仲間たち

 島田護の留学から一年半後



 島田君が海外に行っちゃって一年半くらい経ったけれど、硝子ちゃんの心は荒んでいくばかり……。私は親友として、硝子ちゃんの力になってあげたい。だけど、どうすればいいかよくわからない。北川君みたいに頭が良ければ何か思いつくのかもしれないけれど、いつもぼんやりしている私では何も思いつかない。湯船につかりながら考えているのが悪いのかもしれないけれど、ここが一番落ち着くからなぁ……。

「ふう、いいお湯だったー」

 部屋に戻る前に私は工房に行った。工房ではお父さんとおじいちゃんがまだ、ガラス細工を作っている。

「おとうさーん、おじいちゃーん。そろそろお風呂入って~」

「おう、父さんはもうすぐであがるから、お前は先に晩飯食ってな」

「は~い」

 私の家にはお母さんがいない、だから私が一人で家事を回している。本当はお父さんたちにも手伝ってもらいたいけど、ああやってガラス細工を作っている姿をかっこいいと思ってしまうと「家事も手伝ってほしい」とは言えない。

 ご飯を一人で済ませると私は工房にお父さんたちと入れ違いで入った。お父さんたちが仕事からあがった後なら工房で好きにガラス細工を作ることを許されているので、私は夜のこの時間が好き。

「丁寧に、丁寧に……」

 丁寧に作れば、ガラスは応えてくれると、お父さんたちは言うけど、私にはまだ何かが足りないのか、ガラスたちは私の思うとおりになってくれない。

 結果、イルカを作ろうとしても何かぐにゃぐにゃした形のものが出来上がった。

「んー、これはこれで可愛げがあるのだけど、ごめんね……」

 カシャン、カシャン。

 私は出来上がったものを壊していく、心の中で謝りながら。

 こんなことを数時間繰り返しても納得のいくものは今までできたことは無い。一応、初めて作ったものは部屋に飾ってあるけど、特に何かの形をしているわけではない。はっきり言うと謎の物体でしかない。

「いつかあの子も私に応えてくれるのかなぁ」

 硝子ちゃんも応えてくれるといいな……。

 学校では硝子ちゃんは相変わらず浅くしか会話に入ってこない。腕には結構前から包帯が巻かれている。夏でも硝子ちゃんは長袖を着ようとするが、校則上夏には半袖になるのでああやって包帯で隠すしかないんだと思う。

 私にもうちょっと度胸があれば、硝子ちゃんに包帯のことを聞けるのだけど、薄々分かっていても本当のことを知るのは怖い。でも、硝子ちゃんから包帯のことを話してくれることは絶対にないというのは馬鹿な私でも分かる。北川君たちに、今日こそ放課後に相談しよう。

「ねえねえ、北川君。相談があるんだけど、放課後いいかな?」

「ほ、放課後ですか? か、かまいませんけど……」

 よかった。北川君は昔から冷静で硝子ちゃんからはアイス北川なんて呼ばれてる。それなのに、私が話しかけると何か焦っているような感じで答えるから……。

「海ちゃん。いま、北川君に告白でもしたの? あの冷静な北川君が焦ってるのがこっちからでもわかったよ」

 こんなことを言ってからかってくるクラスメイトは可愛いけど、たまにはそっとしておいてほしいなと思う。

「それで、相談とはなんでしょう? 僕は二人きりの話だと思っていたのですが……。どうして、弘樹がいるんですか?」

「はっはっは! アイス北川よ、まさか二人きりで告白でもされると思っていたのか?」

 放課後、ブレイク佐藤こと佐藤君も呼んだのだけど……。失敗だったかなぁ……。

「もー、そうやってからかうなら。今度からほんとに北川君と二人きりなろうかな」

「で、相談っていうのはあれか、端海の腕の包帯のことか?」

 はあ、からかいつつもしっかりと話の本筋だけはそらせないあたり佐藤君はさすがだとは思う。

「うん……。衣替えして半袖になった時からずっとあの包帯が巻かれてるのは二人とも知ってるよね?」

「いつも顔を合わせているから、もう、当たり前の状況になっていましたが、福光さんからしたら何か思う所があるんですね?」

「二人は何とも思ってないの?」

 私はちょっと小声で聞く。

「気にはなりますし、それとなく事情も察していますが、端海さんにとって隠しておきたいことだと思ったから、あえて聞かないことにしています」

「俺も、なんとなくというか、もう大体の事情というかあらましも説明できるくらいに理解はしているつもりだ」

「だったら……!」

「確かに俺らが力になってやるべきなんだろうが、どういう風に力になってやればいいかは分からないんだよ」

「あえて伏せて話してますが、ここではっきりとそれを言葉にしておきます。自傷癖。福光さんはそれが気になるんですね?」

「うん……。なんかあの包帯が巻かれるようになってから硝子ちゃん少し変わっちゃったような気がして……。以前は普段の会話にも普通に入ってきていたのだけど、包帯を巻くようになったころからなんだか深入りしようとせずに浅くしか会話に入ってこなくて、ぼーっと外を見ていることが多くなったというか、一人でいる時間も多い気がして……。それに……」

