13.

「よくやった、相葉。大したもんだ」

 相葉は、肩で息をしながら人狼の去っていった方向を凝視していた。

「おい、相葉」

 槐が相葉の肩に手を置いて初めて我に返った。意識が普通に戻ったとたん、胃がひっくり返るような感覚に陥ったが、吐くものなどなにもない。ただ、胃が蠕動しているのだけが苦しかった。

「お手柄だぞ、相葉」

 流羽とヒマリアが帰ってきて、また褒められた。

 自分はいっぱいいっぱいだっただけだ。

 夢中というのはこういうことを言うのだろう。銃の感触以外に覚えてるものがない。

 ふうふうと、荒々しく肩で息をしている。

「落ち着け、相葉」

 槐にそう声をかけられた。そして、段々と追いかけるように言葉の意味が理解できるようになってくる。そういえば、お手柄だと褒められているような気が。

「お手柄って、なにもしてないと思うけど……」

「これはなんだと思う?」

 そういって、流羽は指の先についた赤いものを見せた。ヒマリアも同様に指につけている。二人ともそれを相葉の返事を待たずに舐めた。

 血。それを、この二人は自分指から舐めとっている。その情景はものすごく扇情的で、淫靡に感じられた。

「血を流したってことは弾が当たったってこと?」

「そうだな」

「で、血を流させたことで今後の進展にどう影響があるの?」

「まず、ヒマリアだが、彼女は血から持ち主の記憶を読み取ることが出来る。次いであたし。あたしは、血を舐めたものに対して狩人の立ち位置につくことが出来る。まあ、多少困難が付きまとうが。次こそは、戦える」

 その顔には猛々しい笑みが浮かんでいる。その顔は初めて見る顔だった。それは、流羽に似た違う人を思わせる。

 正直に吐露してしまえば、その顔が怖かった。血を吸うという吸血鬼の本質を目の当たりにしたせいもあるかもしれない。吸血鬼とは、血を吸う鬼。血とは人間の命そのもの。すなわち、命を喰うもの。それが流羽やヒマリアの正体。

 だけど、相葉の知る二人とはあまりにギャップがありすぎる。生々しい現実感と、プラスチックのような感触がまぜこぜになって手の中にあるようだった。

「でも、かい巡査長すごいですね。人間なのに人狼に飛びかかるなんて」

 その恐怖から逃げるように槐に話を振る相葉。

「伝説の伝説である所以その二ですもんね?」

 なぜかヒマリアが自慢げに言った。

「いや、初めてあれに出会ってそれだけ動けるんだ、やっぱりおまえは大したやつだよ。峰がツバメにしたのも頷ける」

「違うと言ったろ!」

 槐とヒマリアは、はいはいと聞き流している。

「いいか、相葉。警察官にとって、大事なものは今のような場面で動けることだ。信念や正義じゃないんだ。信念や正義を否定してるんじゃないぞ。動ける警察官こそが大事で、その理由に信念や正義があるならそれは結構。だけど、信念と正義を持ちながら動けない警察官は現場には向いていない。それはつまり、いちさん係には向いていないってことだ」

「そうだよ。私なんか動けるようになったの最近だし。それから見たらロケットスタートだよ」

「そう、なんですか?」

 さっきの勇猛果敢な様を見ていたら、そんなの信じられない。それに自分は怯えて流羽を殺されるところだった。情けないにも程がある。褒められるのは間違っていると感じた。

「ああ、本当だ」

 そういって、槐はタバコをポケットから取り出す。遠くからサイレンの音が聞こえてきた。きっと、相葉の銃声を聞いた住人の通報だろう。四人は、そこで仲間の現着を待っていた。



 三日月署に一度帰って、書類を作成した後、相葉は自動販売機の前の休憩所で缶コーヒーを持って座っていた。

 時間は深夜で、当番のものしか残っていない。そのせいもあってか、非常に寂しい印象の場所になっていた。蛍光灯の明かりはどこか寒々しく感じるし、コンクリの打ちっ放しの壁は全て他人事だからと拒否されているような気にさせられる。

