第28話.『狂った愛情』





「私は、殺しはしません。莫大な報奨金や名誉勲章を貰えるとしても、答えは一つ。お断りします。それに貴方はこの里に必要不可欠な人物で、キリカさんとルーシアル君のお父さんです。二人が心から尊敬している人を殺せるわけがないでしょう?」


 今ここで、喚き散らせたら……私は、腹の底からスカッとするだろう。

 それでは、根本的な解決にはならない。


「貴方が……貴方がこうして、現実から目を背けて引き篭もってる間、キリカさんやルーシアス君がどんな思いで生きてきたか……少しでも考えた事があるんですか?」

「2人には昔も今も、申し訳ない事をしたと思っています」

「思ってるだけでしょう? 思うだけなら誰でも出来るんです。なら、なぜ行動に移さないんですか? 何故、帰ってきた2人に会って、直接謝罪をしないんですか? 2人だけじゃない。亡くなったヒミカ様、貴方を恨みながらも、捨てきれないミシル様にもです」


 震える拳を握り締めて、込み上げる怒りを抑えた。

 ここで感情的になってはいけない。ローウェルとの特訓を思い出せ。

 未熟な『心』をコントロールするんだ。


「私には分からない。2人が貴方を尊敬できるのか? ミシル様が、貴方を愛し続けられるのか?……どうして、ルーシアス君は貴方に認められたいと思っているのか……分からないんです」


 精神を病んだ人に、説教は逆効果だとテレビ番組で見たことがある。

 でも、怒らずにはいられなかった。昔の自分とラルジャンがダブって見えた。

 腹立たしかった。「お前が言えた立場か?」と、冷静な部分の自分があざ笑う。ラルジャンに向けた言葉が、自分にもそのまま返って来る。


「貴方が死んで、全てが良い方に変わっていくとでも? 答えは『ノー』です。何も変わらない。貴方が、自分の罪を認めて償なわない限り、何も変わりはしない」


 前世の私が死んでも世界も、周囲も、何も変わらなかっただろう。

 人が一人死んだからと言って、何かが変わると思ったら大間違いだ。

『死』が与える衝撃は、すぐに風化して、人々の心から忘れ去られる。





「わぁああああッ!!」


 静寂を引き裂き、湖に響き渡るラルジャンの絶叫――。

 その奇声にギョッとして目を見張れば、ラルジャンを傍にあった花瓶を掴むと、柱に投げつけた。ガチャンと大きな音を立てて、花瓶が粉々に砕け散る。

 破片と生けてあった花が床に散らばる。椅子を湖畔に投げ込み、文机に乗っていた書類や書物を片手で、払い落とした。

 六角堂内を暴れまわるラルジャンから、少しずつ距離を取る。


「えッ! ら、ラルジャンさん!?」

「どうして! どうして皆、私だけを責めるんだッ! 私だって、被害者なのにッ!!」



 私は、ソルシエール家の跡取りとして生を受けた。

 物心着くと、ミシルと言うお婆様の外戚の子がいた。「許婚のミシルとは仲良くしなさい」と両親に言われた。

 だから、ミシルには優しくしたし、出来る限り一緒に遊んで、勉強も一緒にした。使用人のファムが。姪だと言う少女を連れてきた。可愛らしい少女の名は「ヒミカ」、一目で好きになってしまった。

 ある時、母が「後悔しない様、愛する人を伴侶にしなさい」と言った。

 だから、使用人のヒミカが好きだから結婚したいと父に言った。だが、父は激怒した。

 幽閉されたヒミカを連れて、ミシルとの婚礼前夜に里を出た。

 約11年間続いた逃亡生活で心労と産後経過が悪かったのか、ヒミカが病気になった。

 自分には、どうすることも出来なかったので、生まれたばかりの赤ん坊『キリカ』を連れて里に戻った。

 両親が亡くなった事実を知り、放心状態でその墓前に立った。

 巫女を産んだヒミカを正妻に迎えた。ヒミカが身篭れない身体だと分かると、親類一同から「ミシルとの間に跡継ぎを作れ」と言われた。拒否権など最初からなかった。

 ミシルが男の赤子を産んだ。ソルシエール家の次期跡継ぎ『ルーシアス』が誕生した。

 これで、全てが丸く治まったと思った。




 キリカが5歳になったその翌日、ヒミカが死んだ。『悲しみ』と言う言葉だけでは、表現できない感情で体調が悪くなった。

 王宮に赴く時以外は、この六角堂に閉じ篭もり、屋敷の事はミシルに全て任せた。王宮勤めに支障が出てはと配慮してくださった国王陛下が、クラオトと言う森人族の軍人を近侍として使わさしてくださった。

 彼は優秀な護衛であり、心の病の専門医だった。彼が来てから、大分気分が良くなった。

 世話をしに来るミシルに、「子供達は、どうしている?」と聞くと「元気にしておりますわ」と返ってきた。子供達の様子、特にキリカの顔を見たかったが、ミシルに絶対安静が必要と言われ、面会は止められた。




