16.

「男の名前は、権堂巧ごんどうたくみ。やはり前歴はありません。人狼です。居場所は把握出来ていません」

 ヒマリアが報告した。

「なぜ、場所が特定できないのですか? あなたなら出来るでしょう?」

 生瀬が当然という風に尋ねた。

「それが、住居を一定にしておらず、ネットカフェや野宿で、過ごしており行く場所も一定にのパターンを見いだせません。孕月状態になったのは最近で、それ以前の記憶は読み取れませんでした。こんなのは初めてです。ですが、きっかけはマンションでの殺人が機になっています。あれで、血の味に目覚めたというのが最初の記憶です」

「そうですか。では、引き続き場所の特定と捕獲を急いでください。では、解散」

 一斉に捜査員が立ち上がる。そして、さらなる細かい情報の交換をしたり、足早に出ていくものがいた。

「さて、流羽どうする?」

「どうもこうもない、捜そう」

 そういって銃の保管庫の鍵を取りに前へと向かう。そのとき、生瀬に声をかけられた。

「捜査方針に従う気はありますか?」

「いえ、ありません」

 はっきりと拒否する流羽。

「私には、あなたを更迭、自宅待機にさせる権利があります」

 そう短くだが、脅しをかけてきた。

「お好きにどうぞ。だけど、これだけは言わせてください。権堂は、孕月状態です。『我々』が始末をつけるべき問題なんです。本来なら、警察とか関係なく動く場面です」

 両者は目を合わせ続けて、どちらも逸らそうとしない。

「『あなた方』のルールは知っているつりです。ですが、この例を見逃してはもらえませんか。この一件で百の問題が解決することも考えられます」

「できません。あたしは、義務を果たします」

「そうですか」

 流羽は、先に目を逸らすと銃の保管庫の鍵を取り、足早に部屋を出る。

「相葉巡査」

「はい?」

 生瀬に呼び止められる様なことはしでかしていないつもりだが、なぜか呼ばれた。捜査方針に従うように釘を刺すつもりだろうか。

「もし、峰巡査部長に危険が迫ったら、容赦なく容疑者を撃ち殺してください」

「え?」

 想像と真逆のことを言われ、思わず聞き返してしまった。

「確かに、権堂を捕まえることで百を解決できるかもしれません。ですが、峰巡査部長を失った場合、これから起こる千の問題を解決できなくなるかもしれません。彼女をよろしくお願いします」

「はい!」

 相葉は、元気よく返事をした後、保管庫の鍵を受け取って流羽の後を追った。

 エレベーターの前で合流する。

「なんか係長に言われたのか?」

「いや、特に差し支えないことを二三言」

「そうか」



 流羽は見た目には、弱っているようには見えない。だけど、いろいろと耐性がなくなっているらしい。そんな彼女の最初の行き先は、スーパー銭湯だった。

「ねえ、流羽? こんなところに来てていいの?」

「しょうがないだろ。今水道水を浴びたりしたら死ぬんだから」

 ここは、吸血鬼が水に弱い吸血鬼用に作った公衆浴場らしい。だから、客の多くは吸血鬼で、他の客も水に弱い連中か、そいつらと情報交換しようという関係者だけだった。

「相葉も入れば? 良い経験になるぞ」

「いや、僕はそこのファストフード店で時間潰してるから、終わったら来てよ」

「そうかぁ? 残念だ」

 そういって流羽が建物に入ったのを確認して、相葉も店に入った。考えたら、作った野菜炒めにはほとんど手を付けずに出てきたので、非常に腹が減っている。店に入って、セットを一つ頼んで席についた。

 特にすることも思い浮かばず、ポテトをつまみながら、携帯電話でネットを見たりして時間を潰す。吸血鬼というキーワードをネットで検索してみた。どこを見ても架空の存在として説明されている。

「現実なんだけどなぁ」

 その流れで、吸血病という病気を発見した。読んで字のごとく、血を飲みたくなる病気らしい。自傷するか、他人に分けてもらうかはそれぞれらしい。これの超越種版なのが孕月状態なのではないかと思った。

 確かに、なんらかのハンバーガーを食べたことだけは間違いなかったが、なんのハンバーガーを食べたか記憶にない。気がついたら、空っぽになった包装紙とわずかなポテトが残っている状態だった。

