第8話

 「…骨折3ヵ所、打撲15ヶ所、切傷10ヶ所…。よくこの程度の怪我で済んだわね…」

 ソラノはとある部屋で、研究員のリン・ライル・ランファンの話を聞いていた。

 ここはソラノたちが所属するオーコックス・インダストリーのラボ。ソラノたちはサクラシティを脱出して、ここに帰還した。そもそもミズキ達の本来の目的がソラノをこのラボへ護送することだった。リョウとソラノ、ガルムはラボに着くとすぐさま担架に乗せられ、集中治療室へ直行したのだ。ソラノはすぐに治療が終わったので、こうしてリンの説明を聞いている。

 「…」

 ソラノはしかめっ面でモニターのレントゲン写真を見る。

 「そんな顔しないの、美人が台無しよ…。とりあえず治療ナノマシンとカプセルでほとんど治るわ…。骨も複雑骨折っていう訳じゃないし…」

 リンは結っていた髪を解く、長く美しい黒髪が流れる。

 「よかった…」

 「よかった…は私たちよ。心配してたんだから…」

 リンを見ると目が張れていたのがわかった。

 「変なコトされなかった?」

 「大丈夫だよ…。すぐ助けてくれたじゃないか」

 実際、ソラノが拉致されてから数時間での奪還だ。ミズキ達の能力がわかるというものだ。

 「ガルムは?」

 「彼もカプセルに入ったわ…ただ完治は少し先になりそうだけどね」

 「そんなにひどいのか?」

 「そうね…」

 リンはそれ以上を語らず、コーヒーをカップに注いでソラノに渡した。

 「ありがとう…」

 すると部屋の自動ドアが開く。

 「ただいまぁ!あたしもコーヒー貰おぉ」

 治療カプセルに入っているリョウとガルムを見に行っていたミズキとヤマトが部屋に入ってくる。ミズキは迷わずコーヒーメーカーに向かってコーヒーをカップに注ぐ。

 「ソーラぁ、もういいのぉ?」

 ミズキはそう言いながらコーヒーにスティックシュガーを三本も入れた。

 「うん…。ありがとう…ホントに」

 「いいって事よぉ!これくらい覚悟で来てたわよん」

 ミズキはコーヒーを音を立てて飲んだ後、口調を変えた。

 「まさか雷姫が出てくるとはね…」

 「雷姫ってあれだよな?何年か前にウチから盗まれたっていう…」

 ヤマトもそう言ってコーヒーをカップに注ぐ。

 「そう…。オーコックス・インダストリーが開発したぁ世界初の電流を操るナノマシン、雷姫ぇ」

 ミズキはその最早コーヒーとは言えないコーヒーを一気に飲み干す。

 「た、確か雷姫って紛争地や、組織同士の抗争に現れるって話だったよな…?傭兵みたいに」

 ヤマトがミズキの飲み方に毎度のことながら驚き、言う。

 ソラノはコーヒーを一口飲んで続けた。

 「問題は雷姫がアマテルに関係しているということ…。これで状況は複雑になった…」

 「複雑というかぁ、最悪って感じじゃないぃ?」

 ミズキは自嘲気味に言う。しばらく聞いていたリンが口を開く。

 「まぁ、ウチが開発したナノマシンだからね。理論上、どこかの空軍艦隊と対等に戦えるわ…。報告されているだけで百以上の紛争、抗争、事件に関与しているわ、それだけドンパチやってればどんな純粋な女の子も屈折するわよね…流石に小娘だとは思わなかったけど」

 そう言ってリンは報告書をデスクに投げた。その中の文に【十代であろう少女による…】と書かれている。

 「まだ複雑になる原因がいる…。ホルスだ、あいつは私の名前を知っていた。いや、私の何かを知っていた…。リン、何かわかったか?」

 「…一応調べてるんだけどね…何もわからないのよ。あとはあなたがこちらに来る前のデータしかないわね…」

 「…そうか、やはり出生に関係すると考えるのが自然かもしれないな…。あいつのナノマシンも気になるし…」

 「そっちの方はぁ、大丈夫かもよ?」

 ミズキはそう言って自分の額をトントンと指で叩いた。リンは頷く。

 「ミズキのホークアイから現場のデータは貰ってるわ、そっちは解析中。ナノマシンの残骸も回収してくれてるし、明日になれば詳しい事もわかるわ」

 「流石だな…。ミズキ」

 ソラノが言うと、ミズキは全く照れもせず。腰に手を置く。

 「当たり前でしょぉ!?その辺りは抜け目ないわよぉ。んでぇ?あとはあの稲葉リョぉね…ヤマトぉ、クラスメイトなんでしょぉ?何も知らないのぉ?ソーラーの話だと、雷姫と同じようなナノマシン持ちでぇ、ソーラーの手を普通に握ってたらしいわよ?」

