第4話

 「ねぇ…!待ってよ!」

 少女はリョウの声が聞こえたようで、肩をびくりと震わせた。歩きは止めない。リョウは追いついて少女の横に並ぶ。やはり身長は女性にしては高く、リョウより少し低いくらいだ。傍から見るとナンパしているようなかたちだ。

 「…」

 「全然大丈夫じゃないでしょ…あんた…警察とか病院に―――」

 「私に構うなと言った…!」

 少女はこちらを睨む。太陽のような綺麗なオレンジ色の瞳だ。

 そんな少女の迫力に負けそうになったが、堪えて言う。

 「そんなわけにもいかないだろ?女の子が事故った車から出てきて、一人でどっか行っちゃうとか!」

 「…」

 少女は無言で歩く。

 後ろを振り返ると、事故現場に黒いセダンが何台か停まり、中からスーツを着た男たちが出て来た。車の中の人間を引っ張り出したりしている。救助と言うよりは回収しているように見えた。そして、何かを探している。

 「きみはもう私の近くにいない方がいい…」

 少女がぼそりと言い、歩く速度を速めた。リョウも速める。

 「…あれに見つかるとヤバいとか?」

 「そうだ。だからもう…」

 男たちの一人がこちらに気付く。仲間を呼ぶ素振りを見せた。

 「!!」

 「やっべ!」

 リョウは少女の手を掴んだ。強く握ると壊れそうな柔らかさで少し焦った。

 「私に!―――」

 「ヤバいんだろ!?」

 リョウは少女の手を引っ張って走り出す。

 男たちも声も上げず、こちらに走ってくる。

 「こわっ!こわっ!」

 「きみは…何ともないのか!?」

 走りながら話しかけてくる。

 「何ともないわけないじゃん!怖いよ!」

 「違う!そういうことじゃ―――」

 後方から乾いた音がした。そして、すぐ横の植木に穴が開く。

 「…は?」

 リョウはすぐに理解できなかったが、銃弾だ。発砲したのだ。

 「…っ!!」

 リョウはぞっとして気が遠くなったのを必死に堪えた。

 「銃!?」

 後ろを振り返ると、走って追いかけてくる男たちの中、一人だけ銃を構えてゆっくりと歩いてくる男がいた。

 「だから…私に構うなと…言った…!」

 少女は息が切れて上手く喋れてない。

 「あああああああもうっ!」

 リョウは大声を上げる。

 「!?」

 少女は肩をすくめて驚いた。

 リョウは肩を抱き寄せる。

 「え?」

 「ごめん!よいしょおっ!」

 まるで米俵のように少女を担ぎ上げる。

 「うまくいくかな…」

 リョウはぼそりと言って、そのまま走る速度を上げた。追手との距離が離れていく。

 夜の街の歩道は人が多いが、リョウはすべて避けて行った。

 「ごめん!掴まってて!」

 「…む、無理!」

 「じゃあ!」

 リョウは器用に少女をお姫様抱っこの状態にした。少女はリョウの首にしっかりと腕を回す。

 「もっと速くっ…!」

 リョウは更に速度を速める。みるみる引き離していき、追手は見えなくなってしまった。

 二人は交差点にさしかかる。ちょうど信号が青になった左折の横断歩道を滑らかに横断する。横断し終わったあと、猛スピードで走って来た黒いセダンが、信号無視して左折してきた。

 「きみ…この速さは―――」

 何かを言おうとしていたが、セダンがリョウに速度を合わせて来たのでそれどころではない。

 「くっそ!」

 リョウはさらに加速する。もう人の走る速度ではない。しかし車では追いつける。窓が開き、中から銃を持った腕が出てきた。確実にリョウを狙っている。弾を連射できるサブマシンガンだ。

