第7話 血の十字架、出生の秘密
遠く視線を投げたミユキの眼差しがどことなく物憂げに映った。
純一が囁いた。
「遠くを見ていると不安だね、このまま、漂流してしまいそうな気がして」
「このまま漂流して、何処かに消えたい」ポツリと囁いた。
「そんな、虚しい言い方しないで」
「私、生まれてきちゃいけない娘なの」
「そんな、生まれて来ちゃいけない子なんてこの世に1人もいないよ」
思い詰めたような表情から意外な生い立ちを話し始めた。
「私の母さん、純一さんと同い年なの」
「えっ、本当」意外な現実に驚きを隠せなかった。
「そう、今36歳よ老けてるでしょ。実は母が16歳の時母の父親との間に私が生まれたの」
暫く沈黙したあと切りだしたミユキの言葉に、純一は一瞬意味合いが理解できないでいた。
「私、近親相姦の子なの」ズバリと言い切られ、純一の耳に突き刺さった。
「それって・・・・・」衝撃的な内容にショックと重さで言葉も出ない。
「純一さん、私を嫌いに成った」
「どうして、ミユキの性じゃないし、ミユキの魅力は変わらないよ。只一寸驚いたけど」
然し、簡単に答えた言葉の軽さと相反し相当な重力で純一の心に伸しかかった。
(近親相姦)衝撃的な不浄な響きは純一自身、現状の生活を揺るがしかねない恐怖を覚えた。自身の境遇とダブらせては成らない言語であり、純一自身がひた隠すブラックゾーンの存在が脳裏を掠めた。
然しミユキは純一の戸惑いを介さず言葉を続けた。
「母は私を堕胎するつもりで、冷水に浸かったり暴飲暴食を繰り返したり、クスリの多用とか無茶したの、それが原因で今になって入退院の繰り返し、原因は生まれてきた私なの。病院で付き添うのも私の宿命だわ、現実から逃げられない」
以前から気になっていた、得体の知れないミユキの陰の部分が浮き彫に成った。
「ミユキに責任ないだろ、原因は母さんの父親じゃない。今でも生きているの」
純一は現実を否定しながら言葉じりを合わせていた。
「もう亡くなった。
私は生まれて直ぐ母の祖母と祖父と言うか実父に孫として育てられた。実家は勝浦の半農半漁で船も持っていたし生活は比較的恵まれていた気がする。何も知らなかった私に祖父がとても優しかったのは今でも記憶に残っている。
事実を知ったのは他界してからだから信じられなかった。祖母には複雑な対応をされたわ。私を不憫に感じ反面父への憎しみが混同し抱きしめて締めつけるみたいな。
或とき祖母は私の首を絞め、悲しい表情と首の痛みが微かに記憶で残っているの。
後に聞かされたけど、将来を嘆いて私を殺し自分も死ぬつもりだった。
でも私がニコニコして一つも苦しそうな顔をしなくて、この娘は殺しちゃいけないと思ったって。
私はまだ何も理解できてなかったから、何故殺したいのか本当の意味は理解できてなかった。
祖父が病死し5年も経たない内にお婆ちゃんも亡くなった。
その頃私は小学生で一番上の伯母に預けられ、辛い思いをさせられた。
だから私には故郷が無いし、私が死んでも入るお墓が無いの」
以前ミユキがフと漏らした「純一のお墓に入りたい」の意味がかいま見えた。
1人の不浄な人間が犯した罪の大きさは想像を絶する。妻、娘そして生まれたミユキ。
親子三代に渡る修復不能な亀裂が地割れのように拡がっていた。それぞれが接合しない宿命を背負って生きなければ成らない。
「今の義父はそんな母親でも承知して一緒になった。凄くいい人だけどまるで欲がなくて見ての通り貧しい生活を続けてる。
私のことは色々考えると複雑でしょ」
不幸の連鎖は一族から連れあいにまで飛び火していた。
「私の身体には祖父の不浄の血が流れている。社会が認めない汚れた血」
実感が込められた、凄みのある言葉がずしりと重みを感じさせた。
純一は不条理を否定しながら壮絶な境遇を打ち明けてくれたミユキに心が歩みだしていた。
