04.

「恒夜。実はね」

「なんだよ、まだ話してないことがあるのか?」

 甘い夜は続いている。結構ネタばらしがあったが、まだあるというのだろうか。

「うん、すごく大事なこと。わたし、正体がばれたら、あんたの護衛の任が解かれる約束だったんだ」

「な、んだって?」

 驚きのあまり、言葉が上手く出てこない。せっかく、フェガロペトラが帰ってきて、こんなに幸せなのに、それがもう終わるというのか。

 酷い。

 いくら運命の神さまが人間に厳しめだからといってこれはあんまりな仕打ちだ。そうか、だから人飼はフェガロペトラの正体をバラしていったんだな。これが、「策」というやつか。

「だ、だけど、なんでそんな面倒なことになってるんだ?」

 恒夜は、身に覚えがない。確かに、特別な血であるとは告げられた。だけど、自覚が伴わないのだから、仕方がない。

「その、あんたの血を個人のものにしないかっていう危惧があったの」

「まあ、その、なんだ。手遅れだな」

 恒夜は、斜め上を見て鼻をかきながら言った。ちょっと、照れくさい。

「どういう意味?」

 フェガロペトラは、純粋にわからないという顔をした。

「オレはとっくにおまえのもの、ぐはぁ」

「と、当然よね~」

 顔は、照れており、軽く恥じらいのせいか俯いていたが、左手は恒夜の頬に突き刺さっていた。

「照れながら殴るなよ」

「恥ずかしいことを言うからでしょ!」

 なんで、切れられているのかわからない。

「事実だ。受け止めろ」

 あえて大真面目な顔で、その蒼い目を見て言った。

「~~! またあ!」

 今度は、顔を両手で覆うようにして隠してしまう。なんていうか、今までの会話が聞かれていたのがわかると、開き直れた。もう後は、これを利用してかわいいフェガロペトラを見るだけだ。

 そうして何分かが過ぎた。空気も心なしか柔らかく感じる。これが、甘い空気とでもいうのだろうか。なんにも話しをしていないのに二人は間違いなく同じ空間を、時間を、共有していた。

「だから、わたし戦うの」

 ぽつりと、フェガロペトラが呟く。

「戦って戦ってまた、鮮血の戦乙女ブラッドヴァルキリーの名を守る。そうすれば、またあんたの護衛ができる」

「そんときは、また記憶が改ざんされるのかオレ?」

「改ざんなんてしてないよ。わたしを、フェガロペトラとして認識できないようにしていただけ」

「それも魔法なのか?」

「そう。わたしは、基本的に自分にしか魔法をかけられないけど、その分ちょっと高度なのも使えるんだ。認知を狂わせたり、認識を誤らせたりするのは、高等魔法なんだぞ」

 そういって、自慢げに胸をはる。まったくもって張り甲斐のある胸だ。男の浪漫が詰まっているのだろう。

「まあ、それのおかげで、オレは酷い頭痛に悩まれたりしたわけだけどな。後、こっ恥ずかしい話をさせられたり」

「あれはー。あれは、恒夜が話しやすいとか言って勝手にしゃべったんでしょ?」

 ちょっと、声に苛つきが混じった。

「なんだよ、なんでおまえが怒るんだよ?」

「わたしだって、人ののろけを聞いてて楽しいと思う?」

「人のじゃないだろ。全部おまえに向けてだっただろ」

「そういえばそうかもね。でも、いつ他人の名前が出てくるか、気が気じゃなかったんだから」

 やっぱり、少し機嫌を損ねてしまうのだった。優柔不断のつもりはない。でも、こんなにも彼女を不安にさせてしまうのだ。それは、反省しなくてはならない。今なら、まだやり直せる。お互い生きているから。

「わたし、恒夜が他の女のことを楽しく語ってたら殺してたかもしれない」

 怖っ。

「ん? じゃあ、七年後っていうのは、ストリゴイカが人間になって子供を産むっていう話だったのか?」

「こ、子供って。ま、まあ、そういうニュアンスね。そしたらまた一緒になれるかなって。でも、不安だったんだよ? 偽装とはいえ、わたしの葬式までした恒夜が七年後まで待っててくれるわけないって思ってたから」

