17.

 病院について、千香は救急処置室に直行したが特に重症な部分はなく。頭にたんこぶができているのとひざの擦過傷で済んだ。一応脳波も調べてもらったが、異常は検出されなかった。

「流羽……、僕はどうしたら良い?」

「休め。ゆっくりと休め」

「今はそんなことを聞いているんじゃない。僕は、権堂を殺したいほど憎い。今から捜しに行って、見つけ次第撃ち殺したい。だけど、君を守る約束もある。それに、感情で動いてはいけないと君から教わった。こんなとき僕は、人間はどうしたら良い?」

 相葉は、入院棟の廊下で長椅子に流羽と並んで座り、前を見ながら訊ねた。今、流羽の方を見たら感情が爆発し、流羽に当たりかねない状態だったからだ。

「出来ることはする。あたしもあいつを殺さなきゃならない」

「千香をどうしたらいいと思う? ほっといたらまた狙われる気がする」

「安心しろ。狙われるのは彼女じゃない、おまえだ」

 流羽は、きっぱりと言った。

「どういう?」

「おまえは、権堂の背中を打った。銀弾頭で。相当の苦痛だったに違いない。あいつは月に持っていかれている。あいつは、おまえの肉を喰うことしか考えていない」

 思わず、流羽の顔を見る。相葉は驚きで感情の爆発を起こさず、忌々しげに眉根を寄せている流羽の顔を見ただけ。

 そのとき流羽は、また吸血鬼の顔をしていた。

「当分は、いちさん係のものにここの警備を頼もう。その間に、見つけ出す」

「精度を上げる方法はないの?」

「満月に向かっている。毎日上がっていくさ。だが、やつの狂気も増していく」

 今日だって一時間歩き回って、ようやく近づいただけだ。これを毎日繰り返すのは正直辛い。だが、刑事の基本は足か。

 それに、どうやら権堂は相葉を殺したいらしいので、待っていたら向こうから来るかもしれない。

「流羽、大変かもしれないけど、満月まで待っていられない。こうやって毎日捜してさっさっと決めてしまおう」

「ああ。もうすぐ満月だ。絶対に見つけられる」

「じゃあ、行こう」

「焦る気持ちはわかるが、銃の弾もないし、今日は休め」

「断る。一分一秒たりとも生かしておけない」

「酷い顔をしている」

「僕の状態なんてどうだって良いんだ。あいつはしてはならないことをしてしまった。だから、その報いを受けてもらわねばならない」

「今晩は、警備の人間もいない。あたしらで彼女を守ろう」

 ずるい。そう思ったが、確かに千香をおいていくのは不安だった。

「でも、あいつは手負いだよ? 今すぐにでも誰かを襲うんじゃないの?」

「大丈夫。この街を守ろうというのはなにも警察だけじゃないんだ」

「どういう」

 意味? と行く前に気がついた。そう。孕月状態は一族で殺してきたとか。

「そういうことだ」

「でも、その自浄作用がうまくいってないからあいつがのさばってんじゃないの?」

「この街にはこの街の自浄作用があるんだよ。簡単に言うと、人狼の立場を悪くしたくない連中がいるんだよ」

「なるほど。でも、どうやってそういう人たちと連携したの?」

「ふふふ、蛇の道は蛇と言ってな。超越種なんぞを長くやっているといろいろコネが出来るものさ」

「ふーん」

「少し寝ろ。あたしが起きてるから」

「いや、寝ているヒマはない」

「まだ言うか」

「すっかり忘れていたけど。ここで寝たら、君が危ないじゃないか」

「……」

「なんだよ。黙っちゃって。なんかおかしいこと言った?」

「いや、存外気の利く男だったんだなと思った。あの美人の彼女を落とせたのもなんとなく理解できた」

「それは褒めてるの?」

「褒めてるさ」

「じゃあ、君を守りながら千香を守る方法を考えなくちゃいけない。時間は……十二時半か。後三時間以内に考える必要があるね」

「考えるまでもない」

「でも、いちさん係にお願いしてもすぐに動いてくれるかどうか。なんせ、僕らは造反組だからね」

「関係者で、いちさん係ではない強いやつを呼べばいいだけのことだろ?」

「そんな便利な人いるの?」

「ああ、ちょっと待ってろ」

 流羽は携帯電話を持って、通話可能なスペースに行った。

 そしてすぐに戻ってくる。

「忘れ物?」

「いや、用件が済んだ」

「はやっ!」

「まあ、この件で気を揉んでる連中のトップに話を付けた」

「すごいツテだね」

「まあな。実は、ヒマリアの方が顔が広いんだ。そのおこぼれみたいなものだな」

「はあ~、さすが伝説と組んでるだけあるね」

「さて、少し寝ろ」

「うん。じゃあ、失礼するよ。おやすみ」

 数分して、相葉は冷静さを取り戻した。こういう状況の受け入れの早さは、千香が嫌いと言っていたのも頷けるくらいに早い。

