第19話
違法魔法薬の一件から2日が経つが、違法魔法薬に関する報道は一切される事は無かった。
結愛の父親が負傷した事件については管理局が犯人を逮捕したと言う程度で、犯人が未成年と言う事もあり、大事にはならなかった。
風見山での戦闘に関しても報道は徹底的に規制されて公になる事は無かった。
「はよ」
結愛は総真と寮に戻った後は自室のベットで横になりながら、今後の事に付いて考えていたらいつの間にか寝てしまい気づいたら朝になっていた。
相当な事件寝ていたためか、起きてからも少しボーっとしている。
「昨日はどうしたんだよ? それにその怪我も」
食堂に先に来ていた斗真や鷹虎を挨拶をかわすと、斗真が結愛の怪我の事を尋ねる。
昨日、総真と共に学校を休んでいたが、火凜は公欠と言う事以外は何も教えてはくれなかった。
「少しな……」
斗真たちに軽く挨拶をした結愛は食堂を見渡す。
食堂にはちらほらと寮生の姿がある。
そこで結愛は目当ての人物を見つけた。
「悪い。後でな」
そう言い残して結愛は目当ての人物である総真の方へ歩いて行く。
総真は一昨日の事などまるでなかったかのようにいつも通りで、いつも通り穂乃火と晶と朝食を取っている。
「総真。少し良いか?」
「総真?」
話しかけられた総真は食事の手を止めて視線を結愛の方に向ける。
相変わらずの無表情だが、手を止めて視線を向けている為、話しを聞く気はあるのだろう。
同時に穂乃火は結愛が総真の事を下の名前で呼んだ事に反応している。
「もうすぐ期末テストがあるだろ。悪いけど、アタシに勉強を教えて欲しい」
色々あり結愛は将来的に管理局に勤めてこの町を守ると言う将来的な目標を見つけた。
それに際してまずすべき事は勉強だ。
今までは勉強等全くと良い程して来なかった。
中間テストでの成績を見て鷹虎たちが良く入学試験に合格したなと驚いた程だ。
総真が返事をするよりも早く、話しを聞いていた穂乃火が立ち上がる。
「兄さんの手を煩わせる必要はありません! 勉強でしたら私が教えます」
「気持ちは有難いけどさ。アタシは他の連中よりも馬鹿だから、これ以上手間をかけさせる訳にもいかない」
「それは……」
穂乃火は放課後等にクラスメイトに勉強を教えている。
結愛の前回のテストの点数までは知らないが、少なくとも平均よりもだいぶ下だと言う事は分かっている。
そこに結愛が加わった場合、穂乃火は結愛に付きっ切りで教える必要も出て来て、他の生徒に手が回らなくなりかねない。
それを避ける為にも結愛は穂乃火ではなく総真にお願いしている。
結愛もそう言われてしまえば言い返す事も出来ない。
「……俺は構わない」
「マジか。サンキューな」
総真が答える。
総真が良いと言う以上は、これ以上は穂乃火は何も言えない。
穂乃火にとっては総真に勉強を見て貰うと言うのは高校生活を起こる上での憧れの一つだった。
今まではまだ授業の内容はさほど難しくは無い為、総真に勉強を見て貰う口実にする事は出来ず、総真の手を煩わせたはいけないと思い我慢して来た。
それをいとも簡単に結愛がお願いすると言うのは面白くはない。
しかし、結愛自身は総真に勉強を教わると言う事自体に何も下心はないと言うのも理解している。
これが、勉強を口実に炎龍寺家の次期当主である総真に取り入ろうと言うのであれば、穂乃火も口を出せたが、結愛の場合は本当に成績が悪く勉強を教えて貰いたいだけなのだ。
個人的な感情としては面白くはないが、勉強は学生の本分である以上はそれを全うしようとしている結愛を止めると言う事は炎龍寺家の娘としては出来る筈もない。
穂乃火はやりようのない感情を抑えながら座る。
「また後でな」
用事を済ませた結愛は斗真たちの方に戻って行く。