 時が経ち、知らぬ間にキリカとルーシアスが屋敷からいなくなっていた。

 王都に赴く度にキリカを探したが、見つけられなかった。

 ただ、定期的に王都の何処かにいるキリカから野鳥便箋が届いた。

 それを読む時が唯一の至福だった。

 週に2回、国王陛下に謁見し、この六角堂で『守護の霧』を操る。毎日、様子を見に来るのはクラオトとミシルのみ。

 ああ、ヒミカと暮らした日々が恋しい――。

 私が悪いのか? 全て私が悪いのか? ヒミカの死も、ミシルの乱心も、キリカやルーシアスが出て行ったのも。何もかも……。

 私は言われた通りにしただけだ。結婚も、子供も、里長も、全て言われた通りにした。

 



 皆がそうしろと言うから、そうした方が良いと言うから従ったのに!

 文句一つ言わず素直に従ったのに、この仕打ちはなんだッ!! 

 喜びも幸福も、一度も感じなかった。いつだって、一番遠い場所にあるじゃないか。 

 私は悪くない、悪くない、悪くない、悪くない……。




 大体、こんな趣旨の話をラルジャンは嗚咽交じりに叫んでいた。

 投げる物がなくなると、床を爪で引っ掻き始めた。

 爪が割れてもラルジャンはやめない。指先から流れる血が床に線を描く。

 おぞましい光景に足が震え、声も出ない。

 ホラー映画やサスペンスドラマのワンシーンに入り込んでしまったみたいだ。

 そ、そうだ。クラオトさんは? クラオトさんに何とかしてもらおう。

 クラオトを呼ぼうとした瞬間、血まみれになったラルジャンの手が、私の足首を掴んだ。


「ヒッ!」

「シャリオン殿、教えてください。私は一体、どうすれば良いのでしょう?」


 鉛色の乱れた髪の隙間から、濁った瞳が私を見上げている。

 赤い花の飾りがついた髪留めが、血がこびり付いた床に転がっている。

 寒くもないのに、歯がガチガチと音を立てて止まらない。恐怖で足が竦む。

 悲鳴を上げそうになった所で、クラオトの背が視界に入った。

 袖の中から、10cm程度の極細針を取り出すとラルジャンの額、両目尻、手首の順に素早く射した。

 これは、元の世界で言う『針治療』か?

 使用する針は長いが、細過ぎて皮下脂肪より先には刺さりそうにない。

 針治療の針は、武器には含まれないみたいだ。


「ご安心を。暫くすれば、落ち着きを取り戻します」


 針が効いたのか、クラオトに支えられたラルジャンは貧乏揺すりをやめた。

 だらしなく口を開けて、ボーッと宙を見ている。

 会話は出来そうにない。ならば、長居は無用だな。 


「解決の糸口は、自分で見つけてください。私は、途中で逸れてしまったキリカさんとルーシアス君を探しに行きます。お招きくださり、ありがとうございました」


 私は、物が散乱する六角堂とそこに力なく座るラルジャンに背を向けた。

 私が世界の救世主である『勇者』にも、救えない人がいると実感した。

 これ以上、言う事は何も無い。

 全て彼の問題であって、彼自身が解決しなければ意味がない。

 私の前世の境遇は、マシな方だったのかもしれない。

 先の見えない人生に絶望はしていても、心を狂わすほど惨めではなかった。




 来た道を戻った私は、並木道に差し掛かっていた。

 あー、酷い目にあった。

 ダンジョン・ウエノエキで闘ったゴーレムやルーシアスとは、別の意味の怖さだった。

 ローウェルが先に二人を探している。早く合流しなければ……。


「お待ち下さい、ミスター・ガングラン」

「クラオトさん? ラルジャン様の傍にいなくて、大丈夫なんですか?」


 クラオトが追いかけて来た。

 おいおい、近侍が、病気のご主人様を置いてきちゃ駄目でしょ。


「大変、お見苦しい所をお見せしました。薬でお眠りになられましたので、問題ございません。グランド・マスターが、これを貴方様にお渡しするようにと」


 懐を探って一枚の白い封筒を取り出すと、私に差し出した。

 受け取ったが、宛先も差出人の名前も書かれていない。


「ありがとうござ、います? 何ですか、これ?」

「それについては、ミス・キリカがご存知です。内容については、彼女にお聞き下さい」

「分かりました。キリカちゃんに聞いてみます」


 私は封筒を腰のバッグにしまった。

 用件は終わっただろうにクラオトはその場から動かない。

 沈黙する私達の変わりに、小鳥が姦しく囀る。

 

