第7話 宴の席

――夜会


 夜。日が暮れると同時に、とある侯爵主催のパーティーが開かれる。修業を行う同期の貴族との顔合わせの場だ。

 そこにナタリアはやってきていた。綺麗なドレスに軽い化粧を身に纏い、こつり、こつりと石の床を優雅に鳴らして舞踏会の行われる侯爵の邸宅へとやってきた。


 公爵家と比べたら一段落ちるものの大貴族に変わりはなく、その邸宅はやはり大きな屋敷だ。貴族となってもはや6年も経つというのに相変わらずこの手の場は場違いではないかという思いは消えてはいない。

 なにせ、周りを見てもザ・貴族と思えるような連中ばかりだ。まだまだ若いとはいえ次世代を担う者たち。中身庶民のナタリアは自分が太刀打ちできるのかいろいろ心配になってきたところだ。


 今生の両親の為にも、無様なところは見せられないと気合いを入れるもののどこかおかしなところがあるんじゃないかと気になって仕方がなかった。


「では、この国の未来を担う諸君らに乾杯!」


 侯爵の音頭でパーティーは始まる。ある程度貴族の親同士での交流がある人が固まっている。地方領主は地方領主で固まっているので、ナタリアもそちらに行くべきだろうか。

 同年代と言えど、上から下まで色々だ。とりあえずは様子見というところだろう。次第にあいさつ回りが始まる。位の高い者から低い者へ順番にだ。


 まずは王族。この場にいる王族は王太子殿下。同年代の貴族ということもあって、主演だ。だから、一番に挨拶に向かう。最上位貴族である以上、礼は尽くさなければならない。


 しかもだ、


――王太子との婚約があるわけで


 いつの間にやら気が付けばそんな人生を左右する大事が勝手に決まってしまっていた。酒を飲んで幸せ気分で屋敷に帰ると、両親からの喜べと言われて聞かされたのはこの国の王太子殿下との婚約話。

 戦場での活躍とか、魔法についてだとか、色々な話が絡み合って王家にこの優秀な血を入れたいだとかなんだとか。そもそもアルゲンベリード家は公爵家であり、王族に連なる者である。血の濃さを保つ意味でもいい物件なわけだ。


 その裏にはナタリアを行き遅れにしない為という思惑もある。ナタリアが戦場で活躍し過ぎたのだ。家の格もそうだが、それだけの武勇に見合うだけのものが必要となる。生半可な男子では到底婿や嫁取りは不可能ということ。

 だからこそ王太子殿下だ。彼は次期王である。格という意味合いに置いても問題はなく、彼もまた初陣で被害を出さずに勝利したという話もある。格と武功を考慮してもこれ以上釣り合う相手などいない。だから決めてしまおう。


 そんな感じで本人の意志そっちのけで決まってしまった婚約。それに公爵家よりも上の位である王族からの婚約である。断ることは大層不敬になる。

 そのためナタリアにはどうしようもない。されるがままここまで来てしまった。しかもこの場で婚約発表までされてしまった。早ければ早い方が良いとかいう話で即座にだ。


 つまり全ての貴族に話が伝わってしまったわけで、もう逃げられない。逃げればそれは公爵家の責任となる。

 王族への不敬。御家取り潰しとか最悪なるかもしれない。それだけは断固阻止である。もしそんなことになれば今世の両親に申し訳がなさすぎる。


 王妃になって良い生活をと考えなくもないが、ジャスミン主義が横行している現在。確実に色々と徴用されるに決まっている。

 自分が如何に規格外なことをしているのか、理解していないわけではない。自分でもやりすぎたなー、とは思っている。


「なんとか、それを回避する術はないものかしら」


 婚約破棄。まずそれはない。そんなことをすれば生家に迷惑をかける。なんとか生家に迷惑をかけずに逃げる方法はないだろうか。

 わかっているそんな方法はない。だが、中身はおっさんである。それが王子様と結婚してしまっていいのだろうか。そんな思いがある。オッサンと結婚。それではあまりにも王子が不憫であろう。


「うーん」


 考えながらも挨拶はしなければならない。ナタリアは一番前へと出る。公爵令嬢であり、婚約者でもあるナタリアが一番に挨拶しなければならない為だ。

 王子ヴィルヘルム・エストリア。未だ幼さを残すものの精悍な顔つきをしている。やはりイケメンになるのだろう。今でもその片鱗がわかる。


――さぞご両親も鼻が高いでしょうね。


 それに物腰も柔らかそうであるし、年齢以上に大人びて見える。生まれながらに高貴な者としての所作は洗練されており、12歳とは思えないほどである。

 これが生粋の王族という者か。住む世界が違うなと、酷くお前がいうなと言われそうなことを思いながら、ナタリアはヴィルヘルムへと近づいていく。


 互いに顔を見据えて、まずはナタリアが礼をする。最上位の者に対する礼。スカートのすそをつまみ、優雅ながらしっかりとした礼をする。

 そうすれば、相手もまた返礼。


「お初にお目にかかります殿下。ガウロン・アルゲンベリードが娘、ナタリアと申します。以後お見知りおきを」

「うむ、よろしく頼む。そなたの噂はかねてより聞いている。戦場にて、万の軍勢を薙ぎ払ったとか。多くの武勇伝を持ちながら驕らず、常に勉学にいそしんでいるとか。会えるのを楽しみにしていた」

