08.
相葉は、本部の受付の前で、苦笑していた。歩いてる人間はたいていが警察官のはずなのに、受付だけみるとものすごくふつうの会社っぽい。良い意味で肩の力が抜けた気がする。
本部勤務ではない相葉は、まずは手続きをと思ったが、流羽はそれを無視して奥にいく。
さすがに、いくらスカートスーツに身を包んでいても中身が余りに華奢過ぎて警察官には見えない。しかも、髪も栗色ときた。これでは、いいとこ普通のOLだ。そうでなきゃただの子供が背伸びをしているようにしか見えない。
「ちょっと、流羽?」
奥のセキュリティの前まで我が物顔で突き進む流羽を追っていく。だが、案の定、守衛に止められていた。
「お嬢さん、どこの子? ここから先は入れないんだよ」
「失敬な口を利くな、巡査が」
そう。流羽は、こう見えて身内には優しい人で、外には厳しい人なのだ。だから、自分と関係ない、もしくは薄い人間とはしっかり警察官として振る舞う。暴走気味に。
しかも、もうすでに怒り心頭に発すという感じだ。なにせ、子供扱いは流羽が一番嫌う行為だからだ。
「な。なんて口の利き方をするんだ最近の子は。いいかいお嬢さん。確かに自分は巡査だけどね、そう言う言い方はないんじゃないかな?」
そう言って、なお進路を阻む守衛に向かって、流羽はIDカードを見せつける。正真正銘の警察官の証だ。
開いた口がふさがらない。守衛の様子を端的に説明しようとするとそうなる。気持ちは十二分にわかった。自分も初めはそうだったし。
すると、もう一人の守衛が奥から出てきて、流羽に敬礼する。どうやらそっちは顔見知りらしい。それを見て今まで立ちふさがっていた守衛も敬礼した。立派な大人がちっこい女の子に向かって敬礼している図。ものすごくシュールだった。
「次からは顔をちゃんと覚えとけよ」
険の含まれた声で、流羽は釘を刺した。うんまあ、顔は覚えてなくても見ればわかる気がするけども。でも、せっかくかわいい顔をしてるわけだから、覚えといても損はあるまい。ロリコンの気はないけど。いや、彼らにはあるのかもしれないけど。
それは、ともかく。相葉は自分を置いてセキュリティの向こうに行こうとしてる流羽を慌てて呼び止める。
「流羽、僕IDを持ってないんだけど!」
それに気づいた流羽は、セキュリティの前で歩みを止めてくれた。守衛の二人には警察の身分証を見せながら流羽に近づいていく。
「流羽、いいかい? 僕は初めてなんだ。頼むからいつも通りに行動するのは控えてくれないか?」
「ん。考慮しよう」
一悶着あったが、ようやく本部ビルの中へ足を踏み入れる。いっそう緊張が高まってきた。本部勤務の人たちとすれ違うが、どの人も優秀そうに見える。どんなバイアスだよと苦笑しながらも、やっぱできる人は違うな、などと思っていた。
だが、その観点からいくと流羽も敏腕鑑識官だ。相当できるように見えることだろう。中に入ってからは、誰一人流羽の存在を疑問視するものはなく、普通に過ぎていく。
そんな中意外なことに、相葉に対しても誰も怪訝な表情を示さない。人物に興味がないのか、自分も優秀そうな見栄えの一員ということか。どちらにしろ、問題ではあると思う。
奥のエレベーターのところで、少しくたびれたスーツを着た中年の刑事と長い髪をきれいなポーニーテールにまとめた制服姿の女性警察官のコンビが話をしながら、カゴを待っていた。女性警察官の制服の袖には警部補以上を示す金のラインが入っている。
「よう、ヒマリア」
思わず金のラインに怯んだ相葉に対して、流羽は気安く話しかけた。
「あ、ミネルバちゃん!」
ヒマリアと呼ばれた人物は、かなりの美形だ。目尻が引き締められていて、眼力がとてもありそうだった。和服が似合いそうな美人というのが第一印象。
だが、嬉しそうにほころばせた笑顔に添えられた犬歯、というより牙を見逃さなかった。相葉は、内心嘆息する。この人も吸血鬼か。美しい花には棘があるとかいうレベルではない。おっかない。
「紹介しよう。こっちが、『伝説の刑事』こと、
そういって、男の方を手で示した。見るからにちょっとダメっぽそうだけど実は敏腕刑事であるという、ある種の典型みたいな男だ。散切り頭に、ひげも無造作に剃られ、皮膚なんかは太陽でいいだけ鍛えられていて岩のようだと思った。だが、出来る刑事なのは、雰囲気が物語っている。
「こっちが、鶴木ヒマリア特別警部。実際は平巡査」
