1章

第1話

四月も半ばを過ぎたころ。人工的に開花を強要された桜が、絶頂とでも言わんばかりに咲き乱れ。気候、気流を人類に乗っ取られた春風がその鮮やか過ぎるピンクの花弁を巻き上げていく。

出勤ラッシュから外れた九時頃。黒を基調とした制服に身を包んだ、二人の男子と一人の女子が、街の沿岸部にある駅へと向かって走っていた。

九十九市。

東京都にある中央市を中心として五角形を描くようになっている分散型の学術研究都市。その南西部、千葉県千葉市東京湾沿いにあたる位置にこの市はある。沿岸部に建てられた建築物等は研究所やそれらとの関係のある施設、学園として。そこから続く内陸部は、最新のアミューズメント施設や喫茶などが多く、それらを含む通りを『メインストリート』と住人達は呼んでいる。

一方で、『異能』と言われる科学の結晶の研究や開発などが中心なため、『人の出入りが激しくなっている街』という側面を持ち合わせていた――。

先頭を走るのは逆立った短髪の淡い色合いの髪が特徴。身体つきが良く高身長、爽やかな印象を与える青少年。表情に余裕はあるが、気持ちに余裕はなさそうな状態だ。もう片方の男子は彼ほどではないが一七五センチほどの身長で細身。対照的な少し長めの黒髪と、理知的な印象を与える――今ではファッションの一部でしかない――眼鏡をしている。彼は急ぐ様子はなくジョギング程度で走りながら、文庫本を読んでいた。そんな彼の表情は幾分か面倒臭そうにしており、とうとう頭に入らないのか本から目を離し閉じた。

その二人の後方で若干息を切らしながら追いつこうと必死な少女は、身長自体は小柄だが走るたびに揺れる胸が、通り過ぎる男性一同を振り返らせるほどに豊満だった。顔立ちもやや童顔の美少女といっても過言ではないほど整っている。

「夜斗君、空御君待ってくださいよーッ」

「ユーリが遅いだけだろ。主にその乳が原因で。まあオレからすれば――」

「『穿て』」

ユーリと呼ばれた少女の低く冷たい声が響いた直後。

突如、大量の螺旋を描く水弾が、空御目がけて放たれる。その速度から、人の身体ならば簡単に穴が開きそうなほどの威力だった。それらを空御は器用に躱し、時には体に纏っている気の様なものを使い軌道を逸らしたりしている。見ようによってはブレイクダンスのようだ

「って、おわッ! ちょッ。あぶねぇって。夜斗、助けてくれ」

「ハァー。悠霧」

「なんですか? 夜斗君。わたし、空御君を殺っちゃうまでやめませんよ?」

「ヴォイスコマンドだと、何を出すかバレる」

「あ、そうですね。ありがとうございます♪」

夜斗の冷静でいて的確なアドバイスを受けて、嬉々とした様子で悠霧は頷く。今度は走りながら右手で何か文様を描くように動かす。すると悠霧の周囲が一瞬水色の光を放ち、空御の周りにまたも水弾が出現し、彼に向って突撃する。

「夜斗。裏切ったなッ!?」

 器用に身体を動かしながら空御が夜斗に向かって慌てながら文句を言う。しかし、被害を受けないよう即座にその場から離れていた夜斗の耳にそれは届いていなかった。

街中で彼らの行為は目立ってはいたが、誰も気に留めることはなかった。それはこれが日常茶飯事に等しいからだ。千葉港、元製鉄所の場所に建つ九十九学園の制服に身を包む彼らは異能者であり、その稀有な力で若いながらも将来が約束された少年少女達だ。

他人に危害と迷惑を加えない程度には抑えて異能を行使している。現状、街に被害は一つも出ていない。これらの光景は九十九市の住人にとって見世物か大道芸として成り立っていた。

