09.

「明日は非番だな?」

 唐突に流羽がそんなことを口走った。ここは二人だけの班なので休みも一緒。だから、確認するまでもなく流羽が休みなら相葉も休みということだ。

「うん、まあ」

「予定を開けておけ」

「なんで?」

「祭りに行くぞ」

 「そんなきらきらした目で、言わなくても」というセリフを丸ごと飲み込んだ。多分言った日にはお尻を蹴り回されるに決まっている。見た目の割に吸血鬼なので、結構痛い。

「デートだぞ」

「デート?」

「ははは、そんなに恥ずかしがることないぞ。彼女がいなくなって可哀想なおまえに、日頃の労いの意を込めてデートだ。嬉しかろう?」

 本当に自分たちが二人で出かけていってデートであるように見えると思っているのだろうか? せいぜいお兄ちゃんと妹が関の山だと思う。十中八九、成立なんてしない。だけど、どこかはしゃいでうわっついている流羽を見てそれを口にするのは憚られた。

「うん、まあ期待してるよ」

 本当に。いい方向に転びますように。



 次の日、神宮祭の縁日が、穂澄野の奥に鎮座する浮島公園で繰り広げられていた。たくさんの人。たくさんの屋台。おいしそうなにおいに、子供たちのはしゃぎ声。

 なにかとても幸せそうに時間の過ぎてる場所だった。最初、乗り気じゃなかったが、いざ来てみれば、かなり興奮せざるを得ない。

 入り口で、流羽を待つ。考えてみれば、スーツ以外の私服は初めて見るかもしれない。おしゃれな格好でくるのか、歳相応のファッションでくるか、精一杯背伸びしてくるか、それとも王道の浴衣でくるのか。

 それを考えるだけでも、少し早めに着いた価値はあるだろう。そんなことを考えていたら、背後から声をかけられた。

「遅くなって悪いな」

 栗毛色の短髪に、黄色を基調とした布地に、赤い蝶の舞った浴衣を着ていた。足下もちゃんと、女性用の平底の下駄だ。軽やかな木の音が心地よく気分を軽くしてくれる。

「どうしたぼぅとして?」

 照れているのか少し頬を赤めながら、恥じらいを見せる。

 たまんない! そう思った。美少女が似合う浴衣を着て、恥じらう。これこそ日本の美ではないか。さらにいえば、ショートなのでうなじがはっきり見えていて紅をさした感じがこの上なく艶っぽい。

 でも、ロリコンの気はない。これだけは繰り返しておかねばならない。

「なんとか言えよっ」

 向こうずねを蹴られた。痛かったが、それよりも大事なものがあるので我慢できる。

「良く似合っている。素晴らしいよ、流羽。ここまで日本人にとけ込めるなんて」

 欲を言えば、黒髪ならなおのこと良かった。

「あたしがいつ日本人じゃないなんて言った?」

「え、外国人じゃないの?」

「生まれも育ちも日本だよ。髪の毛は転身の影響。英語なんてさっぱりの純日本人だ」

「え、じゃあ、ミネルバっていわれてるのは、本名じゃなくて、そっちがあだ名?」

「うんまあ、それは本名」

 こんな質問しなくてはいけないくらい流羽のことをよく知らないのだ。

「ほらあ、やっぱり」

「でも、両親は日本人じゃないが、あたしは身も心も日本人だよ」

「なんだ、ちょっとがっかり。でも、今日は楽しめそうだよ」

「なんだよ? あたしが日本人だと悪いのか?」

「いや、そんなことはまったくないよ」

「ふん。まあいい。よし、まずは肉だ。ケバブと肉の串買おう。もっさりくうぞ!」

「はやりの肉食系? ちょっと違うか」

「なにをぶつぶつ言っているんだ? 行くぞ」

 気がつけば、流羽は人混みに入って行ってしまった。しかも、小さいのが災いしてするすると進んでいく。追いかけるのが大変だ。

「あー、流羽。ちょっと、待ってよ!」

 必死に人混みをかき分けて前へ進む相葉。

「すいません。すいません」

 もう謝るためだけにこの道を歩いている気分だ。謝るのは上司に対してだけでいいというのに。謝り慣れてるなんてなんて悲しい慣れだろう。いっそ、謝りのプロとでも名乗れそうなくらいだ。いくらなんでもひどすぎる肩書きだと思う。槐の「伝説の」という肩書きを思わず思い出して彼の言葉に妙に納得がいった。

「確かに、蔑称かもしれない」

 思わず苦笑が口の端に浮かぶ。

 それは公園の分かれ道の少し広い位置にあった。大きな肉が専用の機械でぐるぐると回りながら焼かれている。醤油、ではないと思うがそれ系のにおいが鼻孔をくすぐった。お腹に響くにおいだ。

 時計を見れば、もうお昼を回ってお腹が空いていてもおかしくない時間だった。流羽が屋台のおじさんに三つくれと言っている。おじさんは、売れるならとにこやかに野菜を挟み、ソースを入れ、ラップを作っていた。

 もう一人のお姉さんに、相葉は一つ注文する。

「あいよー」

 流羽は袋に入ったケバブを受け取っていた。次いで相葉にも手渡される。五百円玉をポケットから取り出して手渡した。

「君さ、初っ端からそんなに買ってどうするの?」

 相葉は、一つめにかじりついてる流羽に尋ねてみた。

「なんだよ。大人買いってやつだ」

「そんなこと聞いてないよ」

「全部食うに決まっている」

「他にも、いろいろあるだろう。フランクフルトにたこ焼きとかお好み焼きとか、キュウリとか。甘いものだって人形焼きに綿飴、リンゴ飴だってあるだろうに」

「いいんだよ。あたしは、これと牛串を食いに来たんだからな」

「はあ、さいですか」

 肉を味わいながら、人混みの中を歩く。みな楽しそうだ。ときどき同業者が歩いていて、威圧的でよろしくないけどそれは仕方ないよなと思う。

 相葉は、ラップを食べ終わって自分の指を舐めていたときには、すでに流羽の袋にはラップはなかった。最後の一個を一心不乱に食べている最中のようだ。

 こういう賑やかで興味が次々と移り変わるところでは、歩いてる距離が曖昧になりやすい。公園の奥の方には大きな池があるのだが、もうそのほとりまで着ていた。家族連れが祭りの戦利品などをまとめたりして休憩をとっている。

