第3章.帰郷編

第25話.『ソルシエール家』




 シビルの里は、渓谷に広がる巨大な山村だ。

 これだけ大きな村でありながら、秘境と呼ばれる由縁。

 里長のみに伝わる秘術によって、渓谷周辺の森には『守りの霧』が絶えず立ち込めている。

 村の関係者でなければ、向けることの出来ない霧で、外部の者の侵入を阻む。




 里全体を見る。

 傍には大きな川が流れ、木造の家々が軒を連ねる集落部と、それをグルリと囲む石垣と丸太で出来た柵、東西南北に1棟ずつ建つ、高さ10mほどの物見櫓。

 村の奥には小高い丘があり、その頂上には大きな屋敷が建っている。

 その外側には畑や田んぼ、果樹園が区画整備されている。

 ニュイとネージュに乗ったまま、朱色に塗られた村の入り口である巨大な鳥居をくぐり抜ける。何処からどう見ても純和風な村だ。

 村の至る所に大小様々な鳥居や小さな祠が点在している。聞けば、村を守るための結界を張る魔道具と、敵の侵入を知らせる防犯魔道具なんだとか。

 ルーシアスの前に座っているキリカが、ヒョコッと顔を出して私に村を紹介してくれた。


「里の住人は、ソルシエール家の分家や親類がほとんどです。それ以外には、古くからソルシエール家に仕える小作人や使用人がいます」

「ほぉー」


 ここで初めて、キリカやルーシアス以外の人族を見た。

 皆、色取り取りの髪に瞳の色、絵の具チューブや色鉛筆に手足が生えて歩き回ってるみたいだ。

 全てが珍しくて、村の内部をキョロキョロ見渡す。

 道端で出会う人々が道端に避けて、キリカとルーシアスに頭を下げる。

 それにキリカとルーシアスも片手を上げたり、声を掛けて応対する。

 でも、後にいる私には「何だアイツ?」って顔でチラチラ視線を送ってくる。一応、「どうも」と私も頭を下げておいた。



 人々の髪型や服装は、平安時代辺りの庶民が着ていた着物に似ている。刺繍や入っていてちょっとだけ豪華なのが違いだ。

 勇者なのに、胸を張って堂々と出来ないこのもどかしさね。何で勇者だって名乗らないのかと言うと、ルーシアスに「父上の許可があるまで、誰にも名を乗るな。良いな?」と固く口止めされたからです。

 ローウェルは、村に入る前に犬の姿に変化し、ネージュから降りてしまった。

 ここまで来たら、ネージュの意思で勝手に前を行くニュイに着いて行くので、操作の必要がない。大の大人……しかも勇者が、山羊竜一頭乗りこなせない姿を村人に見せたら、後々示しがつかないと言う考えからだ。ローウェルは、私を立ててくれたのだ。

 犬の姿で歩くローウェルは、特にすれ違う人々には反応せず、真っ直ぐ前を向いて歩いている。

 村を分断する一本道を丘の上の屋敷に向かって進んでいく。

 途中、村の子供達がニュイとネージュの周りを駆け回り、ルーシアスに旅の話を聞かせて口々に欲しいとせがんだ。中には、ローウェルに興味津々の子もいて「犬だ!」、「可愛いね!」と頭を撫でていた。私ですら撫でた事ないのに……。 

 あのツンデレでサイコパス疑惑ありのルーシアスが、子供相手にマジギレするんじゃないかと、1人ハラハラしたが、そんな心配を他所にルーシアスは子供達に向かって、柔和に微笑えんだ。「里長様と大事なお話があるから、その後にいくらでもしてあげるよ」と子供達と口約束をして、手を振って別れた。

 意外な一面を見てしまった。

 私と目が合うと、ルーシアスはいつも通りの不機嫌そうな表情に戻ってしまった。柔和に微笑むルーシアスが、本来の彼なんだろうなと行き場のない視線を宙に彷徨わせた。




 ネージュの背に揺られ、丘の上の屋敷に到着した。

 ここがキリカとルーシアスの実家、『ソルシエール家』の本家邸宅だ。

 丘を昇り切った先には、100mほどの石畳が続き、朱色の千本鳥居が立ち並んでいる。その先に、屋敷の門が見える。こんな大きな屋敷は前世でも見たことない。屋敷と言うよりは、修学旅行で行く京都の寺社仏閣っぽい建物だ。

 屋敷の大きな門前に近づくと女性が立っているのが見えた。

 ここから見てもその動きは、どこかソワソワしている。灰色の髪を後頭部でシニヨンに結い、髪留めを付けた体格の良い、年配の女性だ。

 大正時代の喫茶店に勤めている着物に白いエプロンを着けた給女さんみたいな服装をしている。

 その女性を見た途端、キリカがニュイから飛び降りて女性の下へと走っていく。それに気付いた女性も両手を広げて、満面の笑顔で待ち構えている。


「ファムー!」

「キリカお嬢様―!」


 駆けて来たキリカをギューッと抱きしめて、女性はその場でぐるぐる回った。

 女性の腕の中で、キリカが嬉しそうに笑っている。

 何だ、なんだ? あのおば様は、何者だ?


