第32話.『分かり合うのは難しい』




 この世界では誰も恨まずに生きていけるならそうしたい。

 ミシルとだって、彼女の家族関係を修繕しようとまでは言わない。

 それは首を突っ込み過ぎだし、リアルな勇者にそこまでするなんて権限なんて無い。

 でも、願わくば……元女性として、ミシルの理解者くらいにはなってあげたい。彼女は酷い事をしているが、元からそうだったわけじゃない。

 痴情の縺れが彼女を変えてしまっただけだ。

 こんな美女なのに、人を恨むだけでその生涯を閉じるなんて勿体無い!

 他の趣味でも見つけようよ!


「ラルジャン様、ミシル様、ヒミカ様……お三方の過去がどんなに凄惨であっても、仲のいい姉弟を引き離す理由にはならない。こんな負の連鎖、誰も望んでいなし、悲し過ぎますよ」

「それは勇者として、私に命令なさっているのですか?」

「いいえ、私にそんな権限はありあません。だた、これだけは心して聞いて欲しいんです。ルーシアス君の愛情を先に拒んだのは、ミシル様自身です」


 怪訝な顔をするミシルの前で、両手を組んだ。

 

「彼と少し話をしたんです。それで分かったんですよ、彼は貴方を嫌って訳じゃないんです。勉強も義理姉と仲良くしていたのも、全部貴方のためにしていた事なんです。本当にしたい将来の夢も諦めて、彼は貴女の為に里長になろうとしています」

「……嘘です、嘘に決まってします。あの子は、一度たちとも私を『母』と呼んだことの無い子ですよ? 心の底から私を憎んでいるのです」

「幼い彼は貴女を恋しがっていました。彼がヒミカ様に懐いたのは事実ですが……どちらかと言うと、ヒミカ様に貴女を重ねて、寂しさを紛らわせていたんだと思います」


 私の話を聞くに堪えなくなったのか、ミシルが席を立った。

 部屋の隅に置かれた棚に向かうと、その上に置かれた水盆を覗き込んだ。

 水盆の中に何があるのかは、私の位置からは見えない。


「背の君様を先にお慕いしていたのは私。ヒミカ亡き後、心を病まれた背の君様を支え続けているのも私。でも、私は何一つ得られていない。何故、ヒミカは私から全てを奪ったのです? せめて一つ……息子のルーシアスだけでも譲ってくださって良いではありませんか。死して尚、何故私を苦しめるのです?」


