第25話




 2070年5月の最高気温は、朝だと言うのにすでに35℃を超えていた。

 「暑い…」

 少し長めの前髪を束ねて角の様にした稲葉リョウは、まるで原始人の様にうな垂れて朝の通学路を歩いていた。

 「今年の暑さはヤバい…。あー…」

 そう言いながらリョウは目を横にやる。隣には凛とした姿勢で歩く髪の長い長身の少女、ソラノ・ライスブレイド。

 肌は日焼けという言葉を知らないような真っ白。見ているだけで涼を感じられそうだ。たぶん。

 「…」

 ソラノはその涼しげな態度と表情でこちらをじとりと見た。

 「リョウ…。その台詞、今月に入って何度目だ?」

 「…さぁ…」

 「私が聞く限り、100回は超えているな…」

 「数えてたのかよ…」

 「1日10回以上は言ってるだろう?単純計算だ」

 ソラノはそう言うと、今まで歩く速度をリョウに合わせていたのか、そそくさとリョウを置いて先へ行ってしまった。

 「こらこらこらぁ!」

 そうリョウを追い越し、ソラノを追いかけるのはスカートの短さが眩しいボブヘアーのミズキだ。

 「ソラノぉ!一人でとっとと行かなぁい!」

 「…」

 ソラノは頬を膨らませてミズキを振り返る。

 「…その顔はかわいいけど許さないわよぉ?あたしが警護してるんだからッ!稲葉リョぉの近くにいなさい!」

 「…」

 ソラノは不服そうに歩く速度を落としていく。

 「稲葉リョぉ!」

 ミズキが今度はリョウに迫る。あまりの勢いに後ずさってしまった。

 「はい…」

 「あんた、ソラノを護るんでしょぉ!?ちゃんと傍にぃ!い!て!」

 ミズキはリョウの胸に指をトントン、と突きたてる。

 4月の展望公園での一件から、リョウは最強のナノマシンと言われている雷姫らいひめを倒したアプリエイターとして、世界中の組織から一目を置かれる存在となった。そして、同じアプリエイターであり、多くの組織からその身柄を狙われているソラノを護る為、戦うことを決めた。

 「わかってるよ…。ホントならこんな風に歩いたりも出来ないんだろ?」

 「そ、だ!か!ら!あたしが警護しやすいように歩いて!オーケぇ!!?」

 ミズキの顔面は唾が顔にかかるほどの至近距離だった。リョウは顔を赤くしてのけ反る。ていうか、かかってます。

 「汚ぇ!わかったから!りょーかい!」

 「ちっ!」

 ミズキは大きな舌打ちをして、もとの二人の後方に戻った。とても女の子の顔じゃない。どこかの軍隊の教官の顔だ。今にも「わかったか!このうじ虫ィ!」みたいなことを言ってきそうである。

 「…君のせいで…なんで私が怒られる…?」

 ソラノはリョウの隣に並んで頬を膨らませて言った。たしかにぶーっと頬を膨らませた顔はかわいい。

 「ソラノが一人で行ったからだろ?」

 「…」

 完全に無視、真正面を見ている。こうなるとしばらくは口をきいてくれない。諦めて歩くことにする。

 二人と後ろのミズキはいつものコンビニを曲がる。

 「お…」

 リョウは小さく声を漏らす。

 「稲葉くん、ソラノちゃん!おはよっ!」

 曲がった先に天使のように笑っているクラスメイトの湯野原雪羽ゆのはらゆきはがいた。柔らかい印象でこの暑さもソラノと別の方向で紛らわせてくれる。

 「おはよう、雪羽」

 先程と打って変わってソラノは笑顔。さっきまでのぶすくれ顔が嘘のようだ。

 「おはよう」

 リョウも普通にあいさつを返す。

 雪羽はリョウとソラノの顔を覗き込んだ。

 「どうしたの?」

 「「なんでもない」」

 二人は声を合わせる。一方は笑顔、一方は無表情。無表情はリョウ。しかし、いつまでも自分だけ機嫌悪そうにしていても、空気を悪くしてしまうので、話題を変えることにした。というか、気になったことを言った。