 ヤマトは腕を組んで深く考え込み、ミズキに向き直った。

 「それが全く…。ほとんど接触していない。友人もいて人気もあったと思う。何かあればそれはそれで気付いていたはずだ…」

 「はぁ…クラスメイトの把握くらいしときなさいよ…。しばらく拘束しようと思ってたけど、ソーラーは怒るしぃ…」

 ミズキはソラノの方をちらりと見る

 「当たり前だ…」

 ソラノはミズキを睨む。

 「あはは…ヤマトぉ、明日から稲葉リョぉは監視対象だからね!」

 「わかってる…ミズキ。明日からの計画を練り直そう。じゃあ俺はここで」

 ヤマトは残りのコーヒーを飲み干して、部屋を出て行った。

 「そうねぇ…何か明日からもっと忙しくなりそうよね…!ソーラー、また明日ねぇ」

 ミズキも小さく手を振って部屋を出て行く。リンはその姿を見て困ったように微笑む。

 「忙しい子たちね…。自分の言うことだけ言って出て行ったわ…ふふっ」

 「そうだな…。ホントにみんなには感謝している…。私の為に…リョウもガルムも…」

 「…」

 リンはソラノの言い方が少し気になった。ソラノの「私の為に」は「私のせいで」と同意だからだ。

 「ソーラー?自分のせいだとか思わなくていいんだからね?みんな、あなたに普通の女の子らしい生き方をして欲しいと願ってのことだったんだから…。それに東京からこちらに移るのは当初からの予定だったでしょ?この事態は回避しようがなかったわ…」

 「…だが、リョウは関係のない人間だ…」

 ソラノはぬるくなってしまったコーヒーを見つめて言う。リンはこういう時、頭でも撫でてあげられれば、といつも思う。それが出来ない自分が悔しかった。だから、その代わりに口を開く。

 「関係なくは無いかもよ?…ソーラー、これを見て…」

 リンはそう言って端末を操作する。ソラノに一番近いモニターに顕微鏡の画像が映し出された。半透明の丸い物が映っている。

 「稲葉リョウ君のナノマシンよ…。血液検査のときに調べたわ。これね、違うのよ…」

 「違う?」

 「えぇ…雷姫と比較したんだけど、構造が全然違うのよ」

 リョウのナノマシンの画像の横に、雷姫と書かれたナノマシン内部構造の画像を呼び出した。二つを比較するとすぐにわかった。雷姫の方は中に回路や部品などがぎっしりと詰まっている。電流を操るというのは電撃に耐え、正確に誘導すると言うこと。これをまた作ろうとするならば世界最高の技術と小国の予算並みの資金が必要になる…。対し、リョウのナノマシンは、中身が全く無いわけではないが雷姫と比べ物にならないほど普通。

 「他のナノマシンも入ってないか調べたんだけど、人力発電用のナノマシンすら入ってなかったのよ」

 「たしか、リョウもそう言っていたな…」

 人力発電用ナノマシンは、五歳になると注入が義務付けられているものである。身分証明の機能も持っており、ナノマシンで発電した電気は売ることも出来る。つまり、これのおかげで国民のほとんどは食いっぱぐれることがないのだ。それが無いということは毎回面倒な申請を役所にしたり、得られるはずの収入が無かったり…色々大変だったはずだ。

 ソラノは続ける。

 「じゃあこのナノマシンは何?やっぱり遺伝者だと自分で言っていたのだから、何らかのナノマシンが変化したということ?」

 「うーん。その辺りはもっと調べないとわからないけど…。こんな構造で電流を操るなんて信じられない…。色々な意味で、稲葉リョウ君には興味が湧いてきたわ…」

 リンが少しいやらしい目で言う。すかさずソラノは釘を刺す。

 「リン…くれぐれも…」

 「わかってるわよ、追々ちゃんとした手続きを取って検査させてもらうわ。とりあえず今日は、ある程度回復したら家に運んで、そこで目を覚ますようにさせる、学校にはヤマトもミズキもいるし大丈夫よ」

 「ならいいのだけど?」

 ソラノは容赦なく虎の目でリンを見る。

 「こ、怖いわよ…。あなたの手を握って何ともないってことも気になるんだし、検査する時はあなたも参加するんでしょ?」

 「…うん」

 「…?まぁいいわ。彼のことはゆっくり考えましょ?…それより、あなたも明日から大丈夫なの?」

 「…大丈夫…。難なくやる」

 「ソーラー…普通の女の子は【難なくやる】なんて言わないわよ…」

 「そうか…。気を付ける」

 「あっそういえば…学校での名前はもう決めた?」

 「決めた」

 「なぁに?」

 リンは頬杖をついて優しく微笑む。

 「ソラノ」

 ソラノは目を瞑って大切にするように口にした。

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