12.

「流羽!」

 エレベーターのところで、待ちぼうけを食っている流羽に追いついた相葉は、その手を少し乱暴にとった。

「なんだ、相葉?」

「流羽。君はなにを思っているか知らないけど、独断専行はまずいよ」

「そういう問題ではないんだ。仲間が傷つくかもしれないというのに黙ってみてられるか」

「嘘だね。いや、仲間を思うのは本当だろうけど、君は僕になにか隠している」

「隠しごとなんて星の数ほどあるよ」

 流羽は自嘲気味に言った。

「いや、隠しごとがあるのはいい。だけど、今回の件に関しては僕は知る権利があると思うね。そうじゃなきゃ僕は君を支持できない。そして、僕は君と行動を一緒にしたいと思っている。だから、話してくれないか?」

「つまらん話だぞ」

「なにも聞けないよりはずっとマシだよ。――それに二人になれば独断じゃなくなるかもしれないしね」

「相変わらず、屁理屈が上手いな」

 流羽は、呆れ気味に言ったが、口元がわずかにほころんでいた。



 二人は、本部で銃を保管庫から持ち出して装備した後、よくあるチェーンのカフェに入った。

「昔、あたしがなにも知らなかった頃の話だ」

 流羽は、きつく眼を閉じて、その後力を抜いて、長い息を吐く。それはどこか震えていた。だが、数分もしないうちに生い立ちをぽつりぽつりと話し始める。

 流羽は、小学校の五年生の時、家を吸血鬼に襲われた。どこにでもある一般の家庭だったと思う。襲われた理由が未だにわからない。両親は、抵抗をしたが、抵抗虚しく、あまりに虚しく、よくわからないうちに目の前で殺され喰われていた。骨の砕ける音、肉の裂ける音、血の滴る音。むせかえる血のにおい。嬉々とした男の顔。妖しく光る黒の瞳。

 誕生日にもらった大きな熊のぬいぐるみを抱え、流羽は怯えていた。熊と流羽の顔には両親の血がべっとりと飛び散っている。流羽は信じられないというより、理解が及ばないことをただ黙って眺めていることしかできなかった。

 人間の形をしたなにかが、両親を喰っていた。それは、今でも流羽の心に傷を残しているらしく、話している流羽の顔が青くなっている上に、コーヒージュースの入ったグラスを持つ手が細かく震えている。相葉は、その手に優しく手を重ねた。

「大丈夫。今は僕がいるよ」

「相葉……」

 このときばかりは、流羽も軽口を返せないようだ。普段なら「誰にものを言っている? あたしがそんなことを振り切れないはずがない」とでも返って来そうなものだ。

 話は続く。

 満腹になった吸血鬼は理性を取り戻し、怯えている流羽に気付いた。吸血鬼は満腹になった上にまだ、流羽を喰おうと、足の先から頭のてっぺんまで舐めるように眺めてくる。

「ひっ」

 男の目がちょうど顔の辺りを這い、目のところで視線があった。そのときの男の目は空っぽだった。なにもない。正気はもとより生気も意思も感じられない。それが非常に怖かったのを忘れられないと流羽は漏らす。

 男はのそりと緩慢に流羽に近づくと首筋に噛みついた。命が吸い取られる感覚。身体の温度が吸い出されていく感じ。

「ああ、自分は死ぬのだと思ったよ」

 だが、世界はそんなに甘くもなかった。今もそう。吸血鬼の一族が、その襲ってきた吸血鬼を処分するために、家へ侵入した。交戦の末、男を灰じんと帰す。さらに不幸は続いた。絶命寸前の流羽を見て、血を与えてくれたのだ。十一歳の少女はこうして吸血鬼の仲間に入ることになった。

 その後、ぽつんと世界に落とされて右も左もわからなかった流羽が知ったのは、その吸血鬼は狂っていたということ。孕月状態にあったということだ。

「だから、あたしはいつかは孕月狩り《ムーンハンター》になろうと思ったんだ。だけど、それより先にあたしを拾ってくれた仲間たちは、同じく孕月状態の仲間に殺された」

 相葉は黙って聞いていた。聞いてるしかできない。

「その場をなんとか生き残ったあたしは、力がないことを自覚したよ。孕月狩りなんてとても出来ない。じゃあ、どうするか。力があるところに従おう。そう思った。幸か不幸かあたしは、白昼安歩デイウォークを持っているからな。人間として偽っていけると思い込んでいた。でも、現実はこんな小学生のような身体のあたしを見て誰も大人だと認めてくれなかった」

