第5話

 四限目なかほど。一四時一五分。

 夜斗は込み合う時間帯からずらして食堂に来ていた。

 利用時間内とは言っても本来、学生は講義中のため、軽く千人は収容できる中は閑散としている。

 内部の東側と天井はガラス張りになっており、太陽光が自然の照明となっていた。そのおかげか、人はいないが寂しげな雰囲気はまるでない。

 夜斗は食堂の隅、入口以外の三方を壁にしきられた個室を選んだ。丸テーブル一つと壁に垂直に取り付けられたタイプの椅子がテーブルを挟む形で二つある。ここを利用する学生の大半はカップルだったりするのは誰にも見られない場所に、壁に囲まれた密室だからだろう。人目もはばからずイチャイチャできるわけだ。


 ただこうして空気を読まずに利用する者も少なからずいる。


「何で、俺が……」


 頬杖をついて夜斗が悪態交じりに呟いたのは、机の上で浮かび上がっているホログラフィックディスプレイのせいだった。

 大きさは精々ハードカバーの本ほどだが、よくよく見ればブドウサイズの立方体の集合体だ。

 それら一つ一つに何か線のようなものが刻まれていて、その線が他の立方体にもある線と繋がり、回路を描いている。

『術式回路』

 異能者が異能を行使するためのスキルの中身。

 夜斗は現在それと睨めっこをしていた。


「『震地点』だけじゃなかったのか手伝うのは……新術式ぐらい自分がしろよ」


 ここには居ない元凶へと愚痴をこぼしながらも、空いている手で術式回路を操作する。軽く触れるとそれぞれの接続が切れたように分離し、格子状の立方体へと変わった。

 次の作業へと移ろうとした時――。


「あら、そのスキル新作なのね。今度試させてもらえないかしら?」

 

 艶やかな声が対面から聞こえてきた。

 完全に存在自体を無視していたが、声を掛けられれば否が応でも返事をしなければ、後々面倒なことは百も承知。夜斗は、嫌々、渋々といった様子で向かいに居座る才華に意識を移した。 


「残念ですが、あまりお勧めはしません」

「どうしてかしら? 私は他の学生よりも術式を上手に発動、維持、操作する自信があるわ。うってつけのテスターだと思うのだけれど」

「――だからですよ」


 自信たっぷりの才華の表情に陰りが生じた。夜斗はそれを見逃さなかった。


「この術式はオーラ総量が低く、維持や操作が苦手な人用の術式なんですよ」

「そんな術式必要なのかしら?」


 最もな質問に夜斗は若干ムッとした表情を浮かべるが、世間一般での認識と、自分達エンジニアの認識の差異があることを思いだした。


「新術式と謳ってはいますが、コンセプト自体はかなり前からありました。ただ、そこに辿り着く手段がなかっただけですが、今回、目途が立ち制作に踏み切ったんですよ。……まあ、せっかくなので、『区切り』について説明します」

「ハァ……それは私でも知っているわよ。対人や対群に対界、それら威力の規模と、術式の四つの特性、『放出性』『持続性』『操作性』『干渉性』から査定されて、当然その基準には術式の複雑さなどが含まれていて、」


 才華の答えは高等部で誰もが習う教科書の記述通りだ。

 だがそこから勘違いが生まれてしまっている。


「そうですね。ですが、それをきちんとした形で捉えられている人は何人いるか、が問題です。そもそも術式が複雑ならば全部が全部いいというわけではありません。いかに誰にでも使いやすく扱いやすいか、という点も重要なんですよ」


 複数の工程をいかに簡略化するか。常に足し算をし続けるのではなく、需要な点を抑えながら、いかに引いていくかが必要なのだと夜斗は語る。


「当然、それに伴って質を落とすなんてなったら意味がないので、クオリティを維持することを踏まえないといけないんです。ただひたすらに加えていくことよりも省いていくことが実は一番難題なんですよ」