 ミシルの独白が、静かな部屋に悲しく響く。

 気丈な女傑が唯一見せた弱さと儚さだ。今のあの姿こそ、本来のミシルの断片……。それを引き出せるのも、私が勇者だからなのか? だとしたら、クェーサー様々だぜ。

 しかし、ここで大きな間違いがある。

ヒミカは、ミシルを苦しめてはいない。ミシルは、自分で自分の首を絞めている。本人もきっとそれに気がついている。

でも、それを認めてしまったら、今まで心を鬼にしてしてきた事の全てが、何の意味もない無駄な行為になってしまう。

 それが怖くて、ずっと『鬼女』のままでいるのだ。

 ふと、クラオトの言葉が脳裏に蘇る。


『勇者も所詮は『人』――。悩める全ての者を救おうなどとは考えない事です。一人の『人』が一生で出来る善行など、たかが知れているのです』


 確かにそうかもしれない。

 全ての人間を救えるなんて思っちゃいない。

 私は、勇者であって『聖人』でも『神様』でもない。

でも、だからなんだと言うのだ。

大きなお世話かもしれないけど、1人の『人間』として出来ることがあるはずだ。


「宴の前に、ルーシアス君に昔話を聞かせたんです。そうしてら、少しだけ仲良くなれました。私は欲張りなので、ミシル様とも仲良くなりたいんです」

「……」


 だからこそ、話そうと思う。

 自分の過去を、自分の過ちを……。


「これは、ある仲の悪かった姉弟の話です」





 昔々……やっぱり、昔じゃなくて今現在の話だったかもしれない。

 それは、それは、仲の悪い姉と弟がいました。

 顔を合わせれば、喧嘩ばかりしていました。 




 弟は頭の出来が良く何でも出来ました。

 しかし、姉の方は何をしても上手くいきませんでした。

 両親も弟ばかり褒めるようになりました。

 いつしか姉は、劣等感と憎しみの塊になってしまいました。

 とうとう弟や両親に嫌気の差した姉は、家を出て行ってしまいました。




 1人で生きる決意をした姉でしたが、やはり何をしても上手くいきませんでした。仕事は長続きせず、信じていた恋人には裏切られ、すっかり人生に疲れ切ってしまいました。

 そして、愚かな姉は自ら命を絶ちました。




 姉は後悔しました。

 もっと両親と……せめて、弟だけとでも仲良くしていればこんな惨めな最後を迎える事は無かったのではないのかと。

 しかし悔やんでも、もう遅いのです。姉は死んでしまったのですから――。




 この話で何が言いたいのかと言うと、『姉弟は、何があっても仲が良いに越した事は無い』と言う事です。

 例え、母親が違っても……。

 例え、母親同士が犬猿の仲であっても……。

 2人の仲が良ければ、どんな困難が立ち塞がっても2人で支え合い、越えていける。

 悲しみの連鎖は、たったそれだけの事で断ち切れる可能性があるのです。

 めでたし、めでたし……。





「お話は以上です」

「めでたいお話とは、程遠い内容でしたわ」


 やっぱり、親子だな。

 ルーシアスとミシルの感想は一緒だ。


「これ以上、他人の家庭事情に首を突っ込むのは、勇者でなくてもプライバシーの侵害です。どうするかは、ミシル様次第です。では、失礼させて頂きます」

「貴方様は一体、何者なのですか? 勇者と言うには少々……」

「この世に生を受けて4日のわりには、まるで長生きをしている様な口振り? それとも、大の男のくせに、語り口が女々しい……ですか?」

「……その両方ですわ」

「勇者ですからね。少しは、この世界の皆さんと違う所もあるんでしょうな。ああ、それから貴方の事、私は嫌いじゃありません。美女は目の保養ですからね」


 適当に話をはぐらかして、再び席を立つ。

 立ち去ろうとする私にミシルが「お待ちください」呼び止めた。


「私も一つ、勇者様のためになるお話をさせて頂きますわ」

「……ためになる話ですか?」

「はい。愛とは毒でしてよ」

「毒?」

「ええ、この世で最も危険な毒……それが愛。恐ろしく甘美で、中毒性が高い。善良な者の心を蝕み、正気を失わせます。愛する人を守るため、極端なお話をすれば、人を殺す事も厭わなくなりますわ。解毒は不可能、気が付いた時にはもう手遅れでしてよ」