 「掴まって!」

 リョウは走るのを止め、勢いのついた身体に一気に制動をかける。靴と地面が擦れるすごい音がした。

 車も急ブレーキをかけて止まる。その車のブレーキ音で周囲の注目が集まる。

 「待ってて!」

 リョウは少女を降ろして全速力で車に近付く。

 「……っ!」

 リョウが歯を食いしばり思い切りトランクに両手を叩き付けたと同時に、バリッという紙が破けるような音が聞こえた。

 その瞬間、周囲の人の携帯端末、電子看板、街灯などが弾け飛んだ。車内でもサブマシンガンが暴発し、男たちの悲鳴が聞こえた。

 「ごめんなさい!!!」

 リョウは急いで少女のもとへ戻る。

 「はぁ…はぁ…」

 「きみ…今のは…」

 「説明は…あと…。はぁ…」

 リョウは息を切らせながら少女の手を握って走り出す。

 「どうするんだ?」

 「とりあえず、も少し歩いたら駅だから、そこに行こう…」

 少し離れたところから振り返ると、追手だと思われる何台かの車が、先ほどの停まっている車の周囲に停まったのが見えた。

 「裸足だったよね…おんぶしようか?」

 「…いい!」

 少女は表情一つ変えずに返事をする。かと言っても、リョウが速度を合わせている為、かなりの速さで走っている。流石にキツそうだ。

 「もう少しだから頑張って…!」

 「きみもキツそうじゃないか…」

 「あはは…。そういえば、名前…教えてよ?」

 「…」

 「…教えたくないのか…」

 少女は黙って走る。向こうの手の握り具合からすると、リョウから離れるつもりではなさそうだが。

 そうこう話しているうちに、10階以上の高さはあるであろう駅ビルの入り口に着く。

 「…こっちこっち!とりあえず入ろう!」

 二人はそのまま流れるように駅に入って行く。

 駅の中はまだ、帰宅するサラリーマンや学生などの姿でいっぱいだった。少し人が混んでいる所にわざと入る。

 「こんだけ人がいれば、あいつらも探しにくいだろ…。ていうか撒いたかな?」

 「…」

 少女は何かに怯えるように身体を小さくして、通行人を避けている。こうして明るい場所に来ると、少女の髪が少しピンク色のような不思議な色をしていることが分かった。そして、すらりと長い脚は、雪の様に白い。だが、やはり裸足で走ったせいで足が赤くなっていた。

 「やっぱり…痛かったでしょ…?」

 「別に…大丈夫だ。それよりこれからどうするんだ?」

 「とりあえず地下に降りて、このユニットから出よう。そこからきみの家かなんかに連絡しよ!」

 そういってリョウは少女の手を引っ張って歩き出す。

 「でも、その前に靴買おう」

 「…は?」

 少女は呆れて口が開いたままだったが、その顔も綺麗だった。

 「靴…要るだろ?裸足だし。俺もそのまま歩かせたくない」

 「こんな時に…きみは普通なんだな?」

 「俺がまたお姫様抱っこするなら買わなくてもいいけど」

 「それは…困る」

 「だろ?見つかっちゃうからさっさと行こう」

 普通に話はしているが、早足で歩いた。後ろからついてくる少女の足音がぺたぺた聞こえる。

 この駅ビルはショッピングモールと併設されており、当然、靴を売っている店などすぐ見つかる。リョウは店先にあったワゴンセールの白いスニーカーを手に取った。

 「靴のサイズはSでいいよね?」

 「…待て…選べないのか?」

 少女は不満そうに口を尖らせて言った。

 「…じゃあ名前教えてよ…」

 リョウはじっとりとした目で少女を見る。

 「私の名前は知らない方がいい…」

 「じゃあ、スニーカーで…」

 「…」

 少女はリョウを睨んだ。

 「…そー…。ソラ…ソラノだ」

 「そこまでして靴を選びたいのかよ…。そっかソラノちゃんか…」

 リョウは少し呆れながらスニーカーをワゴンに戻す。

 ソラノは凛とした態度でぺたぺたと店の奥に入っていった。そして、最初から決めていたように迷わず指を差す。

 「…これがいい…」

 ソラノは少しヒールに高さがあるピンクの靴。

 「…ソラノちゃん…?」

 「ソラノでいい」

 「いや、そういうことじゃなくて逃げるんだよね?走るんだよね!?」

 「そうだが…?」

 ソラノはキョトンとした顔で言う。

 「ヒール付いてるよ?」

 「これがいい…」

 「走れんのかよ?」

 「それより早くしないとあいつらが来る…」

 「んく…」

 何も言えなかった。少し天然なのだろうか。仕方なくさっさとレジに靴を持っていき金額を見る。

 「16500円…」

 やっぱりスニーカーにしようと思ったが、拗ねられてあまり時間をかけると本当に追っ手が来そうだったので、何も言わずにケータイの電子マネーで支払う。そして、ついでにカバンをいつの間にか持っていないことに気が付いた。