「過分な評価恐縮に御座います」


――本当に過分だった。


 せいぜい数百の軍勢を薙ぎ払ったくらいある。それが独り歩きしたのだ。絶対に沿うに決まっている。

 常に勉学にいそしんでいる? 実際は部屋にこもって暇を持て余しているだけである。やることも趣味もなくただ部屋でごろごろして暇だー、暇だーと言っていただけだ。


 だから、ヴィルヘルムの評価は本当に過剰評価だ。公の場でなければ赤面して枕に顔をうずめるくらいはしたいところである。

 物凄く否定したい類のはないなのだが、とりあえず、感謝の言葉を述べる。そうしなければ、不敬でいつ殺されるかわからないので否定などせずにとりあえず礼をしておく。


 とりあえずぺこぺこは社会人としての処世術であるが、それはここでも同じ。頭を下げておけば、相手は悪くはとらない。


「では、ナタリア殿、手を。今宵は我らが踊らねばはじまらぬ」

「ええ、よろこんで」


 とはいうものの、今回の趣向は舞踏。踊りは大抵の場合誘われれば断れないから、縁を作るのに良いものなのだ。更に言うと、多く誘われることこそ貴族子女としてのパーソナリティーになる。

 壁の華になるのは貴族子女としてのヒエラルキー下位へと堕ちることを意味する。正直に言えば、踊りたくないのがナタリアの本音だ。


 ただ、ここで一番身分の高い者が一番最初に踊るという決まりがある。ゆえに、踊らないわけにはいかない。

 王族と公爵かその家族が踊り、それから自由に踊りが始まる。楽団と蒸気オルガンが奏でるワルツに従ってステップを踏み、王太子殿下とナタリアと踊る。


「さすがはナタリア殿。ダンスもお上手だ」

「殿下ほどではございませんわ」

「…………やっぱりか」

「?」


 ふと、ヴィルヘルムが何事かを呟いた。小さな声であったが、聞こえたのはやっぱりか、という何かに気が付いたようなそんな感じのもの。

 それから、曲に合わせて踊り、一曲目が終わった時、


「この後、話がしたい。話は通しておくから、来てくれ」


 そう耳打ちされた。


――何なのだろう。


 ヴィルヘルムは何かに気が付いたようだった。心当たりはない。


――まさか、酒の匂いとか残っていた?


 それだと恥ずかしいがそうでないことはマリアーヌに確認済みである。というか、酒の匂いが残っていれば大臣の屋敷を出してはもらえていない。


「なんでしょうか」


 結局わからないので、ヴィルヘルムに言われた通りにするしかない。言われた通り、彼についていくと応接室に通される。

 ヴィルヘルムとナタリアだけがいる部屋だ。他には誰もいない。椅子が三つほどあるテーブルがあるくらい。おそらくは密会部屋とでも言うべき場所だろうか。


「ここには誰もいない。楽にすると良い」

「はい」


 言われるままに王子の対面に座る。


「殿下。わたくしに如何様でしょう」

「ああ、すぐに本題に入ろう。だが、少し待ってほしい。もう一人来るのだ」

『お連れしました』


 ヴィルヘルムが言うのと同時に扉の向こうからメイドの声が響く。


「ああ、入れてくれ」


 扉が開き中に入ってきたのは少女だった。普通の少女だ。貴族ではない。茶色の髪の町娘という言葉が良く似合う娘であった。

 ここに呼ばれるような人間には見えない。


「ええと、どなたでしょう?」

「私の妻だ」

「はい? 妻?」


 思わず敬意を忘れて言葉を吐いてしまう。それくらいの衝撃的な言葉だったからだ。妻。奥さん。ワイフ。王太子殿下の。

 婚約した相手に妻が居ればそりゃ驚く。しかも12歳。貴族だからと言ってそれは早すぎる。最低でも16歳くらいだし、早くとも14歳くらいだ。しかも、明らかに貴族ではなさそうな町娘が妻だと言われたら驚く。


 さらに言えば、ヴィルヘルムが喋ったのははこの国の言語ではなかった。彼の口から飛び出した言語は、とても懐かしい言語だった。とても懐かしい、生まれ育った日本の言葉日本語だ。それは、前世の言語。

