破壊を想う 破滅を想う 想うことを想う

あおいしょう

はじまる

序章

▼ 生まれる 〈破壊衝動の塊である存在〉


 その存在は目を開いた。


 まず目に映ったのは、椅子にうなだれて座っている人間の姿だった。顔は見えない。金色の髪を持った男で、手足が鎖で椅子に固定されている。足元の床は石造りで、赤黒いもので汚れていた。

 視線を後ろに動かす。

 裸電球の下で、小柄な男と大柄な男がテーブルに腰掛け、トランプに興じていた。


 次に己の体を見下ろしてみる。手には五本の指。二本の足で立っている。人間と同じ形の体をしていて、何も身に着けていなかった。胸にふくらみは無く、脚や腹にはそれなりの筋肉がついていた。男の体だった。


 ――なんだ?


 漠然とした疑問を頭の中で反芻する。


 ――これは……なんなんだ……。


 意識がある。意識があることに戸惑う。


 ――俺は……なんだ?


 耳が、男たちのトランプに興じる音と声を捉える。鼻が、部屋に漂う生臭いにおいを捉える。目が、その光景を捉える。

 人として、自分はさしておかしくない機能を持ち合わせているようだ。ただ、意識というものを初めて持った。否。初めても何も、“いままで”がなかった。


 ――もしかすると……俺は今、生まれたのか?


「急におとなしくなったな」


 声のした方に振り向くと、大柄な男が手に持ったカードから顔をあげ、訝しげな表情でこちらを見ていた。


「ははー、わかったぁ。あまりのことで脳ミソがショートしちまったんじゃねーのーぉ?」


 大柄な男に答えた小柄な男は、へらへらと笑いながらこちらを見ていた。トランプをテーブルに伏せ、代わりにテーブルに置いてあったナイフを手に取る。脚をぶらぶらさせて座っていたテーブルから降り、こちらに向かってくる。


 ――!


 体が震えた。体の中で何かが脈動している。体の中で何かが激しく暴れまわっている。

 正体のわからなかった“何か”は自分の中で徐々に形を成していく。――コワシタイ――……。そんな衝動として。 

 奇妙な衝動を体の中で持て余しながら男たちを見る。


 気づけば、へらへらしてナイフを持った小柄な男が、自分のほんの二、三歩前まで近づいていた。すぐ目の前、ぶつかる寸前になっても男は歩みを止めない。歩みを止めることなく歩き続け――そこに何も誰もいないかのようにすり抜けていった。

 どうやら小柄な男にとって、自分は存在していないもののようだと、その存在は認識した。比喩ではなく、空気と変わらない存在。目に見えることも無く、物理的な接触もしない。

 男は、椅子にうなだれて腰掛けている青年の前で足を止めた。青年の顔を覗き込みながら弾んだ声を上げる。


「なぁーあー? どうしたん? 黙ってないでさぁー。しゃーべーれーよー。もう言わねーのーぉ? ケツから串ぶっ刺して標本にしてやるとか脳ミソ花火でどかーんと少ないミソ晒して逝けとかテメェの臓物テメェで喰って窒息してシネ! とかーぁ? 全部壊す全部死なす全部滅殺全部だ全部全部全部ぅぅぅうううううう! とかぁ?」


 ――コワシ、タイ――……。


 自分の内側からの衝動に、一瞬体がよろめく。小柄な男の言葉に触発されたように衝動が膨らんでいく。


「なぁなぁ、こいつ全然しゃべんなくなっちゃったー。寝てるわけでもないみたいだけど、なんかボーゼンとしちゃっててさぁ。どうしよ? なんか刺激でも加えてみる?」


 ――コワシタイ、こわしたい壊したいコワしたいこわしタイ壊シたい壊しコワシ壊シ壊したコワシこわしたこわシ――――


 小柄な男はへらへらしたまま振り向いて、大柄な男に――そこに立っているはずの存在を透かして――視線を向け、指示を仰いだ。大柄な男はテーブルのトランプをかき集め、カードを切りながら「好きにしろ」と低い声で呟く。へらへらした小柄な男は、大柄な男の一言に笑みを深くし、笑みを黒くし、椅子に座る青年の方に向き直る。


 直後、悲鳴が上がった。青年の足の甲にナイフが突き立っている。しゃがみこんだ小柄な男は「あははは」と笑いながら、直立しているナイフの柄に指を添え、ぐらぐらと揺らす。揺れるたびに青年の口から小さな悲鳴が漏れる。小柄な男は「あ、起きた起きた。あはははは」と悦んでいる。


 ――……?


