第13話 覚悟

 ついに、この日が来た。先の王都襲撃より数日。ナタリアは、ヴィルヘルムと結婚式を挙げ得ることになっていた。更に、同時にアイラも妾として愛することを宣言するという。


「ようやくね」


 そのあとは、ヴィルヘルムには悪いが、少しだけ暇をいただくことにする。そう、やり残したこと、やらなければならないことがあるのだ。


「…………本当に、よろしいのですか」


 ふと、背後に立っているクリスがナタリアへと問いを投げかける。本当に、これで良いのかと。珍しいことであった。彼は、ナタリアのやることに従う。命令には絶対遵守で応える。

 どんなことでも疑問を言う事はなく、ただ従ってくれる。その忠誠にどれほど助けられたかは、言葉では言い表せないほどであった。


 そんな彼が、そう聞いてきた。珍しい事だった。子供の頃は多かったが、成人を控えた今では珍しい。


「いえ、申し訳ありません。失言です。お忘れください」


 すぐに否定したが、


「良いのよ。たぶん、誰もが思う事なのでしょうから。ああ、良いわ。そこそこ」


 一仕事終えて、クリスに肩を揉んでもらいながらナタリアは先ほどの彼の問いに答える。


「それで、貴方の問いだけれど、良いのよ。わたくしにとってあの子はとても大切な子だから。わたくしがやらなければならないのよ。たとえ一人でも、死ぬことになっても。わたくしは、あの子の幸せと平穏の為にこの命を使うと決めていますから」

「それは……」


 クリスの手が止まる。どうしたのかと、振り返ると、彼の目には涙が溜まっていた。いつもと変わらないメイド服姿。

 けれど、いつとは違って、その耳は垂れている。きっと、歯を食いしばって、涙を流さないように、堪えている。


「どう……」


 どうした、と聞こうとしたのを彼は遮って、


「どうして……、どうして貴女は、自分の幸せを考えないのですか。どうして。どう考えても、これでは貴女が幸せになれるとは思えません」


 そう聞いてきた。涙を彼はメイド服の袖で拭い、真っ直ぐにその瞳をナタリアへと向ける。


「クリス?」

「そこまでする必要があるのですか。そこまでする価値があるのですか。ナタリア様が死すら覚悟してまで、幸せにする価値が、あの人に!」


 そこまで言って、彼は己がやったことに気が付いた。主の大切な人を馬鹿にした。罰せられても仕方がないような行為。

 不敬だった。何よりも。従者はただ、主に従っていればいい。主の間違いを正すこともまた従者の役割であるが、クリスはただ従うのみ。それが彼女の望みだから。


「申し訳、ありません。罰は、如何様にも」

「いいえ、罰なんて与えないわ」

「…………」

「ねえ、クリス。貴方にもきっとわかるわ。子供が出来たら、きっと」


 男ならきっと娘が出来たら、幸せにしてやりたいと思う。息子でも同じだ。大切に、大切に思うはずだ。死んですら、そうなのだから。


「わた、しは――」

「何?」

「――いえ、なんでも、なんでもありません」


 彼は何を言いかけたのだろうか。何を言葉にしかけたのだろうか。それは、ナタリアにはわからない。それは大切なことではないのか。聞き返すべきか。

 そう考えて、


「そう、わかったわ」


 結局、何も聞き返すことはなかった。それは、聞き返してはいけないことだから。きっと、自分では応えられないことだとわかっていたから。

 ナタリアは、ただそう言って視線を前に戻す。部屋に飾られた姿見に映る自分の姿を見る。母親に似てきた。目元は父親似だろう。両親は今頃領地からこちらに向っている頃合いだろうか。恥ずべき姿など見せられない。


 視線を落とせば綺麗な自分の手が見える。かつては、自分のものとは思えなかった自分の手。綺麗な手だ。どれほどの命を奪いここにいるのか、それすらもわからない。

 思えば遠くに来たものだ。ナタリアは思う。明日が最後だから、そんな感傷に浸っているのかもしれない。


「本当、らしくありませんわね」


 頭を振って、そんな感傷を打ち払う。


「ありがとう、クリス。もういいわ」

「はい、ではご要望がありましたら、お呼び下さい」

「ええ、ありがとう」


 一礼してクリスが去る。それと入れ替わりに、


「ついに明日ですか」


 ナガレが部屋の中に現れる。いつもと変わらない軍装姿。インバネスで身体を隠し、軍帽を目深にかぶってその表情すらも今日は隠していた。

 今日は、腰に二刀の小機構剣を持っている。更にはもう一本。その手にはナタリアの剣が握られていた。


「今日はどうしました?」


 いつもの軽口はなく、彼は肩をすくめて共鳴剣を投げ渡す。それを手に取ると、


「やりましょうか」

「……戦う理由がないのですけれど」

「いえいえ、お嬢様にはなくても自分にはあるもので。戦ってみたいといつも思っていたのですよ。ここを逃すと、本気で気兼ねなく戦えなくなりそうなので、ここらでやっておこうかと思いましてね。今日のうちなら存分にやれるでしょう?」

