第26話.『姉弟の過去』




 この家、建物も、部屋も、廊下も、必要以上に多いし、それ全てが無駄に広い。2人を完全に見失った私達は、渡り廊下の真ん中で途方に暮れていた。

 ルーシアスめ、逃げ足速すぎんだろ。あの場にいたくないって言う気持ちは、分からんでもないけどさ。

 

「あの2人、何処に行っちゃったんでしょうね?」

「シャリオン様。探したいお気持ちは私も同じですが、お2人とも幼子ではありませんし、敷地内の何処にはいらっしゃるでしょうから。今は、ラルジャン様の元へ向かうのが先決ですわ」


 渡り廊下で、一息つく私にファムがこう提案してきた。

 ラルジャン様――。それが里長様、あの2人の父親の名前なんだね。


「そう、ですよね。ファムさん、里長様の元へ案内して頂けますか?」

「もちろんですわ。さあさあ、可愛いワンちゃんもついておいでなさい」

 

 可愛いワンちゃんと呼ばれたローウェルの表情をこっそり窺えば、思った通りファムさんを恨めしそうに見上げていた。その姿の宿命だと思って、もう諦めるしかないよ。

 今はファムさんと私、犬(ローウェル)しかいない。ちょっと、ソルシエール家の内情について聞いてみよう。

 長い渡り廊下を奥へ奥へと進んで行く。


「ファムさん、さっきのミシル様のお話は……事実なんですか?」

「とんでもない! 駆け落ちを持ちかけたのはヒミカではなく、ラルジャン様です!」


 大きな声を出してから、ファムさんは口を押さえて周囲を見回す。

 順序が逆な気がするけど、ローウェルも反応しないから周囲に人はいない。

 自分が仕えている主の悪口を言うなんて、厳罰モノに違いない。しかも、ファムさんは使用人達の上に立つ人物だ。その人が処罰されるなんて、あってはならない。


「大丈夫ですよ。私達以外、誰もいません。話して下さい」

「キリカお嬢様とルーシアスお坊ちゃまは、異母兄弟です。お嬢様は正妻であるヒミカ様のお子様で、ルーシアス様は側室のミシル様のお子様です」

「似ていなう姉弟だなとは思っていたんですが、やっぱりそう言う事情があったんですね」

「ミシル様はラルジャン様のお祖母様の外戚で、ラルジャン様とは産まれながらの許婚でした。幼い頃から交流のあったお2人は、それはもう仲の良い兄妹のようでしたのよ」


 隣を歩くファムさんは、思い出し笑いを浮かべながら、楽しそうに語っている。

 親同士が決めた許婚だったのならば、確かに正妻になるべきはミシルの方だ。

 親戚同士の結婚だなんて、古代の王朝を彷彿とさせる。血を絶やさないための策だが、それが逆効果だったんだよなぁ……。だからと言って、家臣の一族から嫁を貰えば、跡継ぎを巡る争いが起きるんだ。

 男の子を産まないとって躍起になったり、寵愛を受けてるを陥れたり、飲食物に毒を盛ったり。

 日本なら、大奥が良い例ですね。

 ドラマ上の過激な演出かと思っていたが、そうでもないのか。


「その当時からこのお屋敷に勤めていた私は、ある時、姪のヒミカがお2人と歳が近いので、使用人にしては? と前里長に進言致しました」

「3人の交友関係は、どうだったんですか? まさか、その時から険悪だったとか?」

「滅相もございません。もともとヒミカは物怖じしない子だったので、出会ってすぐお二人と打ち解けました。ミシル様とも仲が良くて、ラルジャン様には内緒で、お2人だけの文通までしていらっしゃいました」


 なんとまぁ……ヒミカとミシルは、無二の親友だったのか。

 ミシルの言い草からでは、仲が良かったなんて微塵も感じない。


「私にその事を、それはもう楽しそうにお話して下さいました。そんなお2人の関係に亀裂が入ったのは、ヒミカが二十歳を過ぎた頃からでした……ラルジャン様が突然、ミシル様との婚約を解消したいと言い出したのです」

「察するに……ラルジャン様にとって、幼い頃から一緒だったミシル様を妹以上の存在に見ることができなかった。その結果、ヒミカ様を愛してしまったと」


 ファムさんが目を伏せた。何も言わないけど、これは肯定を意味する無言だ。

 何となくだけど、この後の展開が分かってしまう自分が嫌になった。


「その訴えを聞いて前里長様は、2人の結婚を認めたんですか?」

「前里長様は大変お怒りになられ、ヒミカを捕らえると屋敷の外れにある離宮へと幽閉されました。そして、ミシル様との婚礼を急がせました。それが、あの最悪の結果を招いたのです」

「そ、そんな。いくらなんでも幽閉だなんて、やり過ぎですよ!」


 ヒミカは別に悪くないじゃないか!

