第57話
クラウンはリョウが閉じ込められた部屋の扉を通過した。扉にはロックをかけた。リョウは出られないと分かったのだろう、扉を乱暴に叩く音がしている。今現在このオーコックス・インダストリー本社屋は一部の高セキュリティ区画を除いてクラウンが掌握している。このフロアもそうだ。しかし、稲葉リョウがここまで判断力と戦闘力があったとは思っていなかった。
稲葉リョウは通信の手段がナノマシンを介さず、アナログな通信機を使っていた。そのせいで全員の通信を都合良くかく乱する事ができなかった。だからこうやって他とのメンバーとの通信を一気に断絶。ミズキ・マグニがいる向こうは陽動にかかってくれたおかげで、しばらくは行動不能だろう。残念ながら殺せていないが、だいぶ混乱している。
あと彼の戦闘力。資料では電流で身体に負荷をかけ、身体能力を向上させることが主で、放電を行えば気絶するとなっていた。確かに
クラウンはアモルとマルナがいる部屋の扉の前に立つ。もちろんロックはかけられているが、解除する。
一秒とせずに扉が開き、その先には戦慄の表情のマルナが立っていた。奥にはベッドで眠っているアモル。まるで標本のようにガラスケースのようなものがかぶせられていた。
「お迎えに参りました」
クラウンは片手で掴んでいたレナを床に放りながら、少し声のトーンをあげて言った。レナは気絶していて乱暴に倒れてしまう。
「シュルムはどうしているの……」
マルナはクラウンを睨み、言う。その様子は子ネズミを産んだばかりの親ネズミのように見えた。
「シュルムさんは快適な環境で保護しています。こんなトコにいるよりだいぶマシでしょう」
思いのほか鼻で笑いながら言ってしまった。
「ふざけないでっ!アモルまで……何をするつもりっ!」
「さぁ?僕は雇われているだけの立場ですから。詳しいことはわかりませんね。ただ、ここの状況よりはいい環境で保護できるのではないかと?」
部屋を見渡しながら言った。数台の端末が稼働していて、アモルが寝ているケースを管理しているようだ。マルナの表情はだんだんと険しくなっていく。
「シュルムさんはあなたの事もお待ちしています」
それを聞くとマルナは少し表情を緩める。
「あの子が……」
「二人で大人しくついてきてくださるなら、楽なんですが?」
緩んだ感情に揺さぶりをかける。
「それでも……。それでも何をされるかわからない所にアモルを渡すことなんてっ!」
「シュルムさんは散々放っておいたのに?」
「……っ!何がわかるって言うの!!!」
それを聞いたマルナは隠していた拳銃を構える。歯をむき出しにして、鬼のような表情。しかし、それをわかっていたクラウンはアサルトライフルをマルナに向けていた。
「やめた方がいい」
「……」
それでもしばらくは構えを解かなかったが、悔しそうに全身を震わせながら銃を置いた。
それを確認したクラウンはマリオネットサーカスを使ってアモルの眠るケースのロックを解除する。透明のケースはゆっくりと上に上がっていき、ベッドだけとなった。クラウンはマルナが置いた拳銃を遠くへ蹴り飛ばす。
マルナはそれでもクラウンを睨んでいた。
視線を感じながらアモルのもとへ行く。アモルはまだ眠っていて、照明のせいなのか、肌は白く、ダミーの人形を見せられているのかと疑うほどだ。
アモルを抱き上げる。とても軽く、荷物のように片手で持つと、もう片方の手でアサルトライフルを持った。そしてドアへと向かう。マルナを見るとまだ睨んでいた。
娘をまた失おうとしているにこんなものなのか、母というものは。
そう思ってしまった。
そのままドアの前に立つ。鍵はこちらが掌握しているので何事もなく開いた。そして、振り返らずに聞いた。どうせマルナの様子は監視カメラで見えている。
「一緒には来ないんですね?アモ―――」
言いかけた瞬間にはマルナは立ち上がり駆け出していた。カメラで見ていたが予想外の行動に反応が遅れる。咄嗟に振り返った時にはマルナはアモルの服を掴んで引っ張っていた。
「この子まで!!!失いたくないっ!!!!」
マルナの声は部屋中に響いた。声というより叫びだ。獣の叫び。恐るべき力だった。
一瞬持っていかれそうになったが、持ち直して振り払う。それでもマルナは片手は放さず、食い下がる。
「返して!!!」
時間もそれほど余裕がない。実を言うとセキュリティの方もだいぶ攻撃されていて、取り返されようとしている。そして何より……。
「都合が良すぎる!」
そう言ってクラウンは全力でマルナを蹴り飛ばした。
マルナはアモルから引き剥がされ、床に捨てられる。小さく呻いて、尚もこちらを睨んでいる。
「……ママ……?」
すると眠らせていた薬が切れたのか、アモルが目を覚ました。
「アモル!」
マルナが声を振り絞ると、アモルはマルナの姿を探し、見つける。
「ママ!!」
「アモル!!」
二人の声が響くと、クラウンは部屋を出て、ドアは無慈悲にも閉まった。すぐに微かに声が聞こえドアを叩く音がした。鍵をかけたので当然開くはずがない。
「ママ!ママは!?ママは行かないの!?」
アモルは声に焦りを滲ませるが暴れることなく聞いた。
「お母さんは行かないそうです」
「ママは泣いてたじゃないか……」
クラウンは早歩きで行く。リョウが閉じ込められている部屋も通り過ぎる。まだ暴れているようでドアを激しく叩く音がしていた。
「お別れが悲しかったんでしょうね」
クラウンは感情もなく言う。
「ママは……本当に行かないんだね……」
暴れだすかと思ったアモルは床を見つめながらぽしょりと言う。意外だったが、大人しくしてくれるのはありがたい……。呼んでいたエレベーターはもうこの階に到着し、扉を開けていた。
「アモルと一緒にいるとママは危ないからね」
クラウンはエレベーターへ入る。振り返って廊下を見やるとリョウやマルナが部屋のドアを叩く音だけが響いていた。
エレベーターの扉が閉まる時、アモルが小さく「さようなら」と言った。
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