01.
蝉がその生を謳歌しているとき、大抵の人間は不愉快に感じるだろうと相葉は思っていた。少なくとも自分はそう思っている。ちょうどそんな日だった。
作業に集中していれば、気にならないが、少し気を緩めると蝉の大合唱と、車の騒音が耳をつんざく。
あげく、無風。照りつける太陽光を、黒いアスファルトがしっかり吸収してまるで焼かれているような気になる。いやになっても毎日焼かれる運命なのだ。
額やら背中やらから服の色が変わるくらいの汗が出ていた。警察の鑑識にいるため紺の作業着を着ている。それらに濃紺の染みを作っていた。他にも垂れる汗をこまめに首からかけたタオルでマメに拭き取る。だけど、おさまる気配はない。
そして、同じ格好をした作業員たちは地面に横に並んでローラー作戦を決行している。
相棒の
それにしても。本当に流羽は場違いなだなと思った。鑑識の青いつなぎを着ているから辛うじて風景に溶け込んでいるが、あまりに異質と言える。周りは、少しおっかない先輩刑事など年配を中心に、残りは鋭い眼光の女性警察官という構成なのに、流羽はまるっきり小学生のようだったからだ。
身長も百四十センチ足らずだし、頭身がまだ幼い。明らかに、子供だ。だが、その仕事ぶりは周りの誰より優れていたし、眼光の鋭さで行けばひけなど取らなかった。
一段落したのか、現場を離れて流羽が略帽を取り、作業の邪魔にならないように短く切られた髪を開放する。これまた場違いなことに、髪はきれいな栗色をしていた。本来警察官は髪の染色は認められていない。それでも、本人が言うには本来は金髪らしいのだ。それを、染めているらしい。そこまでするなら黒くすればいいと思ったが、この深淵広大な相棒の意図は読み取れないのだった。
「おい、相葉。誰が休んでいいって言った?」
「特に許可はおりてないですね」
相葉は肩をすくめながらそんな軽口を叩く。
「じゃあ、貴様はさっさと、地面にキスする勢いで証拠を拾い集めろ。全部だぞ。一片の拾い残しも許さん。根こそ――」
「わああ! わかりましたから、危険な発言は控えてくださいよ」
もちろんそんな外見だから胸なんかも期待するだけ無駄だが、それでもいつも自信満々に、しかもないくせに高圧的に張られている。
たぶん、そういう勤務態度が認められるならば、流羽は相葉の顔を踏みつけにしてくるに違いない。
「地面に顔を付けるというのはこうやるのだ。教えてやったぞ、ありがたく思え」
ぐらいはいけしゃあしゃあといいながら。そんなのは想像に難くない。
せっかく顔立ちは可愛く形成されているのに、この口の悪さと高圧的な態度が全てを無駄にしている。ちなみに、ロリコンの気は微塵もない。
それでも、相葉は、見た目が小学生そのものである流羽に逆らえない。理由は、流羽は巡査部長で恭一は平巡査だからだ。
「全く。人事権があたしにあったらおまえなんて即事務職に回してやるのに」
あーあー、聞こえない。相葉は、また地面に顔を近づけた。だが、自分でも鑑識なんて向いてないと思うこともしばしばだ。もとから、きめ細かい性格をしているわけでもなく、地道な性格もしていない。
今回の出動で良かったなと思えるのは、こうして地面を這いずり回っている中で隣に死体がないことくらいだろう。本物の死体にはまだ出会ったことはない。けれども、心の底で期待していなくもない。警察官としては、ドラマの刑事に憧れを持つのも致し方なしだ。
今回は、傷害事件の証拠集め。犯人は、いまだ逃走中。でも、それを追いかけるのは相葉たちの仕事ではない。
仕事は地面に張り付いて、その場から全ての証拠品をかき集めること。これだって充分重要な仕事だ。わかってはいるが、この炎天下、アスファルトに張り付くのは並の精神力では出来ることではない。
そして、人海戦術で展開されるローラー作戦において、自らの列が全く成果がないということは別段珍しいことではなかった。犯行のあったと報告された地点からずっと見てきたが、相葉の列には何もなかった。
ときにはそれは無能の証明であるが、ないときには徹底的にない。それに、肉眼で確認できることなど限界があるのだ。相葉には、よくわからない薬、例えばルミノール溶液などを使って見えてくる真実というものもある。
「お」