「ただ今戻りました! ファム、お元気でしたか!」

「お帰りなさいませ。ファムはこの通り、元気でございますよ。まあまあ、キリカ様ったら、お転婆なのは変わらないわね!」


 キリカを地面に降ろすと、ニュイから降りて手綱を引くルーシアスを見た。


「ルーシアスお坊ちゃまも、お帰りなさいませ。本当にお久しぶりですね、お元気そうで何よりです」

「……ああ。ファム、お父様はいらっしゃるか?」

「ええ、お待ちになっておられますよ。ミシル様もルーシアスお坊ちゃまのお帰りを……」

「父上にお会いしたい。あの者も含め、案内を頼む」


 ルーシアスがニュイから「ファム」と呼ばれた女性が、膝を少し曲げて頭を下げる。

 ルーシアスへの対応が、キリカにしていた態度と全然違う。何て言うか、キリカには孫を甘やかすお祖母ちゃんで、ルーシアスには召使い然とした事務的なの接待だ。

 ファムさんの話が言い終らない内に、ルーシアスが手短に用件を伝える。

 そんなファムに、ネージュから降りようともたついている私をルーシアスが紹介している。

 待って、紹介は私が無事に降りてからにしてよッ! 

 覚悟を決めてネージュから飛び降り、ローウェルの隣によろめきながら着地した。

 下から絶対零度の視線を感じるが、合わせなければどうと言う事はない。

 ファムの言っていたミシル様って人が、2人のお母さんの名前かな?

 私が背中から降りたのが不満だったのか、ネージュが甘えた声で鳴きながら、背中に額をグリグリ擦り付ける。

 ネージュとしては、力を抑えたつもりなのだろうが、不意を突かれた私はその衝撃で前に突き飛ばされた。


「ネージュ、危ないでしょ! 後から人を押しちゃいけませんッ!! 今度やったら、め!だからね!」


 片足ケンケンパで必死にバランスを取り、ネージュを叱る。分かっているのかいないのか、ネージュは嬉しそうに「ピュイ、ピュイ!」と嘶いていた。

く、思った以上にネージュがアホの子だ……。

 深い諦めの溜息を着いて後、ハッと我に帰って前を向けば、ファムさんの前まで躍り出ていた。

 ファムが私を見て、目をまん丸にすると口元を手で押さえた。

 その様子に、ヒクッと口元が引きつってしまう。


「あらあら、まあまあ……」


 マズイですよ、このファムさんの反応は……オバ様特有の「あら、馬鹿な子が来たわねぇー」だよ。元職場のお局様が、新人のミスを見た時の反応だよ。

失望された。

 絶対、そうに決まっている。


「こ、こんにちは。ファム、さんでしたか? 私は……」

「聞き及んでおりますよ、貴方様がシャリオン・ガングラン様ですね」

「あ、はい。そうです」

「まあまあ、本当に素敵な殿方だこと! 私が後30歳若かったら、放って置かなかったわぁ!」

「そうでしょう、ファム! シャリオン様は、素敵なだけじゃなくて、とてもお優しい方なのよ!」


 キャイキャイと女子トークを始める2人に挟まれ、状況が把握できずに呆ける。ルーシアスとローウェルに助けを求めたが、男共は我関せずと明後日の方向を見ている。

 男ってこう言う時、本当に役に立たない。君達が同じ状況になっても、私は助けないからな。


「あのファムさんは、キリカちゃんとはどう言う?」

「あらあら、私ったら! 自己紹介を忘れちゃうなんて、ボケたのかしら? 私、ファム・シュエットと申しますわ」

「シュエット? ソルシエール家の方じゃないんですか?」

「私は、ソルシエール家に代々仕える使用人の一族なのです。今は、使用人達を束ねる家令を務めておりますの。キリカお嬢様のお母上様である、ヒミカ様の叔母にあたりますわ。以後、お見知りおきを」


 「ウフフ」と笑いながら、上品な口調で自己紹介をするファムさん。

 お茶目なオバ様だ。言われてみれば、何処となくキリカに似ている気がする。

 

「ん? 使用人の一族で、キリカちゃんのお母さんは姪?」

「ええ、そうですのよ。どうかなさいましたか?」


 ここで、ある不審な点に気がついてしまった。

 ファムさんは、キリカちゃんのお母さんであるヒミカ様の叔母さん。

 つまり、キリカちゃんのお母さんは……元使用人? 