 いつのまにか、何かを壊したい衝動が治まっている。何かにかき混ぜられるように乱れていた心は、すっかりと凪いでいた。

 その現象はその存在に疑問を抱かせたが、疑問はひとつだけでは留まらなかった。

 しばらく、自分が何者で、何をすればいいのか分からず、男たちに拷問される青年を眺め続けた。その間、ふたたび何かを破壊したい衝動が襲ってくることはなかった。


 いくらでも疑問が湧いてきた。自分が本当に、今、生まれたばかりの存在なのだとしたら、男たちが口にしている言葉が理解できるのはなぜなのだろうか。

 何の記憶もない、知識の空洞の、その奥を探ってみる。探ってみたそこには言語や常識、あるいは非常識、一人の人間の過去が――人生が――主観で、記憶されていた。


 ――誰の記憶だ……。


 思案して、その記憶を始めから辿っていく。物心がつき、成長し、大人になっていく経緯を。そうして最後にたどり着いたのは、この拷問部屋だった。

 さまざまな刃物で体を弄り回されている青年を見る。


 ――もしかしたらこいつの記憶なのか?


 今まで俯いていたせいで見えなかった顔が、痛みに体をのけぞらせたせいで上がる。記憶にある“自分の顔”と同じ顔をしていた。


 ――だとしたら、俺はこいつの……なんだ?


 生霊、というやつかもしれない。しかし青年とはまた違った意識を持っている。自分は自分の意識を持っている。なのに……自分は目の前で拷問に苦しんでいる青年の記憶を持っている……。

 ともかく自分は、青年から分離した何かなのだろうと結論付けた。別に自分の正体が何かなど、深く気にすることではない。すでに自分はここに生まれてしまっているのだから、なるようになればいい。そう、自分を納得させた。


 となると、この場に留まっている意味も無いだろう。自分を認識していない者しかいないこの場に留まっていても、きっと何も進展しない。

 外に出ることに決めた。途端、服を着ていなかったことを思い出す。

 おそらく他の人間も自分を認識できないだろうと思う。が、自分に付属している記憶のせいか、服を着ていない状態で外を歩くというのは落ち着かない。それに、自分を認識できる者がいないとも限らない。


 しかし、どうすれば“服を着る”という行為が出来るのだろうか。その存在はしばし思案し、物に、男たちに触れてみようとした。が、宙ばかりを掴んでしまう。

 仕方ないのでこのまま外に出ようかと思ったとき、青年の服に目が留まった。

 すでに血にまみれてしまっているが、赤が目立つことのない上下真っ黒でシンプルなシャツとズボン。彼はいつもこのような飾り気の無い服を着ていた。身なりにも、世界にも、興味は無いと言わんばかりに。


 ――まぁ、俺も別に着飾りたいなんて思わねぇけど……。


 服はどうしようもないのだろうと、肩で息をついて、足を扉に向ける。自分を生み出した青年の苦しむうめき声にも、後ろ髪を引かれることがなかった。 

 と、唐突に服を身に着けている自分に気づいた。青年と同じ真っ黒な上下だ。血はついていない。


 ――なんだこりゃ……。


 自分の記憶の中にある青年の記憶と自分の思考が同調したせいだろうか? 自分は物理的な存在ではないので、物理的に服を着なくても自分の思考ひとつで自由になるのだろうか。


 ――ファンタジーだな。


 己の存在自体が非科学的なことは今更のように、そんなことを思った。

 もはや何の迷いもなく扉の方に歩いていき、あたりまえのように扉をすり抜けた。廊下を進んで、無骨な石段をのぼった。階上にも何人か人間がいた。数人が酒を飲みながらテレビを見て爆笑している。そいつらの視界を体で遮ってみたが、目の前に手をかざしてみても、殴ろうとしてみても反応はなかった。


 鏡があったので覗きこんでみた。予想に反して自分の姿が映っている。血で濡れたような赤い髪が、目を覆い隠していた。髪をかきあげ、目を見る。瞳の色も赤く、何もしなくても人を挑発してしまいそうなつりあがった目つきをしていた。自分を生み出した青年は金髪碧眼で色は違うが、なんとなく似ていなくもなかった。

 鏡に映った像も、誰も認識できないらしかった。


 誰一人として、そこにいるはずの存在を認識する者はいなかった。そうして赤い髪を持つその存在は、建物の外へと出ていった。



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