「ふー」

 深く息を吐いた。息が少し震えている。

 何度頭から払おうとしても、先ほどの流羽の意気軒昂とした顔が忘れられない。猛々しいのではなく、どこか禍々しさと感じる顔だった。あれが、流羽の正体なのか。それとも吸血鬼ってみんなああなのか。どちらにしろ、それが相棒の顔だったことだけは間違いない。情けないことに、小さく身震いした。

「やあ、少年。勤労は身に沁みるのかい?」

 そんな相葉に脳天気な挨拶をしたのは、沙織だった。鑑識のつなぎの上だけ脱いで腰のところでまとめて着ている。相変わらず、つかめない人だ。

 短髪に、性格が男前ときている。身長も百七十近くあるだろう。面倒見も良いし、結構、男にはもてるんだろうな、と思う。少なくとも相葉は好印象を持っている。

「こんばんは。早乙女さん」

「うむうむ。悩みごとかい?」

「ええ、まあ」

「なんだい、歯切れ悪い」

 実際、踏ん切りのつかない悩みなのだ。問題なのは、流羽とどう接していくかであり、それは警察官を続けるかどうかにも関わってくる。今なら、辞めたら千香が戻ってくるかもしれない。そんな打算もあった。

『おまえはその一歩を踏み出している』

 槐の言葉を思い出した。もしかしたら、辞めることはできないのかもしれない。

「なんだいなんだい、そんなに難しいことなのかい?」

「ええ、かなり」

「多分ね。それは、少年の思い過ごしだね」

「なんで、中身も聞かずにそんなこと言えるんですか?」

「年の功? なんてね」

 沙織は、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「あー、笑って流してくれればいいのに。意外と気の利かない男なんだね。まあ、甲斐性の話は置いといて。物事を難しく考えている顔をしているよ。世の中のことって、ちゃんと整理すればもっと単純になるはずなんだ」

「でも。世の中には思い通りに行かないこともあって、それをどうにか思い通りにしたいときには難しいことも考える必要があると思うんですけど」

「うーん、まあ間違ってないけど。悩みは一つ? いくつかの悩みをまぜこぜにしてない?」

 相葉は、唸った。確かに、言われてみれば、流羽の問題と警察官を続けることは別の悩みにしても良いような気もする。

 流羽と共に仕事をしない。それは決して警察官を辞めなくちゃいけない問題ではないのかもしれない。そうすれば、いろんなしがらみから一気に抜け出せるために相葉が楽だと思っているだけの可能性もある。

 逆に言えば、辞めても流羽とのしがらみはついて回るかもしれない。

「早乙女さんは、なんのために警察官をしてるんですか?」

 気になったのでこの際聞いておいてみようと思った。信念とはなんなのか。この人の正義は? 足跡班として優秀とされるのだから、よほど研究熱心なのだろう。人をそこまで駆り立てるものってなんだろうか。すごく気になった。そして、そこに答えが潜んでいるような気がしてならない。

「え? そりゃ犯罪撲滅と被害者の助けになろうと思ってるからさ」

 一瞬虚を突かれた。あまりに普通というかお手本通りの答えに戸惑う。それでもなるほど思った。やはり、これが一般の警察官の心構えなのか。テンプレートのようでも、信念ないし正義感は持っている。当たり前のことなのだろう。いちさん係は特殊だったのだ。そう思った矢先。

「そっか~、少年もそれで悩むかぁ」

「僕もって言うことは、早乙女さんも悩んだことあるんですか?」

「内緒だかんね?」

「なにがです?」

「女刑事に憧れてたんよ。実は」

 軽くはにかんだ。

「へえ、意外です」

「見えないかな? まあ、そうだよね。これだけばりばりの鑑識官やってたら天職に見えるよね」

「それがどうして鑑識の鑑にまでなったんですか?」

「ん~? 鑑って大げさな。最初はなんで、こんな花形の裏に回らにゃならんのかって思ったよ。でも、警察の動きって言うの? 全体を俯瞰してみたら不必要な警察官ていないんだよね。事務や受付の人だって事件解決には必要さ。そう思ったら、現場に赴ける自分は充分花形かなって思えるようになったのさ」

