18.
つい先日まで、流羽のことを恐れていた。流羽の吸血鬼の顔が怖くて。だが、弱々しくなる流羽に助けを請われ、また一緒にいる時間が増えた。そうして思ったことは、やっぱり流羽は流羽だ。流羽のなにが怖かったというのだ。流羽を知れば知るほどそんなものは杞憂であることが分かった。
相葉は、それが千香にも通じると良いなと思いながら流羽の話に耳を傾けている。誇張も偽りもない状況説明。実際人狼に襲われているのだ、隠す場面ではない。
「以上です」
千香は、流羽の話を聞いてぽかんとしている。普通はそうなるだろう。聞き慣れない単語が多くて実感が湧かないのもあるだろうし。
状況を整理するとこうだ。人殺しの人狼が現れた。人の血をきっかけに、孕月状態になり、人を衝動的に喰い殺すようになる。その行為を邪魔した相葉を憎んでいて、家まで付けてきて強襲。そこに運悪くいたのが千香。それで、身の安全を守る為に吸血鬼の流羽と相葉で守るという方針になっているので、来てもらっている。と言うことを洗いざらい話した。
「あの、吸血鬼って本当にいるんですか?」
「目の前にいるのがまさに本物なんですが」
「わたしの見た、狼男は本物だったんですね」
「ええ、誠に残念ながら」
「恭一は、こんな危険な仕事をずっと?」
「そうです」
正確には別れる前にはしていなかったが。
「あの、なんていうか。申し訳ないと思っている。僕のせいで君を巻き込んでしまって……」
「それについてはいいの。別れると言っておきながらあの部屋にいたのはわたしの意志だから」
流羽は、もの珍しそうな顔で千香を見ている。
「んじゃ、後は若い者に任せて、あたしは寝るとするかな。陽が昇り始めているみたいだし」
「ああ、うん、おやすみ」
流羽は、リヴィングの隣にある和室のふすまを開けた。中には大きな棺おけがおいてある。それを千香にも見せつけるようにしてから、ふすまを閉めた。
「流羽さん、本当に棺おけで寝るの?」
信じられないと言ったふうだ。
「まあ、信じられないと思うけどそうなんだ」
「恭一は怖くないの?」
「なにが?」
「だって、吸血鬼って言ったらドラキュラでしょ? 自分が襲われるかもしれないって思わないの?」
「確かに、そう思ったこともない訳じゃないけど、でも僕は流羽という人間性を信じている。それに、吸血鬼といったって全員が全員悪い訳じゃない。僕は、吸血鬼を信じている訳じゃないけど、流羽のことは信じてるんだ」
「……それって、元カノに言うセリフ?」
「だって、本当のことだし、恋愛感情はないから誤魔化す必要がないんだよ。ただ、尊敬してるんだ。僕が愛してるのは、千香だけだよ」
「やめてよね。どさくさに紛れるのは」
「そうだね。ごめん。この一件が終わったら改めて」
「終わるのかな。なんか、抜けられないトンネルに入ったような気分」
言い得て妙、だと思った。
「僕も寝るよ。くれぐれも一人で外に出たりしないようにね。どんなに小用でも僕を起こして」
「わかったわ」
夜になる。相葉と流羽は千香を伴い、本部ビルに出勤。相葉はすっかり慣れたが、一般人の千香にはどう写っているのだろうか。
「ねえ、流羽? 千香はどうするの?」
「どっか部屋を借りるとしよう。そこで、休ませてもらえばいい」
「千香、大丈夫?」
「うー。警察ってなにもしてなくても入りづらいわ。でも、命には代えられないもんね。いけるわ」
「強い人だ」
三人は、ゲートを通って奥へと進む。生瀬に連絡を取って、部屋を取ってもらった。相葉は千香をそこに案内した。軽いゲストルームのような場所だ。相葉もこんな部屋が本部の中にあるなんて知らなかった。恐らく広さからいって、なにかあったときに人を待たせたり、保護したりする部屋なのではないかと思う。
「ちょっと、会議に出てくるからここで待ってて欲しい」
「うん」
相葉は、会議室に向かい、五分遅れで参加した。内容もいつも通り。見つけたら確保。それに流羽と人狼の警察官が反対する。最近は、松澤エリ特別心理捜査官も孕月状態の危険性を主張するようになってきて、風向きは追い風だ。
「ここまで、被害がないのは奇跡です。早めに、処置することを進言します」
そう松澤エリ特別心理捜査官が言い終えたときに、一報が入ってきた。とうとう権堂が行動を再開したらしい。
ざわつく、会議室内。だが、この騒然とした雰囲気を生瀬は一言で鎮める。
「落ち着きなさい」
水を打ったように静まる会議室内。
「あなたたちは警察官なのです。冷静に。では、現場に向かってください」
一斉に動き始める、屈強な猟犬たち。
「捜査方針の変更はありません。権堂は、見つけ次第確保。各員は、防刃スーツを着用の上で、銃を携行してください」
流羽と相葉は、驚いて顔を合わせた。今もまだこだわるというのか。
その決定に誰も不満を漏らさなかった。全員装備を取りに保管庫へ向かい、防刃スーツとベレッタを装備していく。
相葉は、千香にここで待っているように伝えるためにゲストルームへと向かった。
「千香。状況が変わった。また一人、犠牲になった。僕らは、犯人と決着を付ける。そうしたら、また平穏が戻ってくるから。少しの間、ここで待っていて欲しい。必ず向かえに来るから」
権堂を「殺す」という直接的な表現をすることが憚られた。それ以外の決着などないのに。
「恭一、いつの間にかそんな顔をするようになったのね」
「どんな顔?」
「怖い顔」
「怒っているからね」
「変わったね」
「そうかも、しれない」