 しゅんと小さくなりながら、フェガロペトラは言った。

 愛いやつめ。思わず、頭を撫でてしまった。

「でも、ここはわたしの場所。本当に死んだってここは譲りたくなかったんだから。だから、わたしは、この場所を守る。そして、帰ってくる!」

 恒夜は、感動してしまった。その冬の寒ささえ吹き飛ばしそうな激しい勝ち気。これこそまさに、フェガロペドラだ。

 だけど、そんなに力まなくても、恒夜の隣は、フェガロペトラの永久指定席なのに。無駄に頑張るのは、この二人のケンカの元であり、同時に二人の絆でもあった。本気でふざけ合って、本気で怒る。それでも切れない鎖。

「わたしね、あんたには怒られるかも知れないけど、死んでよかったと思ってるんだ」

「……ふ、ふざけんな!」

 一瞬、意味がわからなくて呆然とした後、恒夜の目の前が怒りのあまり白く塗りつぶされる。今までの恒夜の状態を知っての言葉だろうが、思わず血が上るのは止められなかった。

「最後まで! 最後まで聞いて、お願い」

 珍しく、神妙な面持ち。自分でもおかしなことを言っている自覚はあるのだろう。語尾になるに従って、弱々しくなっていった。そんなフェガロペトラは珍しい。恒夜の怒りもするっと引っ込むくらい。

「あんたの気持ちを知ることができたから。わたし、このままだと一生友達のような気がしてた。切なくて、胸がぎゅっと締め付けられるのは、わたしだけかもって思ったら悲しくもなった」

 なんだか、消えてしまいそうな存在の不確かさ。恋する女の子って、みんながこんなにも儚い美しさを持つのだろうか。思わず、見入ってしまう。

「でも、あんたも同じ気持ちなんだってわかったら、すごくほっとした。たぶん、わたしを殺したのは、あの胸を斬り裂くような想いだったんだよ」

「馬鹿、やろう」

 優しく抱き寄せる。

「あ、あんただって! それにやろうじゃないもん」

「オレは、おまえの上を行く大馬鹿だよ。オレは、一生この距離が心地良いって思ってたから」

 フェガロペトラは、ぱっと身を離して、毒づく。

「本当に、大馬鹿ね。あんたが死ねばよかったのに」

「ああ、本当だ」

「でも、あんたでよかったと思うよ。だってさ、普通は吸血鬼だって言うことをこんなに簡単に受け入れられないと思うし」

「魔法もかけられたしな。散々だ。……だけど、受け入れたのはおまえだからだよ。吸血鬼なんて未だに信じられないぐらいだ」

 恒夜は、飄々と魔法も認めてるかのように言った。照れくさいので、そっぽを向きながら。顔が赤くなるのが手にとるようにわかる。

 だが、裏では単純なもので、フェガロペトラへの気持ちが怪奇現象に勝っただけのこと。だから、今でも「吸血鬼っていうのは嘘だよーん」とか言ってくれるのを期待したりしている。

 でも、あの暴風のような力、強さは人間のそれとは思えなかった。怖くないかと問われればちびりそうだ。だけど、フェガロペトラが、そうだというならば認めよう。死ぬことを認めるのと比べれば苦でもない。と、思う。思い込みたい。

「で、その鮮血の戦乙女とやらは、いつ問い直されるんだ?」

「次の満月」

「次って、いつだ?」

「明日」

「明日ぁ!?」

「そう。わたしたちストリゴイカは、満月の夜になると戦うの」

 軽く興奮気味だ。鼻息が荒い。

「なんで?」

「え? 満月ってなんかわくわくむらむらしない?」

「しない!」

 むらむらはするかも知れないけど。ちょっと興奮して、ほんのり桜色になっフェガロペトラを想像したら、かなりむらむらはしそうだ。



 魔女のワルプルギスノアプトゥ。ストリゴイカは、満月夜に集まってひたすらに戦う習性があるらしい。理由は、もはや忘れ去られてから久しいのだと言う。本能に従って平野でただ戦いをするというのだ。きっと、事情のわからない非関係者が見たら空恐ろしかったに違いない。

 事情を聞いた恒夜ですら、目の前で繰り広げられているのがなんなのかわからず、恐怖を感じている。赤い髪と青い目をした人間じゃないものが、人間には到底できない動きで戦っているのだ。

 吸血鬼の女たちが十人弱、河原に集まり、理由もわからず超常的な戦いをする。不毛としか思えない。だけど、あるストリゴイカが画期的なことを言いだしたらしいのである。「魔女の宴で、勝ったものを鮮血の戦乙女ブラッドヴァルキリーと称して讃えよう」とか、なんとか。