「そこまで自分を責めるのはどうかな。
お母さんが堕胎しようとしても生まれさせた神様は、きっとミユキの命を認め、世に出したのだ。
それに誰でも虜にしちゃう魅力的な綺麗な顔と身体は、誰よりも恵まれているじゃない」
血縁結婚の子は狂人か天才が生まれる確立が高いという。常人離れした透明感の有るこの美しさは突然変異から生じたダイヤの結晶のようだ。まさに血の十字架を背負った妖精が誕生した。
「お爺ちゃんの行為は絶対許せないけど誰でも色んな事情を背負ってる。金儲けしか眼中に無い人、人と接するのが苦手な人、平気で人を殺せる奴、詐欺でしか生きれない人、人それぞれの資質で生きている。娘に興味を持つ人」わざとえぐった言葉をつかい一息入れて
「表に現れないけど沢山いる気がする。人間も動物の一種であらゆる事が本能の一部の様な気がする。雄ライオンが空腹だと赤ちゃんライオンを食っちまう。その現象は狂ってても、自然界では一つの現象かも。ミユキの話し、驚いたけどそれも現実なんだ。人は誰も生まれる境遇を選べないし、生まれた以上その現実を受入れるしかないのかも」
「私の境遇は誰にも替えられない。自分で背負っていくのは仕方ないと思っている。でも社会から挙止された人間はどこにも居場所が無いの」実感のこもった、言回しに苦悩が滲み出ていた。
「辛さは理解できても本当の痛みはミユキしか解らないだろうな」
「純一さんも可愛そう、こんな私に捕まって」悪戯っぽい言い方で濁した。
ミユキの混濁に身を沈める覚悟を決め言葉をつないだ。
「大丈夫さ、ミユキなら何でもOKさ。俺の生い立ちだって感心したものじゃないし」
純一の生立ち、自身のブラックゾーンを曝すか迷ったが喉元に押さえて話しを続けた。
「ミユキの人生誰にも邪魔される事じゃない。お母さんに悪いけどお母さんの問題はミユキのせいじゃない。自己管理を放棄したから結果が出たんだ、自分でちゃんとすべきだ」
「純一さんに会って、こんな優しい人がお父さんならいいなって」
いつの間にか溢れだした涙を拭いもせず、声を擦れさせて言った。
「それは辛いな、だってミユキを抱いているし、お爺ちゃんと一緒になっちゃう」苦笑いしながら言った。
「純一さんと合うのがもっと早ければよかったのに」トーンを落したその言葉の重みを感じた。
「どうして、今だって遅くないよ・・そうか僕の家庭の事・・・・・・どんな時でもミユキの味方でいるよ」漂流の真只中、誓うような言い方をした。
ミユキが甘えるように純一の立膝の間に背中を滑らせ首を回してキスをした。
「ここで抱いて」
「・・・・・・」
窮屈な艇内でミユキの身体が波動に同化し、自身の汚濁をミユキの生い立ちに重ねるように、その波紋に溶け込んでいった。
淫靡さや鄙猥な感覚からはほど遠い神々しい不思議な結合だった。
(もう、誰にも渡したくない)純一は密かに念じた。
心の声を聞き止めたようにミユキが呟いた。
「誰にも渡さないで」
純一はドキリとし、時折見せるミユキの神秘的な感性に驚きを感じていた。
初心者らしからぬ運転技術、純一が思わずのめりこんだ性技、田崎夫人の深層心理の分析力、不意に心理を見抜く不思議な考察力。血縁受精の非合理から生じた体質が独特の能力を醸成している。
暫くして港に戻るのにミユキにティラーを握らせ、その操縦に驚かされた。始めこそ戸惑っていたが直ぐに慣れ、その捌き方が尋常じゃない。矢張りなにか特殊な才能が隠されているようだ。
「ミユキは何でもこなしちゃうんだね」
「そんなことないわ、これでも必死なんだから」笑いながら言った。
岸辺近くでボートを、たゆらせていた時、不意にミユキがライフジャケットを脱ぎだした。
何をするか先が読めず、見据えていると唐突に立ち上がり、往きなり海に飛び込んだ。
その勢いで過なりのシブキが純一に浴びせかかった。そして極小に覆った白いビキニを天に向けて潜りだした。