 「…それいつ食うの…?」

 リョウは、雪羽が両手いっぱいに持っているお菓子を指差して言う。そこのコンビニで買ったのだろうか。袋に入れて両手で持っているのに零れそうである。

 「…?」

 雪羽は一瞬考えて、口を開く

 「いつって…おひ…。ほ、放課後みんなで食べるの!」

 今、確実にお昼と言おうとしただろ。とは言えなかった。

 「ん?今、お昼休みに食べるって言おうとしたんじゃないのか?雪羽?」

 ソラノは淡々と言った。

 「お…い、ソラノ…」

 「ソラノちゃん!!」

 雪羽は顔を真っ赤にして、器用にお菓子を持ったままソラノの口を塞ぎにかかった。それを慣れた感じに避けるソラノ。聞いたところによると人を避けるために合気道を習っているらしい。

 「あっはっはっ!」

 後ろから様子を見ていたミズキが大笑いをしながらこちらに歩いて来た。本来なら会話が聞こえる距離ではないのだが、ミズキの頭に埋め込まれているホークアイで聞こえていたのだろう。

 「あっミズキ!おはよ!ソラノちゃんがね!」

 雪羽は、ふえぇと言いながらミズキの後ろに回る。そういう仕草マジかわいい。後ろに回られるイコール頼られてる感があってほんと回られたい。

 「ソラノぉ?女の子はいつでもお腹すいてるんだからぁ。気を使ってあげないとぉ」

 「そ、そうなのか…。すまない」

 ソラノは驚いてぺこりと頭を下げた。

 「謝らないで!」

 雪羽は更に顔を真っ赤にした。

 みんなが笑う。そして、一呼吸置いたあとにミズキは口を開く。

 「さっさと行くよぉ!あんまりだらだら話してたら遅刻するわよぉ」

 まるで幼稚園の先生のように手を叩いてみんなを急かした。

 そうだねと言いながら、みんなも学校へ歩き出す。

 ソラノが楽しそうに笑っていた。

 ミズキはその顔を笑顔で見る。

 「…ん?なんだ?」

 ソラノがミズキに気が付いた。

 「ううん?…何でもなぁい!ソラノが楽しいとあたしも楽しいよ!」

 ミズキは歯を見せてにっかりと笑った。



 「稲葉ぁぁぁぁぁぁ!」

 授業の合間の休憩時間。男にしては少し高めの声で話しかけてきたのは、リョウのクラスメイトの山田竜次だった。

 「んあ?」

 次の授業の準備をしていたリョウは、竜次の方を見ずに適当に返事をした。

 「お前今日空いてる?」

 「え?何で」

 リョウはこういう質問が来た時はだいたいは、空いていてもすぐに空いてるとは言わない。「空いているなら断らないでしょ?」と話を持って行かれやすいからだ。

 そんな思考を巡らせているとは思っていないだろう竜次は耳元に顔を近付けて来た。

 「誰にも言うなよ?」

 竜次の気持ち悪い吐息が耳にかかる。これがソラノだったらゾクゾクしていたに違いない。

 「なんだよ…」

 リョウは顔を反らして耳を掻く。後ろのミズキに目をやると、手を小さく振って「聞いてないわよぉ」と合図をする。恐らくミズキの能力なら嫌でも聞こえているだろうが。それとも必要に応じて能力をシャットダウンできるのだろうか。

 一応それを確認したリョウは改めて聞いた。

 「言わね―よ。で?なんだよ?」

 「…あのな?」

 また顔が近付いてくる。リョウは顔面を掴んで止める。

 「そこで喋れ」

 「この位置じゃダメなんだよ!」

 竜次は妙に緊張している。リョウの肩を掴んで席を立たせ、クラスの端に連れて行かれる。

 「…なんだよ…」

 傍から見るといかにも怪しい。俺はそんな趣味じゃないぞ。

 「あのさ…。今日の帰り、買い物付き合ってくんない?」

 「今日?」

 「そ、今日」

 「…うーん…?」

 「なんだよ…付き合い悪いな」

 竜次は少しムッとする。

 「しょうがねぇだろ…」

 今のリョウには行動制限が付いている。行動には監視がついているし、基本的には帰る時間も決まっている。あまり遅くまでは遊んでいられないのだ。別に帰る時間さえ守れば何をするのも自由なのだが、監視されているのに遊んだりする気にもなれない。