「ふぅ、そうね。良いわ。あなたがやりたいというのなら」


 ナタリアは椅子から立ち上がると、修練室へと向かう。そこで、ナガレと向き合う。


「では、剣術と体術のみで。魔法まで使ってしまうと、あとあと面倒でしょうし」

「まあいいですわよ」

「勝敗は、どちらかが参ったというまで。そうですね。勝者は、敗者は何か一つお願いが出来るということでどうでしょう」

「いえ、別に賞品とかいらないのですけれど」

「いえいえ、こういう勝負事にはあった方が燃えますから。では、行きますよ。誰にも見せたことのない本気をお見せしましょう」

「…………わかりました」


 ナタリアも構える。その瞬間、剣戟を切り結ぶのだと思っていたナタリアの予想外の出来事が起きた、彼が、二刀を投げ捨てたのだ。

 そして、がしゃりと重い音が響き渡った。それは、彼の両の腕から。彼の腕が、その機能を発揮する。インバネスが、軍装の腕が吹き飛び、現れたのは鋼。


――鋼鉄の鎧じみた鋼の腕。


 がしゃり、がしゃりと音を鳴らして、歯車が切り替わり肩、肘、手の甲からそれぞれまるでロックが外れるようにコイルが飛び出してくる。あるいはワイヤーすらも。

 バチリ、バチリと雷電が発電され、輝きが彼を包み込む。この世界では、ありえない輝きだった。蒸気機関が発達したこの世界。電気の代わりは全て蒸気(スチーム)である。


 電線の代わりに蒸気管スチームパイプが街中を這いまわるか、あるいは、歯車機関が永久駆動する。ここはそういう世界。

 いつか見たその輝きは、ありえるはずのない異端。


「あまり驚いていませんね」

「驚いていますわよ。まさか、そんなものを隠しているだなんて思いもしませんでした。というか魔法禁止ではなかったですか?」

「魔法ではないので、問題ありません。あなたに見せるつもりなんてありませんでしたが、特別です」

「あらつまりこれは光栄と思っても良いのかしら」

「さあ、どうでしょう」


 そう笑みを浮かべながら、彼は、その手に紫電をまとわせていく。


「できれば、負けてほしいところですよ。このままあなたに計画を遂行されてしまうと楽しみが減ってしまうではありませんか」


 魔王討伐までは良い。それはそれで楽しそうだ。だが、それ以降は後宮詰め。実に味気ない。


「あなた、わたくしについてくるって言ってませんでしたっけ」

「ええ、言いましたよ。あなたの旅に同行する。楽しそうな旅だとも。ですが、後宮詰めはとてもつまらなさそうで。自由なあなたを見ている方が楽しそうなもので」


――だから、こんな勝負をしている。


 いつになく、真面目な表情で彼はそう言った。


「やめる気はどうせないだろうと思うので、お願いしてみようかと」

「もう勝った気ですの?」

「いいえ、負け犬の遠吠えです。魔法抜きで、これを防げるとは、まあ思えませんけどあなたですから」


 充電された紫電が放たれる。


「――」


 美しい輝き。真っ直ぐに目をそらさず、ナタリアは刃を振るった。


――そして――


「はは、まったく、これだから、あなたは面白い。面白いですよお嬢様」


 インバネスを着直して、帽子もかぶり直す。再び、その顔に彼はいつもの笑みを張り付けて、そう言った。


「ああ、しびれますわ。まったく、わたくしが雷を切れたから良いものを」

「普通、雷なんて斬れませんよ。どうやってるんです」

「なんとなくですわ」


 見たままをやっているだけで、説明は出来ない。そうナタリアは言った。


「見たまま出来るお嬢様も大概ですよ。さて、では、どうぞ。なんでも言ってください。出来ることならなんでもいいですよ」

「そうですわね……」


 さて、何が良いだろうか。ナタリアは考える。肩は先ほどクリスに揉んでもらった。特にやってほしいことはないように思える。


「あ、そうですわ。これの手入れお願いしますわ」


 そう言って、手渡すのは右手にある共鳴剣。


「明日、何かあったら嫌ですのでしっかり整備してくださる? もし、出来ないのなら専用の整備士がいるのでそちらに持って行ってもらえると助かります」

「そんなことで良いので? もっと、あんなことやこんなことでもいいのですよ」