「ちょっと、確かにそうなんだけど、平はいらなくない?」
警部という言葉に思わずうえっと思ったが、見た目に反して幼い怒り方をする人だと思った。なんとなく、上手くやっていけそうな気がする。
「そして、これがあたしの部下の相葉、相葉……なんだっけ?」
思わずこけそうになる。
「部下の名前ぐらい覚えておきましょうよ」
「冗談だ。部下の相葉恭一巡査だ」
「ほう、これがミネルバちゃんの新しいツバメか」
「違うわ!」
と、女性陣が仲良くやっている横で。
「よろしく、相葉。それにしても酷い蔑称だと思わんか?」
伝説の男が挨拶をしてきた。相葉は、もう伝説という言葉に足下を掬われている状態だ。
「あ、ああ、あのよろしくお願いします!」
それが精一杯だった。
「そう硬くなるなよ。『伝説』なんて、こいつらが勝手に言ってるだけだ。実際は、『お間抜けな』と頭に付けられている様なもんだ」
言いながら、二の腕を軽く叩かれた。
「もう、かいさんはすぐそうやって言う!」
ヒマリアが怒る。
「だってよ、普通本人に言うか? 悪趣味にもほどがあるぜ」
それをものともせず、普通に受け流していた。
「なあ、流羽? こんな人たちが集まってくるのか、この会議?」
相葉は、小声で流羽に尋ねた。伝説とか吸血鬼とかなんだか桁が違う気がする。自分は人間で、見習い鑑識官なのだ。
「そうだよ。奇人変人ショーみたいで面白いだろう?」
「まあ、変人っていうのは否定しないけどさ」
「む、その言い方はあたしを侮辱してるな? 後で覚えていろよ」
「ごめん、もう忘れた」
そのとき、カゴが下りてきた。
道順はまっすぐではない。なぜか六階で一度降りて、さらに奥まったエレベーター乗り場へと進み、さらに上へ。
「ねえ、流羽? これって、上層部用のエレベーターじゃないの?」
「そうだが?」
「いや、そんな当たり前のように認められても困るんだけど……」
「大丈夫だよ。本部とて上層部だけで回っているわけじゃない。巡査だってこのエレベーターに乗るさ」
「そうだよ。私も巡査みたいなものだし」
と。ヒマリアが言い。
「オレも巡査長だしな」
と、槐もそう言った。
相葉は、半ば呆れたように三人の顔を見たが強がりはどこにもない。ただ、自分は実績も特殊能力も特別な体質も持っていないのが逆に不安に思えた。
「なに、心配するな。実績なんて後からいくらでもついてくる」
槐が相葉の気持ちを察してか、言葉をかけてくれた。
「そうだ。そういえば、この前の路上のひったくりな。お前の採取した毛髪が被疑者のものと一致して解決した。良かったな。これで実績ができたぞ」
流羽が慰めなのか、馬鹿にしてるのかわからないようなことを口にした。たぶん気を使ってくれているのだろう。それか、この会議はその程度のものだと言ってくれてるのかもしれない。どちらにせよ気分は軽くなった。
「槐巡査長は……」
「『かい』でいい。槐の字はかいとも読むんだよ」
「はい。あの、かい巡査長はどんな伝説をお作りになったんですか?」
「それをオレに聞くな。オレが一番わからないことなんだからよ。気がついたら呼ばれてた」
「かいさんはねぇ」
「おっと、着いた」
なぜか自慢げに話そうとし始めたヒマリアだったが、流羽の無碍な言葉に打ち切られた。
「また、今度聞かせてください」
相葉はヒマリアに小声でそう言った。
「はい、喜んで」
「おい、さっさと行くぞ」
ちょっと流羽の機嫌が斜めになっていた。
着いたフロアにある会議室に足を踏み入れる。そこは、通常では考えられない豪華な造りの部屋だった。まさに、テレビで見る上層部が使ってるような部屋構えの中に、通常の捜査本部で使われている機材が満たされている。
捜査会議には参加したことはないが、搬入の手伝いはさせられたことがあった。相葉にとって初めての捜査会議が目の前だ。そう思うと、知らず胸の内が高揚する。
みながそろって、席に着き、整然とする様はまるで軍隊のようなのだろうな。そう思うと、その一部にならなくてはならない立場にまた緊張してきた。今日は、緊張したり緩んだりの繰り返しで、そのうち自律神経がおかしくなるんじゃないかと心配になるくらいだ。
時間が九時ちょうどを指すと、前の扉から見たことのある顔が入ってきた。確か、生瀬係長といったはずだ。みなが一斉に立ち上がり、生瀬が座るのと同時に一斉に座る。相葉は、普通の捜査会議にも出たことがないので慌てて周りに倣った。