「…………ッ」


 才華が若干、面食らったような表情をしていた。


「貴方、そんなに話すタイプだったかしら?」

「そこですかッ――ハァ……悪いですか?」

「悪くないわよ。夜斗のそういう一面もみれたのだもの」


 クスリと人の悪い笑みを浮かべた彼女に夜斗は居心地の悪さを感じ、顔をそっぽに向けた。

 数秒か数分……夜斗の感覚では数時間にも及ぶむずがゆい何とも言えない空気が、個室に充満していると、


「おうおう、青春してんなー」


 煙草独特のにおいと香水の甘いにおいを引き連れて爆弾が投下された。


「……りお――解樹先生がなんでここに居るんですか。今はOWCで会議でもしている頃でしょうッ」


 入口から顔を覗かせたのは璃音だった。いったい、いつ寝ているのか解らないくらいのワーカーホリックが学園の、それも理事室か工房以外に居るのは至って稀なことだ。

 そのせいか彼女の茶化した言動を夜斗は、無視したわけではなく素で頭から離れていた。


「おいおい、そっちかよ。……まあ、あれだ。急用だ。黒須、お前の想い人借りてくぞ」

「お、おも、おも、いび……」

「夜斗、お前も茶化されたらこれくらいの反応してくれ。面白くねぇんだよ」


 赤面し動揺している才華を尻目に、嘆息を漏らす璃音。


「ほら、行くぞ」

「勝手に言って……ください。黒須先輩。すみませんが俺はここで失礼します」


 夜斗席を立ち、いまだに現実に戻ってこれていない才華に一言残しその場を後にした。


「術式の話なんて珍しいもんに興味があるんだな、あのお嬢様は……。それともあれか、これとの話題が、そんくらいしか見つけられなかったっていうやつか……まあどちらにせよ接触するにゃあ十分ってとこか?」


 誰も居ない閑散とした道中で、夜斗の横を歩く璃音がそう言った。


「同意を求められても困る。そもそもとして俺に向けられているのは好意ではなく興味だろう。勝手な憶測で話すのはやめろ」


 才華が居た時とは打って変わって砕けた口調の夜斗に、カカカッ、と璃音が豪快に笑う。咥えていた煙草が短くなったようで、タイトスーツの上に羽織った白衣から新しい煙草と携帯灰皿を取り出した。


「お前こそあれだぜ。人の感情ってのを理解していないぞ」

「そんな目に見えないモノをどう信じろと?」

「ハァ~~~~~~。お前マジで可愛くねぇな。まだガキか」


 煙草を咥えなおしてから、古い煙草を手で揉み消すようにこすると、手の先に小さな火がともった。煙草の先に火をつけて一服。

 それを見計らったようにして、夜斗が口を開く。


「年齢から考えれば俺はまだまだガキで間違いないが?」

「誰も額縁のまんま受け取れなんて言ってねぇんだよ。ああ、もういい。この話はやめだ、やめ! ……今から学園を出る、用意できてねぇんなら、すぐにしてこい」


 校門付近まで着くと璃音が真剣みを帯びた口調となっていた。夜斗は無言で頷いた。それは何時でも用意が出来ているという意味合いを込めたものだ。


「オーケー。んじゃ仕事を始めよう。『陥落街』へと行ってくれ。あそこの【狐王】にちっとば訊くことがある」

「アゲハに、か。それで俺なんだな」

「んなもん当たり前だろ」


 あまり感情を表に出さない夜斗ですらげんなりとした表情を浮かべるほかなかった。そのくらい関わりたくない相手なのだ。


「因みにあたしはバーに行く」

「……なんの情報が要るんだ?」


 バーに行くと聞いて夜斗は彼女が今から言わんとしてる事に対して大体は把握した。ここからは緻密な部分を埋める作業だった。


「話が早くて助かる。最近続いている、異能者狩りについてだ。前までは他の市――八重、三木が襲われてたが……」

「八重は麒麟児だろ。三木は知らないが」

「ああ、そうだ。英雄と呼ばれているあの時の大災害を終結させた男が、八重市はもちろん、その隣。三木市の事件も解決した。んで次はここ。九十九市が標的ってなわけだが」

「組織的にしてはいささか不明瞭な点が多いし、個人にしては規模が大きいな」


 テレビやネットで流れている真偽が複雑に絡む情報の海から、夜斗は全てを鵜呑みにしたままこの話を聞いていた。

 ただひたすらに頭ごなしに否定するのではなく、全て可能性があるのならば試してみる。夜斗はそういうスタンスで物事を分別している。そのため今回の『異能者狩り』のニュースで出ていた内容の一つと今から向かう先とがリンクする一つの答えを口にすることにした。