「上の空過ぎだろ」

 残ったポテトをかじっていたら、流羽が店に入ってきた。相葉を見つけるとなにも注文せずに寄ってきて、あげく相葉の飲み物のストローに口をつける。

「おい、流羽。それは僕のだぞ」

「わかっているが」

「人のものを黙って盗るなんてどういう教育を受けてきたんだよ」

「なにを言っている。あたしは、相葉のだから盗っているんだ。誰でも言い訳じゃない」

「なお悪いよ」

 そう言っている内に飲み物は底をついた音を立てる。

「うまかった。風呂上がりに冷たいものはやはり良いな」

「僕は、このポテト地獄でしょっぱくなった口の中をどうすればいい?」

「この氷でも舐めろ」

 そういって、プラスチックの蓋を外して渡してきた。本当に中身は空っぽで、仕方なしに氷を口に放り込んで、噛み砕いてやる。

「うむ、満足したところで動くか」

「主に君だけだけどね」

「もっと人生を楽しめ」

「もう、これは人災だからね」

「よし、後片付けはしてやろう」

「人の話を聞けよ!」

「ああ、ごちそうさまでした」

「……」

 相葉は、言葉を失った。

 つっ込みを総スルーされると非常に疲れる。もういいやっていう気分になった。

 店を出た二人は、目的もなく歩き始める。

「なあ、流羽? 君だけは家に戻った方が良くないか?」

「家にいたら分かるものも分からなくなる」

 こうなったら頑として言うことを聞かなくなる。

 一時間も歩いた頃だろうか。流羽は、三日月区の方に足を向けており、相葉のマンションの近くまで来ていた。あの人狼が自分の家の近くをうろついている。それは恐るべきことだ。背筋が冷たくなった。

「なあ、相葉?」

 道中いろんな話をしたが、それまでの陽気な感じはなく、少し重みのある口調だった。

「なんだい?」

「あそこに見えるのは、おまえのマンションじゃないか?」

「うん、そうだけど。よくわかったね」

「部屋は五階の右の方か?」

「そうだよ。それがどうかした?」

「おまえの部屋に誰かいるぞ」

 どういうことだかわからないが、部屋に入れるのは相葉と千香だけだ。となると、千香が鍵を返しにでも来たのかと思ったが、様子がおかしい。窓が開いてるのに、電気が付いていない。相葉は、状況をよく確認せずに気がついたら走り出していた。

 五階まで、流羽を置いて一気に駆け上がる。部屋のドアは開け放たれており、廊下にはぐったりとした千香と狼化した権堂がいた。

 まさか。

「きさまぁ!」

 怒りは一瞬で頂点に達し、上着の下からすぐさまベレッタを抜き出し構えると同時に、警告もなく撃った。狭い廊下では避けようがないだろうと思ったが、狭いのは人間基準で考えたときで、超越種にとっては高い天井は充分な逃げ道になるらしい。

 権堂の様子もおかしい。なんというか、理性が希薄になっているような気がする。わかりやすく表現すると気が狂っているようだ。よだれを垂れ流しながら、相葉を見定めているが、どこかその視線は虚ろだ。

 地面から天井に飛び、そこから相葉に飛びかかってきた。そうなると今度は相葉に逃げ道がない。銃で狙うより早く、権堂は迫ってくる。闇雲に発砲した。それを避けるために権堂はまた天井に飛ぶ。相葉は、思いっきり下がったが、そこにはエレベーターの乗降口があり逃げ道を失った。

 次に迫られたら終わり。だけど、差し違える! そういう覚悟と言うよりは、捨て鉢の気持ちで、権堂の動きに目をこらしていた。

 そこでエレベーターが到着し中から流羽が、相葉の首根っこをつかみ引いた。そのとき、相葉のいたところには鋭い爪が振られており、流羽の到着がなければ死んでいた。死んで、いた。

「ち。もう月に持って行かれてるのか」

 流羽は、エレベーターの中から発砲する。仕留めたという油断があったのか、権堂はそれを避けきれず急所をかばって腕などに被弾していた。その後すぐに、権堂は階段の方に走り、逃げていく。流羽は、それを追おうとしたが諦める。一つ舌打ちをした。

 相葉は、死にかけた恐怖で、砕けた腰のまますぐさま起き上がると千香の元へと駆け寄る。

「千香! 千香ぁ!」

 千香は気を失ってはいるものの呼吸をしていた。目立った外傷もない。それでも、相葉は救急車を呼んだ。

 その後、救急車より早く巡回中のパトカーの方が先に到着した。これだけ派手に銃撃戦をしたのだ当然だろう。相葉と流羽は、三日月署の同僚にナイフを持った凶悪犯がいたと説明した。きちんとした説明のために残ると言った流羽を無理矢理救急車に乗せて、相葉も病院に行く。

 その車中は無言だった。ただ、千香の手を握り祈っているだけだ。医者ではない相葉にできることはたかが知れている。悔しくても、できる人に任せるだけ。

 悔しくて仕方ない。助けられないというのもあったが、自分の家が割れているのに気づいてなかったこと。未然に防げなかったこと。結果的に千香が巻き込まれてしまったということ。

 今日、気が向かないという理由で会議への出席を怠っていたら、部屋で権堂に殺されていただろう。銃もなしに戦える相手でもないし、そういう技術を学んでいたわけでもない。この世に多くの未練を残しながら肉塊と化していたのは間違いない。

「くそう、くそう……」

 救急車の中で、相葉の悔恨だけが続いた。

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