第2話

九十九学園は学生数二千人を超えており、その数を収容するための敷地はかなり広く、開発、研究をするための施設は最新のものを取り揃えてそれぞれ専用の棟が用意されている。他にも様々な施設を揃え、学生への環境整備はかなり行き届いている。

そんな校内の棟の一つ。

学園で功績をあげた学生、実力を認められた学生にのみ与えられる称号『特待生』。彼ら彼女らには私室、プライベートルームが与えられる。その部屋は各々が自由に手を加えており特待生の特色が顕著に現れている。

そんな部屋の中で、普通の類と言われている主は学園で高嶺の花と言われている学生だった。

「そろそろかしら」

 窓から吹き込む風が艶のある黒髪を揺らす。白磁のような、抜けるような白い肌をした手で、読んでいた本に栞を挟み、なびく髪を抑える。

それらの仕草一つ一つすら、優雅の一言だ。現に彼女の元に着た男子学生は目を奪われていた。

「は、はい。さ、才華さん」

 彼は、才華のお付き、とまではいかないが後輩で、彼女と同じ学生会に所属している。その役目はスケジュールの管理などで、こうして朝のホームルームが始まる五分前に迎えに来ている。

――あまり、好きではないのだけれど……致し方ないわね。

その人気故か男子の猛烈なアピールが止まらないことから、こうした制度のようなものが彼女にのみとられている。それを不本意ながらもしぶしぶ受けているあたり、彼女は自分の身分を深く理解している。

 才華が簡単な準備を終えて部屋を出ると、男子学生はその後ろを着いていく。彼が携帯端末を開き、彼女のスケジュールを伝えているが、才華はそれらを全て把握している。

 変わらない毎日の中で彼の言葉が耳に残ることは無かった。

――早く、夜斗に会いたいわ。

 高嶺の花としての自分を見ることはなく、ただの学生として視る眼。興味もないし、媚を売る気もないそんな言動が目立つ男子。それに自分が会いたいと思っていても夜斗の場合は絶対に会いたくない、と仏頂面で言うのは目に見えている。だからこそ会いたいのが才華という女子なのだが……。相手からすればいい迷惑だ。

「――というのが今日の予定です」

「ありがとう。宮間君」

「い、いえ。恐縮ですッ」

 笑顔を向ける簡単な作業を終えて、才華は自分の教室へと向かう道中。窓から三つの飛翔体が校門前に降りたのを確認し、その正体を知った瞬間に静かに口角を上げた。


「ギリってとこだな」

「そうだな」

「間に合ったのは良いですけど、また……またッ」

 着地をする際に身体を地面と垂直にする。それにより、必然として下からは全部が見えてしまう。

「まじで悪かったって。な?」

「ほんと、後で殺っていいですか? もう拒否権なしで殺っていいですか? いいですよね? ね!?」

「夜斗助け――」

 狂気をおびた悠霧が迫ってくる。空御は助けを求めて夜斗の方へと視線を動かした。だが、肝心の夜斗はショルダーバッグから文庫を取り出し読みながら先に校舎へと歩いていた。

