19.

 次に目を覚ましたときには、白い天井が視界に滲んできた。思わずその明るさに目を眇める。すぐに、自分が病院にいるのがわかった。

「う」

 体を起こそうするが、うまくいかない。右腕に鋭い痛みが走った。次いで左の腹に痛みが走る。

「お、起きたか。無理するな、肋骨が何本がいってるからな」

 流羽の声がする。

「どう?」

 恐る恐るうかがうような口調の千香もいた。

「生きて、る?」

 痛むが、なにより権堂の一撃で死んだと思っていた。またこうして千香や流羽に会えるとは思ってもみなかった。

「ああ、おまえは生きてるよ」

 禁煙パイポをぴこぴことくわえる流羽。久しぶりに見た気がする。

「権堂は? 権堂はどうなったの?」

「生憎、この街のどこかでまだ生きてるよ」

「くそ」

 左腕で、ベッドの上を叩く。激痛が全身に走った。

「……あたしは、帰るよ。もう夜が明けそうだ」

 時間を見れば太陽が出てくるまでぎりぎりだった。

「あ、うん。ありがとう」

 流羽は、あっさり手を振って病室から出て行った。

 その横で、どんな顔をしていいのかわからないといった千香がいる。

「ごめん。迎えに行けなかったね」

「うん」

「怒ってるよね。ごめん」

「うん」

「心配もかけたよね」

「うん」

「でも、また千香に会えて良かったよ」

「わたしも」

 そういって、千香は泣き出してしまった。

「いろいろ言いたいことがあったけど、恭一が生きているのを見たら、全部吹っ飛んじゃった」

「ありがとう」

 相葉ははにかむように笑う。心底嬉しかった。自分を待っていてくれる人がいる。こんな幸せ他にはない。

「流羽さんも、心配で一晩中ついててくれたんだよ」

「そっか、後でお礼をしなくちゃいけないな」

「そうね」

 相葉は、ベッドの上で仰向けのまま、身を起こすのを諦め安静に横たわっていた。そのままお互い無言で数分が過ぎる。千香がなにかを決意したように口を開いた。

「ねえ、恭一? そんな目にあっても警察辞めたいとか思わないの?」

「んー。不思議と思わない。というか、生きてることすら不思議だからそこまで考えられないかな」

「そ、そう」

 千香は若干肩を落としたように見えた。

「ん、どうしたの?」

「ううん。なんでもないの」

「へんな千香。……さて、行かなきゃ」

 相葉はベッドから足を下ろした。脇腹に鋭い痛みが走る。患者用の寝巻を脱ぎ始めた。

 千香が困惑した表情をしているが、止めてこない。

 流羽の背中を見て、相葉の中でなにかのスイッチが入った。

 流羽は暴走するだろう。誰かが暴走するのを止めなくてはいけない。自分の力なんて些細かもしれない。だけど、流羽が教えてきてくれたことは信じられる。そうして身につけた直感が動けと告げていた。

「やっぱり行くの?」

「うん」

 さすがは千香。なにかを感じ取っていたようだ。

 今は、満月が近づいてるから、流羽には場所がわかるだろう。さらに、権堂は日を避けて縮こまっているかもしれない。

 だが、満月に向かって力が上がるのは流羽だけではない。銃を持っていたって流羽は上手く扱えるかどうか分からない。それに、向こうは普通に大柄の男だ。理性の存在も危うい。危険なことこの上ない。

 流羽は、そんなことを考えているのに相葉が目を覚ますまでいてくれた。義理に篤いというか、優しいというか、上手い表現が見つからない。だから、自分もそれに応えなくては。こんなところで流羽を失いたくないし。

「千香、協力してくれないか? 僕一人では無理だと思うんだ」

「わかってるつもりだけど、わからないわ。なんで今なの?」

「とりあえず、この服を脱ぐところから手伝って欲しい」

「質問に答えて!」

「君は親に内緒で悪戯をするならいつする?」

「え? 親のいないとき?」

「そういうことさ。無茶をするなら今なんだよ」

「よくわからない。ちゃんと説明して」

 相葉は先ほど考えていたことをそのまま伝えた。千香は優しい人だ、きっと分かってくれる。そう信じて話した。

「そういうことなら、可能性はあるね」

「だろ?」

「でも妬けちゃうな」

「なんで?」

「だって、流羽さんのことよくわかっているんだもん。まるで、恋人みたい」

「僕の恋人は君だけだよ」

「だから、どさくさに紛れるのは止めて」

「ごめん」



 心強い相棒の理解を得た。それは、僥倖だ。だけど、病院を出たところで、とっさにどこに行っていいかわからなかった。まずは携帯電話のGPSを確認するがもちろん電源が切られている。