「往生際が悪いですよ」

「お前な、それ、当たればひとたまりもないぞッ」

「大丈夫ですよ。ちょっと身体にたくさん穴が開いちゃうだけです」

「死ぬじゃねぇか!」

「……二人とも、そろそろ止めないと遅れる」

 夜斗はポケットから携帯端末を取り出しそこに表示されている時間が、彼らの予定の時間を越えそうだったため、注意を促した。

「まじで? ちなみに何分?」

「十八分。モノレールで学園まで約五分かかる」

「空御君のせいですッ」

「おま、それ理不尽だろ。自分の支度が遅いのを」

さらに数が増した水弾が空御に襲い掛かる。理不尽な攻撃を、街路樹などを利用しすんでのところで躱しながらも空御の走る速さは変わらない。むしろ速くなっていた。それに伴い夜斗も距離取っているだけで彼に並走する。しかし悠霧だけ、遅れてしまっている。

「悠霧よ。そろそろ異能を使うのをやめた方が良い。走る速度が遅くなっている。これだと遅刻するぞ」

これまでの悠霧が起こしたであろうこと全ては異能によるもの。彼女の使った異能は『水槍』と呼ばれる、球状の水を凄まじい速さで飛ばす見た目から、槍の様と名付けられたスキル。殺傷能力は低いが、悠霧が発動すると学生の異能者とは思えない威力を発揮していた。

「オーラの消費は極力抑えているつもりなんですけど……」

「それでもだ。走ること、狙うこと、発動すること、それにオーラを消費し、現象として起きるまでのプロセス――脳内でそれだけの処理をするんだ。全てがおざなりになってしまうのはしょうがない。が、今は走ることに集中しろ。学園に着けば、何時でも殺れる」

「そうですね」

「なんか、すんげぇ行きたくねぇ」

「とは言っても空御。単位がギリギリなんだろう? 夜遊びばかりしているからそうなるんだ」

「自業自得なんだけどなぁ・・・・・・向こうで死んで逝くより、昇天して逝きたい」

「?? なにか違うんですか?」

 雨のように降りそそいでいた攻撃がやみ、空御の饒舌が戻る。ただし、空御の冗談が悠霧には通じなかったためか、何か肩すかしをくらったように空御は何とも言えない表情を浮かべた。

「気にしないでくれ。オレが悪かった。学園で煮るなり焼くなりしてくれていい……」

 空御は頭を垂れて、悠霧の無垢さに自分の心の汚さを痛感した。精神的ダメージは大きいようだ。

「そうですか? でもわたしの異能ではそれはできないですけど……」

「ユーリは水属性、系統【拡張】だもんなッ!」

 真面目な悠霧に半ばやっきになって空御は返す。朝からここまで精神を削る羽目になるとは予想だにしていなかった。

このままではどのみち自分が処刑されているのは目にみえている。ならば、いっそ早く楽になりたいという考えと、夜斗が言っていた時間的に余裕がない。それなら使っても問題ないだろうという判断から、ふと身体に力を込める。

「夜斗、後何分だ?」

「十分。最も早いものでモノレールの時刻は二十三分発」

夜斗が簡潔に答えた。それを聞き、空御の周りに薄い空色のオーラの様なものが視覚できた。悠霧も似たようなものを『水槍』を発動する際に出していたが、彼女の場合は一瞬だった。

それに対し、空御のこれは持続している。うっすらとしているものが明確に色をおびた時、

空御の周辺の空気が震撼したように感じた

「んじゃま。いっちょ、空の旅でもするか」

風が空御の手の動きに合わせて流動する。それも器用に周囲の植木やバルコニーのテーブルなど公共のものには被害は出さず。

「ユーリ。ショーツ見られても怒るなよ?」

「……ぅ。そこは空御君が上手に――」

「ん? んん? さっきオレを殺そうしたのは誰だっけかな?」

「そのことについては謝ります。ごめんなさい。なので……」

涙目になっている悠霧に優位に立った空御が調子に乗る。うまく、後のことを処理できたからだろう。夜斗はそんな光景を苦笑気味に眺めていた。

「こんな美少女に言われたら善処しないとなッ」

「な、何を言ってるんですか……ッ!」

「ハァ……お前らな。時間がないというのを理解しろよ?」

「お、おう」

「ごめんなさい」

呆れて夜斗が嘆息交じりに注意する。

「それじゃ、空御」

「おっしゃ。今度こそ、行くぜ!」

空御の声に応えるように風が足元から上昇し、三人の身体を浮かび上がらせる。ブワッと舞い上がった悠霧のプリーツスカート。本来見えないはずのところが覗く何とも言えない扇情感が、男子二人に強襲する。夜斗は無意識でごくりと息を呑む。空御は目をキラキラとさせる。そして、当の本人たる悠霧は赤面して顔を伏せて、恥ずかしさに耐えているようだ。スカートを抑える手も震えている。