「ってお前ッ。逃げる気か!」

「俺は逃げていない。それに、これから用事があるんだ」

「代表の仕事ですか? わたし、手伝いますよ?」

 鬼気迫る顔から、乙女の顔へとけろっとチェンジした悠霧が、空御のことなど忘れたように夜斗の後を追う。結果的には助けられた空御ではあるが、何か納得がいかなかった。

「いや、そうじゃないが。一人で大丈夫だ」

「そうですか? じゃあ先に教室に行ってますね」

「ああ」

 本から一度、目を離して夜斗は柔らかな表情を悠霧にみせてから、また歩み始める。

 ――面倒だな……。

仕事のことを考えると気分が下がってくる。今、読んでいる本の内容も頭に入らなくなると夜斗は溜息をこぼし、校舎の中へと入った。

学生数は二千と多いがホームルームが始まる朝ギリギリの時間ともなれば廊下は殺伐としている。しかし、教室からは華の十代らしい会話が飛び交っていた。

私室まではそれなりに掛かるが夜斗が急ぐことはない。特待生の制度を使えば、ある程度のことは許される。というよりは特権として与えられる。

 だからこそ、下手に急ぐよりかはこういう時間を利用して本を読むなど、自分の時間にあてがうようにしていた。

 数ページ読み進めて、ようやく目的地のある棟に差し掛かろうというところで、本に影がさした。

 誰かと確認するため顔を上げた瞬間に夜斗の顔は嫌になるほど苦いものをしていた。

「おはよう、夜斗。あまり歩きながらの読書はオススメしないわ」

「おはようございます、黒須先輩。他人に迷惑をかけていないので、大丈夫と判断しただけです」

 にこやかな表情は、女神を思わせるほどの美しい。しかし、夜斗は彼女の腹黒さ、したたかさを知っているせいで、関わりたくないオーラを滲み出していた。

その対応が不満なのか口には出していないが、才華の後ろに控える宮間が不服そうにしているのが夜斗を見る眼から顕著にその色が窺える。

「あら? 今現在、私とぶつかりそうになっていたのだけれど?」

「接触していないので、問題ないです」

淡々と答える夜斗とは裏腹に才華の表情は何か含みのあるものだ。声音からは嬉しそうに聞こえる。だが、その言葉通りに、声音通りにはとらない夜斗。早くこの場から去りたい彼にとってそれは、さらなる時間ロスとなる。……が、逆にそのまま取れば会話の主導権を握られ、さらなる面倒が運ばれる可能性を考慮し、彼は冷たい対応をしていた。

ただ、残念な事に見た通りの光景の影響が百パーセント出てしまう人がいた。

宮間だ。

「お前ッ。才華さんが注意してくれたんだッ。言い訳をするなッ! 才華さん程の方が本来お前みたいな無能で屑に話しかけてくれるのは生徒会副会長だからだぞ! その善意にありがたいと思いやがれ」

まくし立てる言葉には悪意しか乗っていなかった。才華の前に出て、まるで自分の言い分は正論のように語る。その表情は少なからず愉悦に漬かっている。そんな彼を夜斗は、世界を俯瞰で見ているようにして、背景の一枚程度にしか捉えていなかった。

「そうですよね、才華さん?」

 振り返り、自分の正当さを他者に――自分より立場の上な才華に同意を求める宮間。しかし、その顔は刹那、固まった。目を見開き、口を震わせる。現実はこうじゃない、と認められないように頭を振る。

才華の目はすわっていたのだ。宮間が語っている一文ごとにその目は光彩を失うほどに冷めていた。

「あまり、彼に迷惑をかけないでくれる? それに彼は実力があって、特待生なのよ」

その声はいつもと変わらない調子で宮間に語り掛ける。それでも彼が恐怖を覚えたのは本能的なものだろう。

強者が滲み出す威圧。

どうしても抗うことができない格差。夜斗の社会的地位と同じように、彼、宮間と才華にある隔たりも、それと似ている。

「あの、ちがッ……こ、これは、その」

しどろもどろでろくに舌のまわっていない彼は、どうにか才華に取り繕うと必死に言葉を探している。しかし、答えは出ず、失速していく。

 それを見かねたのかどうかは本人しか知る由がないが、

「俺は別に構いません。大体の学生が俺のことを快く思っていないのは周知の事実です。ここまで清々しく悪意をぶつけられるのは陰でこそこそ言われるより気楽ですので」

学園における立場を引っ張り出して夜斗はそう答えた。若干嘲笑が混じっていたのは自分に対するものだろう。

才華は内心で、皮肉を込めた彼の発言に思うところがあっただろう。それでも口に出さず我慢をしたのは、夜斗のためでもあり自分のためでもあった。ここで擁護するようなことを言えば、宮間を通してさらに夜斗の印象を悪くしてしまう。それでは、元も子もないからだ。