「……僕は、自分が鑑識にいること自体不思議です。でも、嫌ではないんです。ただ、僕はなんのために警察官をやっているのかわからなくて」

「実はわたしもわからないんだよね」

「でも、さっき犯罪撲滅と被害者の助けのためにって」

「そんなん、警察が掲げているようなものであって自分のものじゃないでしょ」

「じゃあ、なんで?」

「それは、わたしが警察の人間だからさ。警察という大きな組織の一員だから、組織を掲げているそれっぽいことにのっかているだけ。でも、それも馬鹿にしたもんじゃないよ? それのおかげでそれに貢献できているんだから」

 難しい話になっている気がした。でも、言いたいことはなんとなくわかる。だけど、それは、警察という組織に入る理由を持っているからこその話だと思った。警察の掲げている看板に賛同しているからこその信念の持ち方とでも言えばいいのだろうか。

 そも相葉は、そこからして適当なのだ。受かりそうだから受けたら受かった。理由も銃が撃てて、給料が良い公務員。今日のような危険な目にあうとは考えてもいなかった。

「まあた難しい顔して。ははあ、さてはミネルバちゃんに当てられたな?」

 当たらずとも遠からず。

「あの子の信条もまた特殊だからね。ときには、組織の枠から飛び出してまで現場を歩き回るから。あ、わたしはそういうところ嫌いじゃないよ。でも、組織ってそういうの嫌うからね。警察や軍隊ってところは特にさ」

 分かる気がする。流羽のやり方は、組織としての警察の枠を越えているときがしばしば見受けられた。それらに責任を問われないのは、流羽が優秀で結果が出ていること、資料班であるということ、後、いちさん係であることも関与していそうだ。

「僕は、流羽に流されっぱなしなんですよ。捜査も鑑識も信条も。さらには、人生すらも流されかけている。僕は、流羽についていくと言いました。でも、それも揺らいでいます」

「ふーん。じゃあ、少年はどうしたいの?」

「え?」

「ミネルバちゃんとか関係なく、少年の心はどう思ってるのさ」

「僕の心ですか……」

 正直分からない。自分はいちさん係にいて本当に相応しいのだろうか。流羽のあんな顔を見ても今まで通りにやっていけるか。多分、無理だろう。

「僕は、今までの自分ではダメだと思ってます。僕は変わらなきゃならない。でも、上手い方向に変われる自信なんてないです」

「少年て、結構アホ?」

「む、心外ですね」

「人間変わろうとして、みんながみんな良い方向になんて行くと思ってるの? だとしたら本物のアホだよ。人間は嫌でも変わっていく生きものだよ。それをさらに自分の意思で促すとしたら、無理が出るところだってあるに決まってる。それを恐れない人だけが変われるんだと思うよ。だから、恐れず変わってみなさいな」

「むぅ」

 確かに、そういわれては自分はアホなのかもしれない。でも、流羽のあの顔を見てしまったら上手い方向に変わらないと人生に関わる気がするのだ。

「まあ、他人の言葉でほいほい変われたらそんな楽なことはないよね。悩みなせい。それが、少年に課せられた人生の命題かもしれないんだし」

「人生の命題ですか」

「そう」

 人生がかかっているのは、間違いなさそうだ。

「あ、小銭忘れた」

 沙織が呟いた。

 相葉は、黙って小銭を取り出して自販機に投入する。

「ここはおごりますよ」

「あらそう? 悪いね」

「いえ、ほんのお礼ですよ」

「じゃ、遠慮なく」

 沙織は、水の入ったペットボトルを購入した。

「そいじゃね」

「はい。ありがとうございました」

「頑張れ少年」

 沙織はそう言って去っていった。

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