 じゃあ、どうするか。まっすぐ権堂のところへ向かったのか、一度家か本部に寄っているか。時間的には、まっすぐ権堂のところに向かっているのが時間のロスも少なく、自分たちを巻きやすい。

 さて、そうなると権堂の位置を流羽の直感なしに見つけ出さなくてはいけない。相葉には、人狼のコミュニティへのツテなどないし、知り合いにもいない。唯一の知り合いの超越種といえば、ヒマリアぐらいのものだ。だが、流羽のツテはヒマリアのおこぼれだと言っていた。

 それに、特別心理捜査官見習いならば、見いだせることがある。

 焦る気持ち。逸るのは足ばかり。それも、怪我人の速度でだ。持っているカードはあまりに少ない。だけど、それに頼るしかない。

 相葉は、手帳を取り出し、そこにメモされていた数人の携帯電話の番号を見つける。槐の番号は聞いてあった。そこから辿るしかない。

 響くコール音。槐は出ない。最初から躓いたのかと思った。他に使える名前はないかと手帳を見直す。そこには、伊吹鑑識長の番号が載っていた。確か、流羽の紹介に中央署勤務とあったはずだ。そこに望みを託す。

 再びコール音。時間が時間なので出ないかと思ったが、電話口に渋い声が出た。

「あ、あの明け方に失礼します。三日月署の鑑識班の相葉と申します」

『分かるよ、流羽のツバメだろ?』

「あの不躾ですが、鶴木さんの連絡先を教えていただけませんか?」

『鶴木? なんでだ?』

 そうか、伊吹は、相葉が病院に搬送されたことをまだ知らないのかもしれない。

「峰が、暴走してるかもしれません。止めたいんですが、場所が分からなくて」

『おまえが分からないものを、鶴木が分かるかな?』

「正直、賭けですがゼロよりマシかと思いまして」

『まあ、いいさ』

 伊吹は簡単に教えてくれた。次はヒマリアが出るかどうかだ。

『はい、どちら様ですか?』

「あ」

 出てくれた。まだ、線は繋がっている。

『あ?』

「すいません、峰の相棒の相葉です」

 自分から相棒ですとか、恥ずかしすぎるが、ヒマリアには正しく言って置いた方が良い。今の相葉は、三日月署の鑑識でもなければ、いちさん係の鑑識でもない。一個人として、流羽を捜している。

『おお、相葉くん。怪我は大丈夫なの?』

「大丈夫ではないですが、それ以上に動かなければならない理由があります」

『ほうほう。それは、聞き逃せないね。で、聞きたいことがあるんでしょう? なにかな?』

「流羽の場所を知りたいんです。鶴木さんならわかるかと思いまして」

『それはどういう根拠?』

「鶴木さんは、特別心理捜査官見習いであり、権堂の記憶を読み取った唯一の方です。確かプロファイリングには、土地鑑に関する地理的プロファイリングというのがありましたよね?」

『まあ、よくご存知で。確かに勉強はしてるよ。だから、ある程度の情報は提供出来ると思う。でも、一つだけ確認させて? ミネルバちゃんは、いろんなものを背負ってるよ。君が行くのは場違いかもしれない。それでも行く?』

「行きます」

 強くはっきりと間を空けずに言い切った。

『そう。じゃあ、なにも言わない。場所は三日月区のどっか。三件の殺人と相葉くんの家を直線で結んだどこかにいると思う。その中にある、ネットカフェか倉庫かなにか。ううん。ネットカフェはないかも。もう、満月が近くて理性なんてほとんど飛んじゃってるだろうから』

「わかりました。周辺の地図は頭に叩き込んでありますから、当たってみます」

『じゃあ、頑張って。私に彼女は止められない。資格的にも立場的にも。多分相葉くんにしかできないと思うんだ。彼女をお願いね』

「はい」

 相葉は携帯を折りたたんでポケットにしまう。

「恭一、本当に、地図なくて大丈夫? あそこら辺は結構入り組んでるよ?」

「ああ、大丈夫だと思う。なにせ、僕が赴任して一番最初に流羽にさせられたのが、これだから」

 おおよそ今までの流羽の言動は正しい。そう感じるし、そう信じている。だから、今回もきっと正しいのだろうと思う。今、流羽がやろうとしていることも人間としては間違っているのかもしれないけど、どの立場かに立ってみたら正しいに違いない。

「僕は、流羽が鑑識という仕事の上では間違いを犯したことを見たことがない。でも、まっすぐに正しいだけでは世の中は進んでいけない。ときには、底意地の悪い正義も必要なんだと思う。そう屁理屈のようなね」

 苦笑しながら、相葉はタクシーを呼び止めた。

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