 しかし、讃えるのは良いが、権限が強そうなことを言っている割に規模が小さい気がする。もっと、百人とか集まってやるのかと思ったらこの人数。選抜かなんかなのだろうか。世界的に見たら鮮血の戦乙女はどれほどいるのだろう。ものすごく気になる。

 で、その戦いに勝つためには、強くなくてはいけない。強いストリゴイカになるために、手っ取り早いのが条件を満たすことだ。ストリゴイカになるための条件はいくつかある。

 恒夜は、図書館で読んだ本の内容とフェガロペトラの話を頭に浮かべていた。自殺者や犯罪者、魔女もしくはヴァンパイア族に殺されたもの、七番目の息子、胞衣を纏って生まれたもの、ヴァンパイア族に睨まれた胎児、片想いの末に結婚せずに死んだもの、猫が跨いだ死体がストリゴイカになるという。

 この中の項目を多く満たしてストリゴイカになったものは、より強力なストリゴイカになれるらしい。このうち、ヴァンパイア族に殺された、胞衣を纏った、ヴァンパイア族に睨まれた胎児、あとひ・み・つが該当するらしい。なんだ、秘密って。

 同じ赤い髪をして、同じ様な服装の女の吸血鬼たちが集まってひたすら殴り合っている。はっきり言って異様だ。それは、河原を堤防の高みから見下ろしている恒夜にも痛いほど伝わってきていた。その中で、一番強いのはフェガロペトラだ。

 圧倒的な武力で周りを寄せ付けていない、フェガロペトラが高々と声を上げる。

「我こそと思う勇士は、わたしに挑め! 鮮血の戦乙女はここぞ!」

 やってることは殴り合い。彼女らの攻撃力は半端ないはずだ。それなのに、死者は一人もいない。オペラグラスでずっと見ていくが、何人かあられもない姿で気絶してるのが見て取れるだけで、死んではいないようだ。吸血鬼は死んだら灰になるというのはストリゴイカ族にも共通するらしいので、今のところ灰になったのは確認していない。

 恒夜も、余裕で見ていられる強さだった。それにしても、雷とか火とかなんかが、時折ほとばしるのを見ていて、自分はなにを見ているのだろうという気分になっている。

「はははっ、はーっはっはっは!」

 まさに、無双状態のフェガロペトラ。楽しそうに、哄笑すらしている。なんで、あんなに楽しそうに戦えるのか。あれが、わくわくむらむらの結果ということか。

 ある意味、究極のストレス発散方法ではないだろうかと思い至る。確かに、心のままに暴れているときはすきっとするのは、わからなくもない。その後の、ぶり返しで、へこむことはあるが。

 フェガロペトラは、一人の顔面を掴むと、そのまま一種の武器のように振り回した。それは踊るように、流れるように。華麗にして流麗。見覚えのある動きだった。確か、舞踏戦斧モアルトダンズといっただろうか。あれと同じ動きをしている。

 掴まれていたやつも最初は、抵抗していたが、途中から動かなくなった。あれは人間なら首の骨が粉砕されて即死しているだろう。一人また一人と、フェガロペトラの前に沈んでいく。

 一通り打ち据えた後、手にしていた同族をいかにも興味がないように無造作に投げ捨てた。この場になって、立っているのは三人。フェガロペトラ以外の二人は、手を組むことにしたのか、頷き合っている。

「汚ねえな、おい」

 と、堤防の上から呟いても仕方のないことだ。でも、戦略としてはありだよな。なんて、思っていた。

 呑気であるには理由がある。フェガロペトラを信じていたし、そんな精神論を抜きにしたって、フェガロペトラの方が実力が上だ。負けるとすれば、どちらかもしくは両方がトリックスターの場合だ。

 でも、心配などしていなかった。

 一人が、いかずちをフェガロペトラの足下に炸裂させる。その隙に、もう一人が飛びかかった。目くらましのつもりだったのだろうが、あまい。フェガロペトラには、その意図すら見抜いているように見える。