 幽閉されるのは、ラルジャンの方だろう。


「里長様も始めの内は、幽閉などする気はなかったのです。ですが、ミシル様が……」

「ミシル様が?」

「前里長様に『ヒミカがラルジャン様を唆した』と密告したらしいのです。ヒミカはそんな人の道を外れた事をする娘ではないのに……ミシル様が一番良く知っていたはずなのに……」


 そこまで語ってファムさんが、嗚咽を漏らした。

 胸が締め付けられる。ファムさんの背をソッと摩ると「ありがとうございます」とエプロンのポケットからハンカチを取り出して、目元を拭った。

 愛する人を取り戻すために、ミシルが嘘をついた。

 無二の親友を陥れたのだ。痴情のもつれが引き起こしてしまった惨劇だ。

 話は佳境には入ったが、まだ終わりは見えない。 


「ヒミカの幽閉は、5年間続きました。とうとうラルジャン様とミシル様のご婚礼の日取りが決まりました。事が起きたのは、前日の深夜でした」

「まさか……」

「ラルジャン様が幽閉されていたヒミカを連れ出し、そのまま2人は行方不明に……。村人を上げて捜索しましたが、結局見つかりませんでした。愛する人と唯一無二の親友を一度に失ったミシル様は酷く取り乱されて……そのご様子は、目も当てられないものでした」


 そりゃ、そうだろうな。

 ミシル自身、事態がそこまで悪化するとは思わなかっただろう。

 しかも結婚前夜に新郎に逃げられるなんて、ミシルの立場になったら私だって耐えられない。

 発狂の一つや二つもするわな。

 重い話に胃もたれを起こしそうになる。

 気晴らしにローウェルを見れば、退屈そうに欠伸をしていた。武器は気楽で良いよな。でもこのまま、ラルジャンとヒミカが戻らないとキリカは産まれても、ミシルの子であるルーシアスが産まれてこない。

 ファムさんには申し訳ないが、話を続けてもらう。


「行方不明の間、2人はどうしていたんですか? ラルジャン様が里長になっているんですから、帰って来たんですよね?」

「失踪から11年の歳月が過ぎ、心労が重なり、病に伏せた前里長様がお亡くなりになられました。風の噂で里長様の死を知ったお2人が里に戻られました。ラルジャン様に支えらたヒミカは重い病を患っていました。そして、ヒミカの腕の中には女の赤子が抱かれておりました」

「その子がキリカちゃんだったんですね」


 ヒミカの子は、太股に不思議な形の痣があった。

 それを見たソルシエール一門は、その赤子が勇者の出現を告げる『巫女』であると断定した。それまでの行いを全て不問とし、巫女を産んだヒミカをラルジャンの正妻として本家に迎え入れた。正妻が決まった事で許婚を解消されたミシルは、実家に戻される。

 そうなるはずだった――。だが、実際はそうならなかった。

 言葉を詰まらせたファムさんは、小さく溜息をついた。

 


「ヒミカは、もう子を産める身体ではありませんでした。勇者の世話役である巫女は、跡継ぎになれません。どうしても、ソルシエール家には子供がもう一人必要でした。それから一年も経たぬ内に、ミシル様が元気な男の子をご出産なされました」


 いつの間にか、渡り廊下が終わっていた。

 枯山水の庭を抜け、緑生い茂る並木道に差し掛かっていた。敷地の奥まで来たと思うが、家屋らしき建造物は見当たらない。

 頭上からそよ風でキラキラ揺れる木漏れ日が、差し込んでいる。

 会話の内容のせいで、美しい景色も全部台無しだけど――。

 



 ここからの話が、聞いていて一番辛かった。

 こんな酷い事が出来る人間が、この世にはいるんだと自分の耳を疑った。

 キリカが5歳の誕生日を迎えた翌日、病床のヒミカが亡くなった。

 ヒミカの死を受け入れられず、心を病んだラルジャンは屋敷の一番奥にある書院に引き篭もってしまった。この事により、この屋敷の実権は跡継ぎを産んだミシルが握った。屋敷内で、ミシルに逆らえる者は誰もいなくなった。