「そういえば、月に持って行かれてるってどういう意味?」

「ああ。孕月状態になると理性が飛んでいくんだよ。残るのは狂気と憎悪。純粋で粘度の高まった憎悪は、確実におまえを喰らいに来る」

 ぞっとして、まどろみから意識が一気に覚醒する。

「気に病むな。例え、他のやつが撃っていたとしても結果は一緒だ」

「そうか、僕のせいで……。千香、ごめんよ」

「相葉!」

 ひときわ強い口調で名前を呼ばれた。

「うん?」

「おまえのせいじゃない。権堂のせいだ。だから、罪の着せ替えっこはやめろ」

「ねえ、流羽?」

「なんだ?」

「もしかして、孕月状態になったのって病気みたいなものじゃないの?」

 返事はない。沈黙だけが廊下に広がった。

「そうだとしたら、責任の所在なんてないんじゃないの?」

「いいか、相葉。前にも言ったが、吸血鬼はほとんど病気にならない。なったとしたら即死級だ。今回もそれに近いんだ。処置は素早く、適切に行われなくてはいけないんだ」

 流羽の声は淡々としていて、感情がこもっていない。かつて家族を奪われ、仲間を奪った病気。憎くないはずがない。

 でも、流羽は感情を動かさずに処理しようとしている。それは、相葉が感情で動くことを許していない。

「わかったよ、流羽」

「物わかりが良くて助かるよ」

 千香とは真逆のことを言われて、複雑な気持ちになった。



「起きろ、相葉」

 身体を揺さぶられる。いつの間にか深く寝入っていたらしい。深夜の病院の涼しい空気で、自分の居る場所を思い出した。

「ん」

 頭の横には、少し硬い感触で、でも柔らかいものが当たっていた。流羽が枕でも当ててくれたかと思うが、それはすべすべしてて温かい。

「早く起きろ。こんなところ人に見られていいのか?」

 はっきりと起きてわかるのは、それは枕じゃなくって流羽の太ももだということだった。いい大人が小学生に膝枕とかどんな画だよ! 急に恥ずかしくなって飛び起きる。

「うあ。なんていうかごめん」

 手を合わせて謝る。

「おはよう。別に気にならんさ。あたしはな」

「おはよう。でも、なんで流羽の膝枕で寝てたんだろ?」

「説明が要るか?」

「出来ればお願い」

「最初、壁に寄りかかっていたおまえは、段々とずれてきて顔をあたしの肩に乗せてきた。その時点で起こそうかと思ったが、看護師さんくらいしか見てる人もいないし、良いかと思っていたんだ。だけどな、ちょっと重くなってきたから、いっそのこと膝でいいかなって思ったわけだ。そう言うわけでおまえがあたしの膝枕で安眠という図が出来たわけだ」

「うう、面目ない」

 完全に流羽のいたずらかとも思っていたのだが、きっかけを作ったのは自分ということがわかって、ただ赤面するしかできなかった。

「さあ、見張りも来たから帰ろう」

「うん」

 目の前には、翠色の長髪をした男が一人立っていた。見るからに実直そうで頼りになりそうな人だ。初めての人に千香を任せるのは不安だったが、流羽が安心しろを繰り返すので、渋々タクシーに乗り込む。

「で、あの人は知り合いなの?」

「そうだ。この街で一番偉い獣人だな」

「え? 話付けたトップが直々に来たってこと!?」

「そういうことだ。それよりも言い忘れていたことがある」

「なに?」

 あの人も太陽に弱いとかだったらどうしよう。

「いや、今日からおまえはあたしと同棲な」

「は?」

「おまえは住み込みであたしを守ってもらう」

「なんでそうなるの?」

「あたしはこれから満月に向かってどんどん弱っていく。それは例え夜であってもだ。だから、おまえの助けがいる。それにおまえの家はもう割れてしまっている」

 一瞬考えた。

「満月は、君を強くしてくれるんじゃないの?」

「満月に強くなるのは、吸血鬼の能力が強くなるってことなんだ。だから、索敵範囲が広がり、あたしは弱る」

 その声には温度がない。相葉は、固唾を呑んだ。大きな責任がのしかかかる。

「わかったよ。そうする」

「良い返事だ。素晴らしい」

 一度、タクシーは相葉のマンションに寄る。マンションの五階の一部並びに相葉の部屋にはキープアウトの黄色いテープが張られていた。

「立派な事件現場だね」

「そうだな」

 中に入ると、リヴィングには洗濯物が散乱していた。どれも、後で洗おうと思っていたものばかりだ。

「千香……」

 泣きそうになった。鍵を返しに来ただけかもしれないが、こうやって面倒を見てくれるなんて。千香は、精神面でも生活面でもいなきゃいけない人だ。だからこそ、相葉は権堂が許せない。