 そのとき、一人の少女が泣いているのが目に入った。年の頃は流羽の外見とさして変わらない気がする。流羽は、迷わずその子に近づいていった。通常目の高さを合わせるのにしゃがみ込むのに、流羽はまっすぐ立ってても若干高いだけだ。

「どうした?」

 言葉はぶっきらぼうだが、語調は柔らかい。

「おとうさんとおかあさんがまいごになった」

 女の子は、確かにそう言った。迷子になったのは、間違いなくこの子の方だ。思わず苦笑してしまった。その言葉を流羽も言いそうだったからだ。

「そうか、じゃあ、お父さんとお母さんを捜そうか」

「おねえちゃんはだれ?」

「お姉ちゃんは、警察官だ」

「うそはいけないって、おかあさんがいってた」

 そうだろうな。普通の常識を持っていたらそうなるよな。相葉がそんなことを口走った日には烈火のごとく怒るのにその子に対しては困った笑みを浮かべているだけだった。

「お嬢ちゃん、そう見えないかもしれないけど僕らは警察官なんだよ」

 相葉は、やさしくそう言い聞かせるように言った。

「じゃあ、おとうさんとおかあさんをみつけてくれる? おじさん!」

 うぐ。まだそんな歳じゃないのに。でもまあ、いいか。不安な表情は吹っ飛んで明るい顔をしている。

 さあ、これから大変だと思った矢先。迷子の放送がかかり、その特徴はまんま、目の前の少女のものだった。

 さすがに、流羽と相葉は目を合わせて苦笑した。後は迷子センターに連れていくだけとなったわけで。

「ばいばい。おねえちゃん、おじちゃん」

 元気よく手を振る少女に、硬い笑顔で手を振り返す流羽。少女が見えなくなったとたん、ぷくっと頬を膨らませて、見た目相応に怒りを表した。

 普段の呵責なさはなりを潜め、ぷりぷりと怒っている。どちらかと言えば可愛らしい。ロリコンの気はないが。

「失礼な子供だったな。なあ、相葉?」

「流羽……」

 思わず、反射的に、頭に手を乗せてしまった。

 みるみるうちに流羽の顔は赤く染まる。怒りか羞恥かはわからないが、痛い目を見るのは確かそうだった。相葉は慌てて、露店を指さす。

「る、流羽。牛串食いたがってたよな? そこにあるぞ。お、なんだかおごりたくなってきた。どうだい? いっちょおごられてくれないか?」

 飽くまで下手に出る。なんというか飼い慣らされた犬のごとき反応だ。

「よし、じゃあ十本おごらせてやろう。ありがたく思え!」



 相葉は、内心ため息を吐いていた。理由は簡単。予算の倍近い額が放出されているからだ。でも、本当に牛串、一本五百円を十本買わされるとは思っていなかった。しかも、それを全部食べてしれっとしている流羽のお腹の容量には驚いている。朝の血液パック一つに四苦八苦している人物と同一なのか怪しいくらいだ。

「はあ」

 とうとう、口から本当にため息がもれた。同時に射的で注文の品を一つ落とした。

「はい、流羽」

「お。おまえすごいな」

 流羽の両手は、射的、モデルガン射的、アーチェリー等の景品でいっぱいになっていた。それに綿飴の袋に、お面。立派なお祭りに浮かれる子供ができ上がっている。そして、表情も終始明るく、ご機嫌な流羽は正直可愛い。ロリコンではないが。

「好きなんだよ、昔から」

「射的が?」

「いや、銃関係というか、撃つことが。大学もクレー射撃部だったし、ゲーセンではガンシューティングばっかりやってたし」

「大会では良い成績だったんじゃないのか?」

「いや、大会には一度も出たことないよ」

 競うことから逃げ回っていたので、部活の連中の中では圧倒的な実力がありながらもそういうものに出たことはない。

「そうなのか。でも、アーチェリーもモデルガン射的も見事だったなぁ。あ、おまえもしかしてそれが目的で今の仕事に就いたのか?」

「まあ。自衛隊はきつそうだったからね」

 今のきつさを考えたら、自衛隊でも良かったかもとか思っていないこともない。

 射撃ができるから、警察官になった。しかも、自衛隊より楽そうだから。それを聞いた流羽は急に無口になった。顔は若干のしかめっ面。

「おまえ、鑑識は嫌か?」

「なんだよ、急に」

「だって、銃撃てないだろう?」

「そんなのどこの部署に行ってもそうじゃないか。射撃訓練で撃てるだけで充分だよ」

 人を撃つなんて考えたこともなかった。でも、今自分はそう言う立場にいることを改めて認識する。

 流羽が、俯いてしまった。祭のお面だけが脳天気な顔でこちらを見ている。

「どうしたのさ、流羽?」

「いや、別に」

 流羽の顔から楽しそうな表情は姿を消し、心なしか悲しそうな顔をしているような気がした。

「相葉、帰るわ」

「え? 花火までもうすぐだよ?」

「悪いな」

 そういって、流羽は踵を返した。

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