「璃音がさっき言っていた感情の理解をこの際組み込むと――あれか『強化人間(デザイナーヒューム)』のテロの可能性か? 八重は異能者と一般人の共存を目的にしているし、三木は異能の社会的利用価値のさらなる飛躍を目的としている点では襲う理由には十分と思える」

「それは無いと思いたいが、一応な。最悪あの【狐王】、【狂姫】なんていう物騒な名前の『陥落街』の女王様が一枚かんでるとなると割とあっさり九十九市は滅びるぜ」

「解った。それじゃあ夜にでも情報を送ってくれ。こっちでまとめる」

「そこまでしなくていい。……つか小遣いはその分とか上乗せしねーからやっても意味ねぇぞ」


 怪訝な目でこちらを見てくる璃音。夜斗は溜息をこぼしてから、三本目の煙草に手をかけている彼女に半眼を向ける。


「どうせバーの後はこれのためにすっぽかした時間の埋め合わせをしないといけないんだろう。それに、俺を使うってことは動きづらい……理事会か上層部関係でも絡んでるんじゃないか?」

「なんでもお見通しってか」

「二年もこんなガサツな女と居たら大体解るようになる」

「――捻てんなぁッ、んでもって可愛いなぁッ、おいッ!」


 いきなり抱きついてきた璃音の豊満な胸が、夜斗の顔面へと押し付けられる。剥がそうと力を込める夜斗ではあるが、どうにも離れない。まるでネオジム磁石並だ。


「暑苦しい、どけ。離れろッ。は、な、れ、ろ!」

「おいおい、照れんなって~」


 極上の日本酒と複数のスモークチーズを用意された時と同じ、ニンマリとした至極の笑みを浮かべる璃音に、夜斗は軽い苛立ちと呆れと何とも言えない感情が浮かんだが――それよりも死にそうになる恐怖を覚えた。日頃の対応の悪さは申し開きもないが、迷惑をかけた覚えもない。強い得て言えば性格が悪いくらいしか璃音の気に障ることはないはずだ。

 それでも二年捨てることなく育ててくれた彼女が何の日でもない今日に殺人を――それもヘッドロックで絞め殺してくるなど誰が予想できたものか。

 夜斗は真っ暗な視界と柔らかな感触の中で冷静に分析していた。


「ん? なんか顔が青くないか、夜斗? おーい夜斗 お~~~い」


                     5


『悪かったって、な?』


 携帯端末から響くハスキーな声は、冗談交じりのトーンの謝罪だった。

 夜斗は璃音の一〇分近い抱擁を何とか耐え抜き、実働するころには体力を半分は持っていかれた気がした。


「……」


 ハァ、とため息を漏らした夜斗は一言、二言、やり取りをして端末をスリープモードにした。


「さて、始めるか」


 双眸と意識を正面へと向ける。九十九市内であっても、雰囲気や造りは真逆ともいえた。

 九十九市の象徴ともいえる発展した都市部は沿岸部に広がっているが、内陸部へと行くにつれ歴史を遡る様になっていく。その最終地がここだ。

 山に囲まれた土地の閉鎖的空間が、否が応でもゴミの掃き溜めとなる。

 そうして社会的にあぶれた者達がつくった街。彼ら――現在の住人自身は『歓楽』のため作りあげたが、世俗的に見ればただの社会不適合者の集落。そうして付けられた名前が『陥落街』。

 ただし、その中身は一般人の知っている姿とはかけ離れている。

 荒れた土地を踏みしめながら、夜斗は九十九市の表と裏の境界線を越えた。

 色彩に溢れているメインストリートとは違い、ここはただただ灰色。空も大地も、そしてそびえるビルの群れすら。


「あーあ、また誰かが喧嘩したか……遊んだな、これは」


 夜斗がそう呟いたのは建築物のいくつかに亀裂が走り、窓ガラスが割れ、数本のビルが倒壊しているのが嫌でも目についたからだ。

 前回ここを訪れた時はまだ瓦解したビルは一桁だったが、今回で二桁になっていた。


「おうおう、てめぇみたいなガキがここに何のようだ、ああ?」


 通称ゲートと言われる折れたビル同士がもたれ合うところを抜けた時だ。ビルにもたれかかるようにして煙草を吸っていた青年が、扉の番人にでもなったかのように部外者である夜斗に喧嘩腰で話しかけてきた。


