第3話

「おー、遅いぞ夜斗」

 目的地の扉を無造作に開くと、ハスキーボイスが耳に届いた。若干の苛立ちが含まれているのはその声の主が既に作業を開始していたからだろう。

 とまりぎや、カウンターチェアと呼ばれる足の長い椅子に、腰を預けた姿勢が様になっているタイトスーツの女性。

 外見からは実年齢が解らないくらいに整っている顔の唯一赤が差している口に、今では趣向品としてもごく一部しか出回っていない煙草が咥えられていた。

「すまない、璃音。すぐに取り掛かる」

 夜斗自体、遅れたわけではないが、そもそも明確な時間が提示されていないのだから怒られる筋合いはない。それはそれとして、彼女――解樹璃音が、夜斗の義親として、今この場では師として君臨しているのだから、彼女の命令は彼の中では絶対だった。

「ああ。そうしてくれ。今日は『震地点』を頼む。設定とかもろもろは組んであるが、細かいところはまだ調整すらしてないからな。つか親に対して下の名前呼ぶって中々だよな、お前って」

「親だが字面が違う、義親だ。それこそ今更じゃないか」

 夜斗はとりあえず、この真っ白い部屋の空いているところを探す。所狭しに置かれた机と椅子の群れ。卓上、床、関係なく敷かれた紙の海。

 それら一つ一つが今後『商品』となるモノの設計図だが、いかんせん本人にはその自覚が薄い。

 ある程度片づけ、開けた場所を作るとそこに椅子と小さな机を設置した。それから壁面の棚へと向かい【強化】【拡張】【付与】に分別され置かれた小型の情報端末の一つを抜き取る。

「系統【拡張】、属性、土か」

 起動させた端末からの情報をホログラムディスプレイに投影する。

『震地点』は【拡張】の術式の中でもオーソドックスな部類だった。

【拡張】

一定の範囲内に影響を与える術式で、群体、範囲に対して強い影響を与える。系統はそれぞれに優劣があり、三つ巴の関係となっている。【拡張】は【付与】に強いが【強化】には弱い。     

さらにその中でも二種に分類される。

茫術と幾術。

 前者は空間そのものを範囲とするもので、立方体の箱の中に水を満たしているような状態。

後者は空間を無数の何かで掌握するもので、立方体の箱の中を水粒が充満している状態が近い。

 この違いは、術式の設定に大きく関わり、茫術の場合は面の攻撃や一定の範囲内を完全に取り囲むのに最適となっている。幾術は霧の水粒一つ一つを操作するような技だ。そのため、複数の相手にそれぞれ狙いを決定でき、茫術に比べて広大な範囲を囲むことができるが、その分、隙間ができてしまう。

 ついさっき指示された『震地点』はその名が指すように範囲内を点で支配する術式となっている。

「空間というよりも地面に起動術式を配置し、そこに足を踏み入れた相手に発動するタイプか」

 術式の設定と情報とにらめっこしながら夜斗はつぶやいた。

 ――確かに、三次元的じゃない分、x、y、z、の内『z』をを考慮しなくていいのは楽とは言えるが……。これなら【付与】の系統でも困らない気がするな。

 軽くディスプレイをいじり、術式設定を調整する。

「なあ、璃音」

「なんだ?」

「この『震地点』だが【付与】でもいけるんじゃないか? 設置面を手の接触や足裏の接触に変えれば空間把握能力の弱い人や、戦闘中にでも咄嗟に発動しやすい気がする」

「それもありっちゃ、ありなんだがなぁ」

 夜斗の問いに頭をポリポリかきながら璃音が振り向いた。

「この前、シューティングゲームした影響か、そっちの方が面白いって思うんだよな。それに【拡張】の方が気付かれにくいだろ?」

「ヴォイスコマンドは発動したことがばれるし、モーションコマンドならおそらく『座標点に手を向ける』って動作がやり易いだろうがもっとばれやすいと思う」

「あーそうか。やっぱそうだよな。焦点のあった位置ってのも不安が残るし……もういっそ、【強化】に落とし込んじまうってのも――」

「それはないだろ」

「いやいや、お前な発勁という武術があってだな」

 ニヤリと璃音が口角を上げて雄弁に語り出す。その間に煙草の二本目を取り出して、空いている手でフィンガースナップをする。親指と人差し指の間に小さな炎が灯された。そうして火をつけた煙草を堪能しだす。

「モーションコマンドをここまで無駄な使い方する奴初めて見たぞ」

「発展さすことで……。ふ~。何を言うか、これほどまでに便利な使い方は無いぞ。七輪で肉焼く時とか、かるーくスルメを炙る時とか死ぬほど便利だぞ。異能という科学の発展はこういうことのために在るんだな、とあたしは強く感心している」

「なんというか。あれだ。死語かもしれないがババくさい――いや年齢的には合って……」

「おいこら夜斗の分際で、な~~~~に言ってんだぁ」

 オトナ美人が似合う顔に不相応な青筋が浮かび上がっていた。

「事実を言っただけなんだが?」

「一度、女について勉強をした方が良いぞ、まじで」

 若干の怒りと呆れが感じられたが、それは大人としての体裁を保つために我慢している様に思えた。ここで指摘してしまえば、次はスキルが飛んできそうだと察知し、それこそ『女』という面倒な生き物を学習した夜斗は口をつぐんだ。

「ともかく、『震地点』は【付与】に変えてもいいのか?」

「それは好きにしろ。いったい誰に似たんだよったく……」

「少なくともここ二年で俺は璃音の影響を強く受けている」

「……皮肉か?」

「そういうわけじゃない。感謝の意だ。俺がこうして今でも『普通』で居られること。『壊れて』いないこと」

「…………」

 快活で飾り気のなさが取り柄の璃音が押し黙った。言葉にしなくともそこに含まれる懺悔や後悔は、夜斗にしてみれば空虚なモノでしかない。それでも当人が思うことに踏み入れることは、それこそ彼女を苦しめるモノへと替わってしまう。結局のところ、両者の間に流れる空気というのは相手を思うが故の沈黙だった。

「ああもう、くそ! がきんちょに心配されるってのが、いっちばんヤなんだよ」

「別に空気を悪くしてサボろうとか考えたわけではないぞ?」

「んなことは、知ってるわッ。てめぇがあたしやあいつらのために体張ってるってのもな!」

「そんなに声を荒げなくてもいいだろ」

「ハァ……もういい。とりあえず好きに弄れ」

 投げやりに返して璃音は自分の仕事へと集中した。

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