 思い切り拳で、殴り落としにかかった。終わったかな、そう思ったときに飛びかかったストリゴイカは、その腕に、するりと巻き付く。

「!」

 フェガロペトラが、不意を突かれたらしい。腕ひしぎをかけられる。

「取った!」

 飛び関節のストリゴイカが、鬼の首を取ったように高らかに宣言した。

「甘い。甘いね!」

 もう一絞りすれば、完全に折れるだろう腕。だが、その一絞りができずにいた。

「強いってのはさ――」

 もう一人が、一時的に手を組んだ相棒を巻き込む形でいかずちを落とした。さすがのフェガロペトラも直撃を食らう。

 飛び関節の方は、煙を上げながら、崩れ落ちた。

「ロペ!」

 さすがに恒夜も不安になった。だけど、力の抜けかけた膝にもう一度力を入れて、たたらを踏んだが立っている。

「――強いっていうのはさ、どんな奇襲、小細工を仕掛けられても勝てるから『強い』って言うんだよ!」

 轟っと、風がフェガロペトラを中心に舞い上がったような気がした。

「どんな理屈だ、そりゃ」

 間違っていないのだろうけど。恒夜の独り言は、寒風に乗って霧散する。

 最後の仲間のストリゴイカは、あたふたしてるのが手に取るようだ。

「恒夜には秘密だけど、わたしは片想いで結婚できずに死んだストリゴイカ。恋する乙女をなめんなよ!」

 ばっちり聞こえたぜ。ひ・み・つってそのことか。なるほどね。聞こえたことは秘密にしておこう。心のアルバムにばっちり保存だけしておいた。

 一晩は、眺めているのには長い。夜は完全に冷えるこの季節。特に、厳しかった。でも、恒夜は、手袋をはめ、マフラーを巻いて観戦している。夜明けまで、あと二時間というところで、戦いは幕を下ろした。戦う相手がみんな気絶していたら戦いようもないだろう。

 遠くてよくわからないが、あの大きな戦斧がまたフェガロペトラに授与されているところを見ると無事鮮血の戦乙女に戻れたのだろう。よかった。本当によかった。また、一緒に過ごせる日が戻ってくる。

 気がつけば、ぼこぼこにされたフェガロペトラが、すぐ前まで来ていた。もっと、なんていうか女性同士なんだから、上品というか怪我の少ない戦いになるものと思い込んでいたが、そんなことはなく。普通に、顔が変形する寸前までいってる顔だった。しかも、ちょっと焦げている。

 でも、そこに浮かぶ表情は自信と誇りに満ちていた。自分の力で、自分のやりたいことを押し通し、やり遂げたものの顔だ。

「すごい顔だな」

 それらを読み取り、なおそう言った。

「敵は敵だけにあらず、ということね」

 味方も立場が違えば立派な壁、ということか。

「いいんじゃないか。おまえらしくて」

「そうでしょ?」

 満面の笑顔。ガキ大将が浮かべるようなやんちゃで、でも純粋な笑顔。

「ああ、おまえが誇らしい」

「この街でわたしに勝てるストリゴイカはいない。でも、ヴァンパイア族に勝てるかはわからない」

「そうなんだ。でも、気楽に行こうぜ。おまえが負けて、喰われるなら諦めも付きそうだ」

「そんな悲しいこと言わないで。わたしは、そんな未来を回避するためにここにいるんだから」

 小さくため息を吐いて、フェガロペトラの頭の上に手を置いた。

「すまない、今のは結論を急ぎすぎた。オレは、おまえのことを信じてる。誰よりも」

「そ、そうよ。当たり前じゃない! 今のは恒夜が悪い。罰としてジュースをおごって」

「あいよ」

 二人はコンビニエンスストアに向かって歩き始めた。コンビニエンスストアまでは十五分といったところか。その間にフェガロペトラの顔の怪我は大方治まっていた。コンビニエンスストアの明かりに照らし出されたフェガロペトラは、やっぱり美しかった。少しばかり怪我が残っているが、それすらいいアクセントだ。化粧よりよっぽど彼女らしいし、映えさせる。