 ミシルは最初に行ったのは、母は亡くした幼いキリカをヒミカがかつて幽閉された離宮に軟禁し、他人との交流の一切を禁じた。


「どうかしてる……。相手は母親を失ったばかりの、しかも5歳の女の子ですよ? 虐待じゃないですか!」

「ミシル様を虐待に駆り立てた要因は……」


 キリカが、亡きヒミカの生き写しだったからだ。

 瞳の色は違えど、日に日に大きくなっていくキリカは益々ヒミカに似ていった。その声も、性格も、仕草も……屋敷の者達は、ヒミカが蘇った様だと声を潜めて口々に噂した。その噂は当然、ミシルの耳にも入っていた。

 その当時のミシルは、心を病んだラルジャンの世話を甲斐甲斐しく看ていた。ここに、ヒミカに瓜二つなキリカがやって来たら、念願かない、やっと独占できた愛する人をまた奪われてしまう。

 ミシルは焦った。だが、巫女である子を屋敷から追い出すわけにはいかない。

 そして、思いついたのだ。ならば、愛する人の目の届かない場所に隠してしまおう。


「軟禁状態は、お嬢様が7歳で、この屋敷を離れるまでの2年間続きました。叔母である私は、お嬢様の食事の世話だけを許されました」

「ファムさんだけが、唯一の味方だったんですね」

「それが違うのです。実は私以外にもう一人、お嬢様を影で手助けする味方がいらっしゃたのです」

「まさか、その味方って……ルーシアス君ですか?」


 ラルジャンとミシルの子であるルーシアスは、父親譲りの『聡明さ』と母親譲りの『鷹揚自若』を受け継いだ。そして、異母姉であるキリカを誰よりも慕っていた。キリカが軟禁されたと知ったルーシアスは、母親であるヒミカに直訴し彼自身もミシルの怒りを買い、しばしの間、自室謹慎を言い渡された。

 それからだった、ルーシアスがミシルの言いつけに一切耳を貸さなくなった。

 父親が恋しくて、離宮を無断で抜け出したキリカが罰として、その日の食事3食を抜かれたと知れば、こっそり食事を運んでキリカに与えた。

 離宮から出られないキリカに四季折々の花や薬草を人目を忍んで届けては、花言葉や使い道、伝承を教え、薬草の持つ薬効や飲み合わせを事細かく語って聞かせた。

 またある時は、真夜中に離宮へと忍び込み、家庭教師すらつけてもらえないキリカに勉強を教えた。

 ルーシアスは、人一倍努力する子供だった。5歳の時点で、算術、歴史、地理、語学、兵法術、芸術、薬学、武芸など様々な学問を7歳までに全て習熟した。自分のためでも勿論あるが、何より籠の鳥になってしまった姉のために覚えたのだ。



 ミシルが、理不尽にキリカを叱ろうものなら、ルーシアスが必ず間に割って入った。実の母親に対して、「姉上は関係ありません。全て僕が自分の意思でやった事です。罰するなら、僕だけを罰して下さい」と、5歳ルーシアス少年は夜通し、屋敷内にあるミシルの別宅前に座り嘆願し続けた逸話まである。

 5歳児とは思えない行動力だ。

 それだけ、ルーシアスにとってキリカは特別な存在だったのだろう。

 でも、何故だ? ミシルが育てたルーシアスがどうして、ヒミカの娘であるキリカに敵対心を抱かなかったのか。ルーシアスは、ミシルのヒミカやキリかに対する恨み辛みの言動の数々を一番近くで聞いていたはず……懐く切欠が見当たらない。


「ミシル様は、子育てに対して知識やご関心がなかったのです。ミシル様のご実家では、跡継ぎ様の身の回りのお世話や教育は、乳母や使用人達の仕事だったようです。それに当時のミシル様は、ラルジャン様の傍を片時も離れようとなさらなかったので……」

「典型的な上流階級仕込みのお嬢様教育ですね」


 キリカとルーシアスが運命の出会いを果たしたのは、二人が3歳の時だった。

 麗らかな春の庭を散策していたルーシアスと使用人一行と、キリカを連れたヒミカ一行がバッタリ出くわしてしまった。

 両一行の使用人達は敵対関係であるため、当然の如く睨み合いが始まった。それを止めたのは、その日幾分か体調が良く久しぶりの散策を娘と一緒に楽しんでいたヒミカだった。

 ヒミカは使用人達に、こう注意したと言う。


『私達の不仲は、私達の問題です。この子達には関係ありません。たった2人の姉弟であるこの子達の前でいがみ合う事は私が許しません』


 そう言って、ヒミカは何が起きているのか理解できていないルーシアスの前にしゃがみ込んだ。そして、花の様な微笑を浮かべた。その後で、モジモジと人見知りするキリカを手招きし、ルーシアスの前に立たせると、二人の小さな手を取った。