「…………『狐王』に会いにきた」

「ん? ああ、王に、お前みたいな都会っ子が、か? なんの冗談だ。売れてねぇ一発屋の方がもっと面白れぇこと言うぜ」


 値踏みしてから嘲笑う青年に、夜斗は心底から呆れた。


「ハァ。あまり人を見た目で判断しない方が良い。特にここでは。そんなんだといつか痛い目を見る」

「何を知った風に言ってんだッ。ちょーし乗ってっと潰すぞッ!」


 青年が煙草を吐き捨て、大またで近づき汚い唾と臭い息と怒りをまき散らす。さらにかなり明るいド金髪にアクセサリー各種が、曇天の中でもギラギラとしていた。


「五感すべてに毒だな……いや、でもこの場合、味は知らないから四感か?」

「何ブツブツ言ってんだこのくそ眼鏡が!」

「そんなどうでもいいことを言わなくていいだろう。とりあえず言うが、俺の眼鏡は少し複雑な理由で掛けている。――ああそれと、だ。きちんとして言ってやる……汚物が俺に近づくな」


 すわった目で侮蔑の一言を残して立ち去ろうとした時――。

「〝潰せ・奪え・肉塊となれ〟ぇえええええええええッ!」


 耳をつんざくほどの怒声でヴォイスコマンドによる詠唱が行われた。

 青年の後方の大地がめくれ上がりその破片が彼の頭上、数メートルで集約していく。それを意識だけで夜斗は捉えたまま、目的地たる狂姫の住まう所へと足を運んでいる。


「忠告だ。すぐに術式を解除しろ。そうし――」

 全くもって動じていない夜斗。その姿にさらに癇癪を起こした青年の感情を表すように、岩塊の成長が加速してく。

 そうして大型乗用車ほどの大きさになったそれが、夜斗目がけて降り注ぐ。

 時間にして一〇秒も経っていない。それだけで夜斗は自らに危険が迫っているというのに冷静に、青年の実力がそれなりなのだと判断した。


「――聞く耳持たずか……」


 岩塊が対象を押し潰そうとする刹那。

 それは砕けた。砕け散り、跡形もなく粉々になった。それがまるで、舞台で主演を彩る雪ののように、夜斗と青年の間に躍り出た人影を飾った。


「な、んだ……てめぇは――ッ」


 青年は訳も分からずおびえた表情で、恐怖と怒りの混じった声で、ソレに問うた。


「あらあら、こんなところに害虫が入り込んでいるなんて……知らなかったワ――ねぇ、夜斗?」


 青年の問いかけに答えることなく、人影は甘ったるい声で夜斗の方に訊く。

 面倒くさそうに夜斗は振り向き――『狂姫』ことアゲハを見据えた。

 この辺境のスラム街のような場所で、彼女はまさに掃き溜めに鶴だ。ただしその風貌は異質だった。明らかに本職とはかけ離れているナース服。胸元は大胆に開かれ谷間が惜しげもなく披露され、スカートの丈も屈めば丸見えだろう短さ。

 そして、それらに押し付けられる形で内包されている狂気と殺気が漏れ出ている。

 本能的な恐怖が陥落街一帯を一瞬で飲み込んだ。

 ただし、夜斗はアゲハと二年もの関係があるためか、平然としている。


「嘘つけ。以前から把握しているくせに。それに俺が学園から出てからずっと見てただろう」

「くふふフフ」


 妖艶に笑い、はぐらかすアゲハ。夜斗にとってそれは頷いている事と同義なため、追及はしなかった。


「まあそれはいい。さて、あんた。俺を潰すとかどうとか言っていたが続きはどうすんだ?」 

「い、いいぜ。その女と一緒に殺してやる!」

「だ、そうだ。アゲハ」

「くふふフ、きひヒヒ――久々の獲物かァ、ぞくぞくするわァ。夜斗、手、出したら解ってるわよねェ」


 壊れた笑い声を上げたと同時。アゲハの中に内包されていた狂気が放出された。異能者が放つオーラとは根本的に何かが違う。まるで感情そのものだ。子供が無邪気に蟻を潰すソレに似ている。