「ここで、待ってろよ。買ってくるから」

「あいよ~」

 にこにこと嬉しそうに。その笑顔だけでなんにもいらない。そう思った。



「ねえ、恒夜。お出かけしようよ?」

 無事、護衛任務に戻ってきたフェガロペトラは、突然そんなことを切り出した。

「お出かけって、今でも充分一緒じゃんか」

 恒夜は、この日々の逢瀬で充分満足していたために、そんな返事になってしまった。でも、ちょっと考えればそれがどんなに素晴らしいものかは想像がつく。

「ぶー、いいじゃん。少しばかり着飾って、いつもとは違うところを歩く。それだけで、なにもかもが違って見えるんだから」

 どんなに素晴らしいかを想像したのと、少しばかり着飾ったフェガロペトラを思い描いたので、恒夜に反対の理由はなくなっていた。

「そんなものか。どこか行きたいところあるのか?」

「特には、ないけど」

「なんだそりゃ」

「そこはー、男の腕の見せ所なんじゃないのかなって思ったり思わなかったりー?」

 歯切れの悪いフェガロペトラ。

「要するに、デートコースを作れということか」

「で、デート!」

 そんな表現の違い一つに顔を真っ赤にするフェガロペトラ。かわいい。愛いやつだ。

「そ、そんな大層なお題目なくていいの。二人で、お出かけできたら」

「んー、じゃあ、美作まで出るかぁ? ここじゃ、夜遅くに開いてるのは、カラオケぐらいだろ」

「か、カラオケ……」

 フェガロペトラは、歌うことは好き。でも、あまり上手くないという部類に入る。リズムは外さないが、音程はほとんど取れていない。音痴とまで行かずとも、その類なのである。

「カラオケは、いやだろ?」

「い、いやじゃないけど……。他がいい、かなー? なんて」

「じゃあ、ボウリングとかかな? アラウンドワンとかいって一晩中なんかし続けるか。あー、それとも、マンガ喫茶でまったりするか。結構、ここにも娯楽あんだな」

 しみじみと地元の良さを、感じたりする。

「あの、ね。別に、夜じゃなくてもいいんだけど……」

「え? 昼間活動できんの?」

 だいぶ驚きである。吸血鬼イコール太陽はダメという思い込みがあった。

「かの有名なドラキュラ伯爵だって、昼間活動していたという報告があるくらいだし。いやなだけで、死ぬほどの問題じゃないの」

「ふーん」

 そういうことならば、策の練りようがある。練り甲斐があると言った方が適切かも知れない。

「もし、辛くても気合いでなんとかする!」

 また、むちゃくちゃを言い出したが、でも有言実行な彼女のことだ、きっと気合いでなんとかしてしまうんだろう。

 それにしても、女の子とデートか。そんなことしたことがないのでどうして良いかは、周りの話や雑誌の記事を頼るしかない。そもそも、フェガロペトラとは、二人っきりで出かけたことなどないのでいまいち勝手がわからない。

 でも。嬉しい。わくわくする気持ちが抑えられないかも知れない。そんなわけで、フェガロペトラと別れた後、こっそりコンビニエンスストアに戻って、資料になりそうな雑誌を二冊見繕った。市内での遊びスポット用と、郊外、他市を含めた観光用の二冊である。



 次の日、学校であくびをかみ殺しながら、恒夜は郊外、他市の観光用の雑誌を見ていた。ただでさえ短くなりつつある夜の睡眠が、この雑誌を読んでいたせいでさらに遅くなったためだ。すると、教室に顔を見せるなり七沢がそれに興味を持ったらしい。

「おはよー。朝霧くん、朝からなにを読んでるの?」

 読んでる雑誌について、尋ねられた。

「おはよ、七沢。これか? これは、見ての通り、観光用の雑誌だよ」

「それって、みんなで行くっていう話じゃないよね?」

 そういえば。あまりに普通になっていたのですっぽり抜けていたが、フェガロペトラが生きてるのを知っているのは、恒夜だけだ。これは失敗をした。

「うん、いや、まあ、あれだ。か、家族で? 行けたらいいなぁと。最近いやなことが多かっただろ。だから、気分転換にならないかな、なんてな」

 なんとなく、嘘をついてしまった。七沢、高山、藍浦には言っておいてもいい気がするが、今この場ではない気がする。なんとなく、パニックにとかになって大事になる気がするからだ。

「そうなんだ」

「最近流行の場所って、どこら辺かわかるか?」

「えっと、地元の動物園とか、美作の動物園、登川の水族館とか結構話題には上がるよね」

「道麓とかのリゾートもいいらしいな」

 持っている雑誌のページを探しながら、答えた。昨日見た覚えがある。

「あそこら辺は、夏は遊園地、これからの冬はスキー場って感じみたいだよね。でも、家族でっていうよりは恋人と行きたい感じの場所かな?」

 恋人という言葉にどきりとした。顔には出てないと思うが、焦ってしまう。

「うん、なるほどね」

 七沢は、珍しく恒夜の前の席に座った。いつもなら横にいて話しかけてくるのに。ああ、そうか、いつも正面は高山か藍浦に取られているからか。

 七沢は、少しもじもじして、恥ずかしそうに恒夜の顔を覗き込むように見てくる。なんか、そういう女の子らしい仕草には抵抗がないため、異様に気恥ずかしい。しかも衆人環視だし。