 でも、さっきファムさんはルーシアスに「ミシル様が待ってる」と言っていた。キリカ、ルーシアス、ファムさん、ミシル様の相関図が頭の中で組み上がっていく。



 これって、つまり……。

 どこの世界でも権力者の血族は、こうなる運命だとでも言うのか?


「キリカお嬢様からの野鳥便箋で、シャリオン様の人となりは聞き及んでおりますわ」

「2人共、その辺で無駄話は終いにしてくれないか?」


 苛立った口調のルーシアスが、会話に割り込んできたおかげで、一気に現実に引き戻された。キリカがルーシアスを注意しているが、内奥が全く頭に入ってこない。

 私は思わずルーシアスをジッと見つめてしまった。そんな私に対して「何も言うな」と彼は鋭い目付きで語った。私は黙ったまま、コクリと頷いて見せた。

 空気を呼んだファムさんが、私達を手招く。流石は、使用人を束ねる家令だ。


「さあさあ皆様、お屋敷に方へどうぞ」


 ルーシアスが放置されてご機嫌斜めになったニュイとネージュを宥めて召喚石に戻す。ファムさんを先頭に、私達は門をくぐる。

 勇者シャリオンは、魔術師の名家――、ソルシエール家へと足を踏み入れたのだ。

 キリカとル-シアスの父親、シビルの里長が待っている。




 門を抜けた先には、広い庭園が続いていた。

 通路を挟んで対称な作りの庭園は、白い玉砂利と芝生が敷かれ、様々な花や木と言った植物が満開の花を咲かせている。手入れが行き届いた見事な庭だ。

 庭を抜け、玄関と思わしき豪奢な作りの門前で私達はある一行と出くわした。

 ファムさんと同じ衣装を着た人々が10人ほどで列を成し、歩幅を合わせて先頭の人物に付き従っている。私は、先頭を行く人に一瞬で目を奪われた。

 一行の先頭を歩くその女性は、絶世の美女だった。

 柑子色の長髪を結い上げ、金細工と宝石が施された簪を挿し、十二単に似た裾の長い着物を身に纏っている。瞳の色はこげ茶色で、左目元のホクロが艶かしさを引き立てる。目の冴えるような美女――、「絶世の美女」とは、この人のためにある言葉だ。

 ファムさんが立ち止まり、その女性に深々と令をする。女性は、長い睫毛に縁取られた瞳をゆっくりと私達に向けた。

 何故だろう、その瞳に射抜かれた気がした。

 驚きのあまり、女性の表情に目を見張ったが、女性はにこやかな微笑を湛えている。

 見間違いか?


「ご挨拶申し上げます。ご機嫌如何でしょうか? ミシル様」

「ええ、とても良いわ。ファム、面を上げなさい」

「はい」


 ファムさんが頭を上げて、一歩下がった。

 この人がファムさんの言っていたミシル様か。

 ファムさんとの挨拶を済ませたミシルの一行が、私達に近づいてくる。

 ルーシアスを真っ直ぐに見つめ、感極まった表情で両手を挙げた。


「ああ、ルーシアス! 帰って来てくれたのですね。それに……キリカさんも」

「母上様……ただ今戻りました」


 強張るの挨拶を聞いて、私は隣に立つキリカの顔を見た。

 すると、先程まで笑顔だったキリカの表情が曇っている。顔色も何処となく悪い。落ち着きなく、瞳が忙しなく動いている。まるで、目の前の女性――、ミシル・ソルシエールに怯えているみたいだ。