 この世界では二度と聞くことなどないだろうと思っていたものだった。忘れかけていた日本での記憶、日本語が思い出されていく。思わず涙が頬を伝う。


「な、ナタリア殿!?」


 狼狽した様子のヴィルヘルム。


「い、いえ、申し訳ありません、わ。すこし、目にゴミが」

「大丈夫ですか」

「いえ、大丈夫。申し訳ありませんわ。とても、とても懐かしい言葉を、聞いたから」

「やっぱり、あなたもそうなんですね」


 ヴィルヘルムは納得がいったという表情。ナタリアはそれとは真逆。なぜヴィルヘルムが日本語を知っているのかということだった。

 この世界には日本という国はない。それは四方手を尽くして調べた結論だった。だからこそ、この世界で日本語を話せる者はいない。


 だからこそ、日記帳などの暗号として利用していたりもしたわけなのだが、まさかここに来て日本語を聞くとは思ってもみなかった。


「私と妻は転生者です。妻とは前世からの付き合いということになります」

「前世、ですか。ええと、殿下とそちらの少女が?」

「ええ、戦いの末、死んで気が付けば乙女ゲームの世界に転生していたのです。私は王太子殿下ヴィルヘルムに、妻はゲームのヒロインのアイラになっていた」

「そうなのよ。まったく驚いちゃったわ」


――うん? ええと?


 驚いていたが、話は聞き取れていた。ただ、聞きなれない言葉が出てきて少しだけ理解が追い付かない。

 乙女ゲーム? それはいったいなんなのだろう。ゲームというからには何かしらのゲームなのだろうが、乙女とはどういうことなのだろうか。


 生憎とナタリアはサブカルチャーに触れられるほど時間がなかったブラック企業勤めである。サビ残上等で、朝家を出て、帰ったら寝るだけの生活。サブカルチャーなどわかるはずもない。

 だから、とりあえず2人に聞いてみることにした。聞かぬは一生の恥とも言う。それに、ここで色々と聞いておくことはこれからのことに役立つだろうという思いがあった。


「ええと、申し訳ありません。乙女ゲームと聞こえたのですが、それは?」

「なるほど、そなたは知らぬのか。道理で」

「ええと……?」

「ああ、すまない。説明しよう。私たちが転生したこの世界は、妻が好きだった乙女ゲームの世界なのだ」


 何度も言うが、ゲーム類はとんとやってこなかったナタリアである。そう言われてもわからないし、何か問題でもあるのだろうかと首をかしげる。


「すみません。何分、私はゲームなどしてこなかった人間ですし、前世では男であったので乙女ゲームと言われても何が何やら」

「そうなのか。そうだな。乙女ゲームとは」

「私が説明するわ。乙女ゲームっていうのは、ほら、ギャルゲーとかエロゲーとかあるでしょ? それの女の子バージョン」


 そこまで言われればある程度はわかる。


「つまり、女の子の主人公が男の子を落としていくゲームですか?」


 エロゲーとかギャルゲーは男の主人公が、ヒロインたちの好感度を稼いで恋仲になるゲーム。それの女の子バージョンということはつまりはそういうこと。


「ええ、まあ、そんな感じね。で、私はその主人公になっちゃってるの」

「そんなことありえますの?」

「現にありえてるのよ。ヴィルの名前もそうだし、この王国の名前だって文化もそう。全部ゲームと同じなのよ。ゲームにはあなたもいたから多分間違いなくゲームと同じか似た世界。まあ、私とヴィルやあなたがいるから完璧に同じってわけじゃないけど」


 そう言って少女――アイラは、ゲームでのナタリアについて語る。


「酷い、ですね」


 それはもう酷いの一言だった。なんというか一言で表すと悪役である。主人公と攻略キャラの恋路を邪魔するキャラクター。

 主人公を酷い目に遭わせて攻略キャラクターたちとの仲を進めるキャラ。最終的に酷い目に合って退場させられる傲慢でプライドの高い超お嬢様キャラ。


 総括すると悪役。それも酷い目に合う傲慢でプライドが高く、才能はある癖に努力なんてなにもしない我儘放題のクズ。本当に酷い。


「驚いたよ。ゲームの世界だと思っていたのに、君だけ凄い違うんだから」


 おっさんインナタリアの功績一見真面目、6歳で固有魔法を加勢させた神童。同じく6歳で初陣を済ませ、敵将を一騎打ちで打ち取る。その他、数多の戦場で大活躍し英雄、千人切り、閃剣、光翼。エトセトラエトセトラ。

