10.

 相葉は、郷愁に包まれながら空を見上げた。まだ空には色が残り、陽は健在だ。だが、後一時間もしないうちに陽は完全に沈むだろう。そうなれば、黒のキャンパスには華々しい花が炸裂するはずで、それを流羽と眺めるつもりだった。

 デートという宣言には誇張があると思うが、でも今日はわりと楽しかったし花火も一緒に眺められるとなんとなく良かった気がする。

 月はまだ太陽が出てるのにもかかわらず、低空で出番待ちをしていた。きれいな満月だ。花火を楽しむまで、それをぼぅっと眺めていた。

 満月……。

 公園のベンチで一人時間が過ぎるのを待っている。これはかなり絵にならない。そう思った。だが、相棒兼デートのお相手は帰ってしまっている。ナンパというのもありなのかもしれないが、今はそんな気分ではなかった。

 今はまだ千香のことも心に残っている。今日だって流羽が相手じゃなきゃ女性と一緒に祭に来るという選択肢はなかっただろう。男友達はいないわけでもないが、連れだって祭に来られるような暇人はいないだろう。

 そも、祭ということを忘れていた可能性もある。普通に千香のいない生活を送り、後からなにかをきっかけに祭だったのを思い出す程度なのが想像に難くない。

「……千香、そして流羽」

 やはり、自衛隊より楽そうだからの発言がまずったのだろうか。それがすごく気になる。それに呆れるくらいに肉を食べていた。これもなにか事情があるのではと勘ぐりたくなる。

「あー、わかんねえ」

 相葉は独りごちた。頭を少し強めにかき乱す。



「鶴木特別警部。こんばんは。ちょっと質問が……」

 その日の夜、いちさん係の会議の後、出てくるヒマリアを捕まえて尋ねた。都合良いことに一人だ。まあ、槐がいたとてやましいことはなにもないのだが。

 一つ気付いたことがある。満月の夜は必ず非番。どんな形であろうとも休みになる。となれば今夜もなにか関係があるかもしれない。そう思った。でも、会いに行っても流羽には会えないだろう。合い鍵を使うのは、私事のような気がして気が進まない。となれば、同じ体質の人に聞くのが早い。そういう結論。

「あ、相葉くん。特別は付けないでくれるとありがたいかな。できれば、さんとかで」

「はい、鶴木さん」

「で、聞きたいことはなにかな?」

「はい、単刀直入にうかがいますが、今日は満月ですよね? 吸血鬼って満月になったらなんかあるんですか? 例えば、異常にお腹が空くとか」

「吸血鬼って、体質の他に能力を一つ持っていて、私もそう。それには個人差があるの。それによっては、ある人と、ない人がいるんじゃないかな。ちなみに私はない方。まあ、いつもと違って力は持てあまし気味だけど」

「……じゃあ、流羽は?」

「さあてね」

「はぐらかさないで教えて欲しいんです。お願いします」

 相葉は、頭を深々と下げた。

「こういうのって、弱点に繋がってたりして誰彼構わず話していい話じゃないの。だから、それだけの熱意を持っているんなら、本人に聞きなさい」

 ヒマリアにしてはイメージそぐわぬ、強い語調で言い切った。もうこれ以上はなにを聞いてもこの質問については答えてくれないだろう。

「おー、待たせたな。って、相葉か。今日は非番じゃなかったのか?」

 槐が会議室から出てきた。

「はい。ですが、気になることがあったので」

「なんだ? 力になれるかも知れん」

「ありがとうございます。かい巡査長は、鶴木さんの能力はお知りになっています?」

「ああ」

「それは割と早い段階で?」

「まあな」

 なるほど。ということは、ヒマリアの能力は弱点に関係ないのかもしれない。もしくは、よほどの信頼関係のがあったのか。

「あの、話は変わりますが、かい巡査長は信念、もしくは正義というものをお持ちでしょうか?」

 相葉は自分がすこぶる頭の悪い問いを口にしているような気がする。相手は、警察官でしかも伝説と言われる程の刑事だ。持ってないことの方がおかしい気さえする。

「なんだ、藪から棒に。まあ、あるっちゃあるし、ないといっちゃない」

 相葉は肩すかしを食らったような気分になった。伝説というのは本当に馬鹿にするために付けられたのではと疑いたくなる。

「僕には、警察官になるにあたって、そういうものはありませんでした。今でも明確なビジョンはありません」

 一大決心の元、告白した。

「それが、どうかしたのか?」

「え?」

 思わず耳を疑った。

「警察官とは、みな正義心に燃え、危険を顧みず平和のために尽くす人たちの集まりかと思っていたので。なんというか、予想しない答えが返って来たので驚きました」

「おまえは警察官を勘違いしている。信念がないと、警察官になれない? 悪を憎まなければ警察官になれない? 両方ノーだ。出された問題に答えて、人より優れた能力をアピールできれば警察官にはなれる。問題はその先にあるんだよ」

「その先、ですか?」

「そう。どんな警察官になるかってことだ。なりたいでも構わない」

「そんなもの必要なんでしょうか? 信念もなく警察官になれるなら、信念などなくても警察官を続けられるのではないでしょうか?」

「普通はそうだ。だが、オレたちのしようとしている仕事には、必要なんだ。しかも、一歩踏みこめば引くことはできない。因果な商売だよ。そして、おまえはその一歩を踏み出している」