「出すわけないだろ。見境ないし、お前」


 夜斗は視線を倒壊したビルに寄越した。『陥落街』の女王がひとたび暴れれば建造物に嫌でも被害が出る。彼女が九十九市の都市部へと訪れ、暴れた際の被害は計り知れない。そんな危機感を夜斗は胸に抱いていた。

 しかし、幸いなことに『狂姫』は根城からほとんど出ることがない。


「お、おいおい。んんだよ、お前ぇええ」


 その威圧におされてか、青年は無詠唱で術式を展開する。


「中々やるな」


 術式を発動しスキルとして顕現するまでの工程を素っ飛ばす行為。本来はその出力は劇的に低下する、もしくは発動すらままならないことが多い。だが、それでも熟練の異能者の場合は申し分ない威力で展開ができる。とは言っても威力は彼らの本気の半分程度だろうが。

 それをこの青年は異能者として異能を行使してまだ一〇年も経っていないはずだ。それなのに、そこまでできることに夜斗は軽い賞賛を彼に送った。

 ただ、夜斗の周囲は天才や秀才の家系が多い分、驚きはかなり低い。


「――痛いわねェ……」


 拳ほどの大きさのつぶてを複数放つ術式だったようで、夜斗と青年の間に立つアゲハはそれを全身に受けた。

 裂傷に刺創と、見るからに命に係わるほどの怪我だ。


「嘘だろ、嘘だろ! 嘘だろおぉおおおおッッ!」


 青年はあまりの恐怖に叫ぶ。彼は知らないのだろう。強化人間の能力を。

 

 科学の力によって生み出された力――異能。

 それよりも以前に研究され、一つの到達点としてされたのが、人体強化を施した兵器、『デザイナーヒューム』。彼らは第三次世界大戦時に用いられた、安価で強力な武器。だが、異能が創られ浸透化されていくにつれ、異能の適性値ゼロの強化人間の需要はなくなっていった。

 そうして歴史から過去の遺産として蓋をされ、こんな誰も寄り付かない場所に身を寄せることとなった。

 戦争――軍団対軍団では明らかに全てを操る異能者が優位なのは一目瞭然。しかし、一対一となり、近距離の肉弾戦となった場合はどうだろうか? そんなのは考えるまでもなく、強化人間に軍配は上がる。

 簡単な話。ゲームでいう所のファイター対マジシャンだ。

 

 強化人間の能力は肉体に作用する。自己再生能力や筋力、記憶力そう言った類のものを上昇させるのだ。

 その中でも一点に能力を絞った強化人間であるアゲハ。彼女の能力は超常的なまでの自己治癒能力。脳みそを穿たれようが、全身を焼かれようが、致死性の毒を盛られよが、死ぬことがない。常に細胞が再生と死滅を繰り返す。擬似的な不老不死能力だ。


「――うるさいわヨ」


 怯え佇む青年の前まで到着したアゲハは、自らに再度攻撃を仕掛けようとしてきた彼の二の腕を握りしめると、そのままアルミ缶でも潰すように、力を込めた。


「あ、ああああああああああああああああああああああああ」

「まぁダ、遊びは終わってないワ」


 そのまま青年の絶叫など無視して、アゲハは生クリームを絞る様に手を動かす。彼女にとってはそれだけでも、青年にとっては地獄でしかない。アドレナリンが作用してもその視覚的恐怖が脳を埋め尽くす。


「あ、ああ、あああ、ああ、ああ、あ、あ、ああ、あああ、ああ、あ、ああ」


 事切れた人形のような声を出して、青年は倒れた。


「あらラ。もう終わりですノ。もっと遊びたかったですわネ、夜斗」


 アゲハが振り向き、そう投げかけてくる。


「俺はお前の相手をする気はない」

「良いじゃないですのノ。未だにわたくしが勝ったことのなイ……いえ、わたくしから逃げ延びれた唯一の異能者として、再戦してほしいですのヨ?」

「だから嫌なんだ。あれは文字通り死線だった。もう二度と経験したくはない」

 

 初めてここに訪れた日のことを思い出して、夜斗は若干気持ちが下がった。


「わたくしは、思い返すだけでここが濡れてきましたワ」

 

