異能を使わない異能者!? 

天城 枢

彩色のカデンツァ

プロローグ

第0話

 その日、日常にぽっかりと大きな穴が空いた。

 暗い夜空を照らす炎がたまらなく憎い。誰かの悲鳴が煩くてしょうがない。崩れ落ちる瓦礫の音にすら怯えることが嫌で嫌でたまらない。これら全てが幻であったなら……と誰もが強く願い、否定したい光景。都内の閑静な住宅街は火の海に溺れ落ちていた。

 そんな地獄ともいえる一角で、一人の少年が嘆いていた。この災厄など知らんといったばかりに。身体のいたるところから大量の汗が吹き出でていた。肌を伝う感覚を与え、それが拒んでも現実だと叩きつけてくる。

「あぁ……ああぁ」

 少年は目の前の惨劇を受け入れられないでいた。

 肉体的にも、精神的にも負荷ショックがかかり過ぎたせいで理解が追いついていないのだ

 焦点の定まりきっていない瞳で、ただただ呆然と猛炎の中で立ち尽くしたままだ。その空虚な瞳はひたすらに同じ方向を凝視している。

 そしてたっぷりと周囲の炎が鎮まるくらいの時間を要してから、この惨状を生み出したのが自分だと理解した。

 目の前の無残に転がる三つの死体。一つは少年と同じ、少し癖のある黒髪をした男性。一つは少年に似た童顔寄りの愛らしい顔をした女性。一つは少年と年が変わらない一〇代半ばの少女。

 少年の家族、だったものだ。

 ほんの一時間前まで一緒に食卓を囲っていた父母に妹は、身体中に大小さまざまな空洞を作り転がっている。今ではただの肉塊に過ぎない。

 その現状にようやく脳みそが追いつき――、

「あぁあああああああああああああああ――――」

 喉が枯れるほど叫び散らす。このまま毛細血管が全てはち切れて脳みそを壊してくれと願いながら。

 だが。代わりに食道から濁流が押し寄せた。意識から逃避という栓が外され、喉を通り口から食べ物と胃液の混じりあったドロドロとしたものが溢れ出た。

 全てを出し切り、嗚咽だけが飛び散る。糸が切れたように膝から崩れ落ち、乾いた笑い声がもれた。

 ――これが殺人者の顔。

 肉塊から流れていた大量の血が鏡面のように自分の顔を映し出す。波打つ自画は心象をそのまま描き移したように酷く醜い。

 自虐的笑みは醜悪な面を捉えて、口を真一文字に結ばせる。

「くそおおおおッッ! くそおおお、くそぉ……」

 現実を受け入れられない。受け入れたくない。認めてしまえば楽になれる。けれど、それは自分の弱さを見捨てることになる。

 少年にとってそれは、家族を無かったものとするのと同義だ。

「――ギャーギャー。うるせぇな。発情期か?」

 真上から心底怠そうな声が落ちてきた。

「な、んだよ、あんた……」

「おいおい、人の話を聞くときゃ、顔見せて、目をぶつけあうって習ったろ」

 無理やり頭を引っ張られ、見上げる形で相手と対面する。視界を支配するように凛とした顔。その気だるげな声とは裏腹に双眸は鋭く、心臓を強く締め付けられる錯覚に陥る。

 鼻孔を突き抜けるのは、優しい甘い匂いと相反するような野蛮さの象徴の一つ、ヤニ臭さ。少年の頭を引っ張る手には、今では趣向品の枠からすら外れた煙草が握られていた。

「おうおう。あんにゃろうに似て、ふて腐れた面してんなー。親子揃ってつくりは悪くねぇんだから、もうちょいマシな表情が出来んのか?」

「だから、あんたは――」

「あたしは解樹璃音――お前の親父の上司であり、今からお前の親になる女だ。よろしくな、夜斗」

 ああ、なんて眩しいのだろうか。全てを忘れて少年は、その笑顔に釘づけになった。

 歳は明らかに自分より上だ。その男勝りな口調とそれに見合う声質もそうだが、出る所は出た女性らしい身体つき。『デキる女』と表現するのが近い。

 そして今、目の前で浮かべられた笑顔は大人の慈愛に満ちたもの。それこそ聖母マリアのようだと思えた。

 彼女の中には強さと優しさ両方が同居している。

 だからこそ、その光に呑まれることが怖かった。自分にはないモノを彼女は持っている。身を委ねる行為が精神的にまだ成長途中の少年には苦しい。

 その痛みを取り払うように、女の身体が少年を包んだ。

「お前の痛みも苦しみも辛さも全部、一緒に背負ってやる。だから――」


 ――九月一三日。後に『災厄祭』として語られ続ける大事件の裏で起きた小さな物語。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る