「若様。お嬢様もクラスメイトの勉強を見ているせいで少なからず自分の勉強に影響も出かねません。よろしければ本郷さんと一緒にお嬢様の勉強を見て上げてはどうでしょう?」
その様子を見ていた晶が助け舟を出す。
晶も総真に勉強を見て貰う事に穂乃火が憧れを持っている事は知っている。
「そうなのか?」
「……いえ。大丈夫です。兄さん。これしきの事で成績を落としていては炎龍寺家の娘の名が廃ります。兄さんは私の事など気にする必要はありません」
「そうか」
穂乃火は明らかに強がっているが、総真は気にした様子もない。
実際、穂乃火の勉強の方は何一つ問題はない。
だが、晶からすれば結愛一人の勉強を見るのもそこに穂乃火が加わるのも総真からすれは大して変わらない。
その必要は無くとも、せっかくの機会だから少しくらい総真に甘えても良いと思っての事だが、穂乃火は必要もないのに自分が総真の手を煩わせると言うのは嫌らしい。
昔のように離れて暮らしていた時ならともかく、今は同じ屋根の下で暮らしている。
穂乃火は何年も総真と離れて暮らして来て色々と我慢して来た。
少しくらいは我がままを言っても良いと思うが、穂乃火はそれを望まない。
晶の立場ではこれ以上、余計な事を言う訳にもいかなかった。
結愛が総真から勉強を教わり数日が経った。
その間に検査入院をしていた美雪も退院していた。
期末テストが始まるも、全体的に誰もが余裕を持ってテストに臨む事が出来た。
「……ようやく終わった。今回は全教科50点は固いな」
「いや、学年主席と毎日勉強して半分しか取れないってとんだけだよ」
筆記のテストが終わり斗真たちは僅かばかりの解放感を味わっていた。
斗真は前回とさほど変わらない手ごたえだが、結愛はだいぶ手ごたえを感じているようだ。
それでも、学園上位をキープしている美雪や平均的な成績である鷹虎やライラからすれば、総真とマンツーマンで勉強を教わって置きながら半分くらいしか出来ていない事は驚きだ。
「まぁ過ぎた事はどうだって良いさ。俺達にとってはこれからが本番だからな」
「だよな。実技のテストならアタシも自身はあるね」
期末テストは筆記試験の他に実技の試験も行われる。
実技試験は1対1での実戦形式の模擬戦で行われると聞いている。
模擬戦形式と言っても名ばかりでクラスの大半はまだ実戦を経験していない。
その為、試験は勝敗は関係なく、実質的には1対1ではなく2人1組で自分の使える魔法を軽く火凜に見せて成績を付ける。
「余り余裕を見せてはしゃいでいると痛い目を見るわよ」
実技テストに自信満々な二人に復帰した美雪が釘を差す。
少しの間だけだが、美雪が冷静な物言いが懐かしく思えてくる。
「まぁ、相手次第だよな。クラスの大半が実戦経験がないけど、中には炎龍寺とかみたいに次元の違う奴とかもいるしな」
実戦経験のない相手とやる場合は流石に本当に実戦形式でやる訳には行かない。
相手は自分達では選べない為、相手が総真だと話しは違ってくる。
勝敗は成績に関係ないと言っても、勝敗がある以上は勝ちたいのは当然だ。
だが、総真が相手の場合は、他のクラスメイトとは違い勝算は一気に無くなる。
「尤も炎龍寺の若様の生け贄になるのはクラスで一人だけなんだ。今から気にしていても仕方が無いだろ。それよりもさっさとグラウンドに移動しようぜ」
鷹虎が冗談を交えて締めると斗真たちは実技試験の会場であるグラウンドに移動する。
グラウンドに到着すると観客席にはちらほらと生徒達の姿が見える。
まだ、試験開始の時間ではない為、クラス全員はいないが、少し見渡した限りでは明らかにクラスメイトではない生徒もいる。
「おーい! 鷹虎! こっち空いてるよ!」
「香羽ちゃん? 何でいる訳」