 そう言うと、夜斗の目の前まで近づき、夜斗の手を足の付け根へとあてがった。


「何のマネだ?」

「そうですわネ。偏にライバルへの牽制も兼ねたアプローチですワ」


 それは恋愛的なものではなく、もっと狂想的な殺し合いへのアプローチだった。


                     6  


 そこは酒と煙草の匂いが充満していた。

 アンティーク物の家具や小物が置かれたガレージハウス。屋内はバーカウンターと座席が数個の狭い間取りだ。


「昼間っから飲んだくれが多いなここは」


 璃音はカウンター席でそう言うと、視線の先の男に同意を求めた。カウンターを挟んだ向こう側。ホストのような身なりの詐欺師のような怪しい二枚目。胡散臭ささはかなりのものだ。


「ひどいですね。一応、うちの常連なんですよ」


 グラスを拭きながら男――瀬尾朔麻は答えた。


「時間考えろ、時間。普通なら働いてる頃だろ」


 璃音は空になったグラス内の丸氷で弄ぶ。


「それなら、璃音さんもそうでしょうに」


 確かに時間だけ見れば、昼間からOLが酒を煽っているようにしか見えない。頬に朱が入っている感じからある程度飲んでいるのは明白だ。


「おいおい、あたしは仕事で来てんだぜ」

「なら仕事をしてくださいよ。まあおおよそ察しはついてますけど――小猫ー、タブレット持ってきて」


 フロアで面倒くさそうに接客をしていた小柄な少女を瀬尾が呼ぶと、彼女はテクテク歩いてきた。この年代を感じるガレージ内で若き店主とは別で異彩を放っている風貌は、ぶかぶかのネコ耳フードを眼深く被り、手と足にはネコの手を模したものを着用している。

 パーカーのポケットから女性でも片手で持てるほどの小さなタブレットを取り出し、『これ』と映して璃音達に見せた。


「オーケー。ありがとう」

 

 手を差し出しタブレットを貰おうとする瀬尾だが、小猫は渡す事をせず無言で璃音と瀬尾を交互に見ていた。フードの奥で覗く青い目は心配の色がにじみ出ている。


『また、夜斗関係?』


 その不安が文字として現れた画面を表示させる。


「安心しろ……とは言いづらいが、今回は直接的じゃない。間接的に、もしかしたら影響が出るんじゃないかっていう心配を潰すために早めに動いてるんだよ。ありがとな、あいつのために」

 

 大人の余裕を見せるように微笑みながら璃音は小猫の頭を撫でた。


『//////、やめt、そ、んn、そんなん、じゃ……』 


 小猫は喋らない代わりにタブレットなどを通して意思疎通をするシステムを組んだ。その成果は良く出来ているもので、脳内で考え、発言しようとしたことから、こうした照れという感情までも斜線を使い表現できてしまう。

 そうこうしている内に小猫の手からスルッとタブレットを抜き取った瀬尾が、渋い顔をしていた。


「璃音さん、いいですか?」

「んあ? なんだ」

「僕らと同種……デザイナーヒュームが起こしている可能性はないとは言えないですが、そう偽装している感じですね、これらは」


 瀬尾の飄々とした態度はなりを潜め、真剣みのある声となった。


「特にこういった圧殺や刺殺系は、わざわざ人間の手や足をかたどってる。犯行を擦りつけようとしているのが良く解ります。それにシンプルな殺し方なだけあって、簡単には片付かないですよ、これ」


 悪辣な殺人事件などは異能が絡んでいる可能性があり、一般人しかいない警察ではなく、軍の特殊部隊――異能犯罪を専門とする彼らに任せられる。その代表例が先日の八重と三木の事件だ。

 だが今回の九十九市内で起きている事件はどれもが他の市とは違い複雑ではない。単純明快な殺人。それ故にか、人間の延長線上である強化人間関連の事件は警察に一任される。


「……ということはあれか。今回、強化人間が関与している可能性は無いんだな?」

「確実に。とは断言できませんが、概ねこれらは異能者の仕業ですね」


 相手はわざわざ犯行を過去の遺物とも言われている強化人間のせいにしようとしている。他の市とは決定的に違う。

 ――九十九市に強化人間が居るからか?