 ミシルの言葉は呪文のようだった。

 私の体は、その場に縫い付けられたみたいに動かない。


「確かに一理あるかもしれませんが、本当にそうでしょうか?」

「貴方はまだ本当の愛を知らないだけ。心から愛する人が出来た時、貴方様は私のこの言葉を思い出すでしょう」

「肝に銘じておきます」


 話が終わった途端、全身の緊張が解けた。

 水盆の置かれた棚の前に佇むミシルに一礼し、私は部屋を後にする。

 扉の前に立っていた侍女さんに頭を下げて、別宅を後にする。

 綺麗に手入れされた夜の庭を抜け、離宮方面に向かって歩き出す。

 ふと立ち止まり、別宅を振り返った。


「愛が毒……まぁ、分からなくもないかな。でも、ミシル様の言う本当の愛までは到達してなかったって事か。ううむ、愛って難しいなぁ」


 自分で言っておいて、自嘲してしまった。

 やっぱり、酔っているみたいだ。その事実に少しだけ安堵した。




 離宮に戻ると、3人とファムさんが出迎えてくれた。

 いち早く近寄ってきたローウェルにミシルの事を話そうとしたが、「劣化した血に興味はない」と聞く耳を持ってくれなかった。

 離宮に入って、忘れる前にキリカとルーシアスにクラオトから渡された封筒を見せた。すると、ルーシアスが「明日にはここを発つ」と言い出した。

 私は、思い留まる様に説得した。その説得には、ファムさんも協力してくれた。せめて、両親に挨拶だけでもした方が良いと諭したが、ルーシアスは頑なに拒否し続けた。

 次にやるべき事はもう決まっている。もはや、自分達はここにいるべきではない。それの一点張りだ。



 テーブルを囲んで座る3人。

 私は、飲み干したカップをダンッと乱暴に置く。

 置いたそばから、ファムさんがお代わりを注いでくれる。

 お腹がタポタポになりそうだ……て言うか、もうなってる。


「ルー君の分からず屋ッ! 明日出発するとして、一体何処に向かうのさ!」

「行き先は決まっている。トワ・エ・モア王国に最も近い巨大都市……アンプロワだ」

「アンプロワ?」

「まあまあ! それでしたら、今からでも旅支度をしませんと! こうしてはいられません、皆様、失礼致しますわ!」


 ファムさんは「お召し物に、携帯食料……あら? 回復薬の備蓄は何処でしたっけ?」と、大きな独り言を言いながら離宮を飛び出して行った。

 ファムさん、こんな夜分に大仕事させてゴメンよ。

 準備していたのか、ルーシアスがテーブルの上に一枚の大きな地図を広げた。

 何この地図、面白いデザインだな。

 地図って言ったら四角が定番だが、ルーシアスの取り出した地図は円形だった。

 でも、上が北で下が南なのは一緒だ。

 そこに描かれた大陸の形は、例えるなら『頭でっかちの雪だるま』だ。

 その周りは海で囲まれていて、島も他の大陸も描かれていない。

 大陸は、この不恰好な雪だるましかないのか。

 これが『心棒のあるガリレオ水温計』なのかな? 

 ローウェルの説明と全然、一致しないんだけど。


「人族の王国、トワ・エ・モア王国最大の職業都市です。交易が盛んで、職業斡旋所や多種多様な働き口があります。他種族も多く移住している活気ある都市です」


 キリカが雪だるまの大きな頭部分を指差した。

 しかし、変わっている。

 大きな雪だるま部分には、職業都市アンプロワとトワ・エ・モア王国の表記しかない。世界地図ってもっとこう、小国がひしめき合ってる物じゃないの?

 それに地図には人族の王国しかないけど、あとの5種族の国は何処にあるの? 謎は増えていく一方だ。

 雪だるまの中心が王都、その周りをぐるりと囲むドーナッツ型の部分がアンプロワ。

 ルーシアスが地図上の『アンプロワ』の文字の上に、600ソル硬貨を置いた。雪だるまの下半身、そのちょっと左下の何の表記もない森に6ソル硬貨を置いた。貨同士を直線で繋いでも、結構な距離がある。