開始時間まで観客席で時間を潰そうとしていると、観客席に座る香羽が鷹虎に手を振りながら大声で呼んで来る。
「先輩を付けない全く……」
香羽は軽く鉄扇で鷹虎をどつく。
実技試験は学年ごとに日にちが違う。
今日は鷹虎たち1年生の日で他の学年の生徒は授業は休みとなっている。
「知り合い?」
「まぁな……3年の鳳香羽、ちゃ……先輩」
鷹虎は皆に香羽の事を紹介する。
斗真たちも軽く会釈をした。
鷹虎とは学園に来てからの知り合いにしては気安い為、それ以前からの知り合いだと言う事は雰囲気から察する事は出来る。
そうなると、香羽もまた鷹虎と同じなのだろう。
流石にその事を深く追求する事は誰もしなかった。
「そんな事よりも何で香羽ちゃんがここにいるのさ。今日は俺達のテストの日だろ」
「だからよ。噂の炎龍寺家のお坊ちゃんを見に来たのよ」
それが香羽がここに来た理由らしい。
香羽のみならず、グラウンドの観客席にいる上級生たちは皆そうなのだろう。
炎龍寺家の跡取りである総真はいずれ自分達が魔導師として活動する上で自分達の上に立つ人物だ。
今でも何度か結愛を相手に組手の相手をして来たが、今回は公にその実力を見せる機会だ。
総真の実力を見る為にわざわざ休みにも関わらずグラウンドまで来ているのだ。
「成程ね……まぁ炎龍寺の奴は別格だよ。本当に」
「それは楽しみね」
鷹虎たちも観客席に座り時間が来るのを待つ事にした。
時間が経つにすれて、観客席にはクラスメイトも集まって来る。
特に席が決まっている訳ではないが、クラスメイトは皆自分達の班ごとに集まっている。
やがて、時間となりグラウンドに火凜が出て来る。
火凜は実技試験の試験官であると同時審判でもある。
名ばかりの実戦形式とはいえ、多少の怪我は付き物だが、組み合わせによっては模擬戦が白熱して大けがに繋がる危険性もある。
その為、テストはどちらかが負けを宣言するか、火凜がこれ以上は必要ないと判断した時点で終わる。
「誰と当たるんだろな。今から緊張して来た」
そう言う斗真だが、どこか楽しそうにしている。
筆記試験は散々だったが、実技の方にはそれなりに自信を持っているからだろう。
火凜は予め説明を受けていた試験のルールと再度説明する。
「これより実技試験を開始します。呼ばれた生徒は速やかにグラウンドまで来るように。まずはE班、大神鷹虎。A班、神代照」
「おっ。トップバッターは大神か」
名前を呼ばれて鷹虎は立つとグラウンドに向かおうとする。
「頑張んなさいよ!」
「ほどほどにね」
香羽の激を軽く流して鷹虎はグラウンドに向かう。
鷹虎がグラウンドに出て来た時にはすでに相手の照は到着していた。
「さて……」
鷹虎は照と対峙する。
その手にはすでに呼んでおいたアウラが握られている。
実技テストで神器を使うのは卑怯だとも思ったが、相手の実力が分からない以上は念の為に使う事にした。
尤も流石に装甲形態はテストで使うには危険過ぎる為、絶対に使う事は無いが。
「よろしくお願いします」
「こっちこそ」
照は軽く頭を下げる。
鷹虎もアウラを構える。
「それでは始め!」
火凜がテスト開始の合図を告げた。
鷹虎も照もまずは動く事は無かった。
(まずはどうするかな……)
鷹虎もすぐに仕掛けると言う事はしなかった。
相手の照はA班の中では最も影が薄い。
炎龍寺家である総真や穂乃火、常に二人に付き従う晶はクラスでも中心となり、そこにいまどきの女子高生を体現したかのような涼子。
そんな中でも照は地味の一言に尽きる。
鷹虎が多少手加減をしても照の実力によっては下手をすれば大けがを負わせる危険性がある。
しかし、地味でも彼女は総真たちと同じA班の一員だ。
少なくとも筆記テストの成績は上位である。
(鷹虎! 下!)