わたくしには決めた相手がおりますし、子供相手にそんなことは致しませんわよ」

「……まったく、竜人を子ども扱いなんて、あなたくらいのものですよ。――了解しました、お嬢様。自分が責任を持って、整備させていただきましょう。何、ご安心を新品同様にしてさしあげますよ」

「それで、新品を持って来ないでくださいね」

「おっと、バレましたか」

「もう」


 では、失礼しますと、珍しく礼をしてナガレは去って行った。


「ふぉっふぉっふぉ、良いもの見せてもらったよお嬢ちゃん」

「本当、今日は御客様が多い日ですわね。何のようですのベルクルスおじさま」


 ベルクルス老がそこにいる。いつも通りのみすぼらしく思える格好で、腰には剣を差して、杖をついて修練室の椅子に座っていた。


「別に用がないからといって会いに来ちゃいかんのか? 良いじゃろう。わしは孫娘に会いに来とるじゃし」

「それなら息子の方に会いに行って差し上げればよろしいのに」

「いやじゃわ。なぜ男に会いに行かねばならないのじゃ。合いに行くなら可愛い孫娘じゃ。しかし、残念じゃのぅ。修羅になれば、もっともっと面白かったんじゃが」

「修羅って、それ、だいぶ駄目な人ですわよね」


 剣に行き、剣に死ぬ。それが修羅。剣の鬼。剣の極致へと至る為に人が堕ちる場所。それが――修羅。


「残念じゃのう。お前ほどの傑物なら、それこそ――」

「はいはい、その話は何度も聞きましたわよ。本題はなんですの?」

「いや、ほれ、わしの剣の機構。まだ見せて、なかったじゃろ?」

「ああ、そう言えば」


 ベルクルスが持つ剣の機能。共鳴剣の共鳴オルゴール機構ではない謎の機構。


「これはのぅ、変形機構じゃ。これを使うとな、ほれ」


 剣はみるみるうちに姿を変える。ガチャリ、ガチャリと音を鳴らして。そして、棒状武器へと姿を変える。


「それ、槍じゃありませんか?」

「そうじゃ、やりじゃ。わしのメイン武器というところかのう」

「ベルクルスおじさまって剣士では?」

「いつわしが剣士を名乗ったかのう。わしはただのベルクルスとだけ名乗ったはずじゃぞ」


 昔を思い出す。確かに、彼はただのベルクルスとだけ名乗っていたが、


「槍使いだなんて聞いてませんわよ」

「言っておらんからのぉ。バレると誰も驚いちゃくれんじゃろ? それじゃあ、変形させる意味がない」

「それで剣もお上手とは流石と言ってほしいんですの?」

「ふふふ、存分に言ってくれて構わんぞ」

「…………」


 そんなことの為に来たのかとナタリアは半眼になる。


「いやなに。もう少し若ければついていくんじゃがのぅと思っただけじゃ」

「さすがに、お年寄りに無理はさせられませんわよ」


 ベルクルスおじさまも年だ。昔なら、ついてきてくれれば心強いだろうが、今では無理をさせるわけにはいかない。


「ふぉっふぉっふぉ、寄る歳には勝てんて。じゃから、お前さんも気を付けるんじゃぞ」


 それだけ言うだけ言って、彼は去って行った。


「本当、なんなんでしたのあれ」


 そうは言うが、ナタリアもなんとなくわかっている。皆、心配で来てくれたのだ。


「良い人たちね」


 いつから見ていたのか壁にもたれかかるように立っていたシュリがそう言う。


「ふふ、自慢の友人たちですわ」

「で、大丈夫なの本当に? あんた一人で。また、あたしだけ留守番かい?」

「だって、わたくしって自分でいうのもあれですけど、この国の最大戦力みたいに言われてるんですのよ? それが抜けたら他国が黙ってないでしょう」

「その代わりをあたしがやれって? やれやれ無茶行ってくれちゃって」


――まったくそう思えないですわ。


 魔法も使っていないのに魔法を全開で使ったナタリアよりも早く、パンチの威力が尋常じゃない領域になってる時点でシュリも大概である。

 前世で相当の苦労をしてきたことそれは物語る。また、苦労をかけると思えば申し訳なくもなった。


「夫の帰りを待つのは妻の仕事だろ。任せな。なに、待つのは慣れてる。だから、安心して、後ろなんて考えずあんたはいつも通り行ってきますって言ってりゃいいんだよ。あんたの弱点になりそうなもんは全部あたしが守ってやる」