「里からアンプロワまでは、山羊竜を昼夜休まず走らせても3週間はかかる」


 休み無し、なんてブラックでしょう……ニュイとネージュが可哀想だ。

 多めに見積もって、一ヶ月かかると考えよう。

 かなりの長旅だなぁ……。新幹線とか、飛行機が恋しくなる。


「行き先は分かったけど、アンプロワに行って何をするの?」

「アンタが、この世界で生きていく上で欠かせない手続き諸々をする。本来は、7歳から徐々に済ませていくものなのに、アンタときたら……」


 ルーシアスは、そこまで言いかけて頭を抱えた。


「7歳から20歳までの13年分か……。アンタと姉上だけじゃ心許ないだろうから、僕も一緒にアンプロワへ行く」

「何から何まで、すみませんね。でも、ルー君が一緒だと思うと安心感が違うね!」


 酔った勢いで、ルーシアスに抱きつこうとしたら避けられた。

 お兄さん、悲しいなぁ。お墓で手を握り合った仲じゃない。私達、親友でしょ? 「ブー」と口を尖らせたら、盛大に舌打ちされた。


「でも、本当に良いんですか? ルーシアスさんだって、お仕事があるのに……確かに時間は掛かってしまうでしょうが、私一人でも手続きは出来ます」

「アンプロワを拠点に仕事は続けますから、問題ありませんよ。それより今は、姉上と勇者のサポートが最優先事項です」


 ルーシアス的には、一分一秒でも多く、キリカと一緒にいたんだろうな。

 私はどう考えても、キリカにくっ付いているショボいおまけだ。

 信用だって完全に勝ち取れたわけじゃない。

 まだ、疑ってんのかよ……。

 聞けば、この禁則地を一歩出れば魔物や野党に襲われ、大抵の場合殺される。『全能力:初期値』の勇者と『主に回復担当』の巫女だけでは、都市にたどり着けない。

 そうなれば、戦闘に慣れているルーシアスがいてくれるのは相当心強い。

 ファムさんを含め、今後の予定と他愛もない雑談を続ける。

 その過程で分かったのだが、音信不通だった間、ルーシアスが各国を周って武者修行をしていた事が分かった。

 誰よりも現オリゾン・アストルの世情に詳しい人物だ。

 情報通の仲間の存在は、通信手段が乏しいこの世界では大きい。

 いつまで一緒にいてくれるのかは分からないけど、仲間は多い方が楽しい。

 旅や共同生活が楽しいは、大事だ。



 仲間に隠し事はいけないと思い、クェーサーから付与された特殊スキルの件をルーシアスに話した。聞いた事のないスキルにルーシアスは興味津々で食い付いてきた。

 職業柄なのか「詳しく研究させて欲しい」とまで言い出した。

 私は、《翻訳》が封じられてしまうとこっちの言葉が判らないし、喋れなくなる。研究させてあげる代わりに、スキル封じ無効の魔装具を作るのを条件に承諾した。




 その後、アンプロワまでのルートや途中で泊まる宿を確認した。

 出発前に先祖の墓参りを皆でしよう――と言う所まで決めて、話し合いは終わった。真剣な顔で地図と睨めっこしているキリカ、ルーシアス、ローウェルを見る。

 言葉に出来ない感覚で、全身がムズムズする。

 特にキリカとルーシアスを見ていると、胸に熱いものが込み上げてくる。

 私はニヤリと笑って、ここぞとばかりに3人まとめてギュッと抱き締めた。


「きゃあッ! しゃ、シャリオン様!?」

「うわ、何するんだ! 放せよ、気色悪い!」

「お前と言うヤツは、奇行しか出来んのか?」

「うぇへへ。皆、可愛いなー……。3人の事、大好きぃ……これからも頼りない勇者をよろしくねぇ」


 3人の阿鼻叫喚の声が、心地よく聞こえる。

 これは、酔っ払いの末期症状だ。

 足元の覚束無い私を、顔を見合わせたローウェルとルーシアスが両脇から支えた。掴まった勇者……なんちゃって。

 そこに私達用の旅支度を整え、さらに寝床まで準備してくれたファムさんが入ってきた。私は男子2人に引き摺られて、風呂に向かった。

 グデグデしている私の服を、ルーシアスとローウェルが見事なコンビネーションで剥ぎ取り、浴槽に放り込んだ。「キャー、エッチ!」ってふざけて言ってみたら、二人から同時に脳天目掛けてチョップされた。

  いてて、瞼の裏にお星様がマジで散ったぜ。

入浴後、ファムさんに「おやすみなさい」を言って、私達は寝室へ向かった。

 当然、キリカは別室だ。ファムさんと一緒に寝るのだそうだ。

 別れる前に、私はキリカを呼び止めた。


「キリカちゃん、ラルジャン様とお話しなくて本当にいいの?」

「え?」

「宴会の時の2人を見てて思ったんだ。本当はいろんな事を2人で話したいのに、ミシル様に遠慮して、喋れないんだろうなぁって」

「見ていらっしゃったんですね。でも、いいんです。お父様とは定期的に文通もしていますし……これなら、誰も傷つかなくて済みますから」

「……そっか」


 ルーシアスが、私の後頭部を叩いて「早く寝るぞ!」と寝室に引きずり込んだ。やだ、ルー君ったら強引なんだから……。

 これ以上奇行を働かない様に、私はローウェルとルーシアスに挟まれて寝た。

 あひゃひゃ、これって役得なのかなぁ?




 屋敷全体を朝日が照らす。

 窓から日光が差し込む前に私達は起床していた。

 ファムさんが用意してくれた洗い立ての勇者専用衣装に着替える。

 さらに、旅には欠かせないと言うフード付きのローブも羽織る。

 全身黒尽くめになった。これから旅に出ると言うより、強盗でもしに行きそうな装いだ。

 朝食を済ませ、ファムさんも交えて墓所へ向かう。

 屋敷の庭で摘んだ花をソルシエール先祖代々の墓と、小さなヒミカの墓に供える。墓前で手を合わせる習慣はこの世界にはないので、お辞儀で祈りを捧げた。

 再び屋敷に戻り、旅支度を魔道具の何でも入るバッグに詰め込む。

 ルーシアスがニュイとネージュを召喚した。召喚と同時に、ネージュが私に突進してきた、

 山羊竜流の愛情表現なのか、ずっと私に角を擦り付けていた。

 ネージュの背には、すでにローウェルが乗っている。

 いつでも出発できるぞと言わんばかりのキメ顔でスタンバッている。

 ローウェルお爺ちゃん、気が早いよ。

 洗濯板で脇腹を撫でられてる気分って言えば、伝わるのかな?