 私は言葉を詰まらせる。いくら親しい男子とはいえ言っていいのか迷ったけど、これでは度胸無しのままだ。私は意を決して、話す。

「外見からは分かりにくいけど、硝子ちゃん最近痩せているの。それも尋常でないくらい」

「まあ、もともと細身だけど最近はそれに磨きがかかってるな。程度に思っていたけど、俺の思い違いじゃないみたいだな」

「これは僕達で手に負えないレベルにまで進行してしまっているようですね」

「北川君が言うとおり私たちの手に負えないレベルなのはわかってる。それでも……。私は硝子ちゃんの力になりたい!」

「海がここまで強気で言ってくるのは、俺は初めて見るな。それだけ心配してるからとも言えるか」

「親友の心が蝕まれていると分かっていてに放っておくなんてできないよ!」

「しかし、言葉で『頑張れ』等と言っても意味は無いでしょうし、それとなくどうしたのか聞いても端海さんのことです、あっさりはぐらかされるでしょう」

「じゃあ、どうすればいいのかなぁ」

「かなり難しいが、俺たちがそれとなく見守ってやるしかないんじゃないかな」

「でも、それじゃあ……!」

「ああ、分かってる。あいつはいま悪循環の中にいるはずだ。自分で傷つけてしまったことに嫌悪感を持ちさらにまた傷つけるの繰り返し。これを止めてやれるのは、この三人の中では海が一番だと思うな」

「ど、どうして、私なのー?」

「ほんとは島田がいればあいつにやらせるのが一番だと思うが、今はいないからな」

「それで私はどうすればいいのかな?」

「端海さんを抱きしめてあげてください」

「え? それだけでいいの?」

「ええ、それだけで後は自然と言葉が出てくるはずです」

「でもでも、それなら二人にもいてもらった方が……」

 私は少し不安があった。硝子ちゃんがバリヤーのようなものを張っていて。近づく者は排除するという気概を感じていたからだ。

「いえ、これは二人きりの時にやるべきです。そうしないと端海さんも感情を出しづらいでしょう。まあ、放課後なら見えないところからこっそりって言うのはできるでしょうが……」

「じゃあ、明日の放課後、屋上に呼んでみるね」

「ああ、俺らは階段辺りで聞いていることにするよ」

 しかし、次の日、硝子ちゃんは学校を休んだ。たまたま運が悪いと思って次の日にと思っていたのだけど、次の日も硝子ちゃんが学校に来ることはなかった。さすがにおかしいと思って私は一人暮らしをしている硝子ちゃんの住んでいるアパートに行ってみたけど、ここ数日の新聞が押し込まれていた。

 ……もしかして……。

 私は嫌な予感がして硝子ちゃんから渡されていた合鍵で玄関を開けた。

 中では硝子ちゃんが倒れていた。

「硝子ちゃん!」

 駆け寄って抱き上げたら硝子ちゃんがうっすらと目を開けた。

「あ……れ? 海ちゃん、どうしてここに……?」

「どうしたもこうしたもないよ! すぐに救急車を……」

 救急車を呼ぼうとした私を硝子ちゃんが弱々しい動きで遮った。

「お願い、病院だけは……やめて……。また、閉じ込められるのは……いや」

 そういうと、硝子ちゃんは気を失った。

 どうする?

 どうすればいいの?

 そうだ、家に人……はだめだ。こんな状態になっているのを見たら絶対に病院に連れて行かれる。

 でも、この状態では……。

 そうだ、二人を呼ぼう!

「ごめん硝子ちゃん、私一人じゃ病院しか思いつかないから、今、北川君と佐藤君を呼ぶね」

 北川君に連絡して、最初に言われたのは、病院や親などの大人には連絡しないことだった。私には分からなかったが、佐藤君も同じようなことを言っていたので、私はおかゆを作り布団を敷いて硝子ちゃんを寝かせておくしかできなかった。