「それは、どんな?」

「これだよ」

 槐は、会議室に向かって親指で指した。

「ここはね、超越種スーペリアに関わりのある人間や超越種が集まってきてるところ。ここは、人間には下されないような判決を下してる場所でもあるの。それを受け止め、行動するうちに、みな信念を持つか持たされる。そういう場所。だから、相葉くんもここにいれば、きっとなにか信念を持たされると思うよ」

 ヒマリアが残念そうに言った。持つのではなく、持たされる。続けて。

「でもまあ、かいさんみたいな人もいるけどね。伝説の伝説たる所以ですよね?」

 一瞬でおちゃらけた雰囲気になった。

「だから、それは蔑称だと言ってるだろ」

「じゃあ、警察官に必要なものってなんなんでしょう?」

「それは自分で見つけるべきものだ」

「ちなみに、かい巡査長と鶴木さんは?」

「必要なのは信念じゃない、動くべきときに動ける覚悟、だと思っている」

 ヒマリアも頷いている。

「それは、身につきますか?」

「身につくよ」

 ヒマリアは力強く頷いた。

「どっちかというと、それは、入ってから身につけるものが多い。頑張れ」

 そういって、槐は相葉の腕を軽く叩いた。すごく心強い。

「ありがとうございました」

 また、相葉は深々と頭を下げて、捜査に向かう二人を見送った。



 翌日、空には満月の残り香なく、清々しい晴天が広がっていた。今日も暑くなるのだろう。

「おはよう」

「ああ、おはよう」

 聞くからに落ちたトーン。やはり、向こうも気になっているのであろう。

 席について仕事の書類を取り出したが、いつもの軽口やお説教がない。しばらく沈黙が続いた。

「昨日の花火はどうだった?」

 重苦しい雰囲気。その中でようやく口にされた質問。

「ごめん、良く見てないんだ」

「そうか。昨日は突然帰ったりしてすまなかったな」

 答えるべき言葉を持たなかった。ここで答えるためには乗り越えなくてはいけない壁がある。相葉もまた覚悟しなくてはいけない場面なのだろう。意を決して、聞くべきことを口にする。

「ねえ、流羽? 流羽の能力ってなんなのさ?」

 流羽が息を飲むのがわかった。来るべきときが来てしまった、そんな感じ。

 答えはない。

「答えられないならそれはそれでいいよ。一つだけ。帰ってしまったのは能力のせいか、それだけ聞かせてくれないか」

 自分の空っぽさに呆れて帰ったわけではないならそれならばそれでいい。そんな妥協がある。一昨日の夜、小さいことだったが、確かに流羽は相葉を認めてくれた。せっかく認めてもらったのに、見放されたくない。

「……そうだ。今はそれしか言えない。弱いあたしを許してくれ」

「いや、充分だよ。流羽は弱くなんかない」

「なにを根拠に」

「そうだなぁ。自分の基準かな。弱さっていうのを隠すのは良くないって言われるけどさ。あれ、全部が全部正しいと思えないんだ。特に命に関わることって大事だよ。人間は人間があまりにいるから自分たちの弱点をたくさん知ってるけど、それだって異星人と闘いになったら、進んで申告することじゃないと思うし」

「む。あたしは異星人扱いか」

 わざとらしく膨れてみせてきた。

「違うよ。少なくとも捜査の上では、流羽は僕なんかよりよっぽど優秀だし、強いのは事実だろ? まあ、ケンカしても勝てる気しないしね」

「相葉……。ふ、ふん。吸血鬼でなくともおまえにケンカで後れを取るやつなんていないさ」

 照れ隠しのようで、腕組みをしながらそっぽを向きながら軽口を叩いた。

「まあ、そうかもしれないね」

 いつものように答える。調子が戻ってきたことに嬉しくなった。

「だから、それでもいいと思う。それに……」

「それに?」

「少々ふくれっ面でも、いつもの流羽の方が僕は好きだから」

「告白か?」

「いや全然」

「まったく焦る様子もないか。つまらんやつだ」

「悲しいかな、よく言われるよ」

「まあ、おまえにそんな勇気がると思えんしな」

「僕の評価はどんだけ低いんだよ」

「少なくとも、十一歳児に性欲を抱かない分別のある大人という評価だ」

「へえ」

「なんだ?」

「流羽って、十一歳なんだ」

「いや、まあ、本当の歳は違うが、って女に歳を語らせようとするな!」

 それでも相葉はにやけるのが止められなかった。流羽のことを一つ知ることが出来たからだ。

「にやにやと気持ち悪いやつだ」

「そいつはすいませんね」

「だから、女にもてないんだろう。きっと、そうに違いない」

「ははは、そいつは巨大なお世話だ」

 ははは、とはっきりわざとらしく言葉にしてやる。

「世話は焼かれているうちが華だ」

 そういった流羽の顔は少し翳りのあるものだった。でも、すぐに表情を戻し明るい調子で言う。

「当分は世話焼いてやるからありがたく思え」

「はいはい」

 こうして、二人はすぐに日常に戻ることが出来た。

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