 そして、それらの功績をまったく誇らない謙虚さを持った完璧な淑女という噂。ゲーム時代と評価がまったくの逆。そりゃ誰でも驚く内容だ。


「だから、会える日を待っていたんだ。そこでもしかしたら転生者なのかと思ったら本当にそうで驚いたよ」

「はあ、そうなのですか」


 ナタリアからしたらそう言われてもである。ただし、希望が見えたことがある。転生者が他にもいるのならば、娘や妻にも会える可能性がぐんと増えたからだ。


「しかし、こうなると話が早い。婚約破棄をお願いしたい。私は妻を愛しているんだ」


 そう言って王子はアイラの肩に腕を回す。アイラもまた彼にすり寄る。そこにあるのは確かな愛情だった。


「今度こそ幸せにしてみせる。だから、どうか」

わたくしも、愛する二人を引き裂くことなんてやりたくはありませんが、それは出来ませんわ」

「どうして――」

「アルゲンベリードに迷惑をかけることになりますから」


 婚約破棄は、それだけでアルゲンベリードに迷惑をかける。個人が了承しているからと済む問題ではないのだ。だからこそ、こうやって本人たちが良くても話は進まない。

 婚約破棄をするには、ヴィルヘルムか、ナタリアが死ぬかしなければならない。それ以外では絶対に不可能である。婚姻と官能の神インバチエンスの契約によって二人は魔法で繋がっている。


 例え死を偽装したとしても契約は騙せない。だから、この契約がある限り、どうしようもないのである。


「貴方の場合、この国の面子に関わる問題にまで発展しますわよ」

「……確かに、浅慮でした」

「わかってくださって何よりですわ」

「うわ、中身が違うとはわかっていても、凄いまともなこと言うナタリアって、イメージがががが」


 何やら、項垂れるアイラ。こんな時でも、そんなことが考えられる辺り大物なのか馬鹿なのか。


「アイラ、今はそんな場合では」

「だって、実際そうじゃん? こればかりはどうしようもないし。だったら、もう二人が結婚しちゃってさぁ、私が妾ってことにしとけばよくない表向き」

「貴女はそれで良いんですの?」

「良いも悪いもないよ。だって、これ以外に方法がないし。どちらかが私たちの為に死ぬなんてしてほしくないし」


 優しい少女なのだとナタリアは思った。

 この少女の為に何かできることはないかナタリアは考える。


「あの、ゲームではどうやって婚約破棄したんですの?」

「ゲームでは、ナタリアが私をいじめるのよ。学園に編入してきた優秀な平民が気に入らなかったの。だから、いじめて、最終的に退学にしようとしたのがバレて王子が怒って婚約破棄」


 王子がアイラに惹かれていたのも理由の一つだろう。公爵令嬢としてあるまじき振る舞いであるが、我儘放題に育ったのであれば、それも致し方なしということなのだろうか。

 というか、そんな簡単で良いのだろうか。それで婚約破棄。我儘放題の屑ナタリアとは言ってもそんな簡単に平民が好きだからと婚約破棄して良いのだろうか。


 親同士、それも国が決めた結婚だ。従わなければならないはずの命令だというのに。

 そうなるとアルゲンベリード家は潰れたのだろう。いろんな意味で、婚約破棄はやったらダメという案件だ。


「それは駄目ですわね」

「やっぱ、妾?」

「しかし、それでは……」

「…………」


 夫婦は共にいるべきだ。せっかく死に別たれるところを奇跡がまた会えたのだ。ならば、今度こそ一緒に最後の時まで添い遂げるべきなのだとナタリアは思っている。

 自分が出来なかったからこそだ。出来なかったからこそ、他のヒトにはそんな悲しみを味あわせたくない。


 そうなるとやはりアイラの言った妾案が良さそうではある。一番平和であるし、互いに了承さえしていれば何の問題もない。

 いや、問題と言えばアイラが平民であるということだ。格がどうやっても足りない。待遇は侍女ということになるだろう。


 あと、あまりアイラとばかりいてもだめだ。ナタリアとも仲睦まじくしなければならない。そうしないと、他の貴族にそのあたりを責められると終わる。

 第二王子とかいないからまだ楽なのだが、貴族というのは常に相手の失脚を狙っていると思った方が良いとはレディ・ジャスミンの話だ。


 だからこそ、弱点は晒すべきではない。ならばアイラの格をあげればいい。手を出したらマズイ、とか問題になるくらいの何かがあれば城暮らしもできるかもしれない。

 そうなると、なんとかアイラの格をあげる必要がある。


「難しいですわね」


 物凄い難題だ。だが、ここで見捨てたりしたら、奇跡が起きて、妻と娘に会えた際にきっと失望されるだろう。

 助けられたのに助けなかった。それは人として最低だ。その為に自分が不利益になるとしてもだ。それに王子も良い人そうであるし、死んでも妻を愛している真の漢だ。


 難しいからと言って協力しなければ漢がすたる。だから、ナタリアは必至に考えるどうにか出来る方法がないかを。

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