「グランド・マスターのお命は、それほど長くはありません」


 出し抜けにそう言われた。

 突然の余命宣告だけど、それは本人とご家族に言わないと。


「針治療と薬で、快方に向かっているんじゃないんですか?」

「その薬を服用しているが為です。あの薬は心には良薬でも、肉体へは劇薬でしかないのです。心が先か、身体が先か……それだけです。針は一時凌ぎでしかありません」

「クラオトさんは、何と言うか……精神衰弱と死に対して、凄く達観されてますね」

「何分、人の死は見飽きておりますので。煌びやかな王宮とてグランド・マスターの様に、心を病んだ方は少なくありませんでした。そして、皆一様に短命でした」


 精神科で処方される薬って、そう言う副作用が多いって聞いた事はある。

 この世界でも、同じか……。

 どんな薬にも副作用は必ずあるんだけどさ。

 向うつ薬とか、飲み過ぎるとうつが悪化するって聞くしなぁ。


「回復魔法を使えば良いのでは?」

「回復魔法とは、外傷にのみ有効な術です。内臓、精神疾患などの目に見えない部位に効き目はありません。太古には不死魔術や蘇生魔術が存在しましたが、どれも禁術となりました」


 オリゾン・アストルの医療技術は、そこまで進んでいない。

 地球の技術と比較するなら、一昔以上は前と言ったところだろう。


「あんな人でも、里長なのに……あ! いえ、決してラルジャン様への悪口じゃ……」

「構いませんよ。私とて、口には出しませんが、常日頃からそう思っています」


 自分のご主人様に対して、この言い草とはね……。

 この森人族って、本当に曲者な種族だ。

 ファムさんもローウェルもいない私では、敷地内で迷ってしまうだろうとクラオトが道案内を買って出た。

 ここから、キリカが暮らしていた離宮まで案内してくれるそうだ。

 

「ラルジャン様に同情するわけではないですが……もう少し、どうにかならなかったんでしょうか? あれじゃ、『守護の霧』を操るためだけに、ここに閉じ込められてるみたいです」

「一は全の為の犠牲となれ――。生贄や人柱……閉鎖的な山村部には、こう言った風習が根強く残っているものです。そこに息づく者は何も感じません、それが当たり前だからです。しかし、外部からやって来た者には、この空気は異質と狂気でしかない」


 淡々と里の状況を分析して語るクラオトは、何となく生き生きとしている。

 感情の起伏が乏しいが、悪い人ではない。

 何故彼は、罪人になってしまったのだろう?


「ミスター・ガングラン、貴方達は早々にここを去るべきです。正常な感覚が麻痺し、その心が死んでしまう前に……」


 クラオトさんは? と聞きたかった。

 私の心中を察して、クラオトはぎこちなく笑うと、首を横に振った。

 その動作からは、抗えない運命への諦めが見て取れた。


「クラオトさんは、ご家族に会いたいとは思わないんですか?」

「さあ、どうでしたでしょうか。私の精神も当の前に麻痺していますので、郷愁がどの様な感情だったか……思い出せません」


 クラオトは、何処か遠くを見つめていた。

 私に向けられた言葉ではなかった。クラオト自身への自問自答だったのかもしれない。

 クラオトさんはお医者さんだし、見た目からして口が堅そうだ。

 この人になら打ち明けても良いかな、私の誰にも言えない『悩み』を……。


「勇者って、誰でも救える最強の存在だと思っていました。でも実際は、無力ですね。普通の人となんら変わらない……苦しんでるラルジャン様に何も出来なかった」


 自嘲気味に呟くと、クラオトがピタリと立ち止まった。

 片方しかない銀の瞳が細められる。


「勇者も所詮は『人』――。悩める全ての者を救おうなどとは考えない事です。一人の『人』が一生で出来る善行など、たかが知れているのです」

「救えるのなら、救いたい。そう思うのも、『人』だからこそだと思います」

「貴方はまだお若い。そして、驚くほど未熟だ。その苦悩は、若さゆえの不安(フラストレーション)――。経験と時が必ずや解決してくれでしょう。さあ、前方に見えるあの建物がミス・キリカのお住まいである離宮です」


 そう言えば、森人族は長寿の種族だった。

 クラオトは見た目こそ、私より少し年上に見えるが実際は物凄く高齢なのかもしれない。

 これは、人生経験を積んだ年長者だからこそ出来る、若者への手向けの言葉だ。


「ありがとうございます。ここからは一人で行けますので、ラルジャン様の所に戻ってあげてください」


 礼を言うと、クラオトは胸に右手を当てると優雅に一礼した。


「執務室の片付けもありますので、そうさせて頂きます。ミスター・ガングラン、心を病まれた時は、このクラオトをよしなに」

「……病まないように気をつけます」


 去っていくクラオトに、頭を下げた。

 一人になった私は、林の中に立つ建物を目指した。




 木々に囲まれた離宮は、広さはあるが質素な作りだった。

 建物を囲む低い垣根沿いには、小ぶりな白い花が植えられている。

 離宮の入り口前に到着すると、そこにはキリカと仏頂面のローウェルが立っていた。


「あれ? ルー君は?」


 何故か、ルーシアスだけがいなかった――。

 夕暮れが迫っている。

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