どうしかけるか考えていると不意にアウラが警告して鷹虎はとっさに背後に飛び退いた。
すると、鷹虎が今まで立っていたところに下から岩の柱が飛び出して来た。
「あっぶね……」
(次来るわよ)
アウラの言葉通り、鷹虎の足元から岩の柱が次々と出て来て鷹虎は回避に専念する。
(地味でもA班って事か)
(それにあの女大人しそうな顔して嫌らしい攻めをして来るわね)
岩の柱を出しているのは照である事は疑う余地はない。
その上、照の攻撃はただ鷹虎の足元から岩の柱を出している訳ではない。
鷹虎の真下から出すのではなく、微妙にずらしている。
そうする事で鷹虎がどの方向にかわすかをある程度はコントロールしている。
(こいつらは全部俺の動きを制限する為の布石か)
(で、どうする? 鷹虎)
今まで出した岩の柱も未だにグラウンドに残り続けている。
それれらは障害物として鷹虎の動きを制限し続けている。
つまりは今までの攻撃は全て鷹虎が避ける事を前提としたもので、本命の攻撃を残していると言う事だろう。
(仕方が無い。少々面倒だが、この手の相手には力技の強硬突破に限る)
(だよねぇ)
鷹虎は戦闘方針を決めるとアウラを強く握る。
そして、アウラを振るう。
周囲にアウラが風を巻き起こして、照が出していた岩の柱を全て跡形もなく吹き飛ばす。
「色々とやったところ悪いな」
吹き飛ばした岩の柱を再び出される前に、鷹虎は照との距離を一気に詰めてアウラを突き出す。
「……降参よ」
アウラを突きつけられた照は拍子抜けするくらいあっさりと負けを認めた。
照が負けを認めた事で鷹虎も構えていたアウラを下す。
「ふぅ……諦めが良くて助かったな」
場合によっては更に抵抗される事も想定していたが、接近した時点で負けを宣言してくれたのは鷹虎にとっても助かった。
テストも終わり鷹虎も観客席に戻って行く。
観客席に戻るまでにアウラは人型に戻り、テストには興味はないのか一人でどこかに消えてしまっている。
「まずは俺達の一勝だな!」
「いや、これ団体戦じゃないんだけどな」
観客席に戻ると斗真が鷹虎が勝た事をまるで自分が勝ったかのように喜んでいる。
テストの成績は個人ごとにつけられる為、鷹虎が勝ったところで斗真の成績には何の影響もない。
それでも鷹虎は悪い気はしていなかった。
「アレが噂に聞く神器ね……大した物ね」
「まぁな」
鷹虎が神器を使っての戦いは香羽も初めて見た。
相手があっさりと負けを認めた為、神器の力は殆ど使ってはいないが、それでも香羽は神器の力が相当な物だと言う事は分かっていた。
「よし! 俺達も大神に続かないとな」
斗真は鷹虎が勝った事で気合を入れ直す。
一方、あっさりと負けを認めて戻って来た照の前に穂乃火が仁王立ちしていた。
「神代さん。何ですか、今のは……幾らなんでも諦めが早すぎるのではないですか?」
中距離で戦う事を得意とする照にとっては接近戦は苦手である事は穂乃火も分かっている。
それでも照の諦めの早さには一言言わずにはいられなかった。
だが、照は余り気にした様子は見られない。
「問題はない。大神に距離を詰められた時点で神代には勝ち目はなかった。勝ち目がないのにあれ以上引き延ばす必要もないだろう」
更には総真が照の判断を支持した事で穂乃火は黙るしかない。
確かに照は諦めが早いが、逆にいれば状況を素早く把握したうえで判断を下したとも取れる。
逆転の策があるならともかく、照は元々単独で戦うよりも中距離から地属性の魔法を駆使して援護を得意としている。
その為、距離を詰められて接近戦に持ち込まれた場合はどうする事も出来ない。
これが実戦で何としても足掻く必要があるのならともかく、テストである為、勝ち目が無くなった時点で無意味に足掻くよりも潔く降参すると言う判断もまた成績を付ける上での加点
要素になる。
「そんな事よりも次はお前の番だぞ。穂乃火」
グラウンドの整備も終わり、次の組み合わせが告げられていたが、照に文句を言っていた為、穂乃火は聞いていなかったようだ。
総真に指摘されて穂乃火はすぐにグラウンドに向かった。