 「…やべぇ…財布とか色々入ってるのに…。事故とかソラノとか色々あり過ぎて忘れてた…」

 リョウは肩を落としながら買ったその場で、ソラノに靴を渡す。満足そうに靴を履いた。

 「…どうした?」

 「いや…何でもない…。さっさと行こう…」

 二人は地下街へ向かう為、歩き始める。ソラノはヒールが高い靴を履くと、モデルのようだった。服装も相まって、逆に目立つ。

 「…きみの名前…。まだ聞いてない」

 ソラノは口を「へ」の字にして言った。

 「あ、そうだっけ?」

 「自分だけ教えないつもりか?」

 「んなわけないじゃん!俺は稲葉リョウ」

 リョウは歯を見せて笑う。

 「稲葉リョウか…」

 ソラノは真剣な顔で呟く。

 「ん?変な名前かな?」

 「いや、自分から名前を聞くことなんてないからな…少し感慨深かった」

 「へぇ…難しい言葉使うね…」

 二人は地下へと続くエスカレーターに乗る。

 「リョウ、質問していいか?」

 「お、おう」

 ソラノのいきなりな言葉に、リョウは無駄に大げさに反応する。

 「さっきのアレは、なんだ?」

 ソラノはリョウを鋭く睨んだ。

 「…」

 リョウは黙ってみる。

 「…」

 ソラノも黙っている…。

 後ろに立っているソラノの様子を見てみると、そこには虎のような目でこちらを睨むソラノがいた。

 「…!ソラノ…怖いよ?」

 「…はやく」

 ソラノは小さな声だが、脅すようにハッキリとした発音で言った。

 リョウは諦めた。

 「わかったよ…。あれは―――」

 「…あの私を抱えたままで走る速度、やつらの車に浴びせた電撃…?きみはなんだ?どこかの組織の人間なのか?」

 表情を変えずに淡々と言うので、自分が言うセリフが飛んでしまった。

 「え?…何だって言われても…。俺は…ただのナノマシン遺伝者なだけで…」

 「遺伝者…。母親は何かナノマシンを?」

 「いや、俺の母さんは別に…人力発電のナノマシンしか入れてなかった」

 「…そうか」

 「そうです…」

 リョウは恐る恐るソラノを見つめる。悪い事もしてないのに冷や汗がどっと出てきた。

 ソラノはじっとリョウを見つめる。そして、口を開いた。

 「そのナノマシンはどこかで診てもらったか?」

 「いや、自分からはないよ…。病院に行っても何か言われた事も無い。毎回人力発電用ナノマシンが無くなってるから怒られるけど」

 「無くなってる…のか」

 二人はエスカレーターを降り、地下街のメインストリートに出る。まだ人で溢れており、リョウはこの人ごみに紛れて地下を抜け、地上に出た所にあるショッピングモール【サクラシティ】に出ようと思った。そこから近場の警察にでも逃げ込む算段だ。

 ソラノはまたさっきのように、身体を小さくして怯えるような目をしていた。

 「もしかして…人ごみ苦手…?」

 「いや、気にしないでいい…先を急ごう」

 「…わかった」

 リョウはいつの間にか離していた手を繋ぐ。少し自分側へ引き寄せて歩いた。

 「…」

 ソラノは何やら気難しい顔をしてついて来る。やはり、人ごみは苦手なようだ。

 「大丈夫?」

 「…」

 ソラノは黙って頷く。

 「…ソラノって結構カワイイよね…?」

 沈黙はあまり好きではないので、オロオロしているソラノに思わず言ってしまう。自分もオロオロしている。何でそんなこと言ったのだろうか。

 「…」

 ソラノは少し顔が赤くなって話を急に振る。

 「あ、あの足の速さはどうやって…?」

 「え?…あぁ…。俺のナノマシンは、さっきソラノが言ってた通り、電気を操るんだと思う」

 ソラノは難しい顔に戻って、リョウを見る。

 「まぁつまり、筋肉は脳からの電気信号で反応するんだろ?そこを電流で過剰に反応させて思いっきり走る!って感じ?」

 「でもそれだときみの身体は負荷がかかり過ぎてボロボロになるだろ?」

 「え…?そうなの?…身体は今のところは大丈夫だよ…?」

 「きみの身体が順応しているのか、ナノマシンに肉体の強化機能も含まれているのか…どちらかだな」

 座ったような目でこちらを見ながら言う。

 「なんか、すごく詳しいね…」

 「…まぁ気にしないでくれ」

 ソラノはよく見ると綺麗な唇で、大人な雰囲気を醸し出していた。リョウはそれに見惚れる。視線を目に移すと虎の目でソラノが見ていた。その表情はどちらかと言うと、美しいといった感じだ。