 「お願いだよ!」

 竜次は珍しく食い下がり、手を合わせる。

 「…何かあんの?」

 とりあえず理由だけ聞いてみることにした。これだけ食い下がるのだ、何か理由があるのだろう。

 リョウは腕組みをして聞く姿勢があることを伝える。

 「あ…あのな…」

 竜次はゴクリと喉を鳴らしてから口を開いた。

 「お前、今度水族館が出来るの知ってる?」

 「…?あ、あーなんだっけ?地下の最下層部に出来るんだっけ?」

 新しく出来る水族館はニュースでもネットでも話題になっていたので、リョウも一応は知っていた。なんでも、ユニットの中層から最下層部にできて、しかも超巨大な水槽部分がユニットの底辺から露出しており、空中に浮いた海のような幻想的な気分と景色を楽しめると言う。

 「で?そこがどうしたの?」

 「うん、そこが来月オープンなんだけど、その前に今月、プレオープンがあるらしいんだよ!」

 竜次は興奮気味だ。

 「おう…。で?」

 「そこに誰と行くかはわからないけれど!湯野原さんが行くらしい!!」

 「…ん?で?」

 興奮を抑えきれずに言ったセリフへのリョウの反応に竜次は納得いかなかったようだ。

 「い、いや、今のところは「おおおお!」とか「でかした!」とかじゃねぇの?湯野原さんのお出かけ情報だぞ!?普通手に入らないんだぞ!?」

 「…ていうか、なんでそんな情報知ってるの?」

 当然の疑問をぶつけてみる。まさかストーカー紛いな事でもしたんじゃなかろうかと心配になる。そのときは黙ってミズキにお知らせしておこう。

 竜次は少し固まったあと、口を開く。

 「おい、稲葉…そこはうちの高校の暗部の話だ…気を付けろ!」

 興奮気味で意味が解らない。目が座っている。

 「この高校にはな、恋愛応援同好会ってのがあるんだよ…」

 「…」

 もう喋ってる姿とか名前とか胡散臭い。竜次は続ける。

 「その同好会に頼めば、遊びに行く予定なんて千円くらいだ」

 「金取るのかよ」

 とんでもなく胡散臭い。リョウは話を切り上げにかかる。

 「で?結局何なんだよ?」

 「俺もチケットを手に入れた!」

 「おぉ…それはすげぇ!」

 プレオープンのチケットなんて関係者じゃない限り簡単には手に入らないはずだ。それは素直にすごいと思った。

 「俺はそこでばったりと湯野原さんに会って、かっこいい自分を見せたい!」

 「…ん?」

 何を言っているんだろうか、急に自己啓発に熱い男のように見えてきた。

 「だから、かっこいい私服とか着てさ『山田君って日頃はあんなのだけど、プライベートはこんなにかっこいいんだぁ』って思わせる作戦なんだよ!」

 日頃はあんなのって思われてる時点でイカン気がする。

 「…それで服の買い物付き合ってくれって?」

 「そうそう!お前結構いい感じの持ってるじゃん?前からいいなぁって思ってたんだよ!」

 そう思っていたのか、やっぱこいつそっちの気があるんじゃないか?リョウは少しためを作って竜次を落ち着かせて言った。

 「その前にさ…。湯野原さんが誰とそのプレオープン行くのか調べた方がいいんじゃないの?デートだったらどうすんだよ」

 「…あ」

 竜次が小さく、ホントに小さく言った。

 「…今度さりげなく聞いてみれば?」

 「なんでその情報知ってるのかって思われて、怪しまれる」

 何故その勘繰りというか思考が最初の段階で働かなかったのか…。

 「でも、行くんだろ…?」

 竜次はコクリと頷く。なんだかかわいそうになってきた。帰りが遅くなるのはミズキに言っておけば問題はないだろうし、付き合ってやることにした。

 「チケットはせっかく手に入れちゃったんだし…。付き合うよ…」

 「ありがとう!稲葉!じゃあ湯野原さんが誰と行くかも聞いてくれ!」

 「調子に乗るなっ!」

 リョウの声が教室に響いたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る