「じゃあ、それがどうして警察官に?」

「それでも、あたしは運に見放されていないのだろうな。あたしを、その二度目の惨劇から救い出してくれたのは対超越種チーム、S.S.Fだった。それでこの街には、超越種対策課のようなものがあり、実際数多くの超越種が働いてると知って応募した。そして、最終試験をパスしたあたしは晴れて官憲の仲間入りというわけだ」

「でも、それだけ孕月状態を憎んでいるのに鑑識なんていうバックアップに回っているのはなんで?」

「見ての通りだ。あたしには、戦う力がなかった。だから、状況把握を的確にし、仲間が倒してくれれば良い。そのために鑑識のエキスパートになることを決めたんだ。あたしは、自分が人に仇なす存在になったからこそ、人のためにありたいんだ。……今も戦う力はないかも知れないが、黙って見てはいられない」

「さすが流羽。君らしくていいと思うよ。少なくとも僕はその姿勢が好きだよ。さて、もうそろそろ行こうか」

「どこへ?」

「なにを言ってるんだい? 狼探しにだよ。いちさん係では仕事は完全分業ではなくて良いみたいだから」

 そういって腰の辺りを叩いた。そう、銃の支給がされているということは、戦えという意味だ。

「ああ、そうだな。行くか」



 狼は、なにに飢えているのだろう。血か、命か、肉か、それとも仲間か。一度三日月区に戻る。ときどきなにかを嗅ぎ取るように流羽は鼻をひくつかせていた。

 スタート地点は、この前殺人事件が起きた場所。そこから、流羽は見えないなにかを辿るように街の中を歩いていく。場当たり捜査とはこういうものをいうのだろうか。いつもなら新しい経験に興奮するところだが、今日は冷静に流羽の捜査を見つめていた。

 ときどき流羽の携帯電話に知らせの報が入る。どこからかかってきているのかわからないが、広範囲で誰かと連絡を取っていて、それは警察ではないのは確かだ。その報が入る度に、行き先を訂正していく。

 テレビなどでいう、子飼いの情報屋なのかもしれない。さすがに、この考えに至ったときには不謹慎ながら少し興奮した。いつもの一・五倍は流羽がかっこよく見える。

 その結果、ある路地で一人の男を発見した。表通りからは遠く喧噪も届かぬ静かな場所だ。

 男は、百八十センチくらいで、ダメージドジーンズに半袖のTシャツ。腰には、チェーン類が多くぶら下がっている。今時の若者と言われればそう見えなくもない。だが、顔は暗くてはっきりと確認できない。

「おい、そこの男。ポケットから手を出して手を頭の上に置け。違う動きをしたら撃つ」

 その男に向かって、流羽はいきなり拳銃を向けて、警告の口上を述べた。

「おい、流羽。いきなりすぎるよ!」

 相葉は焦ったが、逆に男は、冷静に言われたとおりに従った。

「なんですか、お巡りさん? いや、刑事さんなのかな? わあ、初めて見る」

「うざったらしい演技はいらん。あたしとおまえだ、わかっているだろう?」

 流羽はゆっくりと近づいていく。男は顔を俯けた。表情がわからなくなる。軽口も止まった。緊張が否応なしに高まる。

「流羽! 近づきすぎだ!」

 そう相葉が叫んだが、時既に遅し。流羽の銃は蹴り上げられた。その瞬間に男は、人狼の姿に変身する。流れるように、流羽の喉をつかみ吊り上げた。流羽は軽々と持ち上げられて、まるで小枝のように儚く見える。