 先に名前を呼ばれたルーシアスは、聞こえていただろうに返事もせず、黙り込んでいる。


「そちらの方は、何方なのかしら?」

「この方は……私がお使えする46代目勇者で在らせられるシャリオン・ガングラン様です。訳あって、既に成人なされているのです」

「あら、そうだったのですか。私はてっきり、キリカさんが伴侶となる殿方をお連れしたのかと思いましたわ」

「そ、そんな。シャリオン様は……違います」


 オドオドしているキリカの否定をミシルは聞きもせず、楚々とした動作で私へと近づいて来る。

 身構える私の前でミシルは膝を曲げ、深々と頭を下げた。

 ふーん、なるほど。これがこの異世界の上流階級女性の挨拶なんだ。


「勇者様、挨拶もせず申し訳ございません。どうか、ミシルの非礼をお許し下さいませ。私は、ここにいるルーシアスとキリカの母でございます。ご挨拶を申し上げますわ」

「こちらこそ、ご挨拶が遅れました。私、46代目勇者シャリオン・ガングランと申します。ルーシアス君とキリカさんには、大変お世話になっています」


 私も挨拶をして、ミシルに頭を下げた。

 挨拶を聞いたミシルは、妖艶に微笑んで見せた。簪の飾りが揺れて、シャラリと音を奏でる。


「とは言いましてもキリカさんと私には、血の繋がりはありません。キリカさんは、亡くなった正妻様のたった一人のご息女ですので」

「正妻様とは、ヒミカ様と言う方のことですか?」

「ええ、そうですわ。使用人の娘の身でありながら、背の君様の正妻になった女性ですの。幼い頃、背の君様と私、ヒミカの3人は幼馴染でしたが、もう遠い過去の事ですわ」


 ミシルと私の会話を聞いているファムさんが、息を呑む音が聞こえた。

 それだけではない。キリカの表情はますます青ざめ、ルーシアスの表情は険しくなった。ローウェルは、興味なさ気に庭の草花を優雅に観賞している。


「そう仰られるミシル様は、どの様な立場のお方なんですか?」


 ファムさんと同じく、私も心中穏やかではない。

 少しムッとして嫌味を込めて聞き返せば、


「私は背の君様の側室であり、ルーシアスの実母です。ここにいる皆が言うには妾の立場です。本来の正妻は、許婚であった私でしたのに……」

「奥様が2人……シビルの里は、一夫多妻制なんですか?」

「いいえ、多くの妻を娶るのは本家のみの風習ですわ。妻を多く娶るのは、権力者の明かし、次の里長となる優秀な跡継ぎを産むのが、良き妻の役目です。巫女は……その副産物に過ぎません」


 淡々と語るミシルの言葉には、その端に棘がある。

 笑顔で喋るミシルの目は笑っていない。その氷のような視線が私ではなく、キリカに向けられている。そんなミシルをファムさんが、怒気の篭った目で睨んでいるのだ。

 これは、昼ドラ真っ青の展開だ。

 綺麗な花には毒があるって言うけど、こりゃ猛毒だな。


「全ての元凶は、ヒミカが背の君を誑かし、駆け落ちまがいの不貞を働いたせいですわ。その末に、産まれてきた子が、『御印』を持った巫女でしたので、騒動は不問となり、正妻の座を手にしたのです。そうでしたよね、キリカさん?」

「……はい。その通りです、お母上様」


 小刻みに震えながらも、ミシルの問いに答えるキリカ。

 無抵抗なキリカにジワジワと精神攻撃を仕掛けるミシルは、実に楽しそうだ。

 ファムさんが怒るのも頷ける。キリカは、継母に愛されていない。むしろ疎まれている。

 いくら義理の娘で、その母親であるヒミカ様とミシルの過去にいざこざがあったとしてもここまで邪険にする必要はないだろう。キリカ自身には、関係のない話だ。

 私、ここに何しに来たの? ドロドロのリアル愛憎劇を見に来たんだっけ?

 勇者として、ここはビシッと決めるべきなのか? でも、人様の家の家庭内事情に口を挟めるほど、偉い存在でも無いし……う、うーむ。


「ミシル様。僕達は先を急いでおりますので、これにて失礼させて頂きます」

「ルーシアス……また、その娘の肩を持つのですか? 何故、貴方はこの母の言う事が聞けないのですか!?」

「さあ、姉上。行きましょう」

「る、ルーシアスさん! お母上様、失礼致します!」


 ずっと沈黙を守っていたルーシアスが、もう限界だと言わんばかりに口を開いた。ミシルと目も合わせずに、固まってしまっているキリカの手を掴むと、ファムさんと私、ローウェルを置いて、と早足でさっさと先に行ってしまった。

 その行動に唖然としていたのは、私だけではない。ミシルも去って行くルーシアスの背を呆然と見つめていた。

 いつしかその目から憎しみの色は消え、息子を心配する母親の目に変わっていた。

 この家、家庭環境が相当複雑化してるな。この村の里長で、宮勤めの家長がいて、裕福

と、一見すれば幸せそうなのに……。

諍いの元凶は、里長である2人の父親にありそうだ。これから会うのに、辛辣な態度取っちゃいそうで自分が怖い。


「ミシル様、私達も失礼させて頂きます! 行こう、師匠! ファムさん!」

「私こそ、お邪魔して申し訳ございませんでした。シャリオン様、貴方様とはまたゆっくり、お話したいですわ」


 袖に覆われた手で、ミシルは口元を隠してクスクスと笑う。

 これ以上、貴女との会話は御免被る! と、言う本心は心の奥底にしまっておこう。

 ファムさんとローウェルを引き連れて、私はルーシアス達の後を追った。

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