい最近まで住んでいたじゃないか」

「そ……そうですけど。懐かしいものは、懐かしいんですよーだ!」


 姉弟のほのぼの会話をBGMに、テンションを徐々に上げていく。

 ローウェルは刀のままだから、私を制止する者は誰もいない。




 長いトンネルを抜けると、そこは多くの人々が行交う華やかな街だった。

 視界いっぱいに色と音が溢れる。

 片側二車線の石畳の幹線道路が、中世を再現したかのような町並みの中心を通っている。そこを馬車や荷車、馬が走り、歩道沿いには街灯と街路樹が植樹されている。

 様々な店が軒を連ね、客の出入りや、隣り合った店舗の店員同士が談笑している姿も見える。

 歩く人々も人族だけではない。

 角の生えた鬼人族の女性、動物の顔をした獣人族のカップル、何族かは分からないが、白目の部分が黒く、肌の色が土気色の騎士っぽい男。とにかく、いろんな人種がいる。



 これが、人種のサラダボール? それとも坩堝か!?

 ここは、360度ハイファンタジーの世界だ。

 年甲斐もなくはしゃぐ私とネージュをルーシアスが呼び止める。


「あんまりキョロキョロするなよ。田舎者だと思われるだろ、恥ずかしい」


 事実、田舎者なんだけどな! ネージュから降りるように言われ、渋々降りる。聖獣はいろんな意味で目立つので、ここからは徒歩で移動するそうだ。

 確かに、行きかう人々がチラチラこっちを見ていた。

 ルーシアスはニュイとネージュを召喚石に戻し、城門の壁に掛けられた看板を見上げた。キリカもその隣に立った。

 二人が見ているのは、アンプロワ全体の案内図だ。

 金色の旗印が付いている部分が現在位置か。

 ローウェルをベルトに固定して、2人と一緒に案内図を見上げる。

 ドーナツ型の都市であるアンプロワは、6区画に分けられてる。

 今いる区画は、『ナイト区』と書かれている。

 地図の説明文によると、この区には憲兵団の本部がある。

 ナイト区から時計回りに、




 ビショップ区……役所・学校・病院・図書館など公共施設がある。

 ポーン区……一般市民が多く住む居住区。

 ルーク区……商業・農業が盛んな地区。

 クイーン区……工業地帯・魔法実験施設のある地区。

 キング区……裁判所・王政直轄の軍隊の駐屯地。唯一、王都へ入出が出来る通路がある。




 全部読むのは面倒だったから、要所だけ掻い摘んだ。

 大体そんな感じで各区の説明が書かれていた。

 何処かで聞いた事のある名前だと思ったら、これ全部チェスの駒の名前だ。

 6区画の内側を水路が繋いでいて、1区画毎に3~4の駅名が書かれている。

 連絡船でも通ってるのかな?


「長旅で疲れましたし、手続きは明日にしませんか? 食材と足りない日用品だけ買って、ポーン区の薬局で休みましょう」

「この時間だと、職業斡旋所の方も込んでいるだろうし。そうしましょうか」

「2人とも待って、私も会話に混ぜて。薬局で休むって、どう言う意味よ?」


 勝手に話を進めないで欲しいよね。


「何だ、知らなかったのか? 姉上は副職が薬師だから、ポーン区で薬局を開業してるんだ」

「はわわ、シャリオン様に言うのを忘れていました! 薬局と言うのはですね、私が営んでいる店舗兼自宅の『パナセ・ソルシエール』と言うお店です」

「おぅ!? キリカちゃん、薬剤師さんだったの!?」


 16歳で薬剤師、しかも店のオーナーだなんて、この世界はどうなってるんだ!? コネか? ソルシエール家のコネなのか? 

