第33話

 ※※ホテルの一室※※



 「私はいつになったらここを出られるの?」

 シュルムは紅茶を一口して言った。以前、イヴ製薬の施設から逃走した時の布一枚同然のような格好とは打って変わって、可愛いフリルが付いた白いワンピースを着ている。

 「それだと僕が君を監禁してるみたいだな」

 「それに近いんじゃないの?」

 実際そうだった。シュルムはテーブルの向こう側のソファに座っているこの男、クラウンに助け出され、数日の移動を経て、このホテルへ連れてこられたのだ。そして、実に二週間過ごしている。

 「そりゃあ私も感謝してますよ?あそこから出してくれたのだし、こんないい服も頂いて、美味しいものも食べられてる…」

 しかし、一切外には出ていない。外と言えば少し広めのバルコニーだけ、何か希望をすればルームサービスのように部屋にそれが届く。バルコニーからは美しい海が望め、寒さも暑さもない快適な場所。シュルムにはここがどこなのかはわからなかった。何せ、今まで施設で監禁され、何も学んでいなかったから。

 「私をどうするつもりなの?」

 シュルムは静かに聞いた。

 「……」

 クラウンは黙った。

 シュルムの淡い蒼の髪が風に吹かれて揺れる。対称的に、赤みがかった瞳はじっと見つめる。

 「わかったよ……」

 クラウンはにんまりと笑った。長い前髪が目にかかって表情をわかりにくくしている。しかも眼鏡をしていてさらに何を考えているのかがわからない。

 「僕たちはきみの家族も奪還しようと考えている」

 クラウンはボソリと口にした。

 「え?」

 シュルムは予想もしていない言葉に驚き、聞き返す。心臓が鳴るのがわかった。

 「本当なの…?」

 「あぁ…きみを失ってからすぐにイヴ製薬はきみの家族に目標を変えた。どこに消えたかわからないきみよりも、粗方場所が特定できている方へ戦力を割いたのさ」

 「じゃあ奴らに私のママとアモルが?」

 「そう、でも大丈夫だよ。きみの家族は僕らが連れ帰る。そして、会わせてあげることを誓う」

 「…お願い…助けてあげて…ママとアモルを…」

 シュルムは今にも泣きそうな声で言った。

 「わかっているよ…僕たちはプロだからね」

 クラウンはテーブルを乗り出してシュルムの手を握る。

 「…うん……」

 「その為にもきみはあまりここから動いてはいけない。わかるね?標的をあちらに向けておく必要があるんだ……」

 クラウンは立ち上がる。それを見上げるシュルムは雪原で彼に手を差し伸べられた時のように、神を見る目であった。

 「待ってる…ここで…」

 「そうしてくれるとありがたいよ」

 クラウンは優しく、女性を口説くように優しく言った。

 「でも……」

 「?」

 「なんで私にここまでの事をしてくれるの……?」

 シュルムはワンピースの裾を握って言った。助けてくれた相手にこれを聞くのも失礼だと思ったからだ。だが聞かずにはいられない。

 クラウンは少し間を置いて答えた。

 「僕たちはアマテル。不幸な運命のアプリエイターを救い出し、保護する組織だよ」



 ※※オーコックス・インダストリー社員寮※※



 リョウが目覚めたのは学校の始業時間がとっくに過ぎた9時だった。

 「…ははッ」

 人は寝坊を通り越してどうする事も出来ない時間まで寝ていると、どこかのキャラクターのような笑いが出てくるものだ。学校は諦めた方が良さそうだ。

 「うーん……」

 リョウは辺りを見渡す。どうやら自分の部屋ではなく、怪我人用の部屋のようだ。リョウの身体に色々と検査用の機械が取り付けられている。

 「眠るのをどうにかしないとな…ほんと」

 リョウはそう言いながら頭をポリポリと掻く。リョウのナノマシンの能力は生命力をエネルギー源にしている、それを消費しすぎると強制的に眠り落ちてしまうのだ。しかも、自力で起きるまでは外部からの刺激があっても起きることができないとソラノから言われた。

 とりあえずは誰かを呼ぶ為にナースコールを押す。勝手に機械を外すと何か容体が急変したかと思われるかもしれない。

 数コール程音が鳴ると誰かが出た。

 「……リョウか?起きたのか?」

 驚いた事にソラノだった。

 「お、う、うん。起きたよ。それより―――」

 リョウの言葉を待たずして一方的に切られた。

 「……」

 この時間にコールに応えるという事は学校は行っていないのだろうか?