呆気に取られ、様子を窺っていたが暫く沈黙が続き、往きなり海面を割いて小さな顔に髪を絡ませ浮かび上がると片手を天に突き上げた。その手にサザエが握られていた。
悪戯っぽい笑みを溢し海の照り返しがキラキラ顔に反射して眩しく輝せてた。
「本当は取っちゃいけないから戻すわね」
「大丈夫だよ、酒のツマミにするから持ってきなよ」
「駄目よ。漁師さんの邪魔はできないわ」
「そうだね、ミユキは漁師の子だったね」
流石に漁師の娘だけ有って、泳ぎも潜りも自由自在だった。
その日は憑物でも取れたように底抜けな明るさを見せ笑顔が絶えることが無かった。
遊び終えボートを洗浄して収納を済ませ、シャワーを浴びて、ホテル間近の和食屋に向かった。
店内中央に大きな生簀を設え、その周りをテーブルが囲み注文の魚を網ですくい調理して料理が出される。
生簀には鯛や平目、アジの他珍しいホウボウやカサゴ、オコゼまで泳いでいた。
どういう訳かカサゴやオコゼのようなグロテスクな面付きの魚が滅法うまい。
純一はオコゼのあんかけとアワビの踊り焼きを注文した。
コンロに火をとおしアワビを炙り純一が言った。
「動きがセクシーだね」悪戯っぽく、下卑た言い方をした。
「女には理解できないわ、純一さんらしくない」窘められた。
「確かに、ご免」言い過ぎを後悔した。
「でも凄く美味しそう」
「旨いはずだよ」
今日はとことん飲み明かすつもりで始めから1升瓶を注文した。
二人とも「旨い」「美味しい」を連発しながら肴を味わっては日本酒をコップで煽った。
「今日は全部吐出しちゃいな。気に入らない事を言葉にすると言霊って物体になって吐きだされて何も残らなくなるよ。
空っぽにして、明日からミユキの思うまま納得できるものを詰め込んでいこう」
「そうする、色々聞いてね。純一さんには何でも知っていてほしいの」
ミユキは船上での告白の詳細を酔いにまみえ語りだした。
「母は3人娘の末っ子で生まれたの。元々が病弱で学校も休みがちだった。そして学校に出てもイジメに遭っていた」
いつの時代も人の業が有る限りイジメは付物だ。
イジメの原因は2番目の姉が家庭内で差別を受けていた事に起因した。
姉はいつも長女のお古を着せられ末娘は新品だった。
おやつの大きさも長女や末娘と微妙に差別され、些細な差別も積み重なれば根深い遺恨を生みだす。
親の認識も真ん中の娘となれば自ずと関心が薄くなり、注目から外された孤立感から必然的にタフで、粗削りで、奔放な性格に成長していった。
元々体格が良くて、腕力も強い子だったので学校では一目置かれ、いつしか女番長として凄みを利かせていた。
反面父親は末娘を痛いほど可愛がっていた。姉はその溺愛に嫉妬し、妹を最も憎悪の対象として的を絞り、下級生を囲い込んでイジメを仕向けた。
面と向かっては妹想いの優しい姉を演じながら誰のせいかは分からないよう陰湿に繰り返えされていた。
ある日、母は姉が同級生にイジメを指示している様子をトイレで聞いてしまった。
イジメのダメージが薄ければその対処を虐めた下級生が負い、その制裁シーンを扉一枚の処で垣間見てしまった。
日頃気侭に自分に暴力を振るっていた同級生が姉に叩かれて悲鳴を殺して耐えている。
その痛みが響いて身体が縮み、震えが止まらなくなった。そして息を殺し必死に耐えた。
そしてイジメの元凶が姉と知って、全ての解決の糸口が消え去った事に絶望した。
それは7月の末、あと数日で学校も夏休みに入ろうとした頃だ。焼け付く炎天が地べたをじりじり焦がし、長梅雨の湿気がジットリと空気を重くしていた。
しかも台風が沖縄付近に接近し海は大シケに荒れていた。源造(祖父)は早朝から船を出していたが荒海に漁を諦め昼前に船を戻してきた。體の付け根のあらゆるところから粘度の強い汗がジットリ湧きだし、ただでせさえ、苛立つ不快な陽気だっだ。