「行かないでって言ったら、どうする?」
「ごめん、千香。残ってあげたいけど、僕は行かなきゃ。これでも警察官なんだ」
「うん、知ってるよ。言ってみただけ。いってらっしゃい」
その言葉に見送られて、相葉は流羽の後に続いた。
いちさん係の面々が犯罪現場を訪れる。初動捜査はすでに行われ、現場の隔離までは済んでいた。そこに、本部の鑑識課ではなく、流羽たち鑑識班が入る。
現状は、血の海。人間一人当たりの血液量は体重にも寄るが、成人男性で約八パーセント、女性で七パーセントだ。ここには明らかに、一人分以上の血が飛び散っている。
「ちくしょう、派手にやりやがったな」
狙われたのはどうやらカップルらしかった。身元を証明するものは現場の血だまりの中に浮かんでいる。突然の悲劇に被害者は驚くことも許されなかったようだ。激しく損壊している遺体はばらばらに散らばっている。上半身を中心に喰い散らかされていた。そこには明らかなる狼の歯形。瞬時にわかるくらい常軌を逸していた。
鑑識班は、伊吹警部補に従って動き出す。まずは足跡の採取。状況の保存。それらのために現場から目を逸らすものはいなかった。
相葉ですら、この惨状から目を逸らさず受け入れている。相葉は、死者の残した生の部分に恐怖や理不尽を感じるが、死体そのものには特に思うことはなくなっていた。
確かに、暑さに炙られて上る血臭や、粘り着く血液に全くなにも感じないかと言われれば嘘になる。だけど、それだって殺された人たちの無念だ。気持ち悪いとかは全然思わない。
流羽は、音がするくらい歯の根をかみ合わせた。そして、踵を返すと、パトカーの無線のマイクを手に取ると、生瀬警部とやりとりを始める。
「係長。今回は二人、カップルが殺されました。人通りもそれなりにある場所です。まる被は、どんどん無差別になっていきます。それでも、あなたは確保と言いますか?」
「わかりました。現時刻をもって先の通達を破棄。権堂の処分は射殺に切り替えます」
「了解しました」
流羽は、この命令を受けてその場にいる現場主任のヒマリアに声をかけた。特別でもなんでも警部なのだ。
「鑑識以外の面々は、今から犯人を追います。伊吹さん、この二人借りていきますね」
「しゃーねえな。こっちは足りねえがなんとかする。持っていけ」
「ありがとうございます」
流羽と相葉は他の刑事たちと同様に捜索に向かうことになった。
「さてミネルバちゃん。まる被は、どっち?」
「待て。……海浜公園の方を高速で移動中だ。急げ、身を隠すことも忘れているかもしれない」
各員は、乗ってきた車に分乗し海浜公園の方へと向かう。
流羽も相葉の運転する車の助手席に乗り込んだ。
「相葉、普通で行け。急ぐなよ」
「はいよ」
海浜公園の近くの波止場には倉庫街が並び、事件の起きやすい場所だった。そこに身を隠している可能性は高い。
車は、サイレンを途中で消しある倉庫の前で止まった。車から降りた捜査員は都合二十名弱。全身が銃と防刃スーツを着用している。裏口と表口を中心に捜査員を配置するヒマリア。無線で配備状態を確認している。まるで、S.I.T.のような動きだ。
「まったく嫌なにおいだ」
流羽が呟く。
「え、なんかにおう?」
「血のにおいがはっきりとな」
敵は理性の削られた狂犬だ。統率の取れた自分たちの相手ではないだろう。相葉はそう思っていた。
「くるぞ!」
流羽が焦ってヒマリアに言うが、それより早く、権堂はこちら動く前に倉庫を飛び出してきた。人狼状態だ。服には、どす黒くなった血がこびりついていた。腕には包帯がぞんざいに巻かれている。恐らくは、相葉たちとの交戦の結果だろう。
権堂にはほとんど理性に当たるものが存在しているようには見えなかった。どんどん、狂っていく。際限などないように見えた。鼻をひくつかせる権堂。そこには、濃い相葉のにおいがある。それを確認すると一直線に向かってきた。
予測を上回る速度。他の面子は、その速度に対応できていない。襲いくる権堂。薄く囲むような味方の布陣に対し一点突破。何人か銃を構えるが、対象が早すぎて対処出来ていない。
だが、相葉は正面からしっかりと捉え、銃弾を撃ち込む。全弾命中とは行かなかったが、肩口に当たった。一瞬怯む権堂。再び、その憎悪に満ちた眼を相葉に向けた。
相葉は、それから決して目を逸らさないようにして銃を向ける。権堂は一瞬消えた。相葉は見失う。死角から迫る凶爪が相葉の腹を割き、そのまま腕も抉られる。相葉の体と一緒に銃も吹っ飛んだ。
腹は防刃スーツのおかげで、致命傷にこそ至らなかったが、腕は深い傷を負った。相葉は、背中を地面に強打したことで息が詰まる。
「くはっ」
これで、人生の終わりか。また、千香との約束を破ることになるなぁ。そんなことを思う。だが、そうはならなかった。権堂の牙が相葉を砕く前に、流羽が体当たりで権堂の軌道を逸らしてくれたのだ。二人はもみくちゃになりながら地面を転がった。流羽がいるために周りからも発砲できない。
権堂は、暴れて流羽を蹴り飛ばした。体重の軽い流羽は、それで簡単に吹っ飛ばされる。権堂は、怒り狂ったが理性の欠片がそうさせたのか逃げ出した。その背中に一斉に発砲するが誰の弾も当たらずに終わる。
「くそ」
流羽が力不足を嘆いて、膝を叩く。
緊張の糸が切れた相葉はその場に背中から崩れ落ちた。
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