「まさか、アンタと当たる事になるとはな」
「そうですね」
穂乃火の模擬戦の相手になっていたのは結愛であった。
観客席でのやり取りや、試験勉強の事もあり穂乃火は少し機嫌が悪い。
「炎龍寺妹には悪いけど、勝たせて貰う」
鷹虎が勝った事で同じE班としては勢いに乗りたいところではあった。
火凜がテストの開始を告げると同時に結愛が穂乃火に突っ込もうとするが、それを穂乃火は素早く太もものホルスターに収められている銃を抜いて牽制の魔力弾を撃ち込む。
「っと!」
それを結愛は回避する。
「まずは先制を取りましたね」
「そうだな。あの手のタイプを相手にする上で重要なのは勢いに乗せない事だ」
穂乃火の攻撃はかわされたが、それ自体は構わないと総真は見ている。
結愛は典型的な近接戦闘特化タイプで、特に爆発力に長けている。
この手の魔導師は一度勢いに乗せると実力で劣っていても勢いで押し切り格上の相手にも勝つ事もあり得る。
だからこそ、ダメージは無くとも相手の勢いを殺す事が最も重要とされる。
その点、穂乃火の初手は結愛の勢いを殺すには十分な攻撃であった。
「やってくれるな」
体勢を整える結愛に穂乃火は休む事なく火の弾丸を撃ち込む。
結愛も一か所に留まっていては防戦一方になる為、とにかく動いて穂乃火の射撃をかわし続ける。
隙を見つけて距離を詰めようにも、穂乃火は両手の銃から時間差をつけて撃って来ている為、そう易々とは距離を詰めさせては貰えない。
「私に勝つんじゃないんですか?」
「うっせ」
穂乃火にはまだ余裕が見られる。
一方の結愛は攻撃をかわす事で精一杯だ。
「しゃぁねぇ!」
時間を長引かせれば常に動いている結愛の方が体力が尽きるのは早いだろう。
長期戦になれば不利になると考えた結愛は覚悟を決めて打って出る事にした。
今までは避ける事に専念していた結愛だが今度は一直線に穂乃火の方に突っ込みだした。
穂乃火はそれに臆する事無く結愛に集中砲火を浴びせる。
「あっち! けど!」
火の弾丸が結愛を掠め、多少の被弾は覚悟の上で突っ込み穂乃火との距離を詰めていく。
「っ!」
「ここはアタシの間合いだ!」
遂には結愛は穂乃火の攻撃を突破して攻撃が届く距離まで詰める事に成功した。
拳に集めていた魔力を火へと変換した結愛は思い切り穂乃火に殴りかかる。
穂乃火もとっさに両手の銃で結愛の拳を受ける。
防御は成功したが、攻撃を受け止めた際に火が燃え上がる。
穂乃火は全身を魔力で覆い難を逃れると一度距離を取ろうと下がる。
「逃がすかよ!」
それを結愛が追撃する。
ここで距離をとられてしまうと折角、捨て身で距離を詰めた事が無意味となってしまう。
結愛にとってはここが勝負の決め時であった。
穂乃火を逃がすまいと突っ込む結愛であったが、この時結愛は気づいてはいなかった。
穂乃火の雰囲気は普段とは違うと言う事に。
「コイツで!」
対して距離を取る事をさせずに結愛は続けざまに追い込もうと拳を突き出す。
だが、その拳が穂乃火を捕える事は無かった。
突然、下から何かが結愛の拳を上に弾いた事は結愛にも理解は出来た。
しかし、それが何かと言う事を理解出来たのは結愛の拳を穂乃火が蹴り上げて、その蹴り上げた足を穂乃火が引っ込めて、そのまま結愛の顔面に蹴りを入れる直前だった。
防御すら出来ず結愛は穂乃火に顔面を蹴り飛ばされて大きく吹き飛ばされた。
「……妹さんってあんな事も出来たんだ」
観客席では涼子が結愛の顔面を容赦なく蹴り飛ばした穂乃火に軽く引いていた。
だが、総真はともかく晶も驚いた様子はない。
涼子も穂乃火が中距離での射撃戦を得意とする事は知っている。
中距離での戦いを得意とする魔導師は基本的に近接戦闘が苦手だと言うのが一般的だ。
涼子も当然、穂乃火は近接戦闘が出来ないものと思っていた。
しかし、結愛を蹴り飛ばした一連の動きはどう見ても近接戦闘が苦手な魔導師の動きではない。
「アイツは自分の戦闘スタイルは近接戦闘が苦手であると自覚している。だからこそ、相手が接近戦を仕掛けて来る事も想定して最低限の体術は学んでいる。本郷程度の相手なら接近戦