 詳しく説明して欲しかったが、ルーシアスが「移動するぞ」と急かしたため、諦めた。

 目的地、薬局『パナセ・ソルシエール』に向かう。

 ポーン区はここから2つ先の地区だから駅から乗り物に乗る。

 最寄の駅、『正門前駅』に向かった。




 6区を結ぶ水路の上には、何とモノレールが通っていた。

 水路は荷物を運ぶ商船の往来があるため、一般住民は通れない。

 徒歩で隣の区まで行けないこともないが、それでは時間が掛かってしまう。

 そこで考案されたのが、このモノレール……もとい『トラン』と呼ばれる乗り物だ。

 トランは、このアンプロアにしかない特殊な乗り物として有名らしい。

 魔力が乏しい代わりに、それを補う発想力と発明に長けた人族だからこそ、トランを造れたんだとさ。乗り方は、前世の電車と変わらない。

 行き先までの切符を買って、駅員が立つ改札を通り抜けて、ホームにて電車を待つ。

 これも勇者の発案なんじゃないかな。

 水路上、約5,6mの高さに鉄骨が立体的に汲まれレールが通っている。

 まるで勾配のないジェットコスターだ。その上を太いケーブルが通っている。

 その上を走るトランの動力は、電気でも、ガソリンでもない。ましてや、石炭でもない。

 では何か? 答えは『魔物』だ。私は今日、始めて魔物をこの目で見た。

 トランを引くのは、象ほどもある大きなカメレオン型の魔物、『モト・レザ』。全ての魔物が、人を襲うわけではない。魔物も大きく分けて2種類いる。

 人に害を成す『害獣』と人の役に立つ『益獣』がいる。モト・レザは後者だ。

 一生を木の上で暮らす彼らは、基本的にのんびりした性格の魔物だ。

 長い尾を枝に巻きつけて、足場の不安定な樹上でバランスを取る。動きが素早く、木から木へと渡って長距離を移動する。レールの上のケーブルは、モト・レザが尾を巻きつけるために設置されているのだ。

 上り線に到着時刻どおりにやって来た3両編成のトラン。

 先頭には、2頭の立派な体格のモト・レザが繋がれていて、時折「ギュウ、ギュウ」と変な鳴き声を出していた。

 グリグリと全方向に動く目は、ちょっと気持ち悪いけどレールを掴むミトンみたいな二股の手足は可愛い。

 トランの車体は、完全に大正・昭和時代に走っていた路面電車だ。

 全体的に丸っこい赤茶色の車体。「可愛い」と呟いたら、ルーシアスに「カッコイイの間違いだろう?」と訂正された。

 


 車内に入れば、温かみのある木製の床。

 頭上では、丸い取っ手の付いたつり革がユラユラ揺れている。その懐かしさに前世に戻った様な錯覚を覚える。

 天井には金色に輝く金属製の伝声管。そこから、運転手の車内アナウンスが流れる。

 まもなく、発車の時刻だ。

 カン、カーンと発車を告げるベルの音。ガタンと車体が一揺れし、ゆっくりとトランが動き出す。

 徐々に加速していく感じは、やっぱり電車と一緒だった。




 私達は3人で車内の長椅子に座っている。

 私、ルーシアス、キリカの順番でガタンゴトンと列車の揺れに身を委ねている。ここまでのトランの説明は、聞いてもいないのにル-シアスがしてくれた。

 トランについて、一人熱く語っている。もしかして、ルーシアスは鉄ちゃんなのか? トランへの思いのたけを私にぶつけるルーシアスの隣で、キリカはムニャムニャと寝言を言っている。いるいる、乗り物に乗ると寝ちゃう子。

 相槌を打ちつつ、車内を見回せば、結構な数の乗客がいる。

 私服姿、仕事着、制服、鎧、服装は様々で、私やルーシアス以外にも、武器を携帯した乗客もいる。

 ファンタジー世界だから、武器を持ってるのは当たり前か。

 銃刀法違反で、憲兵団に……って言うのは、許可なく街中で武器を構えた場合、人を攻撃した場合、喧嘩、決闘まがいの行為を行った場合、連行されるんだって。

 まぁ、常識的に考えてみても、街中で決闘とか迷惑行為だよ。




 『ポーン区中央駅』――。

 車内アナウンスが、次の到着駅名を告げる。

 私が握っている薄緑色の切符にも『ポーン区中央駅』とスタンプが押されている。

 列車が減速し、ポーン区中央駅のホームに無事停車した。

 キリカを起こして、足の間に置いていたローウェルを再びベルトに挿した。

 ドアのないトランの昇降口からホームに降り立つ。

 ホームをゆっくり見たかったが、家路を急ぐ人々の波に押され、気が付けば改札を抜けていた。

 駅前から見えるポーン区は、一言で言うなら『坂』だ。

 急な坂に住宅地が密集する。その間をアミダ状に狭い道が通っている。

 ここは、長崎かな?


「ほぉ、ポーン区って本当に住宅街なんだね。坂の上まで家がいっぱい建ってる」

「その為に区画整備されたからな。日用品や食材を買うには、道路沿いまで降りてくる必要があるんだ。でも、高い所に住んでるのは、高給取りが多いから使用人や宅配サービスで買い物は済ませるんだ」