 そう考えて、才華は考え抜いた台詞を笑顔と共に口にした。

「――そう。宮間君。言い忘れていたのだけれど、あなたは明日から来なくていいわ」

「……え?」

『この世の終わりを迎えた人はこのくらい動揺し、目を見開くのではないか?』くらいの驚きを宮間はした。

唐突にそんなことを言われれば誰でも戸惑うだろうが、信愛いや、もっと下品な感情を持ち合わせている彼からすれば天国から地獄へと落とされたと錯覚しても無理はない。 

「な、なぜですかッ?」

夜斗の援護のおかげで安心していたが、無駄に終わってしまった。自分の立場を理解した上での夜斗の発言だと信じ切っていたのが裏目に出たのだろう。

「校則において、他の学生に対する迷惑行為に触れているからよ」

「迷惑行為はむしろ――ッ」

「なら訊くけれど? 夜斗に対するあなたの台詞は迷惑にはならないのかしら?」

宮間は思い返す。

夜斗の言葉には 自らの肯定、首肯が無かった。ならそれは、認めていないこととなる。そうなると、彼自身の発言は……。

「有り体に言えば、はなはだ困っている」

夜斗が冷たく言い放った。事実のみを提示したためそう聞こえるだけであって、彼は宮間に思うところは何もない。

そう、何もなく、無関心なのである。

 誰からの関心も抱かれない宮間のこの場での存在価値はなくなる。それを鋭く察知してしまった彼は、夜斗の方へと勢いよく向くと、苛立ちを隠すこともなく鬼の形相で睨みつけた。

「なんだ?」

「お前、お前みたいなのがッ!」

オーラを練りあげていき、色を帯びていく。その燃え盛る炎を象徴する赤色は、周囲へと広がり夜斗を飲み込む。

――属性【炎】、系統【拡張】……『焔』――といったところか。

 悠霧と同じ、【拡張】を使う宮間を冷静に分析して、夜斗は行動を決める。

ここは校舎内である。怒りに身を任せた彼を放置していれば、簡単に処罰を与えられ、終わるだろう。が、それにより校舎が傷を負うことでやっかいなことになる夜斗は、後々面倒になることを避けるために行動に移す。  

 ――本当……。

「めんどくせぇ」

 夜斗は心底から気だるそうに声を出して、渋々コートのように長い上着によって隠れたウエストポーチに手を入れようとしたところで――。

「『拘束』」

 音もなく、気配を感じさせる間もなく、何か黒い液体のようなものが宮間にまとわりつく。柔らかいと思いきや、それは拘束した者の身動きすら許さないほどの硬度をもっていた。

「今すぐ、オーラを解きなさい。そうしなければこのまま意識を奪います」

 怪しく光る赤い瞳。

才華の雰囲気が変化していた。簡易ヴォイスコマンドで発動されたスキル。術式名称までは分からないが、相手の動きを封じる異能の類だというのは夜斗にも簡単に見て取れた。

 実力差を痛感したのだろう、オーラを霧散させて宮間は苦虫を噛み潰したような表情をつくっていた。

「覚えてろッ。更級夜斗ッ!」

 宮間はそう言い残してこの場を後にする。羞恥に耐えられなかったのだろう。

――なんて小者感なんだ……。

「不器用なのよ、私って」

 逃げるように去って行った宮間の背を見ながら才華がそう口にした。

「そうですか。……で? 不器用なあなたはなにがしたかったんですか?」

「目的なんてないわよ?」

 白々しいな、と夜斗は感じて訝しげな眼を才華に向けた。それを受けても涼しい顔の彼女に、ため息をこぼしてから、再度口を開いた。

「めんどくせぇ……朝から最悪だ」

 説明すること自体が面倒でたまらない夜斗は前置きにそう言うと、続きを話していく。

「どうせ、こんなところでしょ――自分の価値が解っていて、護衛か、パシリか、ボディガード的なものをつけないといけない。しかしそれは不本意で、どうそれを除けようかって考えたときに丁度俺が居てうまいこと利用した、と」

「……」

「無言ってことは肯定としてとりますよ?」

「……え?」

的中でもしたのだろう、呆気にとられたような才華らしくもないことに夜斗は少し驚いたが、気に留めることもしなかった。

「では、これで、失礼します」

 律儀に頭を下げて、止めていた歩みを再開した。

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