でも十分に対応は出来る」
距離を取って戦う事が得意な魔導師が近接戦闘が苦手だと言うのは一般的な常識だ。
だからこそ、そんな魔導師が取る手段として大きく分けると2つある。
照のように接近戦を捨てて、決して距離を詰められないように戦うか、穂乃火のように距離を詰められた事を想定して最低限の接近戦の手段を用意するかだ。
どちらを選ぶかは魔導師次第でどちらが正しいとは言えない。
「……ってぇ……マジかよ。お嬢様の蹴りじゃねぇぞ」
吹き飛ばされた結愛は何とか立ち上がる。
顔面に蹴りを食らった事で鼻血を出しているが、それに構っている余裕はない。
接近戦に持ち込めば優先になると思っていたが、穂乃火の蹴りは緊急的に放った物ではないと言う事は受けた結愛には良く分かる。
かといって距離を取ったままで戦っても勝機は無い。
どの道、厳しい戦いになるのであれば自分の得意とする距離で戦った方がマシだと結愛は再び拳を握る。
「……私に勝つ……」
闘志を失わない結愛に対して穂乃火はポツリとつぶやく。
「……その程度で?」
タイミングを窺っていた結愛も穂乃火の様子がおかしい事に気が付いた。
「兄さんの見ている前で、こんな無様な姿を……調子に乗にのんな!」
それはクラスの女子の中心で良く大きな声を出している普段の声ではなく明らかな怒気を含んだ叫びであった。
一瞬、気圧されそうになるも結愛は耐えて突っ込む。
穂乃火は突っ込んで来る結愛に対して魔力弾を放つ。
結愛は正面から受けて耐えようとするが、魔力弾は結愛に当たる直前で水へと変わり、結愛は頭から水を被り、拳の火も水で消されてしまう。
魔力弾を真っ向から受ける気でいた、結愛も急に魔力弾が水に変わって事に驚くが、すでに穂乃火が撃っていた魔力弾が結愛に迫っていた。
そして、迫る魔力弾は今度は雷へと変わると、結愛に直撃して、結愛は体の自由が奪われる。
「火だけじゃなくて水や雷も……あの子は3つの魔力属性を持っているの?」
「いや、それに加えて風と地の5つだ」
「嘘でしょ……それをあのレベルで」
涼子はただ唖然としていた。
魔導師が魔力の属性をたまに2つ持っている事はある。
更に3つの属性を持つ事も稀にある。
しかし、総真の言葉を信じるなら穂乃火は光と闇の属性を除く基本的な5つの属性を全て持っている。
魔力の属性自体は生まれた時に決まり、訓練で新しい属性の魔法を身に着ける事は不可能だ。
その上、複数の属性を持つ魔導師の悩みとしては一つ当たりの属性の伸びしろが余りないと言う事だ。
だが、今の攻撃を見る限りでは火以外の属性も実戦で十分に使えるレベルだ。
(炎龍寺の双子の普通の方とか上級生には言われているみたいだけど、あの子も紛れもなく天才じゃない)
1年生では言われていない事だが、上級生の間では穂乃火は天才の兄と比べると普通だと言われている。
圧倒的な力をこの歳で持つ総真が天才である事は紛れもない事実だが、同様に5つの属性を高いレベルで使える穂乃火もまた天才だ。
少なくとも複数の属性を実践で使えるレベルで会得した魔導師は魔導師の歴史の中に名を残しているのは光や闇の属性も含めて全ての属性の魔法を使えたと言われている始まりの魔法
使いこと、アドルフ・アークライトのみだ。
(でもその才能が評価される事はないでしょうね。不幸にも双子の兄はそれ以上の才能を持った化物なのだから)
それだけの力を持っているのにもかかわらず、穂乃火が天才と呼ばれない最大の理由は総真だ。
幾ら才能に恵まれていても、総真の存在がそれを霞ませている。
穂乃火にとっては、自分以上の圧倒的才能を持った兄がいる事こそが最大の不幸なのかも知れない。
そんな事がある事を知るよしもない穂乃火は体の自由を奪われて倒れかけていた結愛に追撃を始めていた。
魔力弾を風に変化させて、結愛の体を浮き上がらせた。
(やべぇ……体の自由が効かねぇ)
結愛は意識は残っているが、体の自由が効かず穂乃火の成すがままだ。
体を数メートル浮かせたところで、結愛は重力に引かれて降りて来る。