 思わず、恒夜も照れてしまう。

 なんだろう、この空気。お見合いの空気のようだ。初めての出会いでもあるまいし、なにをそんなに緊張する必要があるのか。したくて緊張してるわけじゃないのだが。

 七沢は、その大人しそうな顔に、優しげな笑顔を浮かべている。不意に見せたその笑顔にどぎまぎさせられた。

「最近、眠そうだけど、雰囲気いいよね」

「誰の?」

「朝霧くん」

 教室の雑踏が一瞬にして意識から消えた。普段の七沢からはあり得ないほどの魅力を感じる。フェガロペトラのことを忘れているわけではない。それ以上に、惹かれるかわいらしさがある。

「え、あ。そ、そう?」

「うん」

 自覚はないが、仮にそうだとすればすべてフェガロペトラの力だろう。彼女がいるからこそだ。

「そんなに楽しそうにしてる朝霧くんは、ロペちゃんの件以来初めてかも」

「そ、そんなことないって」

 笑って誤魔化してみるが効果はないようだ。

「ううん。みんなと談笑してても、どこか影があったもん。それが取れてるよ」

「そうなのかな?」

「なんかあったのは間違いないけど、なにがあったのかはわからないけどね」

 静かにはにかむ七沢。また、心臓が大きく鼓動した。

 充分、わかられている。女の子の洞察力とは、こんなにもすごいものなのか。それとも、友達だからわかるのか。

「私も――」

「おはよう!」

 高山が、割り込んできた。今、七沢がなにかを言い出そうとしていたような気がする。高山を見た後、七沢の方を見て見ると俯いていた。

「おはよう、高山」

 七沢は、そそくさと席を立って、いつものように横の席に着いた。

「なんの話してたんだ?」

「ああ、家族旅行の話。最近の流行はどこかってな」

「家族旅行? いつ行くんだ?」

「え、あ、いや具体的なことはなにも決まってないんだ」

「なんだそりゃ」

 高山には呆れられてしまった。まあ、フェガロペトラのことは内緒にしてるからいろいろ後ろめたい。特に、このいつものメンツにはとても心苦しい思いをしている。

 こいつらにだったら、言ってもいいような気がするのだが、フェガロペトラに「もうちょっと待って」と言われているので、時機を見ている。

 というか、生きているのを報告すると、吸血鬼であることも言わねばならない。それを受け入れてくれるかはわからない。告白の勇気は相当なものだろう。

「ん、最近暗い事件が多いから、なんかプランを提出できないものかと、愚息ながらに気を使ってる訳だよ」

「気を使ってるのは、おまえのご両親だろ」

 七沢も、頷いている。

「やっぱ、そう思うだろ? オレもそう思うんだよ。だから、ぱーっと遊ぶ姿でも見せて元気づけようかと」

「止めとけ。今はまだ時機じゃない。逆に痛々しく見えるだろう」

「うんうん、私もそう思う」

「な。周りから見てると、無理してるように見えんだよ」

 そうなのか。でも、この明るさはそう見えるんだな。まあ、そうだろうな。最愛の想い人を亡くして二ヶ月。立ち直るには早すぎる。

「ああ、わかったよ。旅行の件はまた機を見て提案することにするわ」

「そうしとけ。それより、あいつどうしたんだよ?」

「あいつ? あいつって誰?」

 高山は、ちょっと不愉快そうに眉根を寄せた。

「多賀谷だよ。あいつとなにがあった?」

「ちょっ、ちょっと待ってくれ。オレが原因なのか?」

「だってよ、学校をしばらく休んでいて、復帰したら、おまえをさらってどこかに行って、そのまままた学校に来てないんだぞ? おまえがなにかしたと思うだろ普通」

 本当は、逆なのだ。なにもしなかったから、こうなったとも言える。

「よし、今日は帰りにワックに集合な。そこで話す」

「オーケー」

「わかったよ」

 藍浦が、時間ぎりぎりで教室に飛び込んできた。朝練ご苦労様である。



 放課後、陽はすっかり短くなって、斜陽の時刻になっていた。教室を出ると廊下の空気はひんやりとしている。すっかり、冬将軍の第一陣が到着したようだ。

 高山は、なにやら用事があるらしく、別行動になった。藍浦は部活のミーティングだ。今は、七沢と二人きりで、いつものワクドナルドに向かって歩を進めている。

 七沢は、いつも多くをしゃべる性格ではない。でも、今日の寡黙さはいつもとは種類が違うことぐらい、「にぶちん」の恒夜でもわかることだ。ちなみに、「にぶちん」とは、フェガロペトラが生前、恒夜に授けた二つ名の一つだ。

