第5話 Epilogue

 あれから3ヶ月が過ぎた。


 瀕死状態だったおれと日比野は救急病院へ担ぎ込また。近くに大きな病院があったことが幸いし、二人とも一命を取り留めた。いや、死に損なったっていうべきか。

 おれも日比野も出血量が酷く、もう少し遅れていたら死んでいた、と目覚めた時に担当の丸顔の医者に言われた。

 おれは数日で意識が戻った。意識が戻って最初に見たのは、余計にやつれてしまった中村さんの顔だった。刑事から連絡がきて知ったらしい。心臓が止まるかと思ったと、起き抜けにこっぴどく怒られた。おれが怪我人じゃなかったら、警察がいようがいまいがお構いなしにぶん殴っていたに違いない。

 刺された手と腹、鼻骨と顎の亀裂骨折、肋骨2本と右拳の骨折、擦過傷や打撲痕だらけの身体はまさにボロ雑巾といった例えがぴったりの状態だったが、内蔵に損傷がなかったのが幸いした。そのおかげか、一週間程度で身体が起こせるまでには回復した。

 起き上がれるようになると警察の事情聴取が始まった。てっきり山添が来ると思っていたが、担当は若い別の刑事だった。山添は事件の指揮者だったため、上への報告諸々で後処理に忙殺されているらしい。どんな理由でもあのヤニ臭い面を見なくていいならばウエルカムだ。むしろ二度と会いたくない。

 若い刑事の聴取に、おれは知らぬ存ぜぬを通し続けた。刑事達は時に鋭く、時に欺くように尋問してきたが、全体的には大人しめというか、強引に話を聴き出そうとはしなかった。

 おれの怪我を考慮して? 警察がそんな甘ちゃんなわけがない。その理由は見舞いにきた五代が教えてくれた。

 今回の一連の事件の首謀者として、検察は藤堂を起訴したという。そして藤堂は警察が押しつけた罪の全てを認めているそうだ。

 首謀者も捕まっていて、『蛇狩』や『SPIKY』の残党も殆ど逮捕した。警察の奴らからすると、別におれの聴取に力をいれなくても、もうこの事件は終わっているのだ。もっというならば、おれの存在などどうでもいいのだ。『GARDEN』に出入りしていた小物一匹、大物を召し捕った今となっては取るに足らない存在でしかない。

 五代はというと、警察の捜査に協力的な態度をとっていることと、直接的な罪がないこともあり、比較的自由を与えられていた。おれが知っている『蛇狩』の五代はもうこの世に存在しない。伊達メガネを外していることもあり、顔も別人に見える今日この頃だ。

 聴取の時若い刑事が言っていたが、おれが無事手術できたのも五代が自分の血を分けてくれたから――らしい。

 おれと日比野が救急車で運ばれる時、絶対に逃げないからと五代も刑事とともに救急車へ乗り込み、病院に同行した。おれと日比野は当然緊急手術となったのだが、手術用の輸血パックは日比野で殆ど使ってしまい、おれの分は足りなかった。その時、たまたまおれと血液型が一緒だった五代が、自分の血を使ってくれと名乗り出たそうだ。五代自身も相当酷い怪我をしていて治療は必要だったが、おれの手術を優先してくれと涙ながらに懇願するその姿に、警察も緊急隊員も心を打たれたとかなんとか。

 お前はあいつに感謝するべきだ、と会う刑事会う刑事にくどいほど言われた。知るかよくそったれ。

 藤堂はおれや日比野のことは一切話してはいない――そう五代は言った。

 おれはともかく、日比野は完全に巻き込まれた被害者扱いだった。警察も馬鹿じゃない。それで通るとは思えない。藤堂と何か裏で取引的なものがあったとおれは睨んでいる。全ての罪を認めるから、おれたちを見逃せ?――馬鹿馬鹿しいにも程がある想像が、浮かんでは消える。 

 考えたところで、どのみちおれには何もわからない。

 藤堂は記録的なスピードで裁判を終え、刑務所へ収監された。山添が張り切ったのか、逮捕から起訴・判決までもギネス級に短かった。起訴された全ての罪に対して、藤堂は異を唱えなかったことも、その要因のひとつだった。