 その時の会話は、昨日の事のようだとファムさんは言った。


『始めまして、ルーシアス様。この子は、キリカと言います。ルーシアス様とはお母さんが違いますが、貴方の本当のお姉さんです。キリカと仲良くして下さいますか? さあ、キリカもご挨拶なさい。この方は、貴方の弟のルーシアス様ですよ』

『こ、こんにちは。ルーシアスさん。キリカと申します。ワタシと遊んでくれますか?』

『キリカ……姉上様?』


 小首を傾げるルーシアスに、『姉』と呼ばれたキリカは満面の笑みで微笑み、喜んだ。それに釣られたのか、ルーシアスもニコリと微笑んだ。

 姉弟は、生まれて初めて、手を繋いで庭を歩いたり、走ったり、草の上で転げまわった。そして何が面白いのか、お互いに顔を見合わせてクスクスと笑い合った。

 この日、本当の意味で二人は姉と弟になった。




 キリカが7歳の誕生日を迎えた。キリカが『キリカ』になった記念すべき日だ。今までの会話で、ずっとキリカを『キリカ』と呼んでいたが、この名前は7歳の誕生日に行われた『命名の儀』で名付けられた名前だ。

 生前、ラルジャンとヒミカで決めていた名前らしい。余談だが、それまでは「ヒミカ様のご息女」とか、「巫女様」とか、「お嬢様」と呼ばれていた。

 それと同時期に、キリカの王都近郊への移住が決まった。

 何でもこの世界では、職種やスキルを取得するために『命名の儀』を無事に迎えた子供は、王都に留学しなければならないらしい。留学は言い過ぎか、地方から全寮制の学校に入学する感じだ。

 ミシルは、この時をずっと待っていた――。

 やっと邪魔物がこの家からいなくなる。キリカが王都へと旅立つ日だけは、ミシルも笑顔で見送りをした。ミシルの天下も長くは続かなかった。

 その数ヵ月後、『命名の儀』を終えたルーシアスが、ミシルにすら旅立ちを告げずに王都へと向かい、そのまま行方知れずになったのだ。

 ミシルはキリカがルーシアスを唆したのではと疑い、下宿先へ使いを送るが、そこにルーシアスはいなかった。たった一人の、しかも本家の跡継ぎとなる息子の逆心に、ミシルは深い悲しみに暮れた。

 それから数年間、キリカからは定期的に野鳥便箋での近況報告はあったが、ルーシアスからの連絡は一切なかった。

 そんな音信不通だったルーシアスが、この家に突然帰って来たのは1年前の事だった。

 勇者を迎えるに当たって、自分が『隠れ家』の整備をしたいとラルジャンに進言し、さらに『聖獣』であるニュイとネージュを召喚石に封じると、再び旅立ってしまった。

 そして、現在に至る……と言う訳だ。


「そんな事があったんですね」

「お嬢様は、この家について何も仰らなかったのでしょう?」

「ソルシエール家については、初代巫女様の話しか聞いていませんでした」


 気がつかなかった。

 あの天真爛漫なキリカにそんな暗い過去があっただなんて……。

 思い返せば、『隠れ家』でのキリカは、家族のことを語らなかった。16歳と言えど、まだまだ親が恋しい年齢だろうに、察しの悪い自分に腹が立った。猛省で済む話ではない。


「ルーシアス君は何故、そこまでしてキリカちゃんの味方をしたんでしょう?」

「私も一度だけ、お坊ちゃまに聞いた事があります。『どうしてお坊ちゃまは、ミシル様のお叱りを受けても、お嬢様の味方をなさるのですか?』と……」

 

 息を呑んで、ファムが次に発する言葉を待つ。

 一息ついてから、私の目を真っ直ぐ見つめてファムさんは笑った。


「『姉上をよろしくね、とヒミカ様に頼まれたからです。それに、僕は姉上が大好きです。姉上と一緒にいる時が一番楽しいです。それが理由では駄目なのですか?』と、お答えになられました」


