02.
本日二度目の出動。今度こそ、初の死亡事故か、殺人現場かと思い覚悟を決める。だが、そうそう人死にあうことなどない。今度は、家宅侵入と窃盗、要するに空き巣の現場だった。
昨日、雨が降ったために地面は湿っているところがあった。盗みに入られた家は、庭付きの一戸建て。周りにも家が密集していて一見安全そうに見える。玄関の横から恐らく裏口に回っているだろう足跡が付いていた。だが、捜査心得のなさと、どうしてもの必要に迫られてだろう足跡で玄関近くの足跡は、見る影も残っていない。
家に着くと、鍵穴を点検している鑑識係員がいて、中に入ると、足跡班が土足で上がったために付いた足跡、通称ゲソコンを取っている。正面玄関から出ていったらしい。最近の犯罪は割と堂々としている開き直り型が多いがこの件もそうなのだろう。
「おい、玄関横からのやつはもう取ったのか?」
流羽が、足跡班の婦警に声をかける。短髪の元気の良いお姉さんだ。
「いの一番に取りましたよ」
「さすがだな、さおっちゃん」
「まかせてくだせい、ミネルバちゃん」
少々変なしゃべり方だが、優秀な足跡班員だと聞いている。
「指紋はノブから出たか? かおっちゃん?」
今度は、表玄関のドアノブにアルミ粉を叩いている婦警にも声をかけた。こちらは、髪はミドルぐらいの長さで、おっとりとした感じのやっぱりお姉さんだ。
「出てるけどぉ、多分、家人のものねぇ」
のんびりした口調なのが特徴の三浦かおり《みうらかおり》巡査。こちらも優秀だと聞い及んでいた。言っているのは鑑識の女四天王の一角を担う流羽である。まあ、女四天王と言っても鑑識係全体で四人しかいない。残りは写真係の近藤さんだったけか。
警察組織に女性警察官はそう多くない。特に、鑑識係は専門の知識がいる場合も多く、理系女子というのは存在そのものが珍しいはずだ。なのに、我らが美作市三日月署には四人も在籍し、そのうち三人は容姿端麗である。一人は、対象外だ。ロリコンじゃないので。だが、実力でいけば、男を含めたって四天王かもしれない。
なんというか、素晴らしい。いろいろとマーベラス。それが相葉の感想だった。恋愛云々ではなく、華は一輪でも多い方がよいという意味で。
「おい、呆けてないで行くぞ、相葉!」
「あ、はい」
他人のいるところではきちんと上司に対する口の利き方をする。
足に靴ごと白いカバーを付け、手袋を着用した。
家の奥へと足を踏み入れる。居間が大変なことになっていた。箪笥は下から順に開け放たれ、棚という棚も調べられ、さらにはその一部が部屋の中に巻き散らかされている。こんな状況でなにが盗られたなんてことが判断付くのだろうか。
さらに部屋の中は酷く暑い。真夏の締め切った部屋は生半可ではない。ここ美作は北の拠点だが、夏はそれなりに暑くなる。アスファルトの上で焼かれた次は、こもった室内で蒸される。そんな毎日の繰り返し。
若干、唖然としている相葉の周りでは、写真班などがその状況を資料にするためにせわしく撮影を行っていた。
「ごふ」
相葉の横っ腹を流羽の肘がもろに入った。本人は小突いているだけかもしれないが、結構良いのが入ったと思う。あまりのクリーンヒットに相葉はしゃがみ込んでしまった。
「なにを大げさな。呆気にとられてないで仕事するぞ仕事」
「痛いっていうか、苦しくなる一撃だった」
事件に関する聞き込みは盗犯係の刑事が行う。基本的に鑑識係の人間の仕事ではない。完全縦割り、分業制。まさに効率の極みじゃなかろうか。相葉はそう感じている。
なので、相葉は脇腹を押さえながら、指紋の採取を手伝うことにした。元々応援用の班でもあるので鑑識の基礎は流羽に叩き込まれている。それでも、まだやり慣れてはいないし、難しい素材に対する知識もない。なので、まずは箪笥の金属製の取っ手に目を付けた。変形は見られるが、金属の表面からは割と容易に指紋が採れるからだ。
自分の鞄の中から指紋の採取セットを取りだし、刷毛を取り出した。刷毛の毛の部分に触れないように注意しながら柄の部分を両手の平で回して、毛を膨らませる。箪笥の取っ手とその周囲を刷毛ではたいた後に、アルミ粉を乗せていく。粉末をエアダスターで軽く吹き飛ばす。
そこで初めて視認できるようになった指紋が白く浮かび上がってきた。いくつもの指紋、交差する指紋、一部しかない指紋。そもそも完全な指紋を採ること自体難しいし、その上この混沌とした指紋から家人のものを取り除く作業もある。一段に二カ所ある取っ手を五段に渡って採っていった。
結局完全な指紋というのは一つもなかった。だけど、妙な充実感がある。手元に、指紋を転写したものが残っているのだ、仕方ないと思った。だが、それが顔に出ていたのだろう。それがまずかった。
流羽が黙って近づいてきて相葉の耳をつかんで外に引きずりだされる。
「馬鹿野郎! 目をきらきらさせんじゃねえ!」
連れ出された外で、怒鳴られた。なにが起ったのか良くわからない。自分は指紋採取の仕事をこなし、その成果をちょっと誇らしげに眺めていただけだ。