 二つのお下げだけがいつもと変わらず揺れている。その表情は、俯いていて見えない。恒夜はそんなに背が高い部類にははいらないが、七沢は小柄に属する。かわいい小動物系だと思う。いるとこう、和むし。高山が惹かれている理由はなんとなく理解できてると思う。

 今まで、ずっとフェガロペトラしか見てこなかった。だからかも知れないが、七沢を女の子として意識したことはない。でも、今初めて意識してるのが、自分でもわかる。

 なにかこう、気恥ずかしい。二人の距離は今までとさほど変わらないと思うが、間に壁のような仕切りのようなものがあるような感覚だった。二人の物理的な距離など、今まで考えたことなどもないから遠い近いは、なんとなくだ。

「なあ?」

 恒夜は、沈黙に耐えられなくなって、口を開いた。七沢は、傍目で見ていてわかるほどに、びくりとする。あー、話しかけたのも不味かったのかと、思うほどに。

「ご、ごめんね。なにかな?」

「いや、オレなんか嫌われることしたかなって」

「え? なんで?」

 きょとんとした七沢の顔。心底わかりませんと顔に書いてあった。

「なんつーか、今日すっごく避けられてるように感じるからさ」

「そ、そんなこと! そんなこと、ないよ」

 消え入りそうな声で、七沢はそういった。

 「じゃあ、なんで?」とは聞けなかった。聞く勇気を恒夜は持っていないし、聞いたら戻れないような気がしたからだ。

 二人は、そのままワクドナルドに到着するまで、一言も話しをすることができなかった。

 ようやく口を開いたのは、注文のときで、でもやっぱり二人の間に言葉はない。フェガロペトラとは会話がなくても全然平気だが、七沢との間には、黙っている分だけ気まずさが募っていっているようだった。

 注文の品を受け取って、席に着く。七沢は、しきりに周りを気にしていた。なんだろう、いつも気にしてないのに、今日に限ってどうしたのだろう。七沢は、カップルの方を呆と見ていた。

 そうか、そういうことなのか。なんとなくわかった気がした。ここは早めに謝っておくべきだと判断した。

「なあ、七沢」

「え、なに?」

 また、身を大きくびくつかせる七沢。

「すまん!」

「え?」

「オレにぶいから気付かなかったんだ、悪い!」

「ちょっと、待って。なにを言ってるの?」

 恒夜も慌てたが、七沢も慌てている。

「え、いや、オレとカップルみたいに見られてるのがいやなんじゃないのかなって思ったんだけど、違った?」

 きょとん、とする七沢。

「ちちちち違うよ。そんなことある訳ないよ」

 忙しなく両手を動かして否定する。だけど、ちょっと俯いて、落ち着いた口調でもう一度言った。

「いやだなんて、そんな訳あるはずがないよ」

「そ、そうなのか? なら良かった。友達と一緒にいていやな思いされたら、正直きつい」

 苦笑する恒夜。

「私は、私は……」

 七沢は、強く目をつぶって、手も握りしめていた。恒夜は、それをどうすることもできずに見ているしかない。次になにが起こるのかも、想像すらできていなかった。

「私は、この先も、朝霧くんと一緒にいたいよ?」

「ああ、それはオレも思う。同じクラスで、また馬鹿やりたいよな」

「違う、よ?」

「え?」

 少し責めるようなニュアンスを含めた視線を七沢は恒夜に送ってきている。

「私は、いつのときも、こうやって一緒にいたいと思ってる。そこに、高山くんや藍浦くんがいなくてもいい。むしろ、こうやってなんでもない時間を一緒に過ごしたいの」

「それって……」

 こくんと、小さく真っ赤になった七沢が頷いた。

 恒夜は、言葉を失う。これは、告白だ。なんだって、こんなに女の子に好かれまくってるんだろう自分? これが、モテ期というやつか? いやいやいや。そうじゃなくって返事をしなくちゃ。

 でも、なんて? フェガロペトラが生きているからといって通じるだろうか。と、とにかく断らなくちゃ。友情を壊さずに断るにはなんて答えればいい?