「福光さん!」

「海!」

 二人はほんとにすぐに駆け付けてくれた。

「端海さんの容態は?」

「一応、息はしてるし体も少し冷えてるけど、あったかいから大丈夫……だと思う」

「端海さん、失礼します」

 北川君は硝子ちゃんの袖をまくりあげた。いつもは真っ白な包帯に赤いしみが出来ていた。

「はあ、よかった……。多少深い傷をつけているようですが、出血多量はなさそうです」

「ふう、それなら後は端海のやつが目を覚ますのを待てばいいだけか」

 ゴミ箱を見ていた佐藤君もほっとしたのか床にへたり込んだ。

「ゴミ箱なんか見て、どうしたの?」

「いや、ここまで精神がボロボロなんだ、医者に掛かっていて薬をもらっている可能性があるだろ?」

「うん……。あ、そうか……」

「薬も多量に飲めば毒だからな。その痕跡を確認していた」

「じゃ、じゃあその痕跡は?」

「俺の見た限りでは無かった。だから、ただ衰弱しているだけだと思う」

「よかった。ほんとによかったよ。硝子ちゃん」

 私は硝子ちゃんの手を握って温かさを感じて、ただただ硝子ちゃんが生きていることを嬉しく思った。

 その日、私たちは硝子ちゃんの家に泊まり付きっきりで看病した。

 次の日うっすらと意識を取り戻してきたけど、おかゆをすする程度の最低限のことにしか意識が向いていなかった。

 三日目、硝子ちゃんは大分回復したけどまだ、会話をするのは難しかった。

「ね、ねえ、ほんとに病院にいかなくてもいいのかな」

「それな、俺も考えたんだが、北川のやつが大人にだけは絶対に言うなって言うんだよ」

「ねえ、どうして、大人の人に言ったらだめなの?」

 私が覗き込むように尋ねると、北川君は眼鏡を上げて言った。

「端海さんは子供のころいじめられていましたよね?」

「うん、守ってあげたかったけど、怖くて何もできなかった」

「その時、本来助けてくれるはずの教師達が一切助けに入らなかったのです」

「え、でも途中からいじめはなくなって……」

「いじめがなくなったのは彼女が爪を刃物のように研いで、いじめていた相手を切りつけたからです。そして、やはり教師たちが責めたのは端海さんの方だったらしいのです」

「らしい……?」

「ああ、今までの話は島田君から聞いたのです。しかし、彼がいない以上、僕が言う役目ですからね」

「そんな……。それじゃあ、硝子ちゃんはずっと一人で……」

「そう、大人と戦っていたんだ。端海は俺なんかよりずっと強いやつだよ」

「硝子ちゃん……。ほんとにお疲れ様」

 硝子ちゃんを抱き起してしっかりと抱きしめた。

「これからは私たちが守ってあげるからね」

「ありがとう、海ちゃん」

 硝子ちゃんの弱い声が聞こえた。

「硝子ちゃん! 体は大丈夫? あ、勝手に起こしたから目が覚めちゃったかな?」

「まあね、でも今はこうやって抱きしめてほしいかな」

「うん、うん。私でよければいつまでだって抱きしめてあげる」

「俺も……と言いたいところだが、さすがに抱きしめるのはちょっと照れくさいな。だから俺は雰囲気で包み込んでやるよ」

「僕も同じです」

「みんな、ありが……とう」

 そういうと、硝子ちゃんの眼から涙が零れ落ちた。

「あ、あれ……どうしたんだろ。嬉しいはずなのに涙が……」

「硝子ちゃん、人ってね嬉しくても涙が出るんだよ」

「そうなんだ、私ずっと、嫌な思いしかしてこなかったから、初めて知ったよ」

「ねえ、硝子ちゃん。これからはつらいときは一人で抱え込まないで私たちにも話してくれないかな?」

「え、でも、それは……」

「もー、こんな姿見ちゃったんだから、秘密は無しだよ~」

「うん、そうだね。じゃあ、どこから話せばいいのかな……。まずは、どうしても避けられないことから話すべきだよね」

「避けられないこと?」

「私は人間不信なの。これはもう心の奥底に染み付いちゃってるから多分、一生消えない。これだけは多分どうしようもないから分かってほしい」

「うん、私だっていきなり百パーセントの信頼をして、なんて言えないし、言わない」

「ありがとう。後はこうなっちゃった顛末だけど、原因的なものはもう、聞いてるんでしょ?」

「うん、今さっき北川君から聞いた。なんて言ったらいいのか分からないけど……。私が思っていた以上につらい思いをしていたんだね。もっと早くに動き出していればよかったと今は後悔してる。ごめんね」

「そんな、海ちゃんたちは悪くないんだから。謝らないで」

「それでも、端海さんを独りにしてしまっていたのだから、友達としてまずは謝らせてください」

「俺もなんとなく察していながら、放っておいてすまなかった」

「みんな……」

 そこで硝子ちゃんは泣き出してしまい。話どころではなかった。

 数日後、元気な顔で学校に来た硝子ちゃんは今までとは違った雰囲気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る