「あたしらが見てるものは、人間という生き物の恐るべき結果であり、人の無念だ」
流羽は、相葉の胸に指を突き立てて、言い聞かせるように言った。それは、まさに釘を刺しているという感じ。無感情を装っているが、もの悲しそうな声色だった。
「いいか? 学習すること、発見することで、捜査が進むのはいいことだが、嬉しそうにするんじゃない。子供の宿題じゃないんだからな」
じゃあ、どういう顔でやればいいんだよ? だけど、聞けなかった。あまりにもの悲しい顔だったからだ。
「たかだか、盗みだと思ってないか?」
相葉は、心当たりがあった。確かに、盗みであって人殺しなどの重大事件ではない。だからといって、気安くしてはいけないのだ。罪に軽重はない。それが警察官というものだと、流羽に最初に言われたことだった。それを思い出す。
「いいか? 今日盗みに入られた
「……ごめん、ちょっと思ってた。自分の仕事に満足して状況を見失っていたよ」
相葉は素直に認めた。流羽の言っていることが正しいと思うからだ。
「砂漠に一粒のダイヤが落ちているならそれを見つけるのは当たり前。現実はあるかどうかもわからないダイヤを探すのが鑑識の仕事なんだ」
無茶苦茶な話もあったものだ。だが、何度も臨場して思ったことは、彼女の言っていることに首は振れないし、拒否もできない。そうできるだけの場数を踏んでないし、なにより言葉に重みがある。
「心を動かすな。仕事にだけ専念しろ」
「そんな無茶な」
さすがに、それは無茶なんじゃないか。
「無茶じゃない。できないなら、おまえは
また、悲しそうな顔で言った。まるで泣き出しそうな子供の表情だ。
向いていない? しかも、鑑識ではなく警察官自体に。そこまでのことだろうか? わからない。今は言い返せない。いや、言い返す必要もないかもしれない。彼女の言葉が正しいなら、その通りだと思うし、違うとしたら、行動で違うって証明してやればいい。
だけど、一つだけ言いたいことがある。
「でも、絶対拾いきるというのは、執念で、その思いは感情から来るんじゃないのか?」
「また、余計な知恵を回しやがって。屁理屈だけ上手くなっていくな。だけど、正しいよ。でも、動かしちゃいけない種類の感情があるのだけは覚えとけ」
そういうと、仕事現場に戻っていく流羽。その顔からは、悲しみはもちろんそのほかの感情はうかがい知ることは出来なかった。相葉は、どの感情を動かし、どの感情を眠らせるのかは全然わからないまま、現場に戻った。
それからは、黙々と指紋を採っていく。感情は動かなくなっていた。動かないというのは正確じゃない。上手く採取できたことに関して嬉しさを感じなくなっているし、それに被害者の気持ちというものを考えると確かに流羽の言うとおりだと思ったからだ。だから、沈む方向に気持ちは動いている、というのが正確なところだった。
一通りの作業を終え、三日月署に戻ってきた相葉は、ぐったりとしながら休憩所の椅子に座っていた。そこに置かれた自動販売機で、ペットドリンクのスポーツドリンクを買って一気に飲み干す。まるで飲み下せない感情を飲み込むように。
いろいろ難しい職場だと思った。だけど、やりがいはある。その手応えを感じつつある近頃なだけに、流羽の言葉は響いた。
向いてる向いてない以前に、被害者の気持ちを考えられていない自分に気付かされたのには参った。ぐうの音も出ない。
「くそっ」
ペットボトルを膝に叩きつけた。時間が過ぎる。流羽のところに戻って書類を書かねばならない。だけど、会わせる顔がない。そうして逡巡していた。
「元気に働いているかね、少年?」
唐突に、そう声をかけてきてくれたのは、さおっちゃんこと早乙女沙織。賛否両論あるだろうが、四天王の中では一番気さくで、こういう言い方は失礼かもしれないが、気に入っている人だ。
「さっきまでは、あったんですけどね」
「どこやった?」
優しく言われるとどきりとする。一緒に探してくれるような気がする人だ。
「さあ、鑑定にまわしてみないとなんとも」
精一杯の軽口を叩いてみた。
「なんだ。君の中にあるじゃないか。ミネルバちゃんにあんま心配かけるなよ? ミネルバちゃんは少年を相棒だと認めている。それを裏切っちゃならん」
「僕を、相棒? 本当に、ですか? 口だけだと思ってました。いつも怒られるし、てっきり呆れられているものだと」
相棒というのは、相葉がいつも言い訳に使っているだけで、流羽が認めてくれているとは思っていなかった。だから、今その言葉で少し胸が熱くなる。
「少年に見所があるから、口うるさく言うんだな。愛情の裏返しってとこだろうか。乗り越えろ。〔みんな〕通る道さ」
みんな? じゃあ、流羽も通ったのだろうか。想像がつかない。
「うぃっす」
とりあえず、うなだれた姿勢のまま片手を上げて答えた。
「良し」
どこか満足そうに、沙織は頷いた。
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