 被害のなかった部屋で、手早く荷物をまとめるとすぐにリヴィングにいる流羽に声をかけようとして、やめる。流羽がなにかをしていた。しばし流羽が見ているものを見てみる。

「流羽、なにしてんの?」

 いや、どうやってあいつは侵入してきたのだろうと思ってな。

「で、鑑識の結果はどうなの?」

「窓を割って、鍵を開けて入ってきてるな」

「ここ五階だよ?」

「孕月状態のやつにそんなの障害にならんよ」

「……」

 言葉もない相葉。なにもかもが常識の埒外だ。

「さあ、行こう」

「う、ん」

 ここは本来、千香との愛の巣になるはずの場所だった。それをぶち壊しにされた。怒りも覚えたが、暑くなるのを通り越して逆に冷静になっていく自分がわかる。

「ほら行くぞ」

 相葉は、権堂への恨みを重ねながら部屋を後にした。



 流羽の気配探知によって、場所をある程度絞り込めるようになったのはいい。だが、この前の一戦での銃創が原因か、中心部ではまったく気配を感じ取れていなかった。

 恐らく、郊外のどこかで怪我が癒えるのを待っているのだろう。それが、流羽の見地だった。

 美作市は広い。郊外を入れると一日や二日で回りきれるようなものではない。今日もまた空振りに終わり、流羽のマンションまで戻ってきた。

 もう夜が明ける時間だ。流羽が陽の光を浴びるのはまずいと言っていたので、早めに帰ることにしている。いつも歯がゆい思いをしているがもはやそれも日課になりつつあった。

「ねえ、流羽?」

「なんだ?」

「ずっと気になってたんだけど、昼間はマークしなくて大丈夫なの?」

 昼間は、流羽のマンションで彼女を護衛しつつ睡眠を確保。夜は会議と捜索。三日月署にはほとんど出勤していなかった。それでもいいと流羽は言う。実際お咎めも出勤要請もなかった。

「ああ、昼間は大丈夫だ。孕月状態になると陽を嫌うようになる。狂犬病になると水が怖くなるのと一緒だ。陽が昇れば、きっとどこか陽の当たらないところで縮こまっているだろうさ」

「へえ、そうなんだ」

「その代わり、神経が敏感になったり、力が上がったりと厄介な面も増える」

 そんな日々の繰り返し。早く討ち取りたいという希望は募れど、進展はしていかない。

 それから少しして、千香が退院する。だけど、会いに行ってやれなかった。昼間といえど流羽を放置できなかったからだ。申し訳ないと思ったが、事件が終わったらきちんと花を一束もって会いに行こう。そう考えていた。花はなにがいいだろう。黄色い薔薇だろうか。

「結局、今日も空振りか」

「ああ、歯がゆくてたまらん」

 そんな会話をしながら、夜明け前にカップラーメンを二人ですすっていたら、来訪者が現れた。なんでこんな時間にと思ったが、カメラに写しだされた人物を見て相葉は、ラーメンを吐き出しそうになる。

 千香だった。大きな荷物を抱えている。

「ねえ、流羽? これはどういうこと?」

「良いから、入ってもらえ」

「うん」

 自動ドアの開閉ボタンを押して自動ドアを開ける。千香は、いまいち使い勝手がわからなさそうだ。当然だろうなと思った。相葉でさえ最初は戸惑ったのだから。

「流羽? これはどういうことか説明してくれないか?」

「説明? いるのか?」

「大体はわかっているつもりだけれど、一応現状を確認したくて」

「彼女からは、おまえのにおいがする。うろうろしてては、また権堂に狙われるだろう。うちなら他のところより安全かと思ってな」

 確かに、セキュリティは高い。だけど、それは孕月状態の相手にも通じるものなのだろうか。些か不安になった。

 そんなことを思っている間に、家のドアホンが鳴らされる。相葉は、どういう顔をしていいかわからないまま、玄関に出迎えに行った。

 扉を開けると、千香がいる。当たり前のことなのだが、それが不可思議な光景に思えた。もう一度こうして千香と面と向かって会える日が来るとは。

「や、やあ」

 なんと声をかけたらよいかわからず、当たり障りない挨拶だった。

「うん」

 ちょっとうつむき加減で、恥じらいを感じる。相葉は、とっさに抱きつきたくなる衝動を感じた。だけど、全力で抑制する。自分が千香をどれだけ好きか再認識した。

「病院は、いつ退院したの?」

「昨日の夕方」

 たんこぶと擦過傷にしては長かった気もするが、頭は心配だからそんなものなのかとも思った。

「おい、相葉。そんなところで話してないで、まず入ってもらえ」

「ああ、うん。どうぞ」

「うん」

 相葉は、千香の荷物を手に取り、奥へと案内した。

「ありがと」

 なんていうか、こういうところがいちいち可愛い。

「こんばんは。あたしは、峰流羽と言います。渡石さんですね?」

 食卓の椅子から立ち上がり、出迎える。

「はい」

「むさ苦しい部屋ですいませんね。野郎一人がいるだけで、空気が変わるんですよね」

 相葉はちょっとむっとしたが、冗談で言ってることくらいわかるので大人の対応をすることにした。

「あの、わたし、状況が良く掴めてないんですけど……」

「そうでしょうね。順を追って説明します。とりあえず、そこにでも座ってください」

 流羽は、自分の対面の席を勧める。

 相葉は、台所で紅茶を入れることにした。

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