 こんなことがあるのか。そんな思いだった。一日で、犯人とおぼしき人狼に辿り着くとは。捜査とはもっと時間と労力を上げて行うものだと思っていた。

 本当に、凶暴な人狼が目の前にいる。醜悪な喜色を浮かべて。流羽を喰わんとしている。そんなことが現実に起るとは。思考が、単純化していき凍結する。

「はっはー。こんなところで仲間の血をいただけるとはな」

 人狼は、生々しく音を立てて舌なめずりをした。

「く」

 相葉は、その異様さに飲まれる。良くわからないがなにか、生々しい暴力の化身が目の前にいるのだけはわかった。怯えすくむ足。よろけるように壁に張り付いた。腰に硬いものが当たる感触。そうだ自分だって、力は与えられている。腰から銀頭仕様のベレッタを抜き取ると同時に銃を人狼に向けようとして、銃を取り落としそうになった。

 相葉と人狼の間には流羽がいる。だけど、いける。頭二つは大きい人狼なら撃ち抜ける、そう思った。だが、人狼は流羽の襟首を捕まえて宙づりにして壁を作っており、その手は首にかかっている。少し力を込めれば流羽の首は折れてしまうのが直感的に感じとれた。

「くぅ」

 流羽がその可憐な喉から苦痛を漏らした。

「ははは、人間。おまえ怯えすぎだぞ。その程度で、銃を持つなんて自殺行為だな。銃を捨てろ。さもなきゃ、相棒の骨が砕ける音を聞かせてやってもいいんだぞ?」

 状況がぶっ飛びすぎて実感がわかない。そのわずかなマヒが相葉に銃を取らせた。

「く」

 やつの右目が流羽の左脇から覗いている。針をも通すコントロールがあれば、必殺の一撃が撃ち込める状態だ。だが、ちょっと、手元が狂ったり、やつが流羽を盾にすれば流羽の心臓を傷つけることになる。さすがに吸血鬼の代表的な弱点である心臓に銀頭を撃ち込んで良いはずがない。

 普段なら自信はあっただろう。しかし、今は無理だ。やつの言うとおり腕が震えている。そのせいで確信など持てるはずない。人狼は、その苦悩を読み取ってか、目を細めた。どうやら笑っているらしい。

「さあ、どこからいく?」

 人狼が空いてる手で流羽の細い華奢な右腕をつかんだ。あまりにも、太さの違う腕。同じ様な生き物とはとても思えない差。

「ぐぅぅ……!」

 流羽が苦悶を漏らす。やつは本気だ。本当に流羽が殺される。

「わかった!」

 相葉は、銃を前に放った。

「よしよし、じゃあそこで相棒が喰われるのを眺めてな!」

 また舌なめずり。醜悪だ。非常に醜悪だった。

 その眼にも狂気をべったりと塗りつけている。底の見えない不透明な眼が爛々と光っていた。

 くそう! なにか手はないのか! 表面は取り乱さずに必死に頭を回転させる。だが、人質は向こう。力も向こう。こちらにあった火器は投げ捨ててしまった。

 男の口が大きく開く。伸びる唾液、近寄る鋭い牙。もがく流羽に、眺めざるを得ない相葉。

 そのとき。

「下」「上」

 男の声と女の声がした。

 そして、私服の男が下段に、制服の女性警察官が上段にタックルを仕掛ける。人狼も喰える瞬間の虚を突かれて対処が遅れたのだろう、もろに浴びた。

 もんどり打って転がる三人。人狼も流羽を手放した。流羽は、その場で激しく咳き込んだ。相葉は、その隙を見て投げた銃を拾い、構える。だが、突撃した二人が邪魔になって撃てなかった。

「舐めるなぁ!」

「ぐうっ!」

 男の方が蹴り飛ばされる。人が宙を舞うのを相葉は初めて見た。すぐに、女性制服警官の方も振りほどかれる。相葉は、逃走を選んだ人狼の背中に向かって弾を撃ち込んだ。

 無我夢中。だが、手応えがあった。これが生き物を撃つという感触。相葉の背中に涼やかなものが走った。

 しかし、人狼は手傷を負いながらも走り去る。程なくして静寂が訪れた。

 情報を把握する。咳き込みから復活した流羽。脇腹を押さえながら立ち上がる槐と、顔を押さえているヒマリア。

 和んでいるヒマもなく、ヒマリアと流羽は男の後を追い、途中で止まる。

「どうしたの、流羽?」

「お手柄だぞ、相葉」

「上出来です、相葉くん」

 二人に褒められる相葉は、自分だけ無傷なのがいたく恥ずかしいことのように思えた。

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