 


 ファムさん以外、私達の旅立ちを見送る人はいなかった。

 それもそうか。今日出発するって、誰にも伝えてないもんね。

 ラルジャンも、ミシルも知らない。下手をすると、まだ寝ているかもしれない。


「ファムさん、お世話になりました」

「道中、お気をつけて。お嬢様とお坊ちゃまをよろしくお願い致します」


 私は、ハンカチを握り締めるファムさんに頭を下げた。

 懸命に涙を流すまいと堪えるファムさん。それに釣られたのか、キリカも泣きそうだ。

 どちらかと言うと、私が2人に面倒を見てもらう側なんだけど……。

 ここで、細かい事はどうでもいいや。


「ファム、お父様やお母上様、屋敷の皆をよろしくお願いしますね」

「はい、キリカお嬢様」

「すまないが、父上と……ミシル様に僕等が出立した事を伝えておいてくれ。それから、息災でな」

「お坊ちゃまも、あまりご無理をなさらないでくださいませ。お坊ちゃまにもしもの事があれば、ミシル様が悲しまれます」


 それぞれの挨拶が終わり、いざ山羊竜に全員が乗った所で第3者の声が掛った。


「お待ちください」


 よく通るテノールボイスが背後から響く。

 バッと振り返れば、白い衣装に黒の外套、片目を覆う眼帯。

 ポーカーフェイスを常に崩さないラルジャンの近侍であるクラオト。

 その人が千本鳥居の前に立ち塞がっている。

 ルーシアスが「いつの間に……」と唸った。私もそれに同感だった。

 気配を一切悟られない、神出鬼没な森人族だ。

 彼が主人の傍を離れ、旅立つ私達に何の用があるのだろう。

 私より先に、ルーシアスが口を開いた。


「クラオト、父上の近侍であるお前が何の用だ!」

「ルー君! 喧嘩腰は良くないって……クラオトさん、おはようございます」

「皆様、おはようございます。グランド・マスターより、お2人に言伝と餞別の品を預かっております」


 ミシルからは、やっぱりないか……。

 そうだよな、お互い心の整理が必要なんだ。いつか、和解出来る日が来ると願おう。顔を見合わせた2人は、ニュイから降りた。

 クラオトが滑る様に2人に歩み寄ると、その場に跪いた。


「まずはミス・キリカへの言伝です。息災でやりなさい……のと事。そして、こちらをお渡しする様、仰せつかっております」

「これは……お母様の髪飾り。で、でも! これはお父様の大切な品物です。私には受け取れません!」

「私はお渡しする様に、としか仰せつかっておりません。受け取って頂けなければ、私が罰を受けてしまいます」


 キリカが受け取ったのは、ラルジャンが付けていた赤い花の髪飾りだった。

 似合わない物を付けてるなと思ったら、あれはヒミカの遺品だったのか。

 受け取った髪飾りを握り締めるキリカから視線を外した。

 クラオトは、唖然としているルーシアスを見上げた。


「マスター・ルーシアス。グランド・マスターから貴方様へのおそらく最後の言伝です」

「ッ!?」

「キリカを守ってやりなさい。そして、どうかミシルを許してやってくれ……以上です」


 感情が一切篭っていない、実に淡々としたクラオトの言伝。

 こんな時、傍観者でしかない私は声を掛ければいいのか分からなかった。

 肩を震わせる姉弟を見守る事しか出来なかった。

 そんな私の元に回れ右をしたクラオトが近付いてくる。

 慌てて、ネージュから飛び降りる。


「行かれるのですね、ミスター・ガングラン」

「はい、お世話になりました」

「勇者である貴方の歩む道は、決して平坦な道程ではありません。それをお忘れなきよう……この様な言い方しか出来ませんが、私なりの手向けの言葉です」

「肝に銘じておきます」

「それから、これをお受取ください」


 そう言ってクラオトは、懐から何かを取り出して私に差し出した。

 受け取って見ると、薄緑色の小さな結晶石が付いた質素な首飾りだった。

 透き通った結晶の中心は、ほんのりだが暖色の光りを帯びている。

 魔石の一種かな? 

 え? これって、もしかしてプレゼント? クラオトさん、私に気があるの!? え? どうしよう……神秘的な雰囲気の大人な男性も嫌いじゃないけど。

 私、男だよ? クラオトさん、まさかソッチ系の人なの?


「こ、これは何ですか?」

「森人族伝統の守り石とでも言っておきましょう。いつか、お役に立つ日が来るやもしれません。身に着けておく事をお勧め致します」

「あ、そう……ですか。ありがとうございます」


 あ、ただのお守りだった。

 早とちりした自分をローウェルで一刀両断したい。

 苦笑しながら首飾りを付ける私の背後で、ネージュに乗ったローウェルが溜息をついた。




 涙を拭うファムさん、後ろ手を組み無表情のクラオト。

 そんな2人に見送られ、私達はシビルの里を旅立った。

 森を抜けると、来た時と同じく深い霧が辺りを包み込む。




 さらば、シビルの里。

 目指すは北大陸。交易の中心都市、職業都市アンプロワ――。

 一ヶ月の及ぶ、危険と隣り合わせの長い旅路が始まった。

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