昭和サラリーマンの妻が書いた50の手紙『ご無沙汰しています お元気ですか』

kokekko

手紙の下書き

本棚の隅に三十年かけて、埃が積み上がるが如く、ひっそり残されていく物があります。

結婚後、長年書いてきた手紙の下書きです。


昭和二十五年生まれの夫と昭和三十年生まれの私は昭和五十六年にお見合い結婚しました。当時、夫の会社での人間関係は公私ともに濃いものでした。


夜な夜な麻雀、飲み会に繰り出し、土日は上司や取引先とゴルフへ、時には部下を家に誘ったり、あらゆる交際関係がありました。


それに伴い挨拶状のやり取りが生じ、字を書くことが苦手な夫に代わって、しぶしぶ私が書き始めます。


若い時は、目上の方ばかりに宛てて書いてきましたから敬語に苦労し『手紙文例集』の例文を抜き書きするばかり。今で言うコピペと同じことで味気ないものでした。

そのうち夫からそれぞれの人柄やつきあい方が伝えられる様になりますと、手紙にもプライベートな一言が書けます。

会社の住所録から年賀状・御礼状・見舞い状等の挨拶状を何通も出してきました。


文章を考えるにも書くにも、スピーディーにいかない私は、1枚の手紙を書くのが半日仕事になる事も。

苦労して書いた手紙の下書きは、捨てるに忍びなく残していきます。

積み上がった下書きを「どうしたものか」と思いつつ横目でみるだけ。

しかし、インターネットの投稿サイトという便利なツールが助けになりました。ここに下書きをもう一度書き起こしますと、心置きなく処分出来ました。


狭い交際範囲の中で決まりきった文しか書いてきませんでしたが、こちらで一覧にしますと人生の一部を形にして残した様でスッキリしました。


父方の年の離れた従姉が、筆まめな人でしたが早世しています。歳を重ねていくと“手紙を書く”という小さな事柄さえも因縁があるような心持ちになっていきます。


前世の因縁ある魂を持って生まれ、現世で新たに縁を生み、来世はこれらの縁がどう作用していくんだろう、と思ってみたりします。

半世紀以上生きていますと、人知の及ばぬところで働く力に左右されると実感する時があります。『持って生まれた運』を、つらつら思います。


人生の一部を形にしてスッキリしたからには、思い煩う事など無いはず。座布団にチンと座って好好爺ならぬ好好婆でいたいものを、困ったことにあれこれ雑念が湧いてきます。

これは心残りのある前世の私か、はたまた情念にとらわれた先祖の誰か、業の深い魂を持つ誰か。

私の中でうごめいている先祖達がかまびすしい。彼らの煩悩がまさって、私はいや~な年寄りになりそうな予感。

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