 リョウがぼーっとそんなことを考えていると、部屋のドアが開く。

 そこにはソラノがいた。部屋着というか、ショートパンツにソラノらしからぬかわいいイラストの入ったTシャツを着ており、その上に白衣を着ている不思議な格好をしている。

 「なんでいるの?」

 まずはその質問。

 ソラノは一瞬溜めを作って。

 「……きみはバカだ」

 ソラノの口が【へ】の字になった。そのままソラノは部屋に入ってきて機械をいじり始めた。

 「気分はどうだ?」

 「うーん……まぁ、普通?」

 リョウはそう返事しながら、身体に取り付けられた機械を外してもらう。

 「そうか」

 「うん」

 ソラノは何か怒っているようで、その後は何も言おうとしない。機械の数値を確認して電源を落としていく。

 怒っているのはわかるが何に怒っているのかが全く分からない。とりあえず何か話さないと、いたたまれない。

 「昨日のアレは何だったの……?」

 「……それについてはあとで説明する。早く着替えて出て来てくれ」

 ソラノはリョウを見ることなく早口で言うと出口の方へ方向転換。リョウは慌てて口を開いた。

 「今日、服……かわいい!いつも部屋着そんなやつなの?」

 リョウは慌てたせいで一番関係ない事を言ってしまった。まぁ率直に一番思ったことなんだが。

 「……」

 ソラノは出口へ向かう足をピタリと止めて、ゆっくりとこちらを見た。じっとりとした目。

 「この前ミズキと買った……」

 「そっか……なんかソラノらしくない感じだったケド。ミズキが一緒だったなら納得するわぁ」

 それを聞いたソラノはまた間を置いて言った。

 「……。きみはやっぱりバカだ」

 「え」

 ソラノは今日一番の低い声で言って部屋を出て行ってしまった。

 「……また怒った?」

 結構褒めたつもりだったのだが…。

 「とりあえず着替えるか……」



 部屋を出て、少し歩いたところにあるロビーにソラノは待っていてくれた。

 「……」

 相変わらずムスッとしていてご機嫌は斜めのようだ。リョウが来たのを確認するとソラノはソファから立ち上がった。

 「こっちだ」

 「…うん」

 とりあえずソラノの後ろを歩く。

 「あ、学校に連絡…」

 「もう済んでいる」

 「……そか」

 二人はエレベーターの前へ着く。ソラノが下への呼び出しのボタンを押すとリョウは口を開いた。

 「真国とヤマトは?」

 「ん?」

 「真国とヤマトは学校行ってんの?」

 「ヤマトは昨日の騒ぎで負傷して治療中、ミズキはまともな警護がいないからここに居る。ガルムも治療中だ」

 「それって…大丈夫なのかよ!?」

 リョウは少し声を大きくしてしまった。

 「大丈夫だ。二、三日安静にしていれば問題ないはずだ」

 「みんなアレにやられたのか?」

 リョウがそう言うとエレベーターが着き、扉が開く。ソラノは先にエレベーターへ入る。リョウも後に続く。ソラノがこちらを向いてボタンを押して待っていてくれたので一瞬目が合う。