結愛も微かに残る意識の中で地面に叩き付けられる事を覚悟していた。
しかし、結愛は地面に叩き付けられる事は無かった。
穂乃火は結愛が地面に激突するよりも早く、結愛の落下地点に魔力弾を撃ち込み、そこから土の壁が出て来て結愛に直撃した。
土の壁が地面に戻って行くと結愛の体も地面に落ちて倒れる。
地面に倒れる結愛は全く動く事は無い。
誰もが穂乃火の勝利を確信するが、穂乃火は倒れて動かない結愛に銃口を向ける。
「そこまでです」
穂乃火が更に追撃をしようとしていた事を察した火凜が穂乃火の銃を抑えて止める。
止められた事で穂乃火は火凜を睨むが、火凜は動じた様子はない。
「これ以上はやり過ぎです」
今までは実戦ならばあり得る範囲の事で、結愛自身もある程度は実戦経験がある為、火凜も止めはしなかったが、これ以上はやらせる訳には行かない。
「……っ」
穂乃火は止められて冷静さを取り戻し、無言で銃を下す。
そして、倒れている結愛の方を見る事なくそそくさと戻って行く。
「結愛の奴……大丈夫かよ」
結愛の模擬戦を見ていた斗真たちも心配を隠せない。
穂乃火の事を侮っていた訳ではないが、最後は一方的な戦いだった。
観客席も静まり返っている。
上級生たちも穂乃火の事はどうでも良く、総真の戦いを見に来ていた。
だが、炎龍寺の双子の普通の方だと思っていた穂乃火が少なくとも自分達以上の才能と実力を持っていると言う事はこの模擬戦で十分に見せつけられた。
「あれで普通の方とか詐欺じゃん」
「俺、結愛の様子見て来る」
タンカで運ばれて行く結愛を見て斗真が立ち上がる。
命に別状はないが、軽い怪我ではないのは素人でも分かる。
立ち上がる斗真を鷹虎が止める。
「結城はまだテストがあるだろ。俺が入って来る」
すでに鷹虎の番は終わっている。
結愛に付いていたせいで自分のテストに間に合わないような事があれば結愛も自分を責める事は分かり切っている。
「……分かった。任せた」
「ああ。結城も少しは落ち着いておけよ。そんなんじゃ実力を発揮できないからな」
鷹虎はそう言って医務室に向かう。
結愛に圧勝した穂乃火だが観客席に戻る足取りは重く、表情もくらい。
観客席に戻ると、総真から少し離れたところに座る。
「……何だ今のは」
総真がそう言い穂乃火はびくりとする。
「格下相手に油断して相手の実力を見誤り反撃を受けて、その上で八つ当たりで必要以上に攻撃をする。お前は今まで何をして来た」
総真に対して穂乃火は何も言い返せない。
総真の言っている事は全て穂乃火も自覚していることだ。
穂乃火と結愛の間の実力差は大きく、始めからまともに戦っていれば結愛は何も出来ずに負けていた。
だが、穂乃火は実力差を分かっているが故に油断した。
そのせいで距離を詰められると言う失態を犯し、その醜態を総真の前で見せた事で切れて結愛を模擬戦である事も忘れて必要以上に攻撃を与えた。
「常に全力を出す必要はない。だが、相手の実力を見誤り油断すれば格下だろうと覆すと言う事は実戦ではあり得ない事ではない。そして、これが実戦ならば敗北して次の機会などはな
い」
相手が格上の魔導師を相手に逆転勝利をするケースは実戦においては何度も報告されている。
その際の要因の一つが相手が格下だからと舐めて油断していたお陰だと言うのがある。
今回は最後には圧倒していたが、場合によっては負けていた可能性もあった。
実戦での敗北は最悪の場合は死だ。
生きていれば次の機会もあるかも知れないが、死んでしまえばその機会も訪れる事は永遠にない。
「だが、これは模擬戦でお前には次がある。次は同じ失態を犯すなよ」
「……はい」
穂乃火は俯きながら泣きそうな程声を震わせて返事を返す。
それ見ていた晶も今回ばかりはフォローのしようは無い。
ここで下手に甘やかすことは簡単だが、それでは意味がない。
今はただ、穂乃火が今回の失敗を糧にする事を祈るしかなかった。
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