 黙考している恒夜を見て、七沢が口を開いた。

「ごめん、私最低だよね」

「え、なんで?」

 一瞬にして、考えていたことは真っ白になって、聞き捨てならない言葉に反応する。

「だって、ロペちゃんが死んで辛いのに、その後釜狙って。でも、もう気持ちを抑えておくことはできないよ。これ以上黙っていて、多賀谷さんに取られたりしたら後悔どころじゃ済まないもの」

「それをどこから知ったんだ?」

 今から話そうと思っていたこと。それを彼女は知っているようだ。

「そんなの見てたらわかるよ。女の子同士だもん。あんなにはっきり態度に出されて、気付かない訳がないよ」

「そっか。あれで、気付かないオレはやっぱ『にぶちん』と呼ばれる訳だ」

「ごめんね。今日いっぱいいっぱいになってたのは、今日こそ言おうって決めてたからなの」

「そっか」

 困った。もうこれは、フェガロペトラが生きていると言う以外に乗りきれないような気がしてくる。言ってしまって良いのだろうか。いや、まだ早い。本人にも聞いてないし。

「あの、返事はいいから。もうわかったから」

 そういって、ものすごく寂しそうに笑う七沢。注文したものを食べずに、置いてそのまま店を出て行った。かける言葉も見つけられずに、見送る恒夜。窓際の席から、帰っていく七沢を見たら、泣いているように見えた。

「くそ」

 一人毒づく恒夜。でも、そもそも止める権利さえないのにどうしたら良かったのか。止めるイコールオッケーの場面だ。

 一人、茫然自失としている恒夜の元に遅れて来た高山が到着した。

「あれ、一人? 七沢は?」

「そのことで、おまえには謝っておきたい」

 そういって、起こったことをかいつまんで話した。高山は、黙って聞いている。一言も発さない。怒っているのかもわからない。顛末を話し終えて、恒夜は高山をまっすぐ見据えた。

「で、おまえの答えは?」

「悪いが、受け入れられない。オレには、まだロペがいるんだ」

「そうだな。まだ、あれから三ヶ月と経っていない。そんなおまえに告白するのは無謀すぎる。それは、あいつだってわかってたことだと思う。でも、そんな理路整然とした話は置いておいて、殴らせろ」

「ああ」

 恒夜と高山は、冷たくなったポテトとハンバーガーを食べて店を出る。旨い料理ではないと思うが、なにを食べたかわからなかった。

 二人は、話の後、一言も口をきいていない。でも、自然と河原に向かっていた。河原には誰もいない。そこで、恒夜は鞄をおいて、歯を食いしばった。

 高山は聞いた限りケンカの経験はないはずだ。そんなやつのパンチは怖くない。いや、怖いとかそういう問題ではない。けじめなのだ。

 毅然と高山を見据える。いつでも来い、と。高山は、軽く振りかぶると恒夜の頬を殴った。案の定、大して痛くない。でも、気持ちの入った良い拳だった。それよりも、いきなり頬を殴った高山が拳を痛めたようだ。

「大丈夫か?」

 ここで、恒夜は口を開いた。

「情けない。殴った方がダメージ大きいなんてな」

「そんなことないぞ。良いパンチだった。気持ちが伝わってきた。おまえなら、おまえの気持ちならきっと七沢にだって通じる」

「そうだと、良いんだけどな」

 高山はようやく相好を崩して、苦笑した。

「じゃあ、こんどは朝霧の番だな」

「なんでよ?」

「これは俺の勝手な気持ちから言い出したことだ。おまえにはおまえの事情があるだろう? それを無視した分がいる」

 いらないよ。と言って通じるなら言うが、こいつも中々融通の利かない男で、言ったくらいじゃ聞かないだろうから、殴った方が早い。

 でも、それでは、フェガロペトラのことを隠してる償いにはならない。

「オレは、今大きな秘密を隠してる。それを言わないせいで、状況が混乱しているんだ。だから、オレにおまえを殴る権利はない」

「なんだ、俺たちにも話せないことなのか?」

「ああ」

「そうか、じゃあ、貸しておくな」

「サンキュ」

 今後のことも、多賀谷のこともまったく話せず、二人は家路に着いた。

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