「ありがとう、シュリ。苦労をかけますわ」

「それは言わない約束だろ」


――そうして、夜は更けて、


「エストリア王国第一王子ヴィルヘルム・エストリアは、アルゲンベリード公爵が一人娘ナタリア・アルゲンベリード、貴女に決闘を申し込む」


 事態は成る。


 ヴィルヘルムの言葉と共に魔法文字を浮かび上がらせる。それは契約文。軍神アゲラタムと武術神オーニソガラムに捧げられた契約の証。

 お互いにそれへ手を伸ばす。青く輝く魔法言語による契約文は、二つに分かれ互いの手首へと契約の証として巻き付く。


 長い苦労が報われた瞬間だった。


「頑張ってね、お父さん」

「ええ、負けませんんわよ」

「ええー僕のことは応援してくれないのかい?」

「どっちも応援してるし、だから勝ってよねヴィル」

「もちろん」


 シュリに連れられてアイラが席に戻って行く。次にやってきたのは両親と弟だった。


「勝ちなさい」


 父は何も言わず、ただそういう。本当は、娘を嫁に出したくなくて今にも叫びだしたい気分だろうが、娘の晴れ舞台を潰すわけにはいかない。

 だからこそ、心を殺してただ一言の言葉を投げかけた。その心情をナタリアはしっかりと察している。だから、


「ええ、お父様。必ずやアルゲンベリード家に勝利を。今まで、育ててくれてありがとうございました。わたくしの自慢のお父様」


 そう心を込めて告げた。


「…………ふっ」


 父は母を連れて去って行った。涙を見せたくなかったのだろう。


「頑張ってよね姉さま」


 すっかり逞しく成長したベルがやってくる。


「ええ、もちろん。それにしてもあの泣き虫ベルが、いつの間にか竜を倒したり、していたんですのねぇ」


 彼もまたナタリア顔負けの活躍をしたという。これならアルゲンベリード家は安泰だろう。むしろ、安泰すぎて、嫁が来ないかもしれない。

 なにせ、彼の希望はナタリアのような女性らしいのだ。


「僕は姉さまの弟ですから」

「それなら、早く相手を見つけて結婚してくださいな。待ってますわよ」

「はい、お姉さまのような方がいれば」


 それが難しいから言っているのだが。これで結婚できなかったらナタリアのせいということになるので、早々に誰か鍛え上げて弟のところに送ろうと決めた。

 同時にヴィルヘルムも家族との話を終えたのだろう。


――魔法を紡ぎ、剣を抜く。


 剣に合わせるように。


「本当に手加減などなくても良いのですわね?」

「ええ、これより夫婦になるのですから。あなたと、愛する人全員を幸せにする。その覚悟を見せたいと思います」


 その背から輝く魔力の翼と光輪を広げた。この王都を覆い尽くす排煙煙る雲を引き裂いて失われた青空を見せつけるほどに巨大であり、何よりも力強い己の魔力。世界へと羽ばたく翼を。

 それだけで、力の差がわかる。誰であろうとも圧倒し、跪かせるような本気の覇気の奔流。太陽の光を浴びたナタリアは誰よりも輝いて見えている。


「ならば良いですわ。その覚悟を見せなさい。もし、わたくしが失敗しても、あの子を守れるほどのあなたの覚悟を。ただ、全力を見せなさい」

「――わかりました。覚悟には覚悟を。私の覚悟をお義父さんあなたにお見せします!」


 ヴィルヘルムは、前へと一歩踏み出す。歯車機関と共鳴オルゴール機構を備えた魔法機関の剣を構える。それこそが覚悟であると。

 谷のように深く、山のように高い超えることすら不可能に思えるほどの壁が立ちふさがろうとも退きはしないという不退転の覚悟。


 命すら燃やしてでも、勝つ。燃えるように輝くその瞳はただ真っ直ぐに、魔力をその身に纏い、極光を放つ機構剣を構えたナタリアを捉えて離さない。


「ならば、来なさいな」

「行きます! オオオオオオォォォォォオ!!」


 そして、一世一代の決闘が始まった。

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