 「違うな。ヤマトとガルムはそうだが、ミズキは違う」

 「……?昨日ソラノと護衛の人たちしか駆けつけてこなかったよな?」

 エレベーターが閉まる。

 「自業自得だ。ミズキは自分でエレベーターと階段を破壊して出られなくなっただけだ」

 「真国らしいな……」

 エレベーターはそのまま下へ降りて行った。



 二人とも無言でいると、エレベーターは目的の階へ着いた。

 「……ん?」

 階数表示が【A】となっている。もちろんそんな階はない。

 「なにここ?」

 「地下7階の更に下だ。7階がグチャグチャだからな。本来は使わない区画だ」

 「グチャグチャって…」

 「半分はミズキが壊した」

 「あはは……」

 ソラノは慣れた手つきでエレベーターのパネルを操作、カードを通す。認証した音がしてゆっくりと扉が開いた。

 「こっちだ」

 ソラノはそそくさとエレベーターを出て通路を歩き出す。リョウもそれについて行く。

 内装は他の階とはさほど変わらないが、少しひんやりしていた。

 「んで?どこに行くの?」

 「……」

 ソラノはまた黙る。

 リョウは少しムッとした。一体俺が何をしたというんだ。

 それとなく聞いてみることにした。

 「ソラノ……。怒ってる?」

 「っ!」

 ソラノは急に歩みを止めた。そして、しばしの沈黙の後。

 「…あぁ……怒っている……」

 やっぱりそうか。しかし、なんで怒っているのか?など聞けるはずもない。聞いたらバカだ。リンに聞いてもまた前みたいに怒られるだろうし、ミズキになど聞きたくもない。

 「そうか……ごめん。なんか」

 「まぁキミにはなんで怒っているのかわからないだろうな?一回は我慢したんだぞ?」

 「ん?俺二回も怒らせた?」

 「そ、う、だ!」

 ソラノは再び歩きはじめる。

 「ほ、ほんとごめん」

 「もういい。次は気を付けるんだな!」

 「……おう」

 「だいたい、きみが言ったのだから、こうして私は此処ここに居るんだ。あまり私を怒らせないでくれ」

 声色が先程とは違う。少し明るい感じだ。一応許してくれたようだ。

 「え!?いやそれはソラノが言ったんだろ?此処に居たいって」

 「んなっ!」

 ソラノは勢いよくこちらを向いた。長くピンクがかった髪が美しく舞う。

 Tシャツとショートパンツがこの真っ白な明るい通路で、最大の威力を発揮した。綺麗な太ももと胸のふくらみがこれでもかというほど強調されて目に入る。ちょっと胸のキャラクターさん、変形しちゃってます。

 「あれはきみだぞ!?私は此処を離れようとしていたんだ!きみが此処に居ろと言ったから……!」

 ソラノの息を吸う音が聞こえた。少し唇を噛み、間を作った。そしてゆっくりと言う。

 「此処に居るんだ……」

 ソラノはそう消えそうな声で言うとリョウを見つめた。リョウも我に返ってソラノを見た。

 「……わかってるよ」

 リョウはそう言って頭を掻く。

 「ならばいい……」

 ソラノはくるりと回ってまた歩き始めた。

 「……」

 リョウは少し鼻息を漏らし、後ろをついて行った。

 少しソラノの背中が楽しそうに見えた。

 二人の足音だけが通路に響く。



 少し二人で通路を歩いたあと、ソラノは一番奥の部屋の前で立ち止まった。

 「ここ」

 ソラノは短く言うと扉の横のパネルを操作した。

 「ここでアレを説明してくれるの?」

 「見た方が早い」

 「…?」

 ソラノの表情はいつもの感じだったが少し、ほんの少し、いつもよりも強張っていた。

 部屋へのスライドドアが開く。

 ドアが開くとすぐそこにリンが立っていた。長い黒髪が白い部屋のせいで余計に目立つ。

 「おはよう」

 「おはようございます」

 部屋へ入るとリンがニコリと笑って声をかけてきた。リョウも普通にあいさつを返す。

 奥の方に目をやると、ガラス張りにされた部屋があった。

 「容体は?」

 あとから部屋に入ってきたソラノが言う。

 「安定してるわ、ナノマシンの再活性化の気配も見られない」

 「…ん?」

 リョウは一瞬、ヤマトとガルムの容体のことかと思ったがそれはすぐに自分で否定した。なぜなら、ガラス張りにされた部屋の中央にぽつんとベッドがあり、その上で少女が座って周囲を見回していたからだ。今の状況で言えば確実に彼女の容体を聞いているのだろう。

 少女は歳で言うと8歳くらいだろうか?綺麗なブロンドというかシルバーというか絶妙な色あいの髪。リョウがよく検査の時などに着ている黒い検査服を着ていた。

 「…リョウ」

 「ん?」

 「あのベッドに座っているのがだ」

 ソラノはいつものように表情を崩さずに言った。

 リョウは思わず聞き直してしまう。状況がつかめない。

 「はい?」

 「アモル・ベールアンヘル」

 ソラノがそう言いながらガラスへ近付く。すると、アモルと言われた少女はソラノの姿を見つけ、ニコリと笑った。そして、無邪気に手を振る。

 ソラノはそれに手を振り返しながら口を開く。

 「幻実げんじつのアプリエイターだ」

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