 だが、一般人や一部の異能者を除いた市民の八割は知らないことだ。そもそも陥落街周辺は特別立ち入り禁止地区となっている。

 璃音は常識を思い出したが、

 ――そもそも普通の奴がそういったことを考えないか。

 と、結論が出た。溜息をこぼしてから、無意識にグラスに口をつけた。


「ッ」


 いつの間にか注がれていた果実酒に驚き瀬尾を見ると、軽く笑みを浮かべていた。


「おいおい、何時淹れた。あたしとずっと話してただろ」

「璃音さんが思案している最中にですよ。ああ、小猫。五番テーブルにこれ頼む」

「ん」


 コクンと頷き小猫が瀬尾から渡された皿を持っていく。


「なんつーかお前絶対異能者だろって言いたくなる」


 半眼で璃音は瀬尾を見た。


「鬼才と言われている璃音さんでも間違えるんですね。僕は正真正銘、デザイナーヒュームですよ」


                     7


 夜斗は戦闘の狂気から冷めたアゲハの案内で彼女の住処へと通された。

 廃ビルの補修もされていない、いつ崩れてもおかしくない様な地下道を通り、脇にあるボロボロの扉をくぐった先。そこは別のところかと見間違うほどに整えられた部屋だった。


「本当は本館の方へと通したかったワ。適当に腰をかけてくださって構いませんわヨ」

「あそこか。あそこはいい」


 夜斗は答えて、部屋の中央にある一人掛けのソファーへと座った。

 アゲハが、壁際に並ぶ棚に置かれたコーヒーメーカーで二杯のコーヒーをつくり、夜斗の対面へと座った。間に挟まれた脚の低い机に置かれたカップから芳醇な香りが漂う。

 カップを手に取った夜斗は一口嚥下する。


「俺がここに来たのは大体解ってる……いや、全部解ってるんじゃないか?」

「全てを把握しているなんてわたくし共でも無理ですワ」


 ただ、と前置きをして続けた。


「夜斗の言う通り、ある程度は把握していますワ。端的に申して虫唾が走りますわネ」


 アゲハが顔を歪ませて、どこに居るかも解らない黒幕を睨むように虚空へと視線を向けた。


「……どういうことだ?」

「八重や三木を利用して、九十九市を襲うための準備をしたのですワ。それもあえて八重や三木は八重の王に解決させてですわヨ」


 アゲハがここまで怒りの感情を露わにしているのは珍しい。だからだろか。相手をいたぶってじわじわと殺す彼女が今日に限っては瞬殺したのは。そんなことを改めて思った夜斗は僅かながら申し訳ない気持ちになった。


「……――九十九市に八重の麒麟児が関わらないのは何故か解るか?」

「そうですわネ。一つは距離ですワ」

「八重と三木は地続きだが、八重と九十九は隣同士と言っても交通は新アクアラインしかないからか」


 八重市の東部と九十九市の北西部を繋ぐ橋。そこは、九十九市内への交通便が行き来するため日頃から渋滞しているようなところだ。


「少なからずそれも影響していると思いますわネ。でもやはり一番は犯行方法でしょウ。彼――麒麟児の仲間も含めて、今では軍の犬。単なるデザイナーヒュームの起こした事件で簡単に切り札を動かすことは許されないと思いますワ」

「なるほどな」


 夜斗が頷くとアゲハはおかしなものでも見るような目だった。


「異能関連のことはめっぽう強いのに、世間のことはかなり疎いですわよネ?」

「必要な情報と不必要な情報を勝手に分別しているからだろうな」


 夜斗は苦笑交じりに、まあ、そのせいで今回は後手に回る羽目になったが、と付け足した。


「まるで他人事のようですわネ」

「――間違いじゃないかもしれないな。それでアゲハ的にはどう読む。この事件の裏を」

「まダ、公ではないけれド、襲われている異能者と言うのは研究者やそれ関連の人々が含まれてるノ」


 偶然として割り切ることができるが、彼女がそう口にしたということは、それなりに関係があるのだろう。夜斗自身もそこから推察に移るがはっきりとした答えが出ないままだった。


「いわゆるカモフラージュか。目的の一を殺すために雑多の九も奪う……」

 


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