相葉は、一本の髪の毛を見つけた。半ばアスファルトに溶け込んでいる感じで、張り付いている。それを慎重にピンセットで挟み上げると、資料用に専用のビニルケースに納めた。気を使う作業だ。名前、場所を明記する。
被害者の話では、茶髪の男だったと証言していた。この髪もダークブラウンだが茶色に近い。もしかするともしかするかもしれない。データベース検索に回した。
こんな些細なことかもしれないが、発見があれば報われた気持ちになる。それが事件解決に役立てば万々歳だが、大半の証拠は役に立たない。正確には証拠たり得ないからだ。でも、おろそかにできない。それが、相葉の居る鑑識係という場所だった。
「いやー、今日の臨場は大変だったね」
相葉は署に戻るなり、流羽に向かって話しかけたが返答がない。流羽は素早く周りに目を走らせると、美作市三日月署刑事課鑑識係の端っこに設けられたブースのブラインドを全部下ろした。
相葉の所属する部署、資料二班はちょっと特別である。面子は、相葉と流羽の二人。それと、広くもない鑑識に設けられたこのブース。
元々、所轄署の鑑識である。二班の必要性がわからない。一つの班を分ければ済むことだ。なにか特別なことがあるかと聞かれたら、今のところなにもない。そんなちょっと不思議な場所だった。
「おまえ、誰に向かってため口を聞いている?」
「え? 誰って、流羽に決まってるんじゃん」
見た目は完全に相葉の方が年上に見える。流羽は、そもそも警察官に見えない。歳も背格好も髪の色も発言も。ただ、行動だけは超一流の鑑識官だ。
「いいか? 何遍も言うが、言わされるのも苦痛だが、おまえは巡査。あたしは、巡査部長。縦割り社会のこの世界で、上にため口など許されるものでは無い」
その華奢で、触れれば折れてしまいそうな指を流羽は、相葉の胸に突き立てながら、厳しい口調で言う。この会話はいつものものだ。
「まあ、そんなに怒らなくても。ここは、二人だけの部署だし。肩の力を抜いていこう。それよりなにより、僕らは相棒じゃないか」
「相棒とは、ため口を聞くための制度ではない」
「そうだけど、親密度というものもある程度大事じゃない?」
流羽は、ふうと、ため息をつく。堂々巡りになるのがわかっているからだ。言い訳もいつものものであるし、ここから始まる説教タイムも恒例だ。
「臨場が大変なのは、いつものことだ。大変じゃない臨場などあるものか」
「そうだね」
「いいか? この世に楽な仕事なんてないんだ。楽だと感じるのは、おまえの怠慢が原因だ。特に、鑑識においては間違いなくそうだ」
相葉は、言い方がちょっとずるいなと思った。世間一般の仕事に関してならば否定のしようもあったが、こと鑑識においては頭が上がるところが全く無い。
「わかってるよ。でも、今日は殊更大変だった気がしたから。労いを込めて言ってみただけじゃないか」
「本当にわかってるのか、怪しいものだ」
流羽は、コーヒーメーカーで入れられたコーヒーをカップに移している。そして、意を決したような顔をして、その中身に口を付けた。
かっと目を見開き、次いで顔を顰めることになる。これも毎日のお約束だ。その後には、砂糖とミルクをたっぷりと入れる。もはやそれは、相葉にとってはジュースという認識の飲み物に変わっていた。
苦いなら、やめればいいのに。そう思うが口には出さない。流羽のプライドを傷つけてはいけないために。
相葉も自分のためにコーヒーをマイカップに移し、ブラックのまま飲む。それを凝視してくる流羽。
「なに?」
「なんでもない」
ぷいっとそっぽを向いてしまう。見る人によっては可愛らしいのだろう。でも、ロリコンの気はない相葉にとっては、見た目相応だなと思うだけである。
そして、五分かそこら休んで、さあ今日の書類と格闘だと思った矢先きだった。ここ、鑑識係資料二班に男が飛び込んでくる。
流羽は、鋭い目つきになって、相葉は影でため息を吐く。
「臨場か?」
流羽が真剣な声で質すと、男も慌てたような声で言う。
「帰ってきたところ悪いな。二班も手伝ってくれ」
そう言うと返事も聞かずに部屋を出ていった。
流羽と相葉は、鑑識員の略帽を手に取り、鑑識セットを持って部屋を出る。
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