「へぇ……」


 言われて見れば、坂の上に行けば行くほど、家は大きく豪華な造りになっている。坂を登るの大変だと思うけど、大きい家は見栄えの良い高い場所に建てたくなるのかな。

 坂の上の豪邸を見ていたら、キリカに呼ばれた。


「シャリオン様、夕食は何が良いですか?」

「うーん、長旅で皆疲れてるし。出来合いの物を買って済ませる……じゃ、駄目かな?」

「うむ、小生もそれに賛成だ。巫女の作るゲテモノなど、二度と見たくない」


 ベルトの刀が光って、首に赤いマフラーを巻いた黒豆柴犬が現れた。

 こんな所で、変身するなんて! と思ったら、行きかう人々は誰も見ていなかった。タイミングが良かった……。

 いや、誰も見ていない隙を窺って、ローウェルは変身したのだ。


「げ、ゲテモノ……皆、そう思ってたんですね。だから、私には調理番をさせてくれなかったのですね」

「ち、違いますよ! 姉上の料理は……独創的! そう、独創的なだけなんです!」


 手料理を「ゲテモノ」と言われ、キリカがショックを受けている。

 そのキリカをルーシアスが必死にフォローしている。

 この状況の方が、かえって一目を集めている。

 子供連れのお母さんや仕事が帰りっぽい制服姿のお姉さんがクスクス笑っている。

 恥ずかしくて顔から火が出そうだ。年長者として年下をまとめなければ、謎の使命感に掻き立てられた。

 2人と1匹を引き摺って、買い物に直行した。




 空が黄昏に染まる頃、勇者一行は目的地『パナセ・ソルシエール』に到着した。道沿いに建つ二階建ての店舗は、薬局と言うより洒落た喫茶店に見える。

 それもそのはず、薬局になる前はコーヒーが美味しいことで有名なカフェだったそうだ。

 そのカフェが人通りの多いビショップ区に移転したため、貸し物件になった。

 そこをキリカが買い取ったと言う経緯だ。

 脇道から店舗の裏手に周り、キリカが裏口のドアを開けた。

 中に入って、照明石を点灯する《スイッチ魔法》をキリカが唱える。

 元はカフェのキッチンだった間取りに、テーブルが置かれていた。

 窓を開けて部屋の喚起をしたり、バスルームのバスタブに湯を汲んだり、2階の様子や薬品の在庫を確認したりしてから、ようやく私達は椅子に腰を落ち着けた。

 キリカが入れてくれたお茶と夕食に買った食品をテーブルにに並べて、全員が一斉に溜息をつく。


「長旅、本当にお疲れ様でした」


 と、私はテーブルに突っ伏しながら皆を労る。


「暫くはこの薬局に滞在するのだな?」


 と、ローウェルが茶を啜る。


「そうですね。お店の方の再開は、もう少し落ち着いてからにしようと思います」


 と、キリカが肉の串焼きを頬張る。


「僕はここに住み込みながら、姉上と勇者の補佐をします。本業の方は、その合間にでも適当に入れます」


 と、ルーシアスが会話を占めた。

 各々、夕食を頬張り、茶で喉を潤した。

 しばしの沈黙の後、キリカが惣菜を完食した私を見た。


「シャリオン様。明日は手続きのために、私と職業斡旋所へ行きましょう!」

「職業斡旋所……個人情報云々の登録をするんだっけ?」

「その通りです。登録はこの世界で生活する上で、必要不可欠ですから」


 職業斡旋所か。

 ハローワークには、前世でもお世話になった。

 まさか、こっちでもお世話になるとは……そもそもだよ、勇者がハロワに行くって何だよ? ファンタジー要素として、一番いらない要素じゃね?

 

「それなら姉上、僕の一緒に行きますよ」


 ルーシアスも一緒に行きたいのか。

 キリカと2人きりで、ハロワデートできると思ってちょっとワクワクしてたのに。そんな甘い一時を、このシスコンが許すわけないか。


「では、明日は午前中にビショップ区へ。午後は、私事で申し訳ないのですが、不足分の薬草や素材の買出しに、ルーク区に行きたいと思います」

「了解でーす。買出しの荷物持ちなら任せて!」


 明日の予定は決まった。

 勇者は、ヒロインに連れられてハロワに行く事になった。

 あれれぇ、おかしいなぁー? 勇者の『脱・ヒモ生活』みたいに聞こえるよ。




 その夜、酷い悪夢を見た――。

 私は見知らぬ草原に立っていた。

 何処からともなく、RPG風のBGMが流れてくる。

 え? え!? と思っていたら、目の前に何かが飛び出してきた!


 『ハロワが 襲い掛かって 来た!』


「うわわ!?」


 『勇者は 逃走した! しかし 回り込まれた! 逃げられない!』


 『勇者は どうする?』


 → 就活する

   就活する

   就活する

   就活する


「分かったよ! 就活すればいいんでしょッ!!」


 そこで目が覚めた。

 職業斡旋所と聞いて、私は無意識に強迫観念を覚えていた。

 ベッドの寝ている私の足元で、黒い塊がモゾッと動いた。

 黄金の瞳が片目だけ開いて、私を様子を見た。

 ローウェルはベッドの上でスクッと立ち上がると、私に背を向けて再び丸くなる。「うるさい」と言う、無言の意思表示だ。

 すまんね……でも、「大丈夫か?」くらい聞いて欲しかった。

 異世界でも就活一択とはね……ふぅ、涙で枕を濡らすとしますか。

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