 リョウは慌てて前に視線を戻す。

 ソラノは続けた。

 「じゃあ、あの放電は?」

 「あれは…今日初めてやってみた」

 「今日初めて?」

 「…うん。あんな風になるとは思ってもみなかったけど…。大丈夫かな…あの人たち…」

 「放電時間もそんなに長くなかったから、電流自体では大丈夫だと思う。でも、中で銃が暴発したから…」

 「そっか…」

 リョウは溜めていた息を一気に吐き出す。死んでいないことを祈るしかない。

 「それで?あの電気はどこから来ているんだ?」

 「どこから?」

 メインストリートも半分は歩く、人もだいぶ減ってきた。早足で歩いたせいでソラノも疲れてきたようで、歩くペースが落ちる。

 「…放電するナノマシンなんて存在しないはず…なのに、きみは放電して見せた。しかも車の中の人間が感電してしまうほどの…。人間一人が充電できる電力を軽く上回っている…。どこからその電力を引っ張ってきている?」

 ソラノは息継ぎをしているのか?と思うほど流暢に喋る。

 「べ、別に…これといって…」

 「そうか…」

 「…まぁ、速く走る時よりも身体がだるいかな…」

 「身体が?」

 「うん…結構…」

 「そう…か…」

 ソラノはリョウと繋いでいる手を見た。

 「リョウ…」

 「え?あ、はい?」

 あまり「リョウ」と呼ばれる事がないので、変な返事になってしまう。

 「きみは、私と手を繋いでいて…何ともないのか…?」

 「うあ、ごめんっ!」

 リョウは慌てて、手を離す。

 「ごめん、調子に乗って。ダメだった?」

 リョウは急に恥ずかしくなった。まだ手の感覚が残っていて、手を握ったり開いたりした。

 「さすがにさっき会ったばっかりの子の手を握るのはマズかったよね…」

 「いや…。そう言うことじゃなくて…」

 ソラノも離された手を握ったり開いたりした。

 「だるいとか、気分が悪くなったとか…」

 「いやいや…ソラノといて、気分が悪くなったりする奴いないだろ…?」

 「ん…?本当にどうもないのか?」

 ソラノは言っている意味が分からないのか、首を傾げて聞き直した。

 「本当だって!大丈夫だよ」

 「…」

 ソラノは顔をしかめてリョウを見る。

 「だから!」

 リョウはソラノの手を再び握った。

「ほら!大丈夫だろ?何ともない!だから、どこまでかわかんねぇけど、最後まで連れて行くよ!」

 リョウは歯を見せて笑った。

 「…リョウ…きみは本当に―――」

 ソラノがそう言いかけたときだ。乾いた聞き覚えのある音が地下街で鳴り響いた。

 銃声。

 「えっ!?」

 「来た!?」

 リョウとソラノは咄嗟に振り返る。

 ここからは何も見えない、地下街に入ってすぐの場所で音がしたのだろう。そして、時間差で悲鳴が聞こえる。その悲鳴は波及して怒号が加わり、逃げる人々がこちらに津波となって向かってきた。

 リョウはソラノの手を離さないよう、しっかりと握る。

 「ソラノ!離さないでな!」

 「リョウ!?…え!?」

 ソラノはリョウとは別の方向を向いた。

 リョウもそちらを見る。そこには太陽のようなオレンジ色の髪の青年が、ソラノの腕を掴んでいた。その細腕を掴む手は野球のグローブのように大きな手袋をしている。

 人の流れが激しくなった。リョウとソラノはもみくちゃにされ、互いの姿が確認できない。

 「…くっ!」

 青年はソラノを引っ張る。リョウはたまらず手を離してしまう。

 「リョ…」

 ソラノはあっという間に人ごみの中に消えていった。

 「ソラノ!」

 追いかけようにも自由に動けない。いまだに銃声がしている。それに呼応するかのように、ますます人は増えていく。リョウはどこに向かっているのかもわからないほど巻き込まれていく。

 「ソラノォォォォォォ!」

 リョウの叫びは、悲鳴と怒号の中に消えていった。

 手にはソラノの感触だけが残っていた。

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