「水色か」

空御の独り言は風によって誰にも聞かれなかった。

地上からビルの五階ほどまで上がったところで垂直浮遊から平行移動へと変わる。そこでようやく、悠霧の恥じらいの原因も解消された。

「空御君の嘘つきッ!」

 羞恥の混じった赤面で空御に怒る悠霧の目には涙が浮かんでいる。よほど恥ずかしかったのだ。女の子が周囲に自分の下着を、それも見ず知らずの人々に下着をみられたのだから致し方ない。

「悪かったって」

「これでは、お嫁に行けません……」

「そんときはオレが――」

「夜斗君ッ。もし迷惑でなかったら――わたしを貰ってください!」

――どうしてそうなる。

 夜斗は心中でそうツッコミを入れるが、決して口には出さなかった。かといって、ここで期待させるようなことを言えば後々面倒なことに繋がりそうで迂闊には発言できず、無言でいると、空御から助け舟が出された。

「こいつにはあの人が居るからなぁ~。な、夜斗?」

空御のニヤッとした顔を夜斗は無性に殴りたくなった。脳裏に浮かぶ、濡れ羽色の長髪が印象的な彼女は、全てを見透かしたような悪魔で、学園でも憧れの存在だ。

「あ、あんなの、ただの乳女ですッ」

 悠霧がそう言うのには理由があるようだ。ただ、夜斗は頑なにそれを話さない彼女に言及はしないため、その理由とやらが定かではない。なんとなく空御は解っているようだが、彼もまたニヤニヤとした笑みではぐらかす。

――乳の大きさなどそんなに変わらないと思うが……それに、言ってしまえば脂肪の塊。歳をとれば垂れ下がってしまうだろうに……

そんなことをふと思いつつもこれも口には出さないでいた。

「そ、それに、わたしは張りと弾力がありますもん! あんな年増には負けませんッ!」

「わかった、わかった。とりあえず、落ち着いてくれ。後、空御。学園に着いたら殴らせろ」

空中で取り乱す悠霧を落ち着かせて、夜斗はライオンでも竦むだろう冷たい目を空御に向けた。

「ハハ――冗談だろ?」

「……」

「じょ、冗談だよな?」

「…………」

「冗談と言ってくれ!?」

「フッ……冗談だ」

 軽く笑って、そう口にする。空御もほっと一安心したように肩を撫でおろした。

そうこうしているうちに目的地が見えてきた。

海上に浮かぶ人工島。そこに建つ、モノレールと海底洞窟でのみ行き来が許された国立の教育機関『九十九学園』。

全体的に、白を基調とした校舎棟の数々。豪勢な校門から続くレンガ風タイルを敷き詰めた一本道は左右対称の第一校舎へと続いている。その両側は人工芝が広がる中庭で、ちらほらと学生がくつろいでいるのが遠目からでも窺えた。

日本でも五校しかない異能者を育成する学校であり、それぞれに特徴的な校風がある。九十九学園は九十九市に影響され、実験、開発に重きを置いた教育方針を取っている。そのため、普通科と工学科二つがあり、夜斗は工学科。二人が普通科に通っている。

「もう、このまま校門前まで行かないか?」

効率を考えれば、モノレールのあるターミナルに一度降りて改札を通り、乗車して行くより遥かに良い。しかし、それに伴い異能を使うためのオーラの消費が多くなる。いかに、オーラの保有量が多い空御でも朝からそれだけ使えば午後に影響が出るのではないかと、夜斗は思考を巡らせた。

「大丈夫なのか?」

「良いんですよ。空御君なんて社畜のように使ってもッ!」

「ひっでぇ……んでも、ここから1、2キロ。よゆー」

「なら頼む」

「了解ッ」

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