 ルーシアスは、男の中の『漢』だ。

 心に大きな傷を負っている大切な姉が、男に襲われていたら……殺意が芽生えても致し方ないのかもしれない。

 あと、『サイコパス君』とか呼んでゴメンね。君は『聖人君主君』だったんだね。

 並木道が途切れ、眼前には葦が茂る湖畔が見えてきた。

 敷地内にあるとは思えないほど、広い湖だ。岸辺には、睡蓮の丸い葉と大輪の花が水面に埋め尽くす様に浮いている。

 静寂に包まれた美しい湖に沿って、枕木で舗装された木製の通路をさらに進んでいく。ローウェルの爪が、通路を踏む度に『チャカ、チャカ』と音を立てた。

 湖に突き出した林の奥に、湖に浮かぶ小さな建造物が見えてきた。

 橋の掛った六角形の壁のない吹き抜けの建物。雨足が強いと雨水が、ジャンジャン吹き込んでしまうだろう。

 ああ、そうだ。旅行雑誌であんな感じの観光スポットを見た事があるぞ。

『六角堂』って名前だった気がする。

 その建物を遠目から、ファムさんと一緒にボーッと眺めていた。




「ミス・シュエット」


 よく通るテノールボイス――。

 ファムと2人で振り返れば、そこに一人の男性が佇んでいた。

 色素の薄いブロンドの短髪に、猛禽類のように鋭い銀の眼差し。

 その片目は皮の眼帯によって閉ざされている。服装はルーシアスと似た白衣に、金鋲の装飾が付いた黒の外套を羽織っている。

 最も特徴的なのは、先の尖った長い耳。つまり、この美丈夫が2番目に古い種族『森人族』である事を証明している。

 その人物が、私達に音もなく歩み寄る。


「クラオト様! ご挨拶申し上げますわ」


 本当に何処から出てきたんだ? 忍者か、この人は。

 現れた森人族に、ファムさんが慌てふためいている。家令が先に挨拶してるって事は、この森人族はファムさんより立場が上だ。


「これより先は、このクラオトがグランド・マスターの元まで、勇者様をご案内致します。ミス・シュエット、ご苦労様でした。持ち場にお戻りを」

「ファムさん、こちらの方は?」


 頭を上げたファムさんに、そっと耳打ちする。

 どうも、この森人族の雰囲気は苦手だ。この人の目は、人を萎縮させるのだ。


「こちら、ラルジャン様の近侍であらせられるクラオト様ですわ」

「お初にお目に掛ります、ミスター・ガングラン。グランド・マスターがお待ちです。どうぞ、こちらへ。そちらのミスター・ローウェルもご同行願います」

「では、私はこれで。シャリオン様、またお会いしましょうね」

「ファムさん、ありがとうございました。次は是非、楽しい昔話を聞かせて下さいね」


 そう言い残してファムさんは一礼すると、そそくさと退散していった。

 近侍って、秘書みたいなものかな?

 案内人がファムさんからクラオトにチェンジして、私は湖畔に浮かぶ六角堂へ通された。クラオトさんは、無口な人でロボットみたいにキリキリ歩いた。

 声も掛けづらい雰囲気なので、私も無言でついて行く。

 掛けられた橋を渡り終えると、六角堂の手前でクラオトは立ち止まった。


「グランド・マスター。ミスター・ガングランをお連れ致しました」

「クラオト、案内ご苦労。どうぞ、お上がりくだされ46代目勇者殿」


 六角堂内に私の到着を報告すると、奥から覇気のない男性の声で返事が帰ってきた。クラオトさんの仕事はここまでなのか、軍隊などで『休め』と呼ばれている不動の姿勢をとった。

 その視線が、「呼ばれているんだから、早く行け」と言っている。

 足元を黒い塊が過ぎった。ビックリして目を凝らせば、沈黙を守っていたローウェルが、私の足元をすり抜けて六角堂に駆け上がった。

 どう見ても土足禁止の建物内に、ローウェルを追ってブーツを脱いでお邪魔した。高級感溢れる文机や茶箪笥、筆や紙、文房具、大量の書物と、家具一式が所狭しと配置された六角堂。

 その奥に湖を眺める男性の後姿があった。全身上から下まで黒尽くめで、白髪の目立つ鉛色の長髪を留める赤い花の髪飾りだけが、埋め尽くす黒にくっきりと栄えている。

 その背後で肩を怒らせているローウェルは、僅かな時間で人の姿に変化していた。


「小生が眠っている間に、ソルシエールの男は随分、女癖が悪くなったようだが……何か、申し開きはあるか? 里長よ」

「ははは、ローウェル殿のお怒りもご尤もです。勇者殿も私の愚行は、すでに聞き及んでいるのでしょう?」


 カラカラと乾いた笑いと共に振り返った男性の表情を見て、私は絶句した。

 やつれた顔、土気色の肌、落ち窪んだ目に濃い隈、目に光のない淀んだ瑠璃色の瞳。

 ぎこちない笑みが寒気がするほど不気味だった。

 彼が精神を病んでいると、一目で分かった。



 この人物が、現シビルの里の里長――、ラルジャン・ソルシエール。

 キリカのルーシアスの父親……その姿に、姉弟との相似点は残念ながら、見つけられなかった。

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