「では、いちさん係の捜査会議を始めます」
いちさん係? それがこの集まりの名前なのだろうか。後で流羽に聞いてみよう。
そこからは、淡々と情報の開示が進められ、みながそれを共有していく。その報告する中には、鑑識や特別心理捜査官なるものの報告も含まれた。もちろん徹夜で毛髪を調べ上げた流羽も毅然と発言する。その姿を笑う者はなく、真剣に耳を傾けていた。
「
男の刑事がそう報告した。
「だから、この街の超越種のデータを集めておけっていってるのだ」
他の男が小難しい顔でそういった。
無理だろう。囓った程度の相葉でもそう思う。戸籍も国籍もないような連中だって多いだろう。ちょっと知恵が回るなら、そう判断する。だけど、そこで諦めてはいけないのが、警察という組織だった。
みな、一様に黙る。この街は、超越種の出入りが激しく、とてもじゃないが全体の把握なんて出来たものじゃない。それが小難しい顔の男も含め、ここにいる全員の共通見解なのだ。
そして、捜査方針が告げられる。被疑者は、獣人系であるがどういういきさつで被害者を殺害したかわからないので、処分は保留。とりあえずは、発見確保をすることが通達された。これが、私利私欲や本能による殺害ならば銃殺と言ったところらしい。
最近知ったことだが、この街の一パーセント、二万五千が人じゃないらしい。相棒が吸血鬼だということを知ったときも、流羽自身については容認できたが、百人に一人が人間ではないという事実にどうしていいかわからなく怖かった。今日、この場にいる捜査員の数名が人間じゃないと知って改めてその恐怖が思い出される。
流羽のときは、流羽という人柄を知るところから始まり、その後実は、という流れだったので乗り越えることが出来た。いくら、一つの事件に向かって一致団結して、警察官であるというのを踏まえてもいささか思うところがある。
こんなときは流羽の言葉を思い出すのだ。
「よく語られる吸血鬼たちと違うのは、我らは理性を失うということがほとんどない。本能のままに襲ってこないのは人間と同じ。余裕があれば冷静に獲物を狩る。そうしないと、生きていけない時代になったからだ」
つまり、相葉が今も生きているのは、連中が無差別に人を襲う連中じゃないと言うことであり、だから、そんなに恐れなくともいい。そういう意味だと思っている。
「流羽、ここはなにか特殊な集まりなの? いちさん係、だっけ?」
「そうだ。特殊事例対策課、通称いちさん係だ。係長は、本部刑事課十三係係長生瀬警部だ」
「なるほど。特殊事例ね。要はXファイル係ってことだよね」
「ぶっちゃけると、そうだな」
「さて、流羽。僕らはどうするの?」
「どうもこうも、捜査するのは刑事たちの役割だ。あたしらは、次の証拠でも見つかるまで、待機かな」
「おまえほどの器も見るべき後輩が出来ると、大人しくなるもんなんだな。部下を付けて正解だったかもしれないな」
そう言ってきたのは、先ほど指紋の報告を行っていた、ベテランという言葉が似合う壮年の男だった。だが、あまりスーツを着慣れていないのか着られている。
「そんなことないですよ。イブさん」
「イブ、さん?」
「ああ、この人は、美作方面中央署で鑑識係長兼いちさん係鑑識班長の伊吹警部補だ。腕は見ての通りだ。こっちは、部下の相葉恭一巡査です」
見ての通り? まだなにも見ていないのだけど。でも、雰囲気は職人の持つそれと同じ感触がした。
「相葉です。どうぞ、よろしく」
相葉が頭を下げる。
「やっぱ若いツバメは良いな」
「それ、ヒマリアにも言われましたよ」
「でも、いい目をしている。きっといっぱしの鑑識官か検視官にでもなるんじゃないか」
「滅多なことを言わないでください。図に乗ります」
「ははは、今のやつはちょっと大げさに褒めた方が良いって読んだものだからよ」
「それ、良くないですよ」
流羽は、顔を顰めた。
「そうかもな。まあ、役に立つなら吸血鬼でも人狼でも使う。それが俺のポリシーだ。よろしく」
「さて、挨拶も終わったし、今日は帰ろう」
「え? いいんですか?」
「いいんだよ。じゃあ、イブさん。また明日にでも」
「ああ」
そういって、流羽は相葉を連れて部屋を出た。そして、そのまま本当に帰途につく。なんか、相葉は釈然としないまま家へと向かった。
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