源造は船を漁港に係留させ、首に巻いたタオルで顎の汗を拭いながら自宅に戻ってきた。未だ11時を廻った辺り、祖母はこの時期勢いのきつい雑草刈りの畑仕事に出掛け自宅には誰もいなかった。先ず、汗を流そうと風呂場に向かった。
首のタオルはぶら下げたまま裸になって古びた磨ガラスの引戸を開けると末娘の由美子(ミユキの母)が裸で蹲っていた。
一瞬その肌色の造形が何なのか正確な物体を掴めずドキリとした。
その姿が由美子と気付いて慌てて抱き起こした。
しかし由美子は既に目を剥いて朦朧としていた。
包丁が鮮血を滴らせて簀子の床に放り出されていた。そして手首を湯桶に突っ込み湯がピンク色に染まっていた。
「由美子何しとるだ。目を開けろ」源造は娘の頬を幾度も叩いて大声をあげた。
そして首に巻いていた、タオルを由美子の手首の傷口にきつく巻いた。
由美子は他界との境界線を彷徨っていたが覚醒するとフッと我に返り抵抗して暴れだした。
「お願い、死なせて、おどうお願いだ死なせて」
「何してるだー。こったらことして、馬鹿いっていんじゃねー」
「死にてえだ、生きててもしがたねー」
「いってえ、何が有っただ」
「わー」大声で泣きだすと源造にしがみついてきた。
勢い抱きかかえた源造は13歳の娘がすっかり成熟した體に一瞬ドキリとした。源造はこの状況が読めず漠然と問い直した。
「どうしただ、訳を言ってみろ」
「・・・・・・わだしは、家も学校もいる場所がねえだー」
「なんだと、おめえを誰かイジメてるっちゅうか」
「・・・んだ」
「誰だ、そいつは、言ってみろ」
「・・・・・・・」
「なして、黙ってんだ」
「・・・・・・・」
「言わなきゃ、助けれねえ。怖がらず言ってみろ」
「・・・・・」由美子はそれでも答えなかった。
「死ぬなんて事は余程の事がなきゃ、思わねえ、そったらことする奴を放っておげねえ、おどうが仇取ってやっから誰だかいってみろ」
主犯が姉では解決出来ない気がした、もし話せばもっと激しい虐めにあう。
「・・・・」また大きな泣声を上げ父に縋りついた。
「お前を死なすわけにはいがねー、人は生きてれば色んな事がある、何も知らずに死ぬなんて、馬鹿なこと考えるな」
源造は裸で縋付く娘の柔らかい肌の感触に押さえきれない魔物が首をもたげだし戸惑った。
「お前を死なすわけにはいがねえ」それが源造から湧きだした魔物の言訳だった。
こんなことが有っちゃいげねえ、然し娘を死なせるより益しだ。
短絡的なこじつけが、これから起る阿鼻地獄を凌駕し禁断の果実を口にしてしまった。一旦禁を破った愛欲は背徳の重みほど甘美だ。二人は苦みもがきながら溺れていった。そして天罰のようにミユキの誕生を向えた。
「ミユキはお父さん恨んでるの」
「滅茶苦茶な境遇だし憎んでたしもの凄く恨んだわ。ただ生前のお爺ちゃんは凄く優しくて大好きだったし複雑だわ。
だから自然と老人とか見ちゃうと放っておけなくて不思議に優しくしちゃう。無意識のうちに父親を追っているのかも、
看護婦になろうと思ったのもそこが起点だった気がする。やっぱり父親には生きていて欲しかったのかも」
明確な起ち位置が掴めず迷いながらもがいている姿が想像できた。
「祖父は遺言で母にそこそこのお金を残したみたい。償いの気持ちからと思う。
でも母はめちゃくちゃ荒れ、お酒に溺れたり、男に騙されたり、全部使い果たし、ボロボロになってた。
そんな母を見守っていた今の義父の処に転がり込んで今の生活を続けている。
私は祖母が亡くなって一番上の伯母に引き取られたの。祖父は私にも責任感じて少し財産を残してくれたらしいけど、預けられた伯母が管理する名目で取り上げ私には何一つ残ってない。その事で母と伯母は今でも争っているの、私の居場所は何処にも無かった。
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