 藤堂は今までずっと見えない鎖に繋がれ続けていた。胸に巣食った、蛇の呪縛に。

 本物の鎖に繋がれた今、そこから見える風景にあいつは一体何を思うのだろう。

 黒ツナギはその後一切の消息が掴めなかった。いや、正確にいうならば、警察はその存在の痕跡すら確認できなかった。榊という男は事実上、この世の中のどこを捜しても存在しない――それが警察が出した見解だった。

 一度リセットするよ――黒ツナギの言葉の本当の意味を今更ながら知る。やつは一体何者だったのか。そして何の目的でおれたちに近づいたのか。そしてどこへ向かおうとしているのか――それは誰もわからない。しかしいつか、再びどこかで出会う。そんな予感がしている。

 そして日比野。

 あいつはまだ眼を覚まさない。あの日以来、ずっと眠り続けたままだ。

 身体は交通事故に遭ったほうがマシに思えるレベルで酷い怪我のオンパレードだったが、奇跡的に脳に異常は見当たらなかった。ただ、もう指は元通りには戻らない。手術した医者はそう断言した。

 だからあいつは眠っているだけだ。ただ眼を覚まさないという状態が3ヶ月続いている。それだけだ。

 それでいいとおれは思う。日比野は今までずっと戦い続けてきた。たった独りで、このくそったれた現実と戦い続けてきたのだ。ゆっくり休むにはちょうどいい。壊れたままの指は、祈るような形で胸の上に置かれている。

 その枕元に、おれはドリームキャッチャーを置いてきた。

 眼を開けていても見える現実は悪夢と変わらない。ならばせめて、眼を瞑っている時くらい、希望に満ちた夢が見られますように。 

 そんな願いを込めて。


                   ☠


 構内に搭乗を告げるアナウンスが響いた。

 五代が時刻表を見上げ、搭乗口を再度確認した。

「じゃあ、そろそろ行くわ」五代は言った。「送ってくれてありがとな」

「別に礼なんていらねえよ」

 おれはそっぽを向いて言った。別に気恥ずかしくなったとか、別れが惜しいとかそういうのじゃない。

 五代は相変わらずだな、というように軽く笑った。

 五代はその真摯に反省している態度から、保護観察つき執行猶予という判決に留まった。暴動の首謀者、その側近の処分としては異例中の異例といえるほど軽いものだった。

 警察も、検察も、本来敵であるはずの奴らがなぜかみんな五代を気に入り、そして話を聴いた。不思議なやつだ。『GARDEN』で一緒にいる時は気づかなかったが、五代は人を惹きつける何かがあるようだった。

 もし藤堂と一緒にいることを選ばなければ、五代にはもっと別の道があったのかもしれない。今更愚問でしかない考えが、ふと過る。だが、仮に昔に戻れてもう一度選択肢を迫られても、五代は迷うことなく同じ答えを選ぶだろう。こいつはそういうやつだ。

 五代は担当の弁護士に願い出て、保護観察者は五代の田舎――四国だそうだが――の人間にしてもらったそうだ。なんでもその保護観察者は田舎で地主的な人物らしく、脛に傷がある連中の面倒を見ているにも関わらず地域からの信頼も厚く、仕事の斡旋までしてくれているらしい。

 今度は俺が、あの人にちゃんと居場所を作ってあげたいんだ。

 五代はそう語った。執行猶予の身で具体的に何をするかは知らない。聴いていないし、別に聴かない。いつかそれが形になった時、きっと五代から連絡があるだろう。おれはただ、その時を待てばいい。

 そして今日が、五代が田舎へ旅立つ日だった。電車で空港へ行くと言い張る五代を、半ば強引にバイクのケツに乗せ、空港まで送った。おれにできることはこのくらいしかない。

「なあ」

 搭乗口へ向かいすがら、五代は言った。

「ずっと考えていたんだ。どうして藤堂さんはお前を傍に置いておきたかったんだろうって…」

「さあな」

「思うんだ」前を向いたまま、五代は続けた。「ほんとはあの人、お前に止めて欲しかったんじゃないかって…。どんどん堕ちていってしまう自分をもう止められなくて…でも誰にも止めてほしくなくて…。だから、似たお前に止めて欲しかった。お前を近くに置いておきたかったのも、自分のストッパーの役割をお前に託したかったから…」

 五代はそこまで言って振り返り、「考え過ぎか」と笑った。

「…ああ」おれも軽く笑った。「考え過ぎだ」

「で、お前はどうするんだ。これから」

 搭乗口に着くと、五代はおれにそう問いかけた。

「…さあな」

「お前さっきからそればっかりだな。もう少し頭使えよ」

 五代が呆れたように溜息をつく。

「うるせえな」

 おれは舌打ちし、窓の外へ眼を向けた。巨大な鉄の鳥が、飛び立つその時を静かに待っていた。

「…まあ、どうにもでもするさ。おれたちは」

 その答えで満足したのか、五代は少し笑って「そうだな」と頷いた。

 ゲート前で五代は立ち止まり、おれに身体を向けた。

「…じゃあ元気でな、蘇我」

「ああ。……また、な」

 五代は頷き、ゲートに向かって歩いて行く。

 ゲートの奥に消える間際、五代は前を向いたまま、右拳を掲げるように高々と挙げた。

 決意を握り締めた拳――おれも五代の背に、握った拳を向けた。

 五代は再び翼を広げて、目標に向かって飛び立っていく。その後ろ姿をちょっと羨ましいと思ったのは、きっと気のせいだ。


「これから…か」

 轟音とともに大空を翔けていく飛行機を見上げ、おれは呟く。

 溶けることのない鉄の翼は、その身に太陽の光を存分に浴びて、我が物顔で空へと消えていった。

 

 それからさらに3年の月日が流れ――現在いま


                   ☠


 おれは反射的にシャッターを押そうとした。 

 反応しない人差し指に、思わず舌打ちが漏れる。

 おれがシャッターボタンを中指に入れ替えているその隙に、折角捉えたレンズの世界から鷹はまんまと逃げ出してしまった。

「くそっ」

 ファインダーから眼を外し、悔し紛れに吐き捨てる。

 鷹は太陽を背に優雅に空を飛んでいた。おれは眼に手をかざし、それを眺める。

 高い山に登るほど、その分空に近づけた気になる。さすが日本で一番高い山の頂上付近は、空どころか太陽さえも近い。

 おれはかざしていた右手を太陽に向かって広げた。

 太陽に透けた右の掌――真ん中に赤い亀裂が蛇のうねりのように奔っている。あの日藤堂に貫かれた傷跡だ。人差し指は神経がズタズタに切り裂かれていたせいで、もう二度と動くことはない。

 あれから3年も経つのに、未だに咄嗟の時はつい人差し指を動かしてしまう。さすがに身体に染みついた習慣は、3年程度の時間では消せやしない。

 掌の傷と動かない指――これがおれの罰の証だ。

 罰を受けてからもう3年も経つというのに、おれは未だ代わりを見つけられずにいる。

 写真はただの身代わりだ。このカメラは日比野のもので、おれのじゃない。

 日比野は相変わらず眠り続けている。意外に寝坊助な野郎だ。いつ目覚めるのかはわからない。目覚めの時はあいつ自身が決める。おれはその時を気長に待っている。

 とはいえ眠りこけている間に、日比野は色んな空の顔を見落としてしまう。だからおれが代わり空の様々な表情を撮影しておいてやろう。そう思って始めただけだ。

 借りを返すにも、ちょうどいい。

 おれ自身は、このくそったれた世界で迷子の最中だ。だけど今は、そんな状況の中で足掻いてみたいと思う。そして確かめてみたい。おれが何者になれるのかを。この道なき道を歩いていった先に、一体何があるのかを。

 歩いていれば、そのうち今よりマシな景色が見えてくるだろう。焦らずにやればいい。もう誰も邪魔はしない――させない。

 おれはおれの旗の下で自由に生きる。

 おれは空を掴むように、伸ばしていた手を握り締める。


 さあ、最後の続きを始めようか。


 ――Are You Ready?


 風に乗って、誰かの声が